クリュッチ

1014年の戦場



紹介

 クリュッチ村近郊ストゥルミツァ川峡谷において第1次ブルガリア帝国滅亡を決定的にした戦闘が行われたところである。 15000人のブルガリア人の捕虜が100人ずつのグループに分けられ、各グループ一人を除いて両目をつぶされ、残る一人も 片目を潰し、片目の捕虜に残りの99人を引率させてサムイルの元に送り返した。サムイルは戻った兵士を見てショック死してし まった、という話が残っている。
 この戦場はクリュッチ村近郊で行われたとのことで、村にはわずかばかりの砦址が残っている(写真2)。
 写真1は南側から北へ向かって砦址を撮影したものである。記念塔が建っているところ(写真左、上から3センチ、右から3セ ンチのところにちょっと見えているグレイのもの)が砦址であり一応20mほどの丘の上にある。背後に山脈が見えるが、同じよ うな景観の山脈が南側にもある。つまり、ここは1500m程の東西に伸びる2つの山脈に挟まれた2k程の回廊地帯なのであ る。南側の山脈は尾
根がそのままギリシャとの国境となっている。この回廊を西へ行くとマケドニアへ出る。
 東へ行くとストゥルマ川にぶつかり、川沿いに北上するとスレデッツ(現ソフィア)へ、南へ下るとソルンへ(現テッサロニ キ)向かうことになるのである。
 戦場の正確な場所はわかってはいないが、砦址のある丘の上からは確かに幅2Km程の隘路が良く見渡せるポジションにある。
 写真3,4にある様にところどころ侵食されていて黄色びた大地が剥き出しになっている地帯がある
近隣の史跡・遺跡

 サンダンスキ ローマ時代のヴィラの遺跡と博物館がある。
 メルニック   サムイル時代の貴族の館跡ローマ時代の橋、第2王国時代の教会跡が残る。

遺跡見取り図
旅行情報

  ブ ルガリアの地図はここを参照してください。

 ペトリッチからバスで20分程。12Km程の距離である。しかし、バス路線はペトリッチを出て谷を南沿い に西に向かい、マケドニア国境沿いで北へ進路を取り、谷の北側の麓を東へぐるりと一周するというコースを取っていた。遺 跡は北側の麓にあるので、遺跡の近くのバス停迄乗ると40分以上はかかるかもしれない。しかし20分の地点でバスを降り ても、北へ向かって写真3,4にある様なこまかな起伏のあるところを歩かねばならず、結局合計1時間はかかる。遺跡は まったくたいしたことが無いので、1014年の事件に関心のある人以外には薦められない。

 ペトリッチはギリシャ国境近く、国境の山脈の麓に位置する。サンダンスキから20分程度。ソフィアからサンダンスキ まで3時間半程度。観光都市ではないが一応民宿などがあり安く宿泊できる。