唐代、宋代、遼、金、元代の人口

 

 

 以前、こちらに、後漢時代の人口を、こちらに明代1380年以降10年毎の中国人口グラフを纏めました。それ ぞれ出典は異なり、後漢時代の人口は「中国人口通史(4):東漢巻-中国人口通史叢書 袁延勝 著 人民出版社 2007年4月」 から引用。史書の数字及び、推計値を記載しています。これに対して、明清代の グラフは、 Chinese Economic Performance in the Long Run 960-2030(中国経済的長期表現 第2版」 アンガス・マディソン著 中国版上海人民出版社 2008年p178付録D 表D.1 中国人口、公口1-2030年」から引用。グラフの数字は、史書の数値ではなく、史書を元 に中国国家統計局が推計した数字を用いています。

 

 今回は、後漢と明代の中間を埋めてみ ようかと思い、唐代から元代の人口を、「中国人口通史(上) 山東人民 出版社」から引用して一覧表を作成してみました。

 

 人口調査は、基本的に税収を目的に人 民を把握する目的であることが一般的である為、調査逃れをする民衆が多く、史書の人口をそのまま信じることはできません。例えば、唐代や明代 においては、主力労働層というべき、成年男子の数に比べて、老人・女性・子供の比率が不自然なまでに多く史書に記録されているなど、史料批判 無しにそのまま信じることはできないのが一般的です。更に、王朝の領域内で生活していても、戸籍対象外とされている少数民族などがおり、これ らの数は史書の正式調査には記録されてはいないので、推計する必要が出てきます。各時代では王朝の領域が異なる為、各時代毎の人口数を比較す る場合には、ひとつの方法として、一定の領域を決め(基本的に現在の中国領土)、その範囲の、王朝領域外の民族の数を集計する、ということも 行われます。今回引用した書籍では、史書から採用した一覧の数字と、更に史料批判の結果推計した最大値を引用してみました。なお、「旧唐書」 や「宋史」などの正史については、こ ちらのサイト(Wikisource)で、全文をネット上で見ることができ、出典の記載を確認することが可能です。

 

 

 

唐代の人口

 

戸数

人口

推計値*1

出典

高宗武徳7年

624年

200余万

 

1537万

通典・食貨

太宗貞観年間

627-649年

300万弱

 

 

「通典・食貨」「新唐書・食貨」

太宗貞観13年

639年

308万

1328万

2090万

「旧唐書・地理 志」

高宗永徽3年

652年

380万

 

 

「旧唐書・高宗紀」「唐会要

中宗神龍元年

705年

615万6141

3714万

4085万

旧 唐書・蘇瑰伝」「通鑒」

玄宗開元14年

726年

706万9565

4141万 9712

 

「旧唐書・玄宗 紀」「通鑒」

玄宗開元20年

732年

786万1236

4543万 1265

 

「旧唐書・玄宗紀」「通典・食貨」

玄宗開元28年

740年

841万2871

4814万 3609

 

「旧唐書・地理 志」

玄宗天宝14年

755年

891万4709

5291万 9309

1350万戸 /7695万*2

「通典・食貨」

代宗広徳2年

764年

293万3125

1692万 0386

 

「旧唐書・代宗 紀」

徳宗建中元年

780年

380万5076

 

 

「旧唐書・徳宗 紀」

憲宗元和2年

807年

244万0254

 

 

「旧唐書・憲宗 紀」

憲宗元和15年

820年

237万5400

1576万

 

「旧唐書・穆宗 紀」

穆宗長慶元年

821年

237万5805

1576万 2432

 

「旧唐書・穆宗 紀」

穆宗長慶年間

821-824年

335万

 

 

「旧唐書・文宗 紀」

敬宗宝歴年間

825-826年

397万8982

 

 

「唐会要」

文宗太和年間

827-835年

435万7575

 

 

「唐会要」

文宗開成4年

839年

499万6752

 

 

「旧唐書・文宗紀」「唐会要」

武宗会昌5年

845年

495万5151

 

940万戸 /5350万

「新唐書・食貨」

*1 人口増加率などを加味した推計値(増加率は概ね9~13%)

