東京開封府







 開封は、戦国魏の首都大梁であり、その後衰退し、北魏時代梁州、北周時代汴州と呼ばれ、隋代に入ってから運河が築かれて 後、興隆した。五代北宋の首都と なり繁栄したが、黄河のルート変化と洪水に悩まされ、衰退した。黄河は開封の北を流れていたが、一時は南を流れたこともあ り、最悪の時期には、40Mもの 堤防に守られ、黄河の水面下になったこともあったとのこと。



周囲は清代の城壁に囲まれている。写真上は、鉄塔公園入り口から200M程北にある城壁と城門。右は、旧城壁内の西北隅にあ る鉄塔公園中に立つ、宋代の 「鉄塔」と呼ばれるレンガ造りの塔である。その質感から鉄塔と世バレっているが、右写真のように、レンガに仏教レリーフが一 面刻印されている。1049年 建設



旅行情報



 鉄塔公園へは、開封駅前から1路バスで30分程度。途中 扉写真の龍亭 公園北出口、清明上河園などを通過する。1路は、市内の観光地を縫って走る感じなので、移動に時間はかかるが、便利である。

 宋代宮城があったところが龍亭公園となっていて、右写真の廟台が復元されている。扉写真は、龍亭公園から、東に清明上河園 方面を眺めたところ。なんとな く、宋代開封の雰囲気が出ているような気分になる。清明上河園は、宋代町並みを描いた、現存する清明上河図の町並みを再現し たテーマパーク。写真左は、龍 亭南に400M程再現された宋代の町並み区「宋都御街」。

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