ポーランド歴史映画「ウィーン救援のために」(1683年第二次ウィーン包囲)

   1983年ポーランド製作。原題「Na odsiecz Wiedniowi(ウィーン救済のために)」。恐らく、オスマン朝による第二次ウィーン包囲勝利300周年記念作品なのだと推測されます。

「ファイヤー・アンド・ソード」のような一大スペクタクルを期待して見始めたのですが、期待と比べるといまいちでしたが、こうい う描き方もあっていいので はないかと思いました。一応歴史映画なのですが、ドラマは殆ど無く、教育番組に近い感じです。一番特徴的な点は、「実戦映像が一 切無い」点、次に、「オー ストリア軍・オーストリア宮廷は一切登場しない」、更に「ウィーンの実写映像も登場しない」という点です。

 では、どのように描いているのかというと、ウィーンの映像は、以下のような、中世銅版画を思わせるモノクロの絵で表現されま す。

  映画は89分と短いのですが、10-15%くいらいは、絵だと思われます。しかし、大量の絵が登場するので、見ていて結構様子が わかります。上図より更に 詳細なウィーン市内図や、オスマン軍の掘ったトンネル、砲撃、戦闘場面などが次々に実写の間に差し挟まれます。前半は、銅版画の ようなモノクロ画、中盤か ら、19世紀の雑誌のモノクロ絵画のような繊細な絵となり、後半では19世紀新古典主義のようなカラーの絵で戦闘場面が描かれま す。そういうわけで肩透か しを食ってしまうような感じなのですが、それなりにわかりやすい絵となっているので、意外に飽きずに見れました。更に本作の工夫 点は地図にあります。ポー ランド軍、オスマン軍それぞれの進軍場面は、多くの映画では、進軍場面だけが映り、どこを移動しているのかは、会話で表現された りするのですが、本作で は、進軍映像にかぶって、下記のように地図が出て、しかも赤や緑の線で進軍ルートが表示されます。下記地図は、コサック軍のヘト マン、ミコワイ・ヒェロニ ム・シェニャフスキがウクライナのテレボブリアからクラクフへの600kmの進軍ルート。

 オスマン朝、ポーランド軍双方でこうした地図が何度か入るので、状況がわかりやすくなっています。更に、ウィーン郊外での戦闘 場面では、地図アニメを用いて解説していて、戦闘当日の状況がわかりやすく工夫されています。

 こうした、予算をかけずにわかりやすく描かれているので、最後まで飽きずに見れてしまいました。

 筋は簡単で、オーストリアから救援を依頼されたポーランド国王ヤン・ソビエツキー(ヤン3世ソビェスキとも」在1674-96年)が、ポーラン ド議会に諮る場面から始まります。下記がヤン・ソビエツキー。結構イメージ通りの配役な感じ。

 会議の広間の様子。左がヤン。右側が家臣・宗教界の人々。

 救援が決まった後、オスマンからの使者が来たりして駆け引きが描かれます。右下がそのときの使者。帽子の上の羽飾りが気になり ます。左側はオスマン使節を宮廷まで護衛したポーランド兵士。軍装が古代ローマのよう。彼らの頭の赤い飾りも気になります。

 ヤン国王と夫人。ヤン国王は修道士みたいな髪型。

 続いてオスマン軍司令官カラ・ムスタファの軍営が登場。非常に立派で大きな帷幕で、普通に見ていると建築物のような豪華さ。右 下の右側の人物がカラ・ムスタファ。左側の画像が家臣達。

