4月26日
5時50分出発。6時17分355番のバス停に乗るが、これは空港には行かないとのことで、ひとつ先のバス停で下車し、次のバスを待つ。
6時23分のバスに乗り、7時18分空港着。今回は南方航空ではなく、深圳航空。深圳航空はA楼(Aターミナル)ではなく、B楼。
7時半頃チェックイン。8時5分にゲート。9時発。
深圳空港のチェックインカウンターでは、女性は座席について質問してくれないが、
男性の場合、窓側にします?と聞いてくれるという印象。あくまで経験上の感覚だけど。
機内で英字新聞読む。チベット国内旅行解禁の記事と聖火リレー、深圳の人口の記事などがある。
それによると、深圳の人口は、戸籍(戸口)人口、212万、非戸口人口891万、合計1103万人とのこと。
貴陽の天気はStormと書いてあるが、今回窓側だったので、景色がよく見えたが、おおむね予想した通りの山並みが眼下に展開している。
10時45分頃貴陽着。曇り。
11時頃空港バス乗車。市街まで11km。10元。地図4元。
都司口で下車。バス代用小銭のために水購入。
14番バスで省博物館へ移動。11時45分着。
1階は、マカオ関連のイベントで、12時から14時まで昼休みで入れない。
だが、2階の夜郎国展示と少数民族展示は開催していたので問題なし。12時35分まで見学。
購買部はなく、管理部屋の前の机に数冊博物館が作成した冊子が数冊おいてある程度。
しかし夜郎国の展示の方は、遺物が少ないわりには充実していた。
少数民族展示フロアの入り口に、省内少数民族の女性が、各々の民族衣装を着て勢ぞろいしている巨大な写真が展示されている。
これを見ていると、バルカン半島に似ているように思えてくる。
ブルガリア国内だけでも、各地方とりどりの民族衣装があり、民族衣装を着た集合写真は、鮮やかなものだったが、それに近い印象を受ける。
銀製のベルトのバックルや首飾りなど、デザイン的にも類似しているように思う。このあたりを比較する研究など無いのだろうか。
文化的なつながりなとはまったくないとは思うが、チベット高原経由で中央アジアとつながるルートが想定できなくもないので、
ひょっとしたら、トルコ民族経由での文化的交流があったのかも知れないが、トルコの民族衣装とはまた異なっているようにも思えるので、
やはりまったく独立した別個の文化なのかも知れない。
外に出ると小雨が振り出してくる。前回(の福建旅行)に懲りて、今回は傘もって来てよかった。
地図上に記載のある中華中路と省府西路のコーナーにある新華書店まで歩く。
が、書店ビル全体が改装中。仕方が無いので、もう1件の新華書店へ。25番バスで延安西路と瑞金北路のコーナーへ。
ここで、「中国の危ない食品」の原作本が2冊並んでいるのを見つける。
思わず購入。レジで支払いを済ませるまで少しドキドキするが何の問題もなく購入できた。
福州で、色々と地方史を扱った書籍を目にすることができたので、福建同様、漢民族とは異なる民族が多く居住する貴州省であるから、
地域を扱った書籍コーナーを期待したが、わずかに、夜郎国を、神話から漢代まで扱った戯曲を見かけただけだった。
もの足りないため、今度は延安東路にある外文書店へ向かう。
28番バスで2つ程東に行くが、その外文書店は、地図には載っているものの、小さな町の商店街の本屋さんという規模。人文系書籍自体、殆どおいてなかった。
あきらめてバスターミナルへ行こうとバス停を探して歩き出したところ、人文系専門書店発見。
五之堂書店。
目当ての貴州歴史関係の本は見つからなかったものの、貴州出版社の古書が地下に3棚程あった。
考古学書籍の棚もあり、集めている「中国重要考古発現」が1998年版から2002年版まで置いてあった。
1998年と1999年版を購入(が、自宅に戻って確認すると、未購入年度は2004年だけではなく、2000年版だったことも判明。惜しいところで2000年版入手の機会を逸することに)
その他、楚の紀南城の書籍や北斉墓の写真集など、全部で257元程購入してしまう。一気に荷物が重くなる。
