漢・各種データ、漢代の予算、財政、GDP、給与、役人など
【領土面積】
【人口調査】
【財政:税収】
数字は山田勝芳(「秦漢財政収入の研究」に全面的に依存。前漢末の数字。
□歳入
中央 |
地方 |
合計 |
|
田祖 |
10億 |
60億銭 |
70億銭 |
藁 |
8000万銭 |
12億銭 |
12億8000万銭 |
算賦 |
20億7126万 | 20億7126万 | 41億4252万銭 |
専売 |
38億銭 |
0 |
38億銭 |
その他 |
1億 |
0 |
1億銭 |
小計 |
70億5126万銭 |
92億7126万銭 |
163億2252万銭 |
役 |
0 |
103億5630万銭 |
103億5630万銭 |
兵役 |
119億1600万銭 |
119億1600万銭 | 238億3200万銭 |
奴婢 |
2億8800万銭 |
0 |
2億8800万銭 |
刑徒 |
12億4480万銭 |
16億4800万銭 |
28億9280万銭 |
総合計 |
206億6万銭 |
331億9156万銭 |
536億9162万銭 |
帝室財政収入 |
33億3175万銭 |
明
石茂生氏の論文p34では、推計GDPを、山田勝芳氏の研究に基づき、主な項目穀物生産高約2432億銭+地方
役103 億銭+兵役238億銭+商業活動130億銭(専売税収から推定)=2903億銭に、黄今言氏『秦漢商品経済研 究』(2005
年、p83)の推定する、各世帯での副業(唐代の主要税収にあった布帛の家内生産が漢代にもあったと想定している模様)の489
億銭 を加算し、約3482億銭と推計している。
当時の粟の収穫生産性(播種率)からすると、1畝あたり2石程度の生産高だとも考えられ(詳
細はこちら)、その場合は、総生産高は16億6千万石となり、1石100銭とすると、約1660億銭となる。徭
役や商業 活動を含めると、2620億銭となる。1畝3石は、特に豊作時の場合で、平均的には2石程度だったのではなかろうか。
穀物生産高総額24億9000万石を1石34.3リットルで計算する と、
8540万トンとなります。後漢代の19.8リットルだと、4930万トンとなります。
初期 |
15分の1 |
文帝 |
|
景帝 |
30分の1 |
王莽 |
10分の1 |
建武6年 |
30分の1 |
□歳出
前漢代。役の部分を抜いた歳入163億2252万銭が国政歳出財源。
国家財政(大司農担当) |
|
軍事 |
兵卒食費40億銭 |
官吏給与 |
約9億銭 |
官庁経費 |
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建設費 |
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陵墓造営費 |
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外交費 |
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祭祀 |
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帝室財政(少府担当) |
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皇帝関係費 |
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賞賜 |
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宮廷費 |
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祭祀 |
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建築費 |
□役人の給与
また役人の給料も判明していることから、概ね文官費は計算できるはず。あと帝室の維持費とかも。仮に全官吏一律最低賃金である
600銭/月 として1年で
7200銭、12万人で約8億5000万銭となる。北方辺境の防衛施設の例(「漢帝国と辺境社会」P121)では、100名程度の機関で
600銭の下級役
人は80名、残り10名が1200銭、残り10名が600銭-900銭、長官6000銭、副官2000銭となっており、概ね7万4000銭。
これを100
人で割ると平均7400銭となり、12万人で8億9000万銭程度になる。上級官吏の給与差分を入れれば約9億銭程度になろうか。
軍隊の給与はどうなっていたのであろうか。後漢では紀元120年頃の対外戦争費10年で240億銭とい
う数字があり(この頃人口はすでに5000万人)、1年あたり24億銭となる。後漢政府は前漢とくらべて財政規模は縮小されていたからなんと
も言えない が、前漢、後漢ともに徴兵制であったことを考えると、やはり軍事費は歳出に入っていたことは確かである。
前漢代、匈奴戦争では1回の出撃で数十億銭。
□兵卒
兵卒には給与は出なかったが、食料は月3石3斗3升支給された(粟(殻付米)と殻無し米の比率は10:6)であり、支給は粟でなさ
れた。米 にすると月2
石。取りあえず1石100銭で換算すると、100万の兵卒に対して年40石で40億銭となる。現物支給であったから田祖歳入70億銭中40億
銭が兵卒用に
支出されたことになる。兵卒の衣服については地方所属官庁から支給され、私物とともに辺境兵士に送付された。衣服の費用は不明(紀元前400
年頃の魏では
年間一人200銭。ただしこの頃1石30銭)。兵卒の仕事は戦闘員ではなく、パトロール、連絡、文書搬送、雑役(日干し煉瓦の作成、天田のな
らし)など。
戦闘は防戦時にボウガンを使うくらい。一応各自鉄兜と鎧は置かれていたが、平時は着用していなかった。23-56歳の間の1年間1期を勤め
た。彼らは侯官 などの役人に従った。(侯1つについて官吏100名、兵卒2~300名程度であったらしい)。
【行政】
任官資格、景帝以前は資産10万銭以上、BC142年以降4万銭以上。これは知識重視となったため。
なお、漢代行政組織の詳細は、「叔
孫通の部屋」様の「百官公卿表」に、中央・地方別に詳細な記載がありますので、そちらをご参照ください。
□郡 |
【軍隊】
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