 下記は、映画冒頭の方で登場した、ウィーンへ向けて進軍するオスマン軍。

 ポーランドの都、クラクフの宮殿。ワンカットだけ登場していました。恐らく現在に残る宮殿のうち、1683年頃の部分を映した のではないかと思われます。

 ヤン三世の王宮。勝利を祈ってクラクフ近郊のチェンストホーヴァのヤスナ・グラ修道院に王妃とともに出向くところ。完全にバ ロックな宮殿と馬車。

  ヤスナ・グラ修道院の概観もワンカット登場していました。多分現在の修道院そのままの映像だと思われるので画面ショットは割愛。 しかし、ヤスナ・グラ修道 院の聖物である黒い聖母像の映像は面白い映像でした。下記右側のように、聖母像のイコンには銀製の蓋があり、紙芝居の幕が上がる ように少しずつ上にスライ ドして開くしかけ。しかも、左側画面ショットにあるように、イコンは聖母とイエスの顔以外の部分は銀製の覆で覆われています(こ の銀製の覆いを取った画像がWikiにあがっています)。

 こうした金属で顔以外の部分が金属で覆われているイコンは結構多いのですが、黒い聖母もそのように描かれていたのが印象に残り ました。

  下左は進軍するポーランド軍。「ファイヤー・アンド・ソード」でも登場していましたが、17世紀のポーランド騎兵の特徴である背 中の羽はいつも強い印象が 残ります。しかも甲冑はどことなく古代ローマ軍風。右下はロートリンゲン公ロレーヌ公シャルル5世。彼の装束も彼の配下の将校も 兵士もバロック風の軍装。 甲冑とかはしておらず、小銃片手の軽装。将校の帽子はシャルル五世と同じもので、一般兵士の帽子は、シャルルの帽子から白い縁取 りを取っただけで、殆ど同 じ。

 最初にコサック軍がクラクフに進軍してポーランド軍と合流し、続いて、ポーランド・コサックド軍が南下し、ロートリンゲン公軍 と合流、最後に残りの諸侯(バーデン辺境伯ルートヴィヒ達)と合流して最終的な作戦会議。最後にウィーンの西側からウィーンに進 軍していました。

 ウィーン包囲のオスマン軍との対決は実写場面が無いのですが、下記のようなアニメーションで描かれていました。下記が1683 年9月12日の朝6時の両陣営の状況。司令官の名前がわかるように少し大きめの画面ショットを取ってみました。

 このアニメ上の各軍がミミズのように移動しながら、ぶつかり合い、押し合いへしあいしてゆきます。左上に6時、8時、11時、 12時、14時、16時、18時と2時間おきにテロップが出てこれも親切。
6 時頃にまず、右上のシャルル(図中はKAROLとある)公とイブラヒム・パシャの軍が激突し、イブラヒム・パシャ軍は川の分岐点 まで後退。8時頃からカ ラ・ムスタファ軍が前進を始めるが、シャルル軍は更に進軍し、分岐点西にある町、Nussbolfに達し、更にその南の町、 Heiligenstadt(ハイリゲンシュタット)までイブラヒム軍を後退させ、11時にはシャルル軍は Heiligenstadtに到達。オスマン軍 の後衛部隊の一部がイブラヒム・パシャ軍の支援に向かう。続いてカラ・ムスタファ軍とワルデック軍が激突。一進一退が続く。

 下記右は 12時の状況。12時頃に西側のポーランド軍三軍がフセイン・パシャの軍に向かって進撃開始。中隊に分かれていたフセイン・パ シャ軍は敗走。そこで後衛軍 がフセイン・パシャ軍を支える為に前進。更にイブラヒム・パシャとウィーン包囲軍からも支援が加わる。14時には最も西側に位置 するムラッド・ガレイ軍が ヤフトノフスキー軍と激突するが、敗れて後退。16時頃には、ポーランド西側三軍とワルデック軍が大きく前進し、カラ・ムスタ ファ軍は後退しながら後衛軍 と合流する。Döbling(ドブリング)の町を挟んで一進一退の攻防を続けていたイブラヒム軍も終に後退を始める。18時に ポーランド西側三軍とワル デック軍がオスマン軍主力に総攻撃を行い、勝利する。

 最後は戦勝報告がヤン王妃の元にもたらされたところで終わる。

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 本作と同じくヤン三世のウィーン救援を扱った映画「1683 9月11日」が今年(2012年)に公開予定のようです。
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