ハンガリー歴史映画『Honfoglalás(征服)』

 1996年ハンガリー製作。建国1100周年記念作品。もともとロシアのヴォルガ川中流地 方に住んでいたハンガリー民族(マジャール民族)が、9世紀後半民族移動を開始し、現在ハンガリーのあるパンノニア盆地に定 住するまでを描く。一応主人公は最初の王朝の初代公アー ルパード(在896-907年)の半生でもある内容となっています。アールパードを演じるのはフランコ・ネロ。 この人は、1388年のオスマン帝国による征服前夜のセルビアを扱った映画「Banovic Strahinja」やレ ジェンド・オブ・ザ・キング 聖なる王冠伝説」、ロシアのエカテリーナ女王の若き日 を描いたドラマ「Young Catharine」、アウグスティヌスの生涯を扱った『聖アウグスティヌス』 など、変わった歴史映画によく登場していますが、本作も、変り種作品として出色の作品です。ロシアに居住していた遊牧民族 が、ヨーロッパに移住・定住し、現在に至る国家を築いたという建国時の話を描いたという点では、ブルガリア建国1300周年 記念映画『ハン・アスパルフ』と共通している部分がありますが、 数千人のエキストラを注ぎ込み、国家の総力を結集したといえる程の大型大作である『ハン・アスパルフ』(三部作:合計323 分)と比べると、戦闘場面のエキストラは数十名程度で、109分しかない本作は、小ぶりで地味な出来栄えです。まあ、正直な ところあまり面白くはなかったのですが、ラストで、ハンガリー人の現存最古の歴史書である『Gesta Hungarorum(「ハンガリー人の事跡」)』(13世紀初)からの引用がテロップされているところからす ると、『Gesta Hungarorum』(こちらに 英訳のpdfあり)の内容を製作したのかも知れません。丁度よい機会なので、『Gesta Hungarorum』を一部参照しながら鑑賞しました(その結果、『Gesta Hungarorum』をそのまま映像化したわけではないことがわかりました)。

〜あらすじ〜
 冒頭、原住地のヴォルガ川中流地方が、映像とともに解説される。続いて、騎馬のまま弓矢で的を射たり、羊を肩に担いで走っ たりと、ハンガリー男性の生活ぶりが描かれる。左端が、中心となる族長アールモシュ。そ右がアールモシュの息子、少年時代の アールパード。直ぐに成長し、フランコ・ネロの演ずるアールパードが登場(右2枚)。子供の頃のアールパードは10分くらい しか登場しない。



 アールモシュの居城に挨拶にいったアールパードは、父から剣をもらい、後継者となった(下左)。右はアールモシュ(左)と アールパード。中世イスラム圏に侵入したトルコ人や、モンゴル人の装束にも似た感じです。ただし、帽子の下の髪型は、北アジ アの遊牧民族特有の辮髪ではなく、丸刈りで、後ろに長く髪を垂らす、という髪型です。トルコ系のブルガール族は辮髪風だった ようなので、このあたりは、ハンガリー人がフィン・ウゴル系の民族だったから、ということなのかも知れません。



 下左は、アールパードの家。中央アジアの遊牧民が使う天幕ですが、一般人のものより大きめ。右は、族長アールモシュの天 幕。ひときわ巨大です。近影や内部映像がなかったので、どのような構造なのかよくわからなかったのが残念。    



 続いて一般民衆の生活映像が挟まれる。皮を縫製する職人、鞍や食器、象嵌細工を作る職人など。このあたりは、ドキュメンタ リー風教育番組という感じ。馬と牛、羊や山羊などがいて、遊牧民というより牧畜民という感じ。下左奥にアールモシュの天幕が 見えています。中央画像の奥には、一般民衆の天幕。一部が彩色されています(ただし、全員が天幕暮らしというわけではないよ うで、木造の小屋(屋根が地面まで達している北国風の小屋)も登場していました)。



 ラテン文字が導入される以前の古代ハンガリー文字である、木に彫られたロ ヴァーシュ文字 も登場していました。文書として登場しているのではなく、墓碑のような形で大木の側面に掘り込 まれた形で登場しています。



 と、このように最初の20分くらいは、古代ハンガリー人の生活の様子が主に描かれ、次いで、アールパード家以外のハンガ リー民族六大部族が登場します。このあたり、内容が良くわからなかったのですが、アールーパードの従者が、他の族長の所有し ている鷹狩り用の鷹を、それとは知らず射殺してしまったことから、六人の部族長を招集することになった、という経緯のような 気がします(ただし召集された族長達が、揉めている様子もなかったので、違うのかも知れない)。以下が族長達。上右端が族長 Tétény、上右から2番目が族長Huba、上左端がKond、(上左から2番目は、重要人物かと思って画面ショットを とったものの、特に重要人物ではなかったひと)、下右端が族長Tas、下右から2番目が族長Elõd、左下とその右の2枚が 族長Ond。彼らは、後に、アールパードとともに、パンノニア平原まで一緒に移住する。



