3月20日

 

  昨晩は久々に遅くまで残業。23時20分頃に勤務先を出てタクシーで戻る。

深夜で道はすいていて、20分程度で家についてしまう。2時間程ベッドで休んだだけで、翌朝4時半家を出る。

が、やはりこんな早朝にバスはなく、空港行き始発は6時。

これだと、道がすいていればよいが、混雑していると7時過ぎに到着することになってしまい、8時の便にはかなりぎりぎり。

リスクを冒すのも怖いので、結局タクシー。深夜料金となり、高速代含め102元。7元のバスとは大違い。

4時50分頃にタクシーに乗り、空港に着いたのは5時20分頃。家を出た時はまだ真っ暗だったが、

6時近くになると明るくなりはじめ、それまで常夜灯しかついていなかった空港ロビーに明かりが入り、従業員や客が増え始め活気が出てくる。

外は曇り。6時10分頃、空が明るくなりはじめる。

 

6時40分チェックイン。10人目くらい。

荷物チェックはいつもと違いひどく厳しい。全員がかばんを空けさせられている。チベット暴動の影響と思われる。

6時50分ゲート前ロビー着。日本から持ってきたビジネス書を読みつつ待つ。

9時31分頃南昌着。ここも曇り。中心行きバスに乗車し、一度職場に電話を入れ(中国は通常出勤日)、空港バス(10元)で南昌市街へ。

前回来たとき撮影できなかった、ハン江の東西に広がる南昌市街をバスから撮影

 

                              

 

9時50分空港発、10時30分頃市街中心部、省政府前停留所下車。10元。

2番バスに乗り換える時、小銭が無いので、バス停近くでオレンジジュース、3.5元を買って1元貨幣入手。

2番バス停勝王閣下車後、地図購入(4元)。場所を確認し、勝王閣歩いて10分。

10時58分江西省博物館到着。堂々とした博物館なのに、アクセスが悪い。前をバスも通っていない。

博物館の建物は、規模は大きいが、いかにも共産主義的な、未来的前衛的なデザイン。宇宙研究所という感じ。

でも寂れた感じで、活気はなく、門も閉じられ、門の脇の通用門しか開いていない。

が、通用門を入った脇の小屋はチケット売り場となっていて、ちゃんと営業していた。20元。

革命博物館、自然博物館、歴史博物館が入っているので、全部を見るなら高いとは思わないが、歴史博物館しか用は無いので、内容からすると若干高めという感じ。

しかし、敷地に入っても、なんとなく荒廃した雰囲気。窓ガラスなどが割れていないので廃墟でないとわかるが、なんとなく割れているような

雰囲気がある。もよくよく見ると、割れたガラスもなく、以外とゴミも少ない。意外にちゃんとしているのだが、よくよく見ないことには廃墟と思いかねない雰囲気がある。

生ける死人というムードが漂う。

 

 歴史博物館に入ると、入り口の脇の机のあたりにカバンを置いていけと、いかにも共産体制風態度の厳格で横柄な館員に指示される。

が、その館員も、ずっと入り口横の机にいるわけでもなく、こういう雰囲気のところは意外に規律がしっかりしているので反って安全な確率が高い。

とはいえ、やはり始終カバンから目が離れないようにと、気になってあまり見学に集中できない。

 歴史館は、現代的な内装改装中で、展示台は、モダンにライトアップされていたが、

規模の割りに展示物の数が少なく、巨大なホールは空虚な印象。

石器時代、商、周、戦国、漢と、一応各時代の展示物が並べてあるが、どれも数点づつ。

漢代など、10点もなかった。漢代郡県地図が掲載されていて、

漢代は18県、呉代6郡57県、唐7郡24県、宋代13州69県などかつての江西省の沿革が記載されている程度で、

省内遺跡分布地図などは一切無かった。

戦国時代の遺跡として、呉城遺跡、筑衛遺跡、武天山越人崖洞墓、仙女岩崖墓など、

断崖の中腹、人を寄せつけない横穴に船棺をおく、越人独特の墓の展示が目立った程度だった。

 