(貴陽には、万巻書店、西佛書店というモダンな書店があるとのことで、行けばわかるかと思っていたが、情報不足でわからなかった。
次回貴陽を訪問することがあれば、事前に場所を調べて行ってきたいと思う)
15時半頃書店を出る。
大音響でポップスがかかる隣のビデオショップを覗くと、ドイツ製の古代ローマ剣闘士映画、「ラストグラディエーター」のDVDが出ていた。
こんなマイナーな映画がこんなところで出ているとは、少し驚き。40元と高め(他の店では35元のものも見かけた)。
24番バスで体育館長途客運站へ。
バスターミナル前で昼食。8元。
凱里行きバス40元、16時32分発。
19時10分頃里着。市運司客車站。まだ外は明るい。
市運司客車站のバスの時刻表によると、このバスターミナルは、東方面へいくバスはほとんどない模様。
規模もあまり大きくない。
市街中心部から少し外れたところのようなので、地図(5元)を購入し、とりあえず中心部へ。
市運司客車站から市街中心部を通過し、1km程離れた中央バスターミナルと思われる場所まで行って場所と時刻表を確認した後、宿を探して中心部へと戻る。
家族経営の新らし目の招待所を探す。
48元の宿。値段相当の部屋だった。
近所の店で夕食。19元。
市街中心部をひととおり散歩し、21時50分宿に戻る。23時半頃寝る。
4月27日
6時10分起床。
夜中嵐になっていた様子。おぼろげに激しい雨音が記憶に残っている。
宿の人はまだ寝ているかも知れないので、7時少し前まで待ってから降りてゆくが、結局ノックして起きてもらうことに。
バスターミナルで朝食パン4元。貴陽で買った地図よりもよさげな貴陽地図があったので購入(5元)。
貴州省全土の史跡が掲載されていて便利。7時半発。三穂34元。
9時半頃三穂着。9時40分発玉屏行き。13元。乗り継ぎ良好。11時玉屏着。
すこし見づらいが、この辺り(貴州東部)の山々の谷間に、段をなす田畑が広がっている。
右写真のような、立派な瓦を備えた村落が点在していた。
11時40分玉屏発。13時25分銅仁着。21.5元。
ここまでは相当順調で、予定も多少前倒しとなり余裕があった。
しかし驚いたことに銅仁から鳳凰行きはこの日は既に終わっている、と言われてしまう。
その辺にいたおばさんに、新晃経由で懐化経由でいくしかない、と言われ、あまり考えている時間も無く、新晃行きに乗る。35元。
15時48分新晃着。16時発懐化行き。17元。
17時15分懐化着。17時42分発麻陽行き。18元。19時5分麻陽着。
段々東に向かっている為、昨日凱里に到着した19時頃は、まだかなり明るく、西日が感じられたが、
麻陽に到着したときは、陽は既に暮れ、空がわずかな明るさを留めている程度だった。
新晃あたりで、古夜郎という地名の標識を見る。
この辺りにも、夜郎国ゆかりの土地があるのだろうか(この件については、後日書籍「湘西 古夜郎」を入手)。
鳳凰へのバスはもう終了しているようだったので、麻陽で宿泊することとし、ゆっくり宿を探す。
南北に2,3キロと、細長い町のようで、中央通を殆ど一往復する。
招待所ではなく、賓館クラスを探していたのだが、観光地に近いせいか、どこも100元以上と結構高め。
安め60元の賓館を見つけたが、中身は招待所並だったが、ここに決める。
ここは、1階がフロント、宿は2階より上となっているが、フロントから一度外に出て、外に面している階段から2階に上る構造になっている。
セキュリティが心配だったが、部屋の鍵は一応あるので、まぁいいか。
宿が貧相なところになってしまったので、食事はまともなレストランにしたかったのだが、
ほぼ町を一周したものの屋台以上のちゃんとした店がほとんど無い。漸く見つけた店で食事。18元。
久々にビール飲む。20時10分から21時30分頃まで夕食。
4月28日
6時40分起床。服務員がなかなか見つからなく、出発に少し手間取る。
