中世トルコの民衆詩人ユヌス・エムレ
(1239-1320年)の半生を描く。2014年トルコ製作。95分。
日本のトルコ大使館文化部は正式名を「ユヌス・エムレ
トルコ文化センター」というらしいのですが、この文化部の名称「ユヌス・エムレ」が本作品の主人公です。日本ではトルコ文学史の書籍が翻訳含めて出版され
たことがないようなので、トルコ文学史上や現代トルコにおける彼の位置づけがいまひとつ私にはわかりません。そろそろ、トル
コ文学史書籍も出て欲しいものです。日本ではユヌス・エムレに関する著作は、過去一冊だけ出版されたようで、100頁程の薄
い詩集が『薔薇の花束:トルコの古典』という題名でトルコ共和国文化省から1993年に出版され、国会図書館においてありま
す(多分東京トルコ文化センターやトルコ共和国大使館にも置いてあるものと思います)。序文や作品紹介以外の本文、詩を掲載
した部分は、ページ左がトルコ語の原文、右が邦訳なので、実質50頁しかありませんが、凡その雰囲気は伝わってきます。 『薔薇の花束』の前書きや伝記によると、ユヌス・エムレは、生誕・死没地ならびに生年や死没年も定かではなく、様々な説が あるそうで、説のひとつとして、アナトリアの北西サカリア川に近いサリ・キョイ村(現エスキシェヒル県(アンカラとブルサの 中間付近)のミハルチュチュク)に1239年頃生まれ、1320年頃歿したと されているそうです(ベヤリット州立図書館にある Erzurum Adnan文書の7912番に、ヒジュラ起源720年に82歳で歿したとの記述があり、ここから生年が推定されているそうです)。 実家は農家だったものの、宗教学校で基礎教育を受け、結婚して一家を設けたものの、ある日神の啓示を受けて家族を置いて旅に 出て、イランやシリアを巡って各地の宗教団と交流し、やがて実家の近くの神秘主義教団に入り修道僧(ダ ルヴィーシュ)になったそうです。トルコ語で民衆詩を書いた点が、同時代の高名な神秘主義思想家で詩人であるジェ ラルディン・ルーミー(1207-1273年)との大きな相違で(ルーミーはペルシア語で詩作した)、ユヌス作 と信じられている口承詩は数百に上るそうです。彼が各地に足跡を残したことから、墓と称するものも各地にあり、各地元が墓を 主張して賑やかなようです。 詩人に関する評伝などは残されていないようで、伝説の類が各地に残されているだけのようです。彼の伝記も映画も、詩の中に 登場する事項の断片から、詩人の人生を再構成したもののようです。『薔薇の花束』に収められている詩にも、彼の旅の様子が描 かれているものがあります。 「我は歩くなり炎となりて 我は歩くなり国から国へ シェヒ(指導者)を訪ねて人から人へ 望郷の念を誰が知る (p28-29)」 「全身総身傷がつき 同志の地を出てさまよい歩く(p31)」 「世の中を歩き回り 寄って見れば国々の民横たれり ある者は尊く ある者は賎しく(p47)」 「さまよい歩く 我国は何処なりや(p97)」 「さまよい 歩かん アナトリア シリアも 北の地も 全て(p103)」 「おおエムレ師しょう あわれユヌスは 成す術もなく 町から町へと さまよい歩く 私の様に 孤独な者が(p105)」 映画でも、こんな感じで雪山や灼熱の塩湖で行き倒れになりそうな旅の様子が描かれています。本映画は、筋としては単純で、 神秘主義教団の学院で暮らすようになったユヌスは、導師の娘と恋に落ちるが、同時に娘を想うカースマという名の同僚から激し い嫉妬を買う。ユヌスは娘をふりきって修業の旅に出るが、戻ってみると、娘は嫉妬に狂ったカースマに刺殺され、カースマも自 殺していた。というもの。伝記映画というより、伝承の映像化、という感じです。 彼の詩は愛や恋人について歌っているそうですが、詩で「君」と呼びかけられているのは神のことであり、「神への熱烈な恋」 ということらしいのですが、文言通りに解釈すると、恋人への愛を歌っているようにもよめます。 「あわれなユヌスよ 行け恋人に(p53)」 「異国の地 恋人残り(p85)」 「ユヌスは夢で見ぬ君を 恋人よ 今君はいかに(p97)」 という部分のイメージを膨らませて、各種伝承が成立したのではないかと思われます。ユヌス・エムレに関しては、2015年 にドラマも制作されていて(次回紹介予定)、2年連続して映画とドラマの制作になったのは何か理由がありそうです。少し推測 するに、映画に登場する恋人バダムが、少し西欧的過ぎるのも、TV版製作の背景にあるような印象を受けます(全体的イメージ はサイレント映画時代の美人女優という感じ)。以下左がユヌス、右2枚はバダムなのですが、髪がブロンドで、男性の前で髪を 普通に出しているところなど、保守層からは反発を食いそうです。