 2回は客家の歴史や生活関連物の展示。3階は景徳鎮など、名窯の陶器の展示となっていたが、2,3階はスルー。

20分程度で引き上げる。

チケット売り場脇から引き上げる時、おばちゃんが、「革命博物館見ていかないの」と残念そうだったが、時間無いので、と振り切る。

南昌は確か成立期の共産党が蜂起したところだった筈だが、共産党の歴史にはあまり興味が無いので、申し訳ないけどパス。

 

 11時20分頃博物館を出て、1番、26番、16番と3本乗り継いでバスターミナルへ。

バスに乗るとき、またしても小銭が無いので、アイス1.5元購入。

1番バスで、省政府前に出てしまうが、政府正門前で座り込んでいる200人程の人々を囲む警官とおぼしき制服の人々。

ひょっとしてデモか直訴か、という感じ。

浦銀前バス停が江西省バスターミナル前。12時20分ターミナル着。

 

 福建省の南平まで行くバスは無いとのことなので、南昌から100kmほどのところにある撫州行きに乗る。38元。

14時20分頃撫州着。

 途中の景色は、ところどころに池が見える田園地帯。

撫州は、最近になってから整備拡張が進んでいる町のようで、町が近づくと、整然と縦横に区切られた区画に、建築中のマンション群が見え始める。

街中に入っても、郊外の新興住宅群と比べて、団地の建物が古くなるだけで、特に歴史ある旧市街という感じはない。

取りあえずバスターミナル前の定食屋で昼食。4元。

 

 江西省と福建の省境近くの黎川を目指そうとしたが、東バスターミナルとのこと。

バス停で確認すると、結構遠い。殆ど街を横切って、街の東端という感じ。30分はかかりそう。

11番バスで、終点から2つ前くらいの「貿易広場」で下車。まだ15時過ぎなのに、すでに夕方という風情。

江西省省都南昌から100km程度しか離れていないのに、寂れたバスターミナルという雰囲気。

しかも、殆ど営業終了時間に入っているようで、停車場でスタンバイしていたのは、最近の中国で一般化してきたカラフルでピカピカ塗装の現代的中型バスはなく、

白い小型マイクロバスだけ。地の果てという雰囲気がかもし出されている。

 

 営業しているのか疑わしい雰囲気の切符売り場にゆくと、おっさんが話しかけてくる。黎川行き43元。

切符売り場に近づくと、中に一応人がいた。なんだか、これから国境を越えるかのような、地の果てに来たような風情。

15時半発。

 

殆ど起伏の無い田園と荒地地帯を走る。

16時50分、黎川着。町の入り口に、リゾートマンションのような高級ホテルがあった。中国に限らず、

旧共産圏の近代建築は、一見きれいだが、よくみると、ガラスに反射する太陽の光がばらばらだったり(ガラスの品質や立て付けの角度が同じではない)、

塗装が微妙にはみ出していたりと、完成する前から、古びて見えたりするものだが、

このホテルは、見たところ、造りが丁寧で、先進国の建築と見まごう程のきれいな外観。

98元とあったので、一瞬泊まってみたいと思ったが、まだ次の町へのバスはあるだろうからと、取り合えず町の中心まで行って下車。

下車したところは、ちょうど町の中心部分のようで、建設公路というバス停。

 ここから1番バスでもときた方向に引き返すと、終点ひとつ前が新区汽車站、東の方へ行くと終点ひとつ前が、東門車站となっている。

福建はおおむね東方面となるので、まずはバスで東門車站に出るが、すでに本日のバスは終了していた。

そこで、街の反対側にある新区汽車站にいくも、やはり本日は営業終了。

仕方が無いので本日はこの町に宿泊することにする。

この街は3本しかバスがなく、東西に長い、ほどメイン通りは1本しかない町なので、移動は楽。

 

 まだ17時をまわったところで外は明るい。

 町を見て歩きたかったが、東門車站近くの賓館に入ったところで、猛烈に疲労感に襲われ、夕食に出る気にもならなくなる。

 バスターミナルの裏というだけあって、賓館は立派な割りには古くてぼろく、なんとなく西部劇に登場する「町一番のホテル」という風情。

 割高(80元)だったが、眠気と疲労には勝てずさっさと寝る。19時前に就寝。

 

 

3月21日

 

 5時半起床。外は雨。6時頃明るくなりはじめ、6時15分に宿を出る。

6時40分出発の邵武行きに乗る。21元。

 