7時10分宿を出て、7時半には鳳凰行きに乗車。満車になるまで客待ちをしていたため、実際には8時発。12元。
9時10分頃、鳳凰着。30q程の距離のはずだが、曲がりくねった山道を走り、酔いはしなかったものの、結構疲労した。
鳳凰が近づいてくると、川岸に立て込んだ古い家屋が見えてくる。
皆がバスを下車したところは、鳳凰の街の手前、古城の方で、2人以外、
ほとんどの乗客が古城のバス停留所で下車したため、私もここで降りることにする。
停留所の横には、下記広場があるが人気がまるでない。少し回りを見て歩くが、古城との位置関係もよくわからない。
地図を購入し、軽く定食屋で饅頭を食べながら、お店の人に位置関係を教えてもらう。
食事しながら地図の周囲に記載されている記事を見ると、近代になって、地域の発展のために
力を尽くした人物達が紹介されていた。彼らあっての今の鳳凰がある、という感の紹介。
周囲の観光地と南方長城の場所などを確認する。
上記写真の東側にある工事中の広場を抜けると、古城に向かう繁華街に出る。
繁華街の反対側から多くの環境客が歩いてくるので少しホッとする。
観光客とすれ違い、繁華街に入ると、いたるところ1日周遊観光の案内所が乱立していて、専用の小型マイクロバスやワゴンがとまっていた。
欧米系の団体も多数見かける。かなりの大観光地という感じ。最初の広場は人気がまったく無かったのに。
とりあえずざっと古城を見て回る。
虹橋という、この地域特有の家屋付きの橋がある。ブルガリアのローベッチュにも19世紀の家屋付き橋があったのを思い出す。
橋の両側の家屋部分は、商店となっていた。
上記橋を撮影した、橋の東側地点から対岸を眺めたのが下記写真。もっとも雰囲気の出ている箇所と言えるかも。
古城は、北を底辺とする逆3角形をしていて、ここいらは、古城の東北部にあたる。
橋の手前で川岸に沿って西に向かう。
対岸に連なる家屋が連なっている。
河に遊覧船が浮いている。遊覧船は、上流から下流の一方向を観光するもので、
下流から上流に戻るときは、客は乗せずに、船だけ戻す。途中小さい滝となっている段差があるので、
乗客を乗せているのでは、上がれないのだろう。
上記写真の家屋の裏側に、北城壁が走っている。つまり、河に面した家屋は、城壁沿いに建てられている。
北城壁の真ん中あたりに、眺め岩と呼ばれる、石の橋がある。
この橋は、直径40cmくらいの正方形の平面の石が、川面から1m程の高さに2列になって並んで橋を作っている。
この北側に、幅1.5mくらいの狭いが普通の石橋があるのだが、観光客は皆眺め岩をわたっていた。
橋は、観光客で渋滞していて、歩いては止まる、ということが続き、歩行のリズムが取りづらく、突然前の人が止まるので、重心が安定せず、結構怖い。
ストレスがたまってきて、飛び降りたい衝動に駆られるのを我慢しながら、5分程かけてわたる。
こういう衝動を我慢するストレスはかなりのもの。距離は20m程なのだが、相当長く感じる。
実は渋滞には原因があった。
橋の途中まで来たところで判明。
1組のカップルが、ずっと立ち止まって景色を眺めていたのだ。
お陰で2列だったのが、その部分だけ1列となる為に渋滞となっていたのだ。
なんて迷惑な。川に蹴落としたい衝動に強く駆られたが、辛うじて我慢。
2列あっても、人の列も2列となって、基本的には、北側から、古城方面だけの1方向となっているのだが、
最後の方では、反対からわたってこようとする人が数人いて、これも迷惑。
反対方向に渡るための石橋が、10m程上流にあるので、皆そちらを利用しているというのに、勝手な人がいるのはどこも同じ。
眺め岩橋の両側では、美術学校の学生と思われるが、双方10名ほどづつが、油絵を描いていた。
結構センスを感じさせるものから、どうみても下手と思われるものまで色々。
眺め岩をわたったところに、清朝時代の城門と楼閣、および城壁があった。
ここから場内に入る。
個別の家屋を見学している暇も無いので、主な見学箇所の前を通過するルートを通っておおむね古城内を一周。