*2  引用元書籍では、現在の中国の版図内の推計人口9045万と推計している。1350万戸とは、通典の中で作者の杜佑が推定 している値。以下がその文章(『通 典』食貨 巻七「歷代盛衰戶口」)「自貞觀以後,加五百九十萬,其時天下戶都有八百九十餘萬也。 漢武黷兵,人戶減半,末年追悔, 方息征伐。其後至平帝元始二年,經七十餘載,有戶千二百二十餘萬。大唐百三十餘年中,雖時起兵戎,都不至減耗,而浮浪日 衆,版圖不收。若比量漢時,實合有 加數,約計天下人戶少猶可有千三四百萬矣。」前漢で1220万戸 あったのだから、唐の最盛期において、 1300~1400万戸あってもおかしくない、と、杜佑が所感を述べているだけ、とはいえますが、「中国人口通史(上)」で は一応あってもおかしくない値として、1350万、人口7695万人(p406)という数字を出しています。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宋代の人口

 

戸数

人口

推計人口*4

出典

 太祖建隆元年

 960年

577万7306  

 

2888万 6530

「本書孝証 数」*1

太宗太平興国8年

 983年

700万7330

 

3503万 6650

「太 平寰寧記」 

真宗咸平6年 

 1003年

686万4160

 

2855万 6080

 「宋会要」

真宗景徳3年

1006年

741万7570

 

3256万 0508

 「宋会要」

真宗大中祥符元年

1008年

790万8555

 

3560万 6802

「続通鑒長編」

真宗大中祥符7年

1014年

905万5729

 

4399万 3930

「続通鑒長編」

真宗天禧4年

1020年

971万6716

 

4543万 4544

「続通鑒長編」

仁宗天聖元年

1023年

989万8121

 

5091万 1718

「続通鑒長編」

仁宗天聖7年

1029年

1016万 2689

 

5210万 8476

 「宋会要」

仁宗景祐元年

1034年

1029万 6565

 

5241万 0882

「続通鑒長編」

仁宗景祐4年

1037年

1066万 3027

 

4496万 5032

「続通鑒長編」

仁宗嘉祐6年

1061年

1109万 1112

 

4536万 6224

「続通鑒長編」

仁宗嘉祐8年

1063年

1246万 2317

2642万1651

5284万 3302

「文献通考」

英宗治平元年

1064年

1248万 9481

 

5764万 6504

「続通鑒長編」

英宗治平3年

1066年

1291万 7221

2050万6980

5818万 4370

「宋 史・地理志」「宋会要」

神宗熙寧2年

1069年

1441万 4043

3080万7211

4613万 6460

「宋 史・地理志」「宋会要」

神宗熙寧10年

1077年

1424万 5270

 

6161万 4442

「宋史・地理志」「宋会要」

神宗元豊元年

1078年

1485万 2684

 

6660万 7778

「続通典」*2

哲宗元祐元年

1086年

1795万 7092

4007万2606

8014万 5212

「宋 史・地理志」「宋会要」

哲宗紹聖元年

1094年

1912万 0921

4256万6243

8513万 2486

「宋 史・地理志」「宋会要」

哲宗紹聖4年

1097年

1943万 5570

4491万4991

8682万 3212

「宋 史・地理志」「宋会要」

哲宗元符3年

1100年

1996万 0812

 

8982万 9982

「宋史・地理志」「宋会要」

徽宗崇寧元年

1102年

2026万 4307

4532万4154

9064万 8308

「宋 史・地理志」「宋会要」

徽宗大観4年

1110年

2088万 2258

4673万4784

9346万 9568

「宋 史・地理志」 

*1  これは書籍名ではなく、引用元の「中国人口通史」を指す筈だが、本文に考証部分が見当たらない。調査中。 

*2 戸数は「通考」元豊3年から

*3  引用元書籍では、宋9446万、宋朝内の戸籍対象外少数民族550万、遼1050万、西夏350万、大理300万、吐蕃 300万、台湾10万、西域60万、合計12066万と推計している。

 

*4  上記表中、「宋史・地理志」記載の人口(口数)は、1戸あたり平均2.13-2.31(1066年のみ1.58)人としか ならない。中国歴代の平均戸数5人前後を大きく下回っている。一方、「嘉泰会稽志」「嘉定赤城志」「臨汀志」など南宋代の地 方志では、戸数の後に続けて、「丁」と記載があり、「丁」とは、「中小老幼残疾不成丁」とあり、丁は課税対象の成年男子、中 小老幼残疾とは、老人幼児、障害者で、課税対象外の男性を意味する。これら地方志の戸数あたりの丁の人数が、上述の3地方志 の各地方で1戸あたり、平均1.17から1.50人となり、1066年の1.58に近くなる、このことから、 2.13-2.31人という数字は、中小老幼残疾を加えた、男性人口である可能性が高い。人口の半分は女性であり、 2.13-2.31を倍にすると、歴代平均の1戸あたり5人前後の値に近くなる。このことから、引用元書籍では、基本的に史 書記載の口数値を倍にしている。戸数は全て史書記載値の通り。