 険しいというわけではないが、雨中の山越えとなり、日本の田舎の県道のような景色と道を走る。

7時20分頃、熊村と呼ばれる村を通過。

9時20分、邵武着。バスターミナルで傘を購入。10元。ついでに水も購入(1.5元)。

寒いので朝食にそば。2元。

10時発武夷山行きに乗る。24元。

12時頃武夷山着。武夷山バスターミナルで、武夷山の地図購入。3.5元。

これは、普通の見開きの地図と異なり、観光名所案内冊子に地図がついているもの。

冊子によれば、漢代遺跡のある場所は、武夷山市街から39キロ離れた興田鎮の近郊9キロ地点にある城村城という村の、さらに近郊だと判明。

12時半の興田行きバス(10元)にのり、13時半頃、?越王城の看板をみつけ、そこで下車。

車掌に興田鎮で下車したい、と伝えておいたのだが、13時半頃、興田鎮と思わしき、街道沿いの両側に2,3階建てビルが立ち並ぶ村を通過。

不安になって車掌に再度確認したのだが、「この先」とかいう。冊子の地図によれば、遺跡のある城村に行く街道は、興田鎮の北から東へ分岐している。

しかも興田鎮から9㎞とある。不安が増してきたところで、下記写真の看板を見かけので、運転手に確認すると、運転手、

バスターミナルで購入した観光冊子掲載の名所の地名と看板の地名を何度も見比べ、一致しているのを確認し、「ここだ」と言っておろしてくれる。

このやりとりから推測するに、あまり有名な場所ではないらしい。こんなでかい看板があるのに。

 

(左側がバス停。この左の道を入っていく。)

 

運転手と車掌は、この観光地のことを知らない風情。

 

さて、観光案内の冊子によると、立派な博物館がある模様。以外と近いのではないか、との期待は直ぐに裏切られた。

いまにも振り出しそうな曇り模様の看板横を東に向かう道を歩くが、バス通りの近くには、なにもそれらしい建物は見えない。

道はひたすら山の中に向かっている感じ。

半キロ程歩いたところで向かいから来たおじさんに聞いてみると、この先だ、との身振り。一応安心する。

道を曲がり、丘の向こうに建物が見えることを期待しつつ、何度も失望しながら歩いていると、

途中城村城行きバスが向かいからやってくるなど、バスがあることにも勇気付けられ歩くこと30分。

コーナーに巨大な?越王城の看板。やれやれ。やっと着いた。

 

                 

(「閔越王城景区はへようこそ」と書かれている)

 

看板のところまでいくと、数百メートル先に博物館らしき建物が見えた。

予想した程遠くもなくすこしホッとする。14時5分。ここから5,6分程で入場口に到着。

入り口は、石闕をあしらったもの。

 

                 

                            入場門                                                                                   まだ工事中の博物館

 

 チケット売り場では、博物館、遺跡、民族村などのセットチケット50元となっているが、20元だけ徴収される。

特別料金なのか、休館なのかわからなかったが、博物館は工事中でしまっていた。

ひょっとしてまだ営業開始していないのだろうか?チケット売り場横の掲示板には2007年5月オープンと書いてあったが。。。

雨が落ちはじめる。

チケット売り場から200m程で博物館。さらに300m程歩くと、漢代?越王城遺跡到着。

 

 

 

入り口の右側に白い小屋があって、一応係りのおばさんがいた。

こんなに観光客の少ない遺跡で番をするのも大変だろう。

小屋の横手に見取り図がある。それによると、直径1km四方というところ。

 

遺跡訪問の詳細はこちら。

 

