ポーランド歴史映画「ボレスワフ大胆王」(ボレスワフ二世)

    ボレスワフ二世(在位:1076年 - 1079年)。何度も浮沈を繰り返したポーランド・ピヤスト家の再興の一つを担った王の一人。ポーランドは、ボレスワフ一世時代(在992年 - 1025年)、大きく領土を拡大し、後のポーランド王国が、ポーランドの基本的領土版図として考えるようになる領域を達成した人で、末年、教皇から王位を 受け取り王国となりますが、ボレスワフ一世の子、ミシェコ二世時代に王位を失い、次に王位を獲得したのが、本記事のボレスワフ二 世ということになります。 1971年ポーランド製作。


 冒頭で、「ヨーロッパの新しい国家の間でポーランド」という歴史書籍から引用された、時代背景のテロップが表示される。

-  ボレスワフ大胆王の1079年のハンガリーへの亡命の理由は、霧に包まれた謎である。これには、唯一ではなく、幾つかの異なる 要因の相互作用を推測する ことができる。 1079年の王の戴冠式は、間違いなく自分たちの権利に脅威を感じた者たちが、ヴワディスワフ1世ヘルマンのを中心に結束したことは理解できる。この時期 は、ドイツにおける、反グレゴリオ(皇帝ハインリヒ四世を破門した教皇グレゴリウス7世(在1073年 - 1085年)陣営を利用して、ボレスワフに対する反乱を起こす雰囲気が醸成されていた。 -


手かせをはめられた罪人達が宮廷に連行されてくる場面からはじまる。ボレスワフ王が周囲の貴族達一人ひとりに「処刑」と吐き捨て るように言う。スタニスラウス。司教が抗議にやってくるが、口論となり物別れに終わる。

 左がボレスワフ王、右がスタニスラウス、中央がKanclerz Radosz(宰相ラドシュ)。

 村では領主が、村民に横暴なことをしていた。猫をわしづかみにして娘の懐に押し込み、幼児を抱く老婆を罵倒。別の配下の男は、 綱で村民の首を引く。地方の地主領主が農民をいじめているようである。

 そこに国王軍らしき軍隊が来る。しかし、国王軍に対しては、村民も領主も同じ立場らしい。軍隊は村ごと襲い、地主は抵抗するが あっさり破られてしまう。どっちにしても底辺の村民にはいいことではない。下記が国王軍兵士。

 領主を捉えて兵士が移動する途中、スタニスラウス司教の一行と出くわす。兵士と司教が会話している間に捕らえられていた男が1 人逃げるが、兵士は彼を射てしとめる。スタニスラウスは兵士の行為を罵って去る。

 山の上に十字架。ブルガリア(のボーテフ)やグルジアのムツヘタにも、山の上に十字架のある場所があるが、ポーランドでも有名 な場所なのだろうか。

 その十字架のある岩山の麓には修道院があり、スタニスラウスはそこを訪問して、修道士達と会話。ボゴミール派の十字架みたいで ある。スタニスラウスは国王の横暴を訴えているようである。

  川べりで野営している貴族の一行。その一行の一人の男が水浴びしていると、誰かがを射て逃げる。同じように水浴びしていた女が発 見し悲鳴を上げると、一人 の騎馬が逃げるところが映る。泣き崩れる女性たち。一行には僧侶達も同行しており、僧侶の長と思われる男が祈祷を始めるのだっ た。どうやら、キエフ大公フ セヴォロド(在1075-76,1-78-93年)の使者らしい。

 王城に入り、挨拶するキエフ大公使者。

 それを出迎える王弟ヘルマン(中央)と、恐らく王の妻フセスラヴァ(キエフ大公子、チュルニーゴフ公スヴァトスラフの娘)。右が宰相ラ ドシュ。

 その後、ヘルマンに率いられ、大使は国王ボレスラワに面会するのだが、このときの王の着ている服の下半身と腕の部分の、鎖帷子 に見える衣装部分はビニール製で、その上に鎖帷子がマジックで書かれているようである。右が宰相ラドシュ。何気に宰相ラドシュの 画像が多くなる。

  キエフ大公大使一行は、野営地で男が暗殺された一行をつれてきていた。王に遺体とその一行を検分させ、その後、王城fで、射殺さ れた男の葬儀が行われるの だった。下記はその葬式で男の遺体を送る女性達。ベールからはみ出した髪をベールに入れる仕草は、厳格なイスラーム教国の女性達 の仕草とそっくり。

  ここで場面はスタニスラウスの教会に移り、部下か貴族と思われる男がスタニスラウスと会話している。暗殺事件の話題でも出してい るのだろうか。葬儀一向帰 る。クラクフ司教スタニスラウスが正装して都グニェズノに向かう。グニェズノ大司教と思われる人物と面会し、なにやら、ベネディ クト修道会がどうとか会話 しているようである(スタニスラウスはベネディクト修道会のポーランド誘致を推進していた)。続いて宮廷で聖俗諸侯の揃った会議 が開始される。下記はその 様子。中央の王座にボレスワフが座る。

 クラクフ司教スタニスラウスの杖が特徴的。左後方がグニェズノ大司教(と思われる人物)。

 最初に王が演説し、その後弟ヘルマン、宰相ラドシュなどが話すが、貴族もスタニスラウスもあまり納得していない感じで、遂にス タニスラウウスが立ち上がって王に質すが、王に受け入れられず、憤然として退場するのだった。

