張家口



紹介


 張家口は、日中戦争当時、日本 軍が侵攻し、 傀儡地方政府を設立した。市街北に明代の長城が通っており、関所が残っている。大境門という名称となっている。大境門は、明 代城壁建築の特徴である、レン ガ建築である。大境門は、山脈の谷間にあり、関所の両側は、急斜面となっていて、ここを長城が登っている。左写真の右端山頂 にかすかに木のようなシルエッ トの建築物があるが、ここまで長城に沿って、観光用の参道が伸びている。この峠まで3,4キロはあるかと思われる。

 大境門から、200M程登った地点に、左写真の中央上部にある、小さい塔のようなところにいたる。ここまでは整然としたレ ンガ造りの長城が続き、それ以 降は、右写真のような、雑多な石組の長城となっている。下の写真は、その小さい塔のところから、北西〜北〜東南方面までの 180度を撮影したもの。右端に 張家口市街が見えている。



 この写真は、水母宮という公園から東南方面に広がる市街 を撮影したもの。 この公園には、馮玉祥が抗日軍を組織したとき拠点とした場所であり、記念館馮玉祥があり、公園入り口には、モンゴルのパ オがいくつか置かれていた。冬季な ので営業していなかったが、恐らく宿泊施設だと思われる。水母宮から、山の中腹まで遊歩道が伸びている。公園入り口を 入ったところにある看板地図では、「古 長城」という文字が記載されているが、これは、古代の長城ではなく、明代長城である。
旅行日記

水母宮は、市外北西方面3キロ程のところにあり、市バスも通っている感じではなかったので、行くならタクシーとなると思う。 大境門の方は、市街から2キロ 程度の地点で、大境門前には、市バスのバス停がある。 BACK
Google Earth
 大境門付近  40°50'38.29"N
         114°53'1.30"E
 水母宮付近 40°50'38.93"N
         114°51'38.79"E