入り口の城門は、遺跡ではなく入場門。入場門のすぐ裏手に祭場の遺構。80m程先に東門。ここから西に50m地点に、東水門があるが、城壁後の丘の尾根づたいに水門で向かうが、完全に獣道に近い。ぬかるんでいる道の両側から、雨水を湛えた雑草が多いかぶさり、そこを抜けて歩くと、雨よりも、雑草に蓄えられた雨水が降りかかってきて、空からの雨よりも、雑草の水滴の方が多く、傘を盾のように使い、水滴をよけながら進む。が、程なく全身濡れ鼠に。東水門の上には丸太の橋がかかっていたが、腐ってところどころ踏み抜けたり、手すりが外れたりしていてかなり危険な感じ。といっても水路に墜落しても、3m程度、どろどろになるだけで、大怪我をするほどでもないとはいえ、丈夫そうな丸太を選び、腐っていない欄干にしがみつきながら、やっとの思いでわたる。城壁後の丘沿いに半周するつもりだったので、よもや帰りもここを通ることになろうとは、この時点では予想もしていなかった。水門を越えたところで、急な斜面となり、滑った拍子に傘が折れてひしゃげてしまう。

 

 

 南側城壁跡の尾根まで来ると、踏み固められた道となり、だいぶ歩きやすくなる。南城壁を西方向へ向かう。

標高100m程度はあろうかと思える小山の上にある展望台跡まで一気に上る。

 

 

15時頃展望台着。

 

東城門の東、3,400m付近に比較的大きな、幅100m程の渓流が流れている。崇陽渓というらしい。

?越王城は、この崇陽渓の川のほとりに開けた都城だったことがわかる。

展望台で一休みしているうちに雨足は強まり、崇陽渓の東に見えていた、ここから見ても、標高差が500mはあろうかという1山々が、雲に隠れて灰色一色となる。

 

 

 北の方、遺跡中央を見下ろすと、宮殿遺跡と思われる、長方形の遺構が見て取れる。

(上写真の真ん中の木の左上にある長方形の部分が宮殿遺跡。木の右側は、水田跡と思われる湿地。その先に東水門がある)

 

 20分以上まっても雨脚は弱まりそうもないので、展望台山の東の尾根伝いの獣道が、

そのまま都城中心部の宮殿遺跡へと向かっていそうだったので、東の尾根を下り始めるが、

やがて道は尽き、崖としか言いようの無い急斜面にでてしまう。

この雨の中、この状況で無理に崖を降りようとすると、遭難してしまうかも知れない。

ということで、すでに200m程下ってきてしまっていたが、一度展望台に戻り、元きた道を戻ることにする。

とはいえ、あの水門橋はもう通りたくないので、何度か、東城壁に着く前に、北へむかう隘路がないかと探すものの、見つからず、

結局東水門の橋を渡ることになるが、水門へ降りる斜面でまたも滑って数回転び、かなりどろどろ。

ここまでぬれてくると、もうどうでもよくなる。しかも水門橋は、最初にわたったときよりも、戻りの方が怖かった。

なんとか渡り終えて東門まで戻り、そこから西へ向かい、都城中央付近にある宮殿遺構へ。

歩くたびに靴がぐじゅぐじゅと水を含んだ音を立てる。

 

 途中、砂利トコンクリートで舗装された道路が、一部掘り返され、ガラスのカバーで覆われている。

おそらく古代の道路遺構を保存し、断面が見えるようにしているものと推測されるが、密閉が甘く、水分が入っていて、内部がよく見えない。

なおも進むと、「越王勾践」の映画に登場する、呉王夫差が着ていた、着ぐるみに似た衣装に描かれた文様に似たものが刻まれた石などが左右におかれている。

 

 

 宮殿遺跡は、階段、基壇部分、敷石など、かなり修復されすぎていたが、ところどころオリジナルの敷石がガラスカバーに覆われて保存されていた。

それを見ると、復元された敷石とほとんど同じ。つまり、かなり完成度の高い、規格化された敷石が使われていたことは事実だと思われる。

雨が眼鏡に降りかかり、見て歩くのもうっとおしい。

 

 遺跡背面の井戸を見て戻ることにする。

 

35分かけて、国道まで戻る。

16時55分頃。国道まで戻り、待つこと5分程度で建陽行きバスが来る。ラッキー。建陽まで7元。

リュックを背中に背負っていたため、腕と下半身は完全に水が服に浸透しきっているが、背中はぬれなかった。

バスのいすに腰掛けても、背中はなんとなくあったかい。手

建陽までのバスの中、腕や足をさすり摩擦熱で服を乾かし続ける。

夕暮れの迫った17時半建陽着。

18時50分の南平行き最終バスのチケット買える。34元。

昼食をとる時間がなかったので、売店でパンと牛乳を買う。

バスは10分遅れで到着。

出発直後、薄闇の中、辛うじて左右の景色がわかる程度。

左手(南)にずっと川が見えている。閔江支流の建渓だと思われる。

やがて暗闇に包まれたが、南平につくまで、左手に遠く見える灯りの様子から、バス通りに沿って、左手に河が続いているのがわかる。

20時10分頃、南平着。バスターミナルで確認すると、南平から武夷山まで189kmとあった。

 

