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紹介
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1世紀、アルメニア王ミトリダテス1世によって建設されたとされる。ミ
トリダテス1世(〜40年頃)はイベリア(グルジア)人だとされている。この時期のアルメニア王は、ローマとパルティアが協議して王を任命していた時代で
あり、パルティアのアルサケス家が王位に定着するのは、52年以降である。アルサケス家が王位を占め、ローマが任命する、という方式で双方妥協していた。 このように、この時代は、ローマとパルティアの勢力が拮抗していた時代であり、ヘレニズム時代の影響も強く残っていたため、このような建築物が生まれる こととなった。 |
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右の写真は、神殿の前から、入り口の城門方面を撮影したもの。 |
神殿は、1679年の地震で崩壊し、1970年代に修復されたため、このように原型が再現されることになった。どの程度崩壊していた
のかは、下写真のよう
に、真っ白な修復部の石と、オリジナルな乳白色の石の部分が明確に分かれているので、わかりやすい。下段中央の写真は、正面から撮影したもので、ギリシ
ア・ローマ神殿建築そのものである。 扉の写真および下段左は、右後方から撮影したもの。 |
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ガルニ神殿は、つきでた断崖のへりに位置しており、上の写真は、断崖の際から撮影したもの。背後東方面は、下左の写真のような風景となっている。また、背 後西方面は、下段右のような風景となっている。転落したら一巻の終わりであるが、柵のようなものは一切ない。自己責任見て回ることになる。 下段中央は、神殿内部。おそらく神の彫像が置かれていたと思われる。 |
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右と下3点の写真は、3世紀のローマ式浴場跡。ローマ浴場にある、床下
に温水をためて、床上に、サウナと温水プールを作る施設があることがわかる。また、保存状態のよいモザイクの床が残っている。当時はパルティア影響下に
あったが、イラン的な影響は皆無である。パルティア時代の遺跡はあまり残されていないが、紀元前は、おそらくこのように、ヘレニズムの影響を強く受けた文
物だったと推測される。 ガルニ神殿は、アルサケス王家の王妃が夏の宮殿として使っていたとの説があるとのこと。 |
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旅行記 |
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旅行情報、近隣の史跡・遺跡 | Google Earth 40° 6'44.57"N/ 44°43'46.96"E |
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ガルニ神殿横に、中世の教会跡が残る。 ガルニ村までタクシーで45分程度。途中非常に道の悪いところを通るが、イェレバンからの途中の景色は非常によく、天気がいいとアララト山がよく見える。 今回はこんな感じでよく見えた。また、ガルニ村 付近も、峡谷地帯で、ハイキングなどに向いている。ただし、交通の便は非常に悪そうで、往復の間も、バスは殆ど見かけなかった(2007年 4月時点)。1時間に1本くらいしかないような印象。 ガルニ村はあまり大きくもないので、遺跡の場所はすぐにわかると思われる(基本的には村を南へ向かうと断崖に出るので、すぐわかる)。 近郊には(6Km程先)、ガルニ神殿と一緒に世界遺産に登録された、ゲガルト修道院がある(今回の旅行では訪問せず)。 |