流し目も気になるし。個人的には華があっていいと思います が、娘の服装のデザインは、現代の服でそのまま撮影しているような感じもします。後掲しますが、学院の建物も、史跡をそのま ま利用しているようであり、IMDbの掲載情報が正しいならば、予算は300万トルコリラ(約1億200万円)で、トルコの 物価所得からすると、そんなに低いようには思えないのですが、低予算なのでこんな衣装になったのかも、という気もしないでは ありません。 ちなみにドラマに登場する導師の娘はこんな感じ。殆ど顔を隠しています。女同志でいる時も、髪はまったく出しませ ん。 さらに言えばドラマ版では、23話以降、導師の娘を演じる女優が変わってしまうのですが、その女優をGoggle 画像検索かけると、交代させられた方の女優の写真のタンクトップ姿が多数登場し、一方後任女優の方は、それ程肌を出している画像はないので、このあたりも 原因かな〜などと思ったり。 さて、映画の方は、幼年時代のユヌスの集落がモンゴル軍に襲撃されるところから始まります。ユヌスは遊牧民の出身とされて いるようで、集落は遊牧民の集落です。成年になったユヌスが襲撃の夜の夢にうなされる、という具合に直ぐに成年時代になりま す。左下は成年ユヌスの家のある村の様子。セットではなく。ロケのようなのですが、それでも、ビザンツ時代の雰囲気の残る史 跡を利用していて、雰囲気は出ている感じ。右下は、ユヌスが入学する神秘主義教団の学院。ここの導師の娘が上記バダム。 学院の建物。オスマン朝建築のように見えます。 左下は、上の建物と同じもの。右下は回廊部分。ユヌスが導師に「修行の旅に出ます」と話しているところを娘が聞い てしまうところ。 ユヌスの旅の途中で登場した謎の遺跡。こういう場所があるとは知りませんでした。どこなのか、そのうち調べる予 定。 左下はユヌスが訪問した学院のひとつ。神秘主義教団のイメージが良く出ている画
像。右はユヌスの学院の正門内側。セルジューク時代のマドラサか、オスマン時代の隊商宿だと思うのですが、どこかは
不明。そのうち調べる予定。
ユヌスが導師の娘に旅に出ると、別れを告げているところ。 ユヌスの旅の道中に、真っ赤なマントを羽織った悪魔らしき幻影が何度か登場する場面が、イングマル・ベルイマンの『第七の 封印』に似ている感じがしました。 IMDbの評点は5.5と高くはなく(ドラマは9.3)、ただしどちらも投票数がたったの100程度なので、今後の投票数 如 何によっては大きく変動する可能性がありますが、あっさりした小品でアナトリアの大自然も美しく、音楽もやさしい抒情詩調で 映像の雰囲気にあっていました。わたしは結構気に入りまし た。 最後に、『薔薇の花束』からひとつの詩(p78-79)の原文と翻訳を引用してみたいと思います。原文を見ると、韻を踏んで いる様子がよくわかります。きっと美しい調べなのでしょうね。 Bu Dünyadan gider olduk この世から 去り行くや Kalanara selâm olsun のこる者に 宜しく 伝えよ Bizim için hayir dua 我らのため 幸運を 祈る者に Kilanlara selâm olsun 宜しく 伝えよ Ecel büke belimizi 寿命が 曲げる 我が腹を Söyletmeye dilimizi 語らせるな 我が口に Hasta iken hâlimizi 病いの時に 我が様を Soranlara selâm olsun たずねる者に 宜しく 伝えよ Dünyaya gelenler gider 世に 来る者は 去り行くや Hergiz gelmez yola gider けっして 帰らぬ 道に 出るや Bizim halimizden haber 我が 有り様を Soranlara selâm olsun 問う者に 宜しく 伝えよ Miskin Yûnus söyler sözün あわれな ユヌスよ 語るや その言葉 Yaş doldurmuş gözün 涙が 満たす その両眼 Bizi bilmeyen ne bilsin 我らを 知らぬ者は 何を 知るべきや Bilenlere selâm olsun 知る者に 宜しく 伝えよ こちら に別の詩の朗読画像もあります。 参考 『薔薇の花束:トルコの古典』トルコ共和国文化省 サルチュク・エセンベル、真理子・エルドアン、よう子・シュレン、岩永 和子訳、第一版2500 1993年 TiSAMAT BASIM SANYii(価格の記載があったかどうか確認し忘れました。もしかしたら非売品かも知れません) IMDbの映画紹介はこ ちら |