バスターミナル近くの賓館にする。確か70元から90元の間くらいだったと思うがはっきり覚えていない。

安宿にしては比較的すごしやすい部屋だった。服を着替えて夕飯に出る。

夕飯ニラとしいたけ炒め。結構おいしい。

宿に戻ってシャワー。お湯がでてうれしい。あーなんて快適。

辛い一日だったが、それなりに充実していて気持ちよく眠れる。

 

 

3月22日

 

6時41分起床。7時12分に宿を出て7時半のバスに乗車。54元。

朝食4元。社内でおそらく最新版の「007」がやっている。

高層ビルの建設現場での追いかけっこから始まる畳み掛けるようなアクションに思わず見入る。

バスはほぼずっと下り坂。中央自動車道上野原から相模湖インターのあたりの景色に似てなくも無い。

10時丁度、福州北バスターミナル着。

早速地図購入5元。

バスターミナルの前のマクドナルドに入って、新店村を探す。ビッグマックセット21元。

17元のはずだと思ったのだが、おばちゃんになんか言われて、うんうんとか言っているうちに、ポテトとコーラを大にされてしまったのだった。

地図を開いて一日の作戦を練る。こういう時って結構至福の時だったりする。

遺跡を探す楽しみ。

あれこれ効率的に回るルートと順番を考える楽しみ。

計画の実行段階となると、任務のように思えてきてストレスが高い。計画を練っている時が一番気分が良い。

 

書籍「古代城市」の新店古城の項には、福州北郊とあったので、北の方を探してみると、比較的すぐに見つかる。

新店村のあたりに、「古城」という地名がある。おそらくここに違いない。

しかも北バスターミナルから比較的近い。

場所が近いため、博物館と遺跡捜索のどちらを優先するか迷ったが、

現地で探索にでているうちに、博物館が閉館になってしまう可能性もあるため、まずは博物館を目指すことに。

10時40分にマクドを出て1度バス乗り間違えて駅前に戻ってしまった後、再度環状線に出て10番バスで銅盤路(盤は正確には舟と皿)下車。

新店遺跡とは、漢代会稽郡の東治県の遺跡と目されているところである。

 

11時15分頃福建博物院着。

今日は無料開放日とのこと。11時50分頃まで見学し、新店遺跡に向かう。

博物館では、漢代の船の模型や、昨日訪問した城村遺跡の復元模型などが参考になる。

屏山の南に漢代の都城遺跡があることがわかる。収穫。

 

西湖公園を南に抜けて西湖バス停から809番バスで屏山公園西川の北門停留所下車。802番に乗り換えて新店収費站下車。

1時20分。結構いいペース。さてバスを下車して、西に向かう路地に入る。舗装もされていない。

地図にて「古城」と記されている場所を目指すが、そこは畑や工場が点在するところ。

地図だと、バス通りから500mから1km程度で古城地区に着くはず。

途中で畑の隅に立っている電柱にも、「古城」と表示がついていたので、このあたりであることは間違いない。

が、道の北側に広がる畑の50m程先は工場となっているらしく、高い塀に囲まれて中に入れそうにない。

敷地の中だと厄介だよなぁ、と思いつつ、工場の敷地沿いに北に曲がり、そのまま工場の西の塀に沿って工場の北に出る。

工場の北側は山になっていて、北側の道路はそのまま10数メートルの丘の中腹を東に向かって走っている。

この通りから、「古城」地区と思わしき地帯が一望に見渡せるが、城壁遺構など、それらしきものは見当たらない。

見下ろすと、工場だけではなく、車の教習所らしきものも見える。

教習所の廃墟で、勝手に練習しているだけにしか見えないが、正規にしろ、不正規にしろ、教習所であることは間違いあるまい。

 

