いきなり起される。 ルーマニアの国境係官だった。
も一度寝る。 と直ぐに起され、 今度はハンガリーの係官。 2名。
パスポートを見せると、 何やら深刻そうな顔をして、 もう一人に渡す。
その内確認かなにかにでかけていって、 やがて戻つてきてOK。
次に女の係官登場。
再度パスポートの提出を求められる。
やたらでかい箱をかかえ、 分厚いマニユアルを取り出して念入りにチェック。
次にやつてきた男はオー!ジャパーン!OK!と言つて行ってしまう。
最後に来た奴は 「こんな服着た奴が来なかったか?」
他にも何人かコンパートメントの前を通過していった。 騒々しい連中だった。
国境通過後、しばらく寝ようとしはしたが、外はもう明るく、 結局起きていることにした。
窓の外の風景はルーマニアとあまり変わらない様に見えたし、 地平線が見える程の平原が展開しているわけではなかった。
というのも地平線に至る前に林や住宅が点在し、 遮られてしまっているからである。
道を行く車を見ると、 外車ばかり。 道路は良く整備されている様に思えた。
途中2人組みと一人の3人の女学生が乗ってきた。
二人組みはラジカセを持つていて、 一時結構騒々しくなったが、やがて他のコンパートメントに移っていった。
残った女学生がイチゴだけの詰ったたっぱを出して食べていたのが印象に残る。
社内販売が売りに来たサンドイッチは4000レイも取られたわりには大してうまくもなかった。
そのときはぼられた様な気がしたが、 今考えてみると妥当な値段であったのかも。 特に社内販売ときては。
途中駅の時計を見る。 時計ほ針を1時間戻す。 時差があるのだ。
10時。 ブダペスト着。
下りていきなりここはドイツか? と思