中国前340年か ら1820年までの時代毎の人口密度地図

 

 

 「中国人口通史(下) 山東人民出版社」 巻末に掲載されている、年代ごとの人口密度グラフ。最初の四つの画像は、上から、前340年、紀元2年(前漢)、紀元157年(後漢)、紀元 280-289年 (西晋)。色分けは、戦国と西晋が5段、漢代のみ6段。薄緑が1km四方1人以下。薄黄が1人-5人、薄橙が5-10人、薄桃が10-50 人、橙が 50-100人、濃橙が100人以上。

 

 

 

 前漢の「100人以上」の 色が、後漢のそれより、若干赤っぽいのですが、同じ色だとお考えください。GIMPでも、フォトショップ並の色調補正機能がある のかも知れませんが、面倒なのでそのままで掲載しています。この書籍のこの地図は便利なのですが、印刷の色が地図によって微妙に違うところが あるのが残念 です。しかし、一応の傾向は把握できるものと思います。前漢代に現四川省地域の人口密度が中原に匹敵する程増加し、後漢では、湘江から珠江を 通じて現広州 に至る回廊が見えている。。。筈なのですが、著作権に引っかかるのを避けるため、映像をぼかしてしまったので、わかりにくくなってしまいまし た。後漢時代 には、取り敢えず、長江両岸の人口密度が10人/平方キロ以上となっており、江南地域の開発が進んでいる模様が見て取れます。西晋時代は、ほ ぼ後漢の密度 分布そのままに、均質に全域で人口が減少しています。後漢と前漢を比べると、前漢の人口密集地域の色が濃いので、前漢の方が人口が多そうに見 えてしまって いますが、前漢も後漢も、人口密集地域の色は同じだとお考えください。この書籍の印刷が悪く、前漢の人口密集地域の色が、後漢よりも濃く発色 しているので す。

 次の四枚は、南北朝時代、隋609年、唐755年、宋1110年。南北朝以外は6段の塗り分けとなっていて、隋の「100人以上」の色が 少し赤過ぎるのを除けば、色は合っています。南北朝時代では、南北朝の国境地帯である淮河両岸の人口が激減していることが見て取れます。隋代 になると、全 国的に後漢並に人口が回復し、更に、後漢時代では、前漢代と比べ人口が希薄となっていた関中地方の人口が回復しています。都が長安に戻った効 果だと思われ ます。唐代になると、四川が漢代並に戻り、江南地方の人口密度が初めて50-100人になっています。宋代に入りますと、黄河流域の地盤低下 は益々顕著に なり、現北京や上海・南京周辺地域、現四川の3地点の人口密度が黄河流域を上回りました。

 

 

 

  最後の四枚は、金・南宋時代、元(1351年)、明(1566年)、清(1820年)。金・南宋時代 では、国境地帯が殆ど無人地帯となり、黄河、四川、江南の三箇所に人口の中心が移っています。元代になると、色分けは7段となり、金代と比べ て華北人口が減少し、その分華南人口が増大している様子がわかります。元の侵略により、華北人口が華南に移住した可能性が推測されます。四川 の人口も激減 し、人口密集地域ではなくなってしまっています。 

 

 

 

  この地図の難点は、地図 毎に同じ人口密度の色が、異なっている点です。元代の「100-300人」は、明代の「300-500」に見え、元代の「300 人以上」は、明代の「500人以上」と同じ色に見えてしまい、並べてみた場合、人口の増減が視覚的に把握し難い点にあります。明と清は、同じ 色なので、並 べると相違が明瞭にわかるのですが、元と明では大幅に異なっています。元の黄河流域と明の黄河流域は同じ色に見えますが、元「100-300 人」、明は 「300-500人」で、明の方が全体的に人口が底上げされています。

 というわけで、せっかく有用そうな地図なのに、色分のクオリティ がいまいちなので、利用しづらい地図となってしまっているのが残念な地図なのでした。とはいえ、人口動向=経済中心地の遷移でもあるので、こ の地図を眺め ていると、おぼろげに、中国史上の経済力のある地域が、どのように拡大・移動してきたのかが、なんとなくわかり、まあまあ有用な地図と言えそ うです。


付録

 


後漢時代の人口密度地図

前漢時代の人口密度地 図



出典 講談社「中国の歴史2 秦漢 帝国」(1974年)巻頭の綴じ込み地図。大本の出典は、勞榦『両漢 郡国人口之估計及口数増減之推測』から


唐代の人口密度地図



『歴史と気候 (講座 文明と環境)』 (朝倉書店、1995年)p22より引用

 

 

引用・参考資料

中国人口通史(下) 山東 人民出版社 2000年

『歴史と気候 (講座 文明と環境)』(1995 年)朝倉書店 

講 談社「中国の歴史2 秦漢帝国」(1974年)


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