前310年に作成された、現在出土している限りでは中国最古の地図とされている「兆域図」
の紹介。ネット上にまとまった日本語情報が無さそうなので書いてみました。 「兆域図」とは、河北省平山県から出土した、春秋戦国時代の中山王国(前507-296年)の陵墓か ら発掘された銅製の、陵墓の平面図です。縦48cm x 幅94cm x 厚さ8mm,32.1kgで、5つの陵墓と、それを囲む二重の城壁が、サイズとともに記載されています。地図というよりも、平面図といった方が正確なもの です。下の冒頭2つの画像は、yvonne101というブログの中国古地图总目录という記事から拝借したもの。最上段が銅版写真、次が、銅版の復 元模型。外側の銀色の二重の線は、銀で象嵌されていて、内壁と外壁(191m x 414m)を表し、一番内側の銀枠は、墳丘の輪郭を表すしています。5つの陵墓は金の線で象嵌されています。 上の3つ目の画像は、銅版から起こした図版。場所の表示が33箇所、「尺(22又は25cm)」や「歩(5-7尺」という単位の 数字で各陵墓や城壁のサイ ズが記載され、縮尺比は1:500とのこと。銅版は2つ作られ、一つは陵墓に埋められ(発掘されたもの)、もう一つは王宮の記録 庫に保管されたと、銅版に 記載されているとのこと。一番下の画像は、中国文物網の 兆域图铜版――世界最早的铜版建筑图 の記事から拝借したもの。銅版の全体感が わかる画像はあまり出回っていないようなので乗せてみました。 以下は遺跡と兆域図から作成された陵墓復元図と遺跡の写真です(湖北省博物館に展示されているもの)。 余禄 記事作成中に見つけた情報のメモ □城邑図 前回の記事の末尾で触れた、前漢代馬王堆墓出土の絹製の3つの地図「駐軍図」「地形図」「城邑図」のうち、「駐軍図」「地形 図」は画像も復元図も容易に見つけることが出来るのですが、「城邑図(48 x 48 cm)」の 復元図はネット上に無く、僅かに「The History of Cartography, Volume 2, Book 2: Cartography in the Traditional East and Southeast Asian Societies」(University Of Chicago Press:1995年)のp41に、図の下半分についての復元図掲載されている程度です。地図の下半分が城壁と城市と考えられている部分で、城壁部分 は、18.8 x 20cmとのこと。 □馬王堆出土「駐軍図」の中心付近に書かれた城砦図 「駐軍図」は98 x 78cmの大きなものなのですが、等倍サイズで見れる画像は見つけられず、以下は検索サイトのキャッシュ中心部付近の画像のもの。城砦が赤と黒で記載され ているところは、漢代壁画の城砦図と同じだということがわかります。 □馬王堆出土「地形図」に登場する県城南平城遺構に関する記事 2013年1月19日付湖南蓝山县发现汉代南平城故址 未解之谜得答案(图) が ありました。これによると、湖南省永州市藍山県城東北1.5km付近の古墓群の南に面した部分の南北約260m,東西約210m の区域が周囲より盛り上 がっていて、南平城ではないかと思われる、という話。当該地域は宅地となっているようで、Google Mapで見てもわかりませんでした。 □甘肃放马滩汉墓:最早的纸地图など中国地図一覧 □明代北京復元図 清代の北京の復元図は沢山ありますが、明代のものはあまり見かけ ないのでメモ □中国文物網の「兆域図」の解説の後半に、周代から清代までの中国地図の名称・製作 者の一覧表があり、他のサイトより詳細で有用 □関連記事 宋代製作の中国全土 地図「華夷図」「禹跡図」「九域守令図」「地理図」 1914年に民 国で出版された乾隆・嘉慶時代の領域地図と1790年清朝作成世界地図 |