 (新店古城の北側に位置する丘の中腹から、新店古城地区を見たところ)

 

 結局1時間程して一週して新店収費站に戻ってきてしまう。

 改めてもう一度同じ道を「古城」地域に向かう。

 今度はそのへんにいる人に聞こう、と思いつつ、「ひょっとして遺跡があるところは碑文があるんじゃないか」と思って目を凝らしたとたん、

それらしきモノが、南側の畑5,60m向こうに見えている。

 そのまま畑の畦道に侵入。

 果たしてそれは、閔王王城の北側城壁遺構を示す行政の立てた表示板だった(遺跡訪問詳細はこちら)。

どうやら、この石碑の左右東西に流れている少し盛り上がった畦道が城壁遺構らしい。

これは後でわかったことだが、どうやら風化・崩壊してこうなったわけではなく、川の土砂が堆積して城壁が埋もれたものと思われる。

ここが閔王王城の北側の城壁だとすると、漢代城壁(この場合は、漢王朝統治時代になってからの県城の事)はどのあたりになるのか。

閔王時代の城壁を兼用していたのか、それとも閔王王城を囲む形で漢代王城があったのか。

この状況では仮に漢代城壁が一回り大きく、閔王王城を囲んでいるとしても、探すにが難しそうである。

ということで、取りあえず王城の中心方向に向かってみる。

すると閔王王城北城壁案内板から150m程西南方向の道路の西側に、「新店古城」と記載された案内版が2つほどあった。

どうやらここいらが、古城の中心付近のようだ。資料によると、南城壁は見つかっていないとのことだが、北・東・西城壁は残っているとのこと。

そこで、西に向かってみる。

 150m程で、半ばゴミ捨て場となっているどぶ川の土手にぶつかる。

ひょっとしたら、このゴミまみれの土手が西城壁の跡なのかも知れないが、ここまで来るとなんとも言いがたい。

どぶ川の西はそのまま工場となっている。

畦道を伝って再び新店古城の石碑のあたりまで戻り、他にも標識がないものかとジロジロ付近を眺めつつ、南へ1km程歩いてバス通りに出る。

 

 宋代建築とされる華林寺へ向かう。屏山公園南の屏山バス停で下車。ここから徒歩1分程で華林寺なのだが、本屋を見かけたので入ってしまう。

この本屋、店舗は2階までだが、かなりあたり。1階に数十冊程度とはいえ、福建の郷土本コーナーがある。

2階は史書転籍研究書。思いっきり文科系に力の入った本屋。典籍関連はシンセン書城よりもあるんじゃないの。

14時40から15時40分まで本屋に。古代閔越の遺跡研究書や、古代福建省の歴史書など色々購入。

95元文購入したのに、59.5元だった。95を間違えたのだろうか?

でも計算した旦那さんがレジの奥さんに渡したメモには95と書いてあり、これを59と読む人はいまい。

きっとディスカウントなのだろう。

 

15:45分華林寺でやっと一休み。中で休んでいるうちに雨脚がひどくなる。

ガイドブックには華林寺は宋代の威風を残す、と書いてあるが、確かにそんな感じ

ジュース飲んで日記つける。

寺の中にには、地元の歴史名所の紹介があった。福建省内の古塔などの紹介パネルが並んでいる。

一応観光案内として役立つ。

 

華林寺にあった史跡紹介には、下記のものがあった。

 

閔侯県上街鎮侯官村西    五代、上街鎮国宝塔 6.8m 7層

長楽県呆航鎮南山頂     三峰寺塔 1117年 8角7層 27.4m

連江県 内雲居山頂     雲居塔 元代

 

降りが激しくなってきたので、寺の前のT字路の角にある文房具屋で傘を買う。

35元や21元のも紹介してくれる。15元のものにする。

続いて、屏山公園の南にあるとされる漢代都城遺構を探す。屏山は、100mに満たない丘が公園となっているところ。

福州市内のランドマークのひとつである。

まずは、屏山公園への登山口を捜したのだが、なかなか見つからないうちに、ぐるりと一周してしまう。

1、2㎞歩いたろうか、足がだいぶ疲れだす。3/4周くらいしたところで、屏山への登口を見つけてしまう。

かなり足にきているのに、登ってしまう。荷物が段々肩にくいこみ辛くなってくる。

130段。でも登りきってみると工事中。屏山の丘の上を自由に歩き回れる状況ではなかった。

 