北門から入り、西門前広場に出て、東門へ向かう。
西門と東門の間は、ひたすら土産物屋と観光案内が並んでいる。
古城見学というより、ちょっと古城風アーケードをあしらった民芸店巡りという感じ。
同僚に紹介されたこの写真(URL不明)に掲示されていた幻想的な風景を期待して来たのだが、風情ゼロ。
でも賑やかでこれはこれでいいとは思うけど。
虹橋まで戻ってくると既に10時過ぎ。
虹橋は、橋の上に家屋がある、という、この辺りでよく見られる少数民族家屋の典型らしい。
橋に本屋があったので、古城イラスト地図を購入。10とか15元とかとられてもおかしくなさそうな少し凝った地図だが5元。
この後、最初についた停留所まで戻る。
そこでバスを探すも、南方長城行きは無いとのこと。
おそらく、新市街のバスターミナルへ出れば、南方長城行きバスがあるのだろうが、
購入した地図は、古城部分だけしか記載されておらず、新市街の地図とバスターミナルの場所は不明である。
停留所前の観光案内所の人もタクシーを勧めるし、時間も無いので、40元と高額だがタクシーで移動することにする。
途中新市街を通過したが、古城から新市街まで3,4キロはありそう。結構遠い。
更に新市街を出たところで、長城まで14キロとの標識があった。
10時半頃古城の停留所を出て、11時10分頃、南方長城着。
途中廖家橋鎮という村を通過したが、村の中心部の両側が市場となっていて大層な賑わい。
車は渋滞しまくり、500m程度の村の繁華街を抜けるだけで15分以上かかったが、
いかにも中国の田舎市場の賑わいという風情で、活気が漲っていて見ていて楽しい。
南方長城は、遠めに見ても山の斜面にあるのが目に入るため、近づいてくるとすぐわかる。
しかも、ここも観光地となっていて、入場門の前は観光バスが数十台停車できる程の駐車場。
駐車場の反対側は、数件だけど、観光案内をかねたひなびた食事所が数件。
もっと何もない、洛陽城みたいなところを想像していたが、まったくの観光地だった。しかも入場料は高額で45元。
標高150mくらいの山の中腹から頂上にかけて、城壁と櫓が連なっている。
取りあえず中腹地点まで上るが、荷物を背負ったままではかなりしんどい。
頂上まで行くことはあきらめ、途中でしばらく休憩してから戻る。
日本語を話す若い中国人の女性にガイドされている日本人の男性のご老人がいた。
横を通過するときちょと話を漏れ聞いた限りでは、かなり詳細な南方長城の説明をしているようだった。
時間があれば、声をかけて聞かせてもらいたいところだったが、予定も押しているので、そのまま声はかけず、バス通りまで戻る。
ここも観光ルートに入っているようで、高校生や大学生くらいのグループや、カップルが多数来ていた。
実は中腹の門のところで、ここの施設のガイドさんが、長城の沿革と由来が彫られている石碑の前で説明をしていた。
その石碑にはかなり詳細な内容が書かれているようだったが、
15名程の観光客が遠めに取り巻いてガイドの説明を聞いていたので、近づいてじっくり内容を読むことはできなかった。
ざっと見た限りでは、長城は16世紀にできたのではなく、16世紀は、苗族の反乱対処の為の基地や土塁のような防柵があった程度で、
石造りの長城は、1612年から27年に、まずは60里ができ、本格的に長城が完成したのは清朝時代の1797年とのこと。
最終的に700里となったとのことである。
11時40分、バス通りでバスを待っていると、食堂のおばさんが、観光案内来る。
結構きれいなパンフレットが多く、よく見ると、この辺りは、かなり観光地が多いことがわかる。
苗族の村など、貴州から広西省だけだと思っていたら、湖南省西部にも結構な少数民族の村があり、観光地となっていることを知る。
昨晩宿泊した麻陽は、苗族自治県となっている。
5分程で鳳凰行きバスがやってくる。4元。
12時20分鳳凰土橋龍客運站到着。ここがバスターミナルだとは予想していなかったので、乗客皆が乗り換える市内バスにそのまま乗車。1元。
