現代欧州の金融と通貨の起源(2)
中世末期為替決済の「安全装置」とは何か
前回の続き。
1)西欧中世の為替レート換算の起源と実態
2)西欧中世為替取引(書類決済/信用取引)の起源とその実態
の探索です。
最初にメディチ家関連書籍(「メディチ家」、「メディチ家はなぜ栄えたか」、「メディチ家の盛衰」「メディチ・マネー―ルネサンス芸術を生んだ金融ビジネス」にあたってみたのですが、倉都氏の記載した為替取引の出典が、「メディチ・マネー」のp49-54であり、もう少し詳しく書かれていることと、15世紀から栄えたメディチ家は中世イタリアの金融業者としては後発であることがわかっただけでした。そこで、「中世後期イタリアの商業と都市」、「中世イタリア複式簿記生成史」など、メディチ家登場前のイタリアを扱った書籍を参照してみたのですが、手形決済や計算貨幣は、更により以前、13世紀以前だということがわかりました。
そこで方向を変えて金融史の書籍にあたってみることにしました。
最初にビクター モーガン「貨幣金融史」を
参照したのですが、
必要な情報が載ってないことがわかったという点で、役に立った書籍でした。「貨幣金融史」というわりには西欧しか扱っていないのはまあいいとしても、ギリ
シア・ローマも少しだけ。中世は多少扱っているものの概要だけ、しかも、短期借入、為替手形、国際貿易など複数の章にバラバラに記載されており、直ぐに英
国金融史に飛んでしまうなど、「英国貨幣金融史」とした方がよさげな内容。古代バビロニアやギリシア・ローマの金融については、新書であるにも関わらず、
1952年出版のアシル・ドーファン=ムーニエ 「銀行の歴史 (文庫クセジュ〈第69〉)白水社 」の
方が余程詳しい感じ。もっとも、こちらの方はフランス人が書いているだけあって、中世に入るとフランス中心の展開を見せます。どこの国も自国偏重になるの
は仕方が無いのかも。とはいえ、本書で漸く、12世紀から13世紀に栄えたシャンパーニュの大市で、決済通貨「プロヴィノワ」(リーブル)を基準通貨とし
た為替取引が発生した、との記載を見つけることができました。
プロヴィノワ貨とは何か。「図説 お金の歴史全書」にも載っていなかったのですが、どうやら、シャンパーニュ伯の発行したディナール銀貨(こちらにチボー1世発行のプロヴィンス貨の写真と解説があります)を、市の開かれる市のひとつであるプロヴァン市に因んでプロヴィノス(またはプロヴァン貨)と呼んだようで、リーブル通貨があったわけではなさそうです。アシル・ドーファン=ムーニエの記載したリーブルは、計算貨幣だったのではないかと思います(ついでにWikiのシャンパーニュ大市の項にプロヴァン貨について追記しておきました)。
さて、最終的に道筋をつけてくれたのは、「貿易金融・為替の史的展開」
という書籍です。先の「貨幣金融史」と異なり、中世末から現在までの欧州貿易決済史全般を扱っていて有用だと思います。正直、2004年に出版されたばか
りなのにamazonで100円以下で出ているのが不思議です。まあ、今回必要とした箇所だけでも細かい間違い(1314年のシャンパーニュのフランス併
合が16世紀と記載されていたり、東邦貿易、などと誤植があったり)が見られるので、専門家からみると評価が低い書籍なのかも知れませんが、私にとっては
有用であり、以下の資料にもつながりました。
最終的に役に立ったのは下記の書籍と資料です。
1.名城邦夫「中世後期・近世初期西ヨーロッパ・ドイツにおける支払決済システムの成立」
この資料には、私が求めていた、ズバリ各地の為替レート換算表そのものと、為替取引地図が掲載されています。こんな文献がネットで読めるとは感激です。
-15 世紀ヴェネツィアの貨幣相場表、
-15 世紀ブリュージュの為替相場表、
-15 世紀ジュネーヴ大市の為替相場表
-1578―1596年 メディア・デル・カンポ(スペイン)の為替相場表
-16 世紀リヨン大市における為替相表
-1558年ジェノヴァ大市における為替相場表
-1558―1606 年アントウェルペンの為替相場表
-1629 年アムステルダムにおける為替相場表
