アニー


(クリックすると拡大)

紹 介
 
紹 介
 10世紀前後に繁栄した中世アルメニア王国の都城遺跡。「1001の教会の都」と呼ばれ最盛期には人口10万を擁した。現トルコと アルメニア国境にある1キロ四方に展開する大遺跡。都城は渓谷に囲まれ、南へ突き出した2等辺3角形をしていて、3角形の頂点にあたる部分が丘になってい る。その丘の上の城跡から西北方面を撮影したものが扉の写真(クリックすると拡大)。ここから東北方面を撮影すれば、ほぼ遺跡の全体が俯瞰できるのだが、 アルメニアとの国境の撮影は厳禁なので、撮影できなかった。
 
 扉写真の右中ほどに見える建造物(拡大写真でないとわかりにくいかも)が右写真2の教会跡。
 包丁ででもきられたかの様にきれいにスパット半分崩壊している。
 3角形の底辺にあたる部分には城壁(写真3内側から見たところ)があり、写真4が外側。
  利用している石が赤と黒のチェックとなっているが、これは他の建築物も同じで非常に特徴的だった。
  イラン側のマクーにもアルメニア教会があり、写真を見ている限りでは、同様の建築様式である様に思える。

 写真6も教会。写真7はその内部。こうした建築物がこれら以外にも広い敷地内に点在している。
  アルメニア国境側も写真1にあるような峡谷だが、より鋭く深く、水流も勢いがある様な印象を受ける。
 

 有名な乙女の城は撮影禁止(どうやってもアルメニア側が背景に入ってしまう)ので撮影できず、絵葉書も見つけることが出来なかった のが残念(カルスの旅行代理店にポスターがあったけど)。
 しかし写生は出来るみたいで、アルメニア国境側峡谷の断崖に際のキャラバンサライみたいな建物からの眺めが一等すばらしいのだが、ここで写生している学 生らしき人がいた。暑いので、休憩に兵士が入れかわりやってきたりしていたが、写生は不問だった。

 遺跡にはあちこちに機銃とトランシーバーを持った兵士がうろうろしていたが、けっこうのんびりしたもので、アルメニアとの間に特に問 題が発生していなければ、まったく自由に見学できる。(そもそもアルメニアと問題が発生していたら、見学自体出来ないであろう。
 遺跡を出入りするときも荷物チェックなど受けなかったが、入り口でパスポートを預ける必要がある。

 アニーは1064年頃セルジューク朝アルプ=アルスラーンによって陥落した。

・アルメニア史に関するリンク


遺跡見取り図

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旅行情報


 アニーの見学申し込みは、カルスにある旅行代理店申し込む。1998年夏当時は約29ドルで、
人数が増えれば割り勘になるので、他の客が来るのを待って、もし客が来れば安くあがるという理屈である。そんなのんびりした時間は無いので、一人で29ド ル払って申し込んだ。
 タクシーを手配してくれ、片道1時間、見学時間2時間で計4時間。警察署へはタクシーの運ちゃんと一緒に行き、5分ほど待たされただけであっさり手続き は済んだ。
 
 遺跡の見学を終えて出口でパスポートを受け取るとき、窓口につんである他のパスポートの数をみたら、10人分くらい増えていた。ということはちょっと 待っていれば、他の客と一緒になれたかも知れないと思った。ま、この辺は賭けだと思う。
 カルスからアニーまで約50Km、タクシーで荒地を一直線に東へ飛ばして1時間。途中2,3回検問がある。

 遺跡の外にはレセプションハウスがあり、私が戻ってみると運ちゃんはロシア人女性の旅行者とカラオケなぞをやっていた。トルコにとっ ての敵性国人ロシア人の旅行者がいるのも驚いたが、カラオケがあるのにも驚き、出会ったばかりの観光客女性とデュエットする運ちゃんにはちょっと唖然とし た。
 エルズルムからカルスは3時間くらいだった気がする。写真5はエルズルムからの途中の景色。

 NO7
NO6
アニーには、サーサーン朝時代の拝火寺院の遺跡もあるとのこと。こちらのサ イトに写真があります。詳しい紹介も、こ ちらにあります。
 拠点となるカルスはトルコ東部アルメニアとの国境まで50kmほどの地点にある。アンカラへの直行バスもある。アンカラまで24時 間らしい。
 エルズルムまではバスで4時間。
 (トルコ地図はここを参照して ください

オトガルは街中にあるが、長距離バスターミナルは4,5キロ離れたまったくの郊外にあるのでバスかタクシーで行くしかない。ちょっと不 便。

 Google Earthの座標

40°30'28.99"N  / 43°34'18.49"E    
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