後漢(東漢)人口

 

紀元

戸数

人口

平均世帯人口

出典

光 武中元2年

57 年

4279634

21007820

4.91

伏 無忌所記

明 帝永平18年

75 年

5860573

34125021

5.82

伏 無忌所記

章 帝章和2年

88 年

7456784

43356367

5.81

伏 無忌所記

和 帝元興元年

105 年

9237112

53256229

5.77

伏 無忌所記

安 帝延光4年

125 年

9647838

48690789

5.05

伏 無忌所記

順 帝永和中

136 年

10780000

53869588

5.00

応 劭「漢官儀」

順 帝永和5年

140 年

9698630

49150220

5.07

続 漢書・郡国志五

順 帝建康元年

144 年

9946919

49730550

5.00

伏 無忌所記

冲 帝永嘉元年

145 年

9937680

49524183

4.98

伏 無忌所記

質 帝本初元年

146 年

9248227

47566772

5.09

伏 無忌所記

桓 帝永寿3年

157 年

10677960

56486856

5.29

晋 書・地理志

塞 外民族の人口

 

 

備考

匈奴

49年 南匈奴   9万人

50年 南匈奴   6万

76年 南匈奴   6~7万

83年 北匈奴 3万8千投降合計10余万

87年 北匈奴20万投降。 合計30万

89年 北匈奴20余万投降。合計5,60万。

90年 南匈奴 戸3万4千、口数 23万 7300、兵5万

170年 投降匈奴60余万、北匈奴70万人6 万戸

 

匈奴人口は、合計140万ほどだと思われる。

羌族

大きくは、西羌、東羌、蜀広漢に分かれる。

37年 20万戸、100余万の大部分羌人

77年 5万戸20万

97年 3万戸、12万前後

111-124年 第1次反乱

136-145年 第2次反乱

145年    投降9万戸3、40万

159年    第3次反乱

161年 投降10余万

168年 投降20余万

順帝時 150部に別れ、

西羌は89部、20万戸、80万人。

残り61部は、計算上13,7万戸、55万人と 推測される。

150部で合計135万人との推定。55万人 は、漢政府の版図外。

東羌族は5,6万戸、人口24万、37-108 年、蜀と広漢の領外に60万、148年投降20万で合計80万。総合計215万

氐族

219年 5万戸 20万余

 

烏桓

前漢時代数万。

49年 10部、4万戸、20万程度の推測。

144年 70余万(大半が匈奴だと推測され、 烏桓は40万程度と推測される)

166年 匈奴、烏桓投降。20万(半分は匈奴 と推測される)。

207年 曹操に投降した20万中10万が烏桓 の可能性

220-227年に10万余騎、60万

 

10から20万程度と推測される。

 

 

 

鮮卑

45年 6万程

 

安帝期、120部 数百から1000戸を1部と するとの記載があり、すると12万戸以内で60万人前後となる。この数字は匈奴も10万程度含んでいると思われる。

夜郎

前漢時10万戸、50万人

 

数万人

 

巴郡蛮・南郡蛮・ 江夏蛮など

板楯蛮不明、江夏 蛮数万

江夏郡は現湖北省 東部、南郡は、湖北省西部。巴郡は四川省東部と重慶市。板楯蛮(現重慶市)不明は何度も反乱している為、少ないとは 思われない。江夏蛮は、南郡蛮が後漢代江夏郡に拡大したもの。板楯は巴蛮の俗称。

武陵蛮・五渓蛮・ 長砂蛮など

武陵蛮10余万、長砂・零陵蛮数万、桂陽蛮記録なし。

武陵・長沙・零 陵・桂陽は郡の名前。現在の貴州東と湖南省をあわせたくらいの広さ。武陵が貴州東と湖南省と西北部。長沙は湖南省東 北部。零陵は湖南省西南部、桂陽は湖南省東南部。

五渓とは、謂雄 渓・樠渓・酉渓・沅渓・辰渓という渓谷の地名。武陵蛮が五渓に居住していたので、五渓流蛮とも称すらしい。いづれも 居住地を使った呼称であり、彼らの自称とは関係が無い。戦国時代の百濮族。

越(駱越、烏滸など)

2,30万

合浦、郁林(以上広西省)、交趾、九真、日南在住 越人合計

哀牢

王77人、5万 1890戸、55万3711人

 

夫余

魏志東夷伝 8万 戸、30万人

 

高句麗

魏志東夷伝 3万 戸、15万人。

後漢時代の内属7 万。内外あわせると合計22万程度と推定される

-中国人口通史(4):東漢巻-中国人口通史叢書 袁延勝 著 人民出版社 2007年4月-より引用して作成した。

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