及び下記の為替取引地図。
-1340 年頃の西ヨーロッパ為替取引ネットワーク地図(北イタリア中心にロンドン、パリ、ブリュージュ、セビリア、コンスタンティノープルなどに放射線上に広がっています)。
-1440/50 年西ヨーロッパ為替取引ネットワーク地図(イタリア北中部中心に、ブーリュージュ、ロンドン、パリ、バルセロナ、ヴァレンシア、アヴィニョンなどが相互に連結しています。
-1575/80 年頃の西ヨーロッパ為替取引ネットワーク地図 リヨン、フィレンツェ、アントウェルペン、マドリッド、リスボン中心に、各地域間の相互連結が更に複雑に発達しています。
-1629 年西ヨーロッパ為替取引ネットワーク(イタリア、イベリア、南ドイツ、フランドル・北仏、ロンドンの4大地域間で決済)
13世紀のシャンパーニュの為替決済については殆ど触れられていないものの、本論考の前半は14世紀以降のイタリア、フランドルの為替決済について詳述してあり、非常に有用です。
2.大黒 俊二 「嘘と貪欲―西欧中世の商業・商人観」
前回記
載した、倉都氏記載の、「為替取引の安全装置」についてズバリ回答が記載されている書籍です。問題の解説箇所は、たったの20ページ程度なのですが、同じ
ような帳簿決済が同時期のイスラーム世界でも行われていたのに、なぜ西欧でより発達を遂げたのかを知る為の書籍でもあり、非常に重要かつ有用に思え、
5000円の価値は十分あるように思われ購入しました。
実はこの内容は、以降でご紹介する中世金融史家デ・ローヴァー(1904-72年)の書籍で詳述されているのですが、当該書籍は図表が無く、更に「嘘と貪欲」では、当該書籍以降のローヴァーの研究成果や、他の研究者の成果や図表が掲載されており、その点でも有用です。
さて、推理小説のネタばれという感じもあるのですが、倉都氏が記載していた「為替の安全装置」とは、2点に集約されるように思えます。
1)
当時の通貨は、2つの都市の間では、片方が必ず基準通貨(基点貨幣)となり、片方が従属的な従点貨幣だった。そして必ず基点貨幣の都市の市場での基点通貨
レートは、従点都市での市場の基点通貨レートを上回っていた。「在外貨幣」であることから、価値が減価している為である。銀行家はこの状況を熟知していた
ので、決済時点で、基点都市でのレートが、従点都市のレートを下回る程の下落が起こらない限り、2都市間決済では、決して損することは無かった。
2)
当時の遠隔地貿易での為替決済期限は、都市間の距離に比例(現代用語でのユーザンス(支払猶予)と呼ぶ)し、また、1)で記載したように、都市間ではレー
トが異なっていた。この為、遠隔地となるほど(ユーザンス日数が大きくなる程)、決済時に差益が出る仕組みとなっていた。
本書には、当時の西欧主要都市間の商業郵便の日数やユーザンス日数(通常は郵便日数の倍程度)表が掲載されており(10/17追記。こちらのページに商業郵便とユーザンスの各地間の一覧表が
掲載されています)、「安全装置」のメカニズムが非常にわかりやすく記載されています。結局のところ、「安全装置」とは、当時のキリスト教やイスラーム圏
で宗教的に禁止されていた「貸付による利益(徴利)」を隠蔽する手段だというわけです。それゆえ、西欧中世における為替は、遠隔地貿易の決済から発達した
わけで、内国為替取引は、もっと後の時代に遅れて成立することになった、ということのようです。倉都氏の「金融がわかれば世界がわかる」や「金融vs国家」
では、金融技術の発達について前向きな姿勢で記載されており、先物取引やオプションなど、高度な技術の発生理由がリスク回避の技術として登場した背景を丁
寧に述べているのですが、「結局金融屋の制度開発モチベーションって、庶民から情報を隠蔽することで利益を得ることなんじゃないの(いわゆる情報の非対称
性)」と訝っている私のような庶民は結構いるものと思いますが、どうやら、中世後期の為替取引の発達も、送金手段の進化というよりも、利益隠しの側面の方
が強かったんじゃないの?と、やっぱり金融屋さんについてのイメージはあまり変わらないで終わったのでした。
とはいえ、この段階(遠隔