 
 下左が、颯爽と並んだ族長達。下右がアールモシュの天幕での会合の様子。



 会合が終わった後、団結の儀式を行なう。全員ナイフで手首に傷をつけ、血を甕にいれるという血盟式。アールモシュとアール パード親子、及び六名の族長達、計八名が行なう(アールモシュの主催で会盟し、アールパードが公に選出されたように見える が、『Gesta Hungarorum』では、公に選出されたのは、アールモシュとなっている。更に、『Gesta Hungarorum』では、公が選出された理由は、現在マジャール人が居住している地は、人口過剰となり、アールモシュの祖先である(フン族の)王アッ ティラの土地であるパンノニアに移住することになったため、旅を完遂するためには一人の指導者が必要、との理由で公を選出し た、とあります。アールモシュは族長は引退しているものの映画の終わりまで生きていて、『Gesta Hungarorum』でも、民族移動中の公は、ずっとアールモシュとされています。



 本作では、女性が殆ど登場していないのも残念。以下はわずかに登場している女性達。殆ど台詞はなし。



 下右は、アールパードが、聖なる柱に祈りをささげているところ。このときのアールパードは、帽子をとっていて、辮髪ではな く、普通の角刈りで、髪を後ろにたらしていることがわかる。更に、彼は、十字架を首から下げている。この作品では、彼が特に キリスト教徒だったようには描いていなかったので、たまたま十字形の首飾りをしていただけかも知れません。

 話が動き出したのは、ビザンツからの使節(下左)がアールパードのもとにやってきたところから。



 やってきたビザンツの使者二人は、黄金の剣、黄金の杯、黄金の小箱、ガラスの箱などを贈る。下左画像の右中央に、宮廷楽師 がいて、下右は、いかにも国王然としたアールパード(右側で座っている人物)。



 ビザンツ人にそそのかされ、民族移動を開始するマジャール部族(何で移動を始めたのか、よくわからなかったのですが、 『Gesta Hungarorum』ではビザンツ人の関与は記載されていないようなので、本作は、『Gesta Hungarorum』の映画化というわけではなく、ビザンツ側の史料も用いた内容となっているものと思われます)。湿地帯での移動が続き、困難な道中が 描かれる。



 途中、森で戦闘となる。相手がどの部族かは不明(話の流れからすると、キエフ公国かブルガリア人の筈だが、よくわからな い。ゲリラ戦の ような規模で描かれていた(『Gesta Hungarorum』では、ウラル地方から出発したマジャール人は、途中ロシアのスズダリ地方やキエフを通過し、戦闘となった、とあり、ロシアの史料 『ロシア原初年代記』での記載でも、この頃マジャール人がキエフ国を分断していた、と出てくるらしい。更に、キリル文字で有 名なキリルの伝記『コ ンスタンチィノス一代記』でも、ハザール宣教に黒海北岸に赴いたキリルがマジャール人に遭遇している記載が出て くる。これらのように、マジャール人のロシア横断は、複数の異なった史料から裏付けられているようである)。森を抜けたと ころで、ビザンツ人(と思われる)軍隊と、軍を率いる将軍と会合を持つ(下中央がその将軍。その左側で背を向けている人物が アールパード。ただし、『Gesta Hungarorum』を見ると、キエフ公との和睦ということも考えられる。もしかしたら、ブルガリア人の汗(この頃だとシメオン)かも知れない)。



 下左の二人は、アールパードの部族の有力者(名前は不明)。左から2番目の人物は、ラスト近く、パンノニア平原に入ってか ら、現地人との戦闘で命を落とす。葬儀の場面は、まるで主役のような扱われぶり。中央は、軍装したアールパード。その右は、 ビザンツ人の 将軍(かブルガリア王かキエフ公と思われる)人物、右端は、マジャール族にキリスト教への改宗を奨めに来た正教の修道士。



 ビザンツ人(キエフ公かブルガリア王かも知れない)と会談の後、マジャール部族は、山岳地帯を切り開く。ここに定住するの かと思ったら、続く場面で、正教の修道士が宣教に来た後、マジャール族は再び移動を始め、遂にパンノニア平原に入る。その後 現地人(と思われる)人々と戦闘になり、上左から2番目の人物が戦死。葬儀の模様が割りと厚く描かれる。

 最後は、定住の地に、王宮らしきもの(教会では無い模様)の建設を開始し、アールパードが民衆の前で演説し、上画像左から 2番目の人物の 妻の手から、生まれたばかりの子供を抱き上げ、民衆の前に掲げて、子供の将来と(恐らく)民族の繁栄を祈願するところで終わ る。



最後に『『Gesta Hungarorum』から引用された以下のテロップが出る。

 ha nem hisztek az en irásomnak, higyjetek a regosok enekeinek es a parasztok mondáinak, akik a magyarok vitézi tetteir mindmáig nem hagyak feledésbe merülni (もし、あなたが、私の書いた夢を信じないとしたら、私は、吟遊詩人が農民の歌が言っていることを信じる、過去に過ぎ去ったハンガリー人の英雄は、未だ忘 却の中を飛翔している、ということを)

〜Vége〜

 評判通り、大した作品ではありませんでしたが、『Gesta Hungarorum』に目を通すきっかけになりました。それにしても、『Gesta Hungarorum』の記載を見て思ったのは、マジャール人が南ロシアを横断しているのは、まさにキエフ公国ができた頃のことです。『ロシア原初年代 記』にキエフ公国の詳細な様子の記載がないようなのが不思議です。

IMDbの映画紹介はこ ちら


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