ムツヘタ




紹介


 ムツヘタはグルジアの聖地である。アラグヴィ川とムトゥクワリ(ク ラ)川が合流する地点にあり、扉写真の中央部の町がムツヘタの町。扉写真は、ムツヘタの象徴でもある、ジュワリ大聖堂からさ杖意したもの。北から南を回っ て東まで、ほぼ270度の眺望を撮影しているが、撮り忘れか、スキャナでの取り込み忘れのためか、西側が一部欠ける映像となってしまった。この広い敷地 に、教会や遺跡などが点在しているため、見て回るにはかなりの時間を有する。歩いて見学する場合は1日では足りない可能性がある。

 ムツヘタの町からジュワリ大聖堂には、公共機関がないため扉写真、町からは、中央部の奥地にある橋を渡り、写真左に少し見えている高速道路を越えてたあ たりで、ジュワリ大聖堂のある山の登山道に入る。登山道は、ゆったりとした
稜線を上るので、カーブは少ないが、距離が相 当ある。おそらく、町から登山口まで10km、登山口から山頂のジュワリ大聖堂まで10km、合計20km程 あると思われる。

ただし、写真右端に、山すそを直線的に下る小径(人が2人映っているところ)があり、これを使えば、川までほぼ直線的に下ることができそうである。時間と 体力のある人は、このルートを試してみてもいいかも知れない。
川は、人や車のための橋はないが、河川管理施設の一部と思われる橋があり、立ち入り禁止かもしれないが、人目を避けて強引にわたることができるかもしれな い。
このルートを使うと、ムツヘタの町の北はずれにある、下記の中世城砦跡まで、ほぼ直線的に往復することができ、時間を大幅に短縮できると予想される。
ムツヘタの町は、3〜5世紀頃、古代イベリア王国の首都だった。グルジ アのキリスト教化は、ムツヘタを中心に浸透し、12世紀頃まで総主教座がおかれていた。
写真上3枚は、中世の要塞、ベブリスツィヘ要塞。ムツヘタの町の真北、中心部の広場にあるバス停で下車後、歩いて15分。上の写真は、城砦から、更に北を 撮影したもの。近代的な団地郡が見える。青や赤色の団地など、どこか未来的である。ムツヘタは旧市街、こちらは新市街なのかも知れない。バスはムツヘタが 終点ではなく、この団地群が終点。

 下と右の写真は、扉写真の中心左、川を挟んで町の対岸にある山頂にある十字架。下の写真(ムツヘタ市街から撮影)ではぜんぜんわからないので、拡大した ものが右写真。かすかに十字架が見える。
 写真下中と右は、スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂とサムタヴロ教会(ス ヴェティは聖の意味なので、聖ツホヴェリ大聖堂)。

ツホヴェリ大聖堂は、10世紀頃に建設されたが、ティムールの侵攻により破壊され、現在のものは、15世紀に建設された。写真だけではわかりずらいが、相 当巨大である。聖堂内部の床には、歴代王や貴族の墓標が埋め込まれている。

サムタヴロ教会は、11世紀の建設で、グルジア最初の教会があった場所に建設されたとのこと。詳細は不明だが、見ている限りでは、現代において改修され (屋根はスティールと思われる)ているようで、あまり由来はある歴史的教会のだろうが、史跡という印象はなかった。



スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂

スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂とサムダヴロ教会は、ムツヘタ旧市街にある。スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂は巨大なので、町を適当に歩いていると、どこかで 必ず見える。サムタヴロ教会は、バス停のある広場近くにあり、バス停から見える。両者の間は歩いて15分程。


聖ツホヴェリ大聖堂、サムダヴロ教会とも、普通に教会として運営されて おり、入場料などはかからない。

左右の写真は、ジュワリ大聖堂。4世紀に建設された木造の教会に起源があり、6世紀に石造に改築されたとのこと。こちらも、普通に教会として運営されてお り、入場料などはかからない。ジュワリ大聖堂の内部は、アルメニアのリプシマ教会のよう に、石組がむき出しになっている。これに対して、聖ツホヴェリ大聖堂は、カトリック教会のような印象を与え、ロシア、ルーマニア、ブルガリアなどスラブ系 正教会系建築物とは完全に異なった雰囲気がある。アルメニア・グルジアの教会建築は、スラブ系教会建築のように、ハギア・ソフィアやモスク建築の影響より も、ビザンツの影響を直接に引き継いでいるような印象がある。

 旅行情報、近隣の史跡・遺跡 旅行記
トビリシからムツヘ タまで9KM程度。バスで30分。バスは30くらいの間隔で頻繁に出ている。長距離バスはムツヘタには止まらない。西方面からのバスは、扉写真の中央の川 の奥から左へ抜けてトビリシに向かう。また、北へ行くバスは、扉写真の右に抜ける高速道路を使うので、こちらもムツヘタにはとまらない。途中下車して歩く か、一度トビリシに戻ってから、ムツヘタ行きのバスを利用することになる。
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