地送金と帳簿上の振り替え決済)を過ぎないと、次の段階にも進めないわけで、この段階が西欧中世の、いつ・どこで、どのように行われたか、ということが具
体的に分かりました。因みに、遠隔地貿易での帳簿上の決済は、イスラーム圏でも行われていたようです。ただし、現物の為替手形や帳簿は発見されておらず、
現状は文献資料でしか確認できないようです。この点は、日本語資料としては下記のものが有益でした。
3.「アッバース朝時代における手形決済について--ミスカワイフの書を中心として」佐藤圭四郎著「イスラーム商業史の研究」p120-141所収
本稿では、ミスカワイフ以外の著者の文献史料も利用しており、為替決済、約束手形、帳簿決済、小切手に相当するものはあったようです(ただし複式簿記につ
いては言及無し)。結局遠隔地貿易があるか、貨幣経済が浸透し、巨額の送金・決済が必要となるところでは、手形と帳簿振り替えはたいてい発生する、と考え
てよさそうです。前掲アシル・ドーファン=ムーニエ 「銀行の歴史
」p28では、イソクラテスの「銀行家について」で為替決済について記載が紹介されており、p36では古代ローマでの債権債務の帳簿決済の発明について記
載されています(後者は出典史料の言及は無し)。
ところで、本書は次作でイスラームから唐にかけてのシルクロードを舞台にした小説を執筆中の仁木稔氏のブログではたいした本じゃないようなコメントがありましたが、この為替の論考だけでも大層な価値ではないかと思うのでした。
4.デ・ローヴァー「為替手形発達史 -14世紀から18世紀-」
今回ご紹介した名城邦夫氏「中世後期・近世初期西ヨーロッパ・ドイツにおける支払決済システムの成立」と大黒 俊二氏
「嘘と貪欲―西欧中世の商業・商人観」、更に貴志幸之佑氏「貿易金融・為替の史的展開」でも重要文献として引用されているデ・ローヴァー氏1953年の著
作。Amazonで調べたら、なんと350ドルもすることが分かり(レビューによると44ドルの廉価版は駄目駄目らしい)、ちょっと手が出ないと思っていたら、なんと邦訳が雑誌掲載されていることが判明。
佐賀大学名誉教授の楊枝嗣朗氏が、佐賀大学経済論文集にて翻訳を掲載されています。しかも、第一章が1986年に掲載されたものの、2章以降は長い間延期
されており、昨年から再開され、2010年3月号では第4章の前半までが訳出されています。5月号と7月号では4章と5章が訳出されている可能性が高い
(全5章)ようです、というのは、今回国会図書館に行ったのですが、国会図書館では直近2号がまだ閲覧できなかった為(都立図書館ではネットで確認する限
り、閲覧可能となってますが、立川にある多摩分館。。。。ちょっと遠い。。。)。このような重要書籍が日本語で読めるなんて感激です。ゆっくり読みたいの
で4章前半までコピーしてきてしまいましたが是非書籍にまとめて出版して欲しいと思います。5000円程度なら絶対買います。その後の研究や図表、解説
(特にエキュ・ド・マルクやエキュ・オ・ソレーユなど計算貨幣と実物貨幣、秤量単位のあたりがどうにも難しいので)などを入れていただければ、5000か
ら1万円の間でもOkです。いずれにしても丁度今年に翻訳が進んでいるとはラッキーでした(そしてなんと、第2章はネット上にも掲載されています)。
それにしても、デ・ローヴァー(Raymond De Roover)先生の訳語はまちまちですね。1986年の第一章では、「ドゥ・ローヴェル」。名城邦夫先生は「デゥ・ローファー」。「嘘と貪欲」では「ド・ローヴァ」、河原温氏「ブリュージュ」では、「ドゥ・ルーヴァー」。「ドゥ・ロゥーヴァー」「ドゥ・ルーバー」「ド・ルーヴァ」なんてのも見つけた。あと、佐賀大学論文集の目次がネットで読めないのは残念(都立図書館の検索システムでも目次までは出ない)。
というわけで次回は、デ・ローヴァー「為替手形発達史 -14世紀から18世紀-」の目次と、概要をご紹介するところから、他に参考となった書籍を紹介して今回の話題の最後としたいと思います。
その3(現代欧州の金融と通貨の起源(3)デ・ローヴァー「為替手形発達史―14世紀から18世紀―」の目次 に続く