色々考えてみるに、屏山南麓というのは、斜面にあるのではなく、南側少し離れたところにある、

漢代都城の部分そのものののことなのではないだろうか。福州地図によると、下記の、歴代福州都城領域復元図が掲載されていた。

 

 

この地図の、中心部にある青紫の区域が晋代の都城。

その北部に、小さな緑の部分と青緑の部分、ピンクの部分と、3つの区域があるが、最初の緑の部分が、漢代都城である。

青緑の部分は、五代の梁、ピンクの部分が明代。ピンクの部分の直ぐ北は、屏山に面している。

博物館の遺物紹介に記載されていた、「屏山南麓」とは、このピンクのあたりだと思っていたのだが、

実は、「南側」程度のニュアンスであって、事実は、地図上に緑で塗られている部分なのではないだろうか。

このように考え、屏山自体の探索は終わりにして、漢代都城中心付近にあるとされる部欧治池を探すことにする。

龍腰バス停から802番バスに乗り、2つ目、鼓楼路バス停で下車。

 

地図上に池があると思しき場所に向かって進むが、地図は細かい路地まで記載されていない為、

裏路地を幾つか迷いながら、30分程探し回る。やっと団地の裏手に発見。

 

 

古代の面影は一切ないけど、一応当時にもあった池らしいので満足。

 

17時45分Dicosで一休み。カレーがメニューにあったので入ったのだが、終わり。

仕方が無いのでコーヒー飲む。5元払うと2杯もきた。かなりな量。なんなんだ。

結局今日も昼食食べ損なった。疲労が激しく、なかなか腰が上がらない。

18時40分までいる。

 

宿を探しつつ繁華街を散歩。宿はなかなか見つからない。あっても、既に満室か、高額。

98元で20人間、1人部屋は158元なんてところもあった。ここは受付嬢の雰囲気はよかったものの、やめる。

どんどん繁華街から離れていって、19時50分頃やっと手ごろな値段の賓館を見つける。

 ちょっと高くで98元だがまぁいいや部屋がある。

宿泊登録時、PCに、パスポートをスキャナーで読み込むのだが、エラーになってなかなか読み込めない。

通常の、中国人が持つ身分証明書はカードサイズなので、大きすぎるのかも。

何度もソフトを再起動するがだめ。途中から手伝う。解像度かも、と、300から100bpiに落としてみたけどだめ。

最後にマシンをリブートしてやっと読み込めた。

 

エレベータの中にゴミがある程度の宿だけど、4階の部屋は服務員がいた。

窓の無い部屋。シャワー流れ悪く、ドアぎりぎりまで水がかさむが、一応電子キー。

服務員の親子に、閔王徳政碑の場所を聞いてみたが、知らないとのこと。

夕飯に出る。福建料理の店を探したのだが、それらしいと思って入ったお店は貴州料理店だった。20時。

よく見たら看板がミャオ族。店に入ったところでウェイトレスに声をかけると、

外国人だと思ったのか、店の支配人みたいな人を呼びにいってしまった。

英語か日本語ができる人を呼んでくれたのかと思ったが、来たのは普通語ができる人だった。

注文するのには問題なし。51元。魚料理うまかった。21時頃までいる。店内のTVで「大宋涼奇案」やってる。

食事をしながら「閔越国都城考古研究」を参照。すると、古代の福州は、東治県都城が、ほぼ

海岸そいに面していたことがわかる。福州に残る遺構も奇才されている。

やはり、屏山南麓の遺構は欧治池周辺にあることがわかる。

 

 

3月23日

 

 7時30分頃宿をでて、開元寺へ向かう。

空海、円珍が来たことがあるようで、空海像があり、紹介に円珍の記載もあった。

由来を読んで来るのを忘れてしまった。日本の宗教法人が寄付でもしたのだろうか。写真ではわかりづらいが、3mくらいある。

 

 

塔代からあるとの伝承のある鉄仏を探すが、屋内にあり、中では宗教儀式が行われてた。

写真を撮る雰囲気ではないので取らなかった。

ここある他の遺物としては、宋代の水桶がある。これもそのへんにある石でできた水桶となんら変わりは無いので写真はナシ。

宋代の塔は場所不明。近くの、会社の寮の敷地内になっているらしい。

 