 

 

 

遼の人口

遼代推計人口 上京道280万余、東京道230万、中京道150万、 南京道220万、西京道170万、総計1050

 

金代の人口

 

戸数

人口

戸数平均

 註

熙宗皇統元年 

 1141年

 

3280万

 

人口は推計 

世宗大定元年 

 1161年

 550万 9828

3625万

 

人口は推計  

 世宗大定27年

 1187年

 678万 9449

 4470万 5086

 6.5845  

人口は金史から 

 章宗明昌元年

 1190年

 693万 9000

4544万 7800

6.5496

人口は金史から   

 章宗明昌6年

 1195年

 722万 3400

 4849万 0400

6.7130

人口は金史から   

 章宗泰和7年

 1207年

 841万 3164

  5353万 2151

6.3629

人口は推計  

出 典は、全て、「金 史・食貨志」。年平均増加率は5-13%。

 

 

元代の人口

 

戸数

人口

出典

至元27 年  

 1290年

1319万 6206

5883万 4711

「元史・地理志・ 序」  

至元27 年 

 1290年

 1384 万2528

6160万 1225

「元史・地理 志」   

至元28 年 

 1291 年

 1343 万0322

6049万 1320

「元史・世祖紀」

至元30 年 

 1293年

 1400 万2760

 無し

「元史・世祖紀」  

至元31 年  

 1294年

 1163 万3281

 5365 万4337

「元史・食貨志・ 農桑」  

至順元 年  

 1330年

1340万 0699

  無し

「元史・地理志・ 序」  

 

*1  引用元書籍では、最盛期には9830万の人口を推計している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南宋の人口

 

戸数

推計人口*1

出典

 紹興32年 

1162年 

1297万1666

5810万 0972

「宋史・地理志」  

 紹興32年 

1162年

1113万985 

4622万 4654

「宋会要輯稿・中 興会要」

 紹興32年 

1162年

1158万4334

4986万 2930

「宋会要輯稿・乾 道会要」 

 乾道元年

1165年 

1170万566  

5035万 8354

「宋会要輯稿・乾 道会要」  

乾道4年

1168年

1168万3511

5079万1004

「宋会要輯稿・乾 道会要」

乾道6年

1170年

1184万7385

5194万3740

「宋会要輯稿・乾 道会要」

乾道9年

1173年

1184万9328

5344万1448

「宋会要輯稿・乾 道会要」

淳熙元年

1174年

1209万4874

5475万1172

「宋会要輯稿・淳 熙会要」

淳熙5年

1178年

1297万6123

5711万7880

「宋会要輯稿・淳 熙会要」

淳熙6年

1179年

1211万1180

5900万4580

「宋会要輯稿・淳 熙会要」

淳熙9年

1182年

1143万2813

5241万9088

「宋会要輯稿・淳 熙会要」

淳熙12年

1185年

1239万0465

4878万7642

「宋会要輯稿・淳 熙会要」

淳熙16年

1189年

1290万7438

5512万8212

「宋会要輯稿・淳 熙会要」

紹熙元年

1190年

1235万5800

5700万0516

「玉海」

紹熙4年

1193年

1230万2873

5569万0170

「文献通考」

嘉定16年

1223年

1267万0801

5664万0170

「文献通考」

*1 史書記載人口だと、1戸あたり2人強となるため、推計人口を 2倍にしている。推計の基本方針は、北宋の註4と同じ。

*2 引用元書籍では、西夏300万、吐蕃300万、大理300 万、台湾10万、新彊区域6,70万と推計すると、南宋と金を合わせて最大12480万となると推計している。南宋は後期に 最大6500万と推計。

 

 

 

 

 

 

引用・参考資料

 -中国人口通史(上) 山東人民出版社  2000年、「宋 史・地理志」「南 宋人口史」 吴松弟著   上海古籍出版社出版 2008年

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