修道院の写本室が映る。宮廷で起こったことを院長に伝えに来る貴族。どうららキエフとの関係も論点の一つのようである。王は、老 修道士になにやら相談に行くが、ここでも会話は決裂する。

 愛人と戯れる王。地下の礼拝堂で祈っていた王妃フセスラヴァのもとに侍女がやってくる。

 そして王の寝室にゆき、ベッドカバーを剥ぎ取ると、裸の愛人が寝ているのだった。驚き、侍女をはたいて部屋を出てゆく王妃。そ の足で王妃はスタニスラウスの元を訪れるのであった。

その頃、どこかの山中では、貴族が会談していた。下写真中央の男が一方の側、それを取り巻く兵士はもう一方の貴族の側。そして写 真中央の男は、配下の兵士とともに暗殺されてしまうのだった。

  続いて、教会で、スタニスラウスが王と王妃を離婚させる(と思われる)場面となる。王妃も出席していて、どうやら王妃がスタニス ラウスに王との離婚頼み込 んだような展開である。スタニスラウスが、アーメン!と性急に切り上げると、王は即効で退出。王妃一同残った連中はスタニスラウ ス司教に跪く。

 また郊外の場面。貴族が口論から、喧嘩に発展する。王宮では王が王弟ヘルマンを罵っている。王が出て行った後、ヘルマンはナイ フを机に突き刺し、なにやら怒りをぶつけている模様。

  宮宰(ヴィオヴィダ/Wojewoda)職の シェチェフ(Sieciech)が密かにスタニスラウスの教会を訪れる。ヴォイヴォダは、初期のハンガリー王国やブルガリア王国のルーマニア領土、オスマ ン侵攻期のルーマニアでよく聞く知事という位置づけの称号だが、この頃ポーランドでは宮宰を意味していたらしい。その後をつける 男。程なく兵隊が教会を訪 れ、教会内を調べる。どうらやシェチェクを追ってきたらしい。しかし見つからず、引き上げる。このときの兵士は、三番目の写真と 同じ装備でリーダーは同じ 人物。

 王の愛人は、森で老司教に何か教えを請おうとするが、厳しいことを言われたようで、逃げ出してしまう。一方王宮では王妃が侍女 達と荷造りしていた。そこに王が駆けつけてきて説得しようとするが無駄なようである。この時の王妃の白い相続は素敵だった。

 キエフの使者はまだ滞在中だったが、引き上げることになる。下記は出発するキエフ大公使節一行。

  一行を見送った後、早馬が王に報告をもたらす。シェチェクとヘルマンが反逆したという報告らしい。スタニスラウスの教会では盛大 なミサが行われていた。最 初は静かに文書を読み始めたが、読み進むにしたがってだんだんエキサイトしてくる。ボレスワフの名を断罪するようにも、何かを宣 告・宣言するようにも見え る。恐らくボレスワフを破門する宣言なのだろう。続いて教会前の十字架を燃やす僧侶達。そこに黒いマントで全身を覆った宰相 Radoszがやってきてスタ ニスラウスと抗議口調で会話するが、スタニスラウスは取り合わない様子である。恐らく宰相の単独行動ではなく、王が和解を探る為 に使わしたのではないかと 思われる。
 
 王宮では、王妃が出発するところだった。バルコニーから王と愛人が見送っている。王妃と入れ違いに宰相が戻ってくる。愛人 はスタニスラウスの元にゆく。恐らくとりなしを願いに行ったのかも知れない。愛人は土下座して、恐らく何か装飾品を賄賂のように 差し出すが、スタニスラウ スは差し出された装飾品を足蹴にし、取り合わない(最後は拾ってやるのであるが)。王もスタニスラウスもどっちも頑固な感じ。愛 人が教会を出ると、教会の 外に集まっていた貧民が愛人に気づき、ベールを剥ぎ取られ、スカジンカ!ドージェ!と叫ばれ、取り囲まれ、暴力を加えられ、死ん でしまう(辞書によると ポーランド語でスカは売女という意味とのこと)。スタニスラウスは愛人の遺体に向けて経を読む。少しポランスキー「マクベス」の ような異様な映像。

 王宮に悲報が届く。馬車にゆられ、馬が一人で王宮に戻る。目を開けている愛人の遺体。ロジェヴァデムの「世にも奇妙な物語」の 感覚である。自動的に門が開いて閉じる(ように見えるのは、実際には門番がやっているのかも知れないが)

  ついに国王軍がスタニスラウスの教会を囲む。一人で扉をでてゆくスタニスラウス。兵士が司教を切る。司教を切った剣を持って王宮 に戻り、王座の下に捧げる 兵士(三番目の写真の兵士)。下はスタニスラウスの教会全景。当時のクラクフ司教座はこんな規模だったのかも知れません。

王は弟ヘルマンを呼び出し、無理やり王座に座らせる。この時の鎖帷子はマジックではなく、実物だった(下写真)。半泣きで部屋を 出てゆく王。王が出て行った後、ヘルマンは、ほくそ笑み、やがて笑い出すのだった。

 ボレスラワ王一行は、山地を通過中、山の上から民衆に松明を投げられる。部下の名前を口にするが、ラドシュもチャイネクもヴォ ルコもいない。王は亡命した。下はカルスト地形の谷間を抜けてゆく王の一行。

 投げつけられた松明を後に去ってゆく王の一行。従っているのはいつもの兵士のリーダーはじめ数十騎程度。

〜終り〜

 最後。ジョーカーのような装束の使用人。結構ポーランド映画には頻繁に登場するけど、毎回異様に見えるのだった。



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