このバスは超満員で頻繁に停車しながら市街を横切り、古城停留所近くを通りがったところで下車。
12時46分頃、懐化行きバスに乗車することが出来た。
バスは満車にならないと出発しないようで、1時16分に出発。
懐化に着いたのは15時33分。着いたところは昨日と同じ、汽車西站。
邵陽行きバスは、ここからではなく、中心站とのこと。取りあえず地図(5元)を購入し、位置を確認する。
案外近く、1キロちょいくらいだが直通バスがよくわからない。時間が無いし、面倒なので、タクシーにする。5元。
16時までに、懐化に着けばバスはあるだろう、と読んでいたが、16時半発邵陽行きを購入することができた。67元。
邵陽行きは、邵陽の東、邵東行きをあわせると朝からだいたい1時間に1本あり、16時半の後は21時邵東行きが最終らしい。
丁度よいタイミングだった。
漸く時間に余裕ができたので、昼食にする。10元、青椒牛肉絲。
懐化から邵陽までは258kmある筈だが、3時間かからず、19時15分についてしまう。
ほぼ平均時速90kmで走った計算。やはり高速は速い。
邵陽は、幹線道路沿いなので、発展しているかと思っていたら、かなり酷い。
懐化は、デパートやマクドナルド、KFCが見られる今どきの地方中堅都市という感じだが、
邵陽のバスターミナル前は、6車線の大通の4車線に、屋台が出ている。
客引きのおばさんに連れられて招待所をひとつ見たが、トイレすらない監房のような部屋。20元とか言っていたが、それでもごめんな内容。
結局一番立派で高そうな賓館にする。98元。
押金(デポジット)が高額で202元もとられたが(これは出発時戻ってくる)、部屋は値段相当の中身があった。
邵陽に向うバスの中、体調が悪くなってきていて、夕飯をとる気力もなくなってきていた。
スーパーでお菓子とミカンの瓶詰、小さいパンケーキを買い(17.5元)、宿に戻ってテレビを見ながら軽い食事を採る。
CCTVで歴史番組をやっていた。
新彊省の漢代木簡が出土する遺跡で、鼠が巣穴づくりに木簡を持ち込んだ為、多数の木簡が残されたのではないか、という内容。
21時半寝る。
4月29日
6時55分頃宿を出て、7時10分頃バスチケットを買い、バスターミナル前の屋台で蕎麦を食べる。4元。まぁまぁ。
長沙行き。64元。7時40分発。なんとなく風邪気味。
10時15分長沙南バスターミナル着。
ターミナルで10時半発の東莞行きバスが出ところを見かける。
東莞まで1006kmくらいあるけど、22時頃までには着くかも知れない(深圳までだと1113km)。
ということは、長砂から朝バスに乗れば、その日のうちに深圳に着くということか。
長沙南バスターミナルは、概観は古臭く、あまり大きい印象は無いが、内部は結構広くい。
近代的というよりは、巨大市場のアーケードに近いのだと思われる。
なお、発着掲示板の電子画面は、Windowsの画面を表示しているだけと判明。
下記のように、Windowsのエラーがでかでかと表示されて驚いた。
(右下の黄金人は毛沢東。湖南省は毛沢東の故郷である)
107番バスに乗り、長沙駅へ。
長沙南バスターミナルと鉄道駅は10kmくらい離れていて、11時半頃駅に着く。
新華書店にあまり書籍が無いことは段々わかってきたが、取りあえず空港バス乗り場を確認して、新華書店まで歩く。
1km程か。ざっと見て廻り、やはり目的の本はおろか、品揃え自体も大したことが無いと確認できたので、戻りはバスで民航チケット売り場まで戻る。
チケット(17元)と水を買い、すぐに乗車。
13時10分、空港着。
15時40分発なので、かなり時間に余裕をもって着いた。
空港のレストランで食事にする。62元。このところ、かなりケチではなくなってきている。
19時頃自宅到着。
今回の旅行では、バスを待っている間などに、旧版講談社「中国の歴史」の6巻「モンゴルと大明帝国」をずっと読んでいた。
かなり時間があったからか、当該書籍の明朝の部分は全部読むことができたのだが、意外に良書だとの印象がある。