ということで8時前には見終わり、通りがかりのパン屋の菓子パンがおいしそうだったのでここで朝食。

8時17分、閔王徳政碑にゆくも、9時30分開館との張り紙があり、そのままバスに乗り于山へ。

9時12分于山登山開始。といっても100m程度の岩山だけど。

ここには宋代の塔があり、一応市街も見渡せそう。ということで于山山頂に登ってみたが、見渡しはイマイチ。

 

 

山頂から少し降りたところにある公園では、下記写真のような風景が展開していた。

A5版の紙が、木の間に、横にはった紐に何十枚もつるされ、写真のように、木の間に張った帯のようになっている。

 

 

遠藤誉さんが今年2月から日経BPオンラインに、「中国A女の悲劇」というレポートを連載しているが、

これはその第1回目のレポートに掲載された、結婚斡旋集会。

 

吊り下げられたA5 版の紙には、氏名、身長、年齢、学歴、結婚相手への希望などが書かれている。

みると、高学歴者ばかりではなく、高専卒や高卒もあった。

なるほどねー。面と向かって写真は取れないから、こっそり撮影。

 

于山の大士殿だったか記憶が定かではないのだが、清朝時代の役所みたいな建物があり、

その中に、若干観光情報が展示されていた。

 

下記、清朝以前の福州途上の各時代の変遷を造形した模型も、ここのもの。

 

 

于山を降りたところに、明代の城壁鳥山があった。

 

于山の西側に、宋代建築とされる白塔は、現在施設改修工事中で見学できなかったので、そのまま西1㎞程の地点にある鳥山へむかう。

于山と烏山の間に、祟妙保経堅牢塔と呼ばれる、福州最古の塔とされる、五代941年創建の塔がある。

 

塔見学後、烏山に上る。ここも岩山で急斜面に階段がある。

昨日購入した「閔越国都城考古研究」によると、当時このあたりは全て海で、屏山や、于山や烏山は島だったとのこと。

それぞれの島に、古代越時代のなんらかの施設があり、于山には、越王無渚の宴会所があったとのことである。

 

烏山山頂から見える景色も大同小異。

10時、烏山を降り、百貨店のトイレにゆく。

10:20-11時、昨日わからなかった治山遺構を探すことにする。

 

「閔越国都城考古研究」によると、鼓楼路の、屏山バス停から、鼓楼バス停の間にある、省建設銀行、農業庁で漢代遺跡が派遣されたとのこと。

しかし、遺跡は、発掘後、そのまま省建設銀行や農業庁ビルが建設されてしまったようで、それらしきものはまったく見つけることができなかった。

せめて、下記写真の地点は確認したかったのだが、とうとう時間切れ。

 

 

このあたりで足に水豆ができたようで、かなり痛くなってきていたのも、これ以上の捜索をあきらめる要因となった。

本を色々買ったから、その分荷物が重い。

 

中山路から閔王徳政碑まで歩く。11時半に閔王徳政碑到着。

でもよくよく見ると、改修中と書いてあった。残念。さぁ、撤収。

11時50分、阿羅漢ホテルの、空港行きリムジンバス乗り場に到着。

バスの待合室にて、朝パン屋で買っておいたパンをかじる。

今日も昼食抜きになりそう。そうなると結局4日間とも昼食抜きとなってしまう。今これを書いていて気がついたけど。

12時10分バス乗車。20元。

 

13時頃空港着。かなり早い到着。空港ロビーでたぶん1番目のチェックイン。

ゲート前で待っているうちに、どうにも空腹となり、待合所の前にあるレストランでカレーがあったので、

カレーを食べようと思ったが、なんと80元(セットだけど)。とても手が出ない。コーヒーも1杯45元から。

結局サンドイッチ40元を食べる。しかし、これは水がついてきて、サンドイッチもけっこういけた。

 

うっかりしていて、最初にチェックインした割には、搭乗最後から2番目くらいになってしまう。

15時40分、予定通り離陸。16時50分頃シンセン着。355番のバスで戻る。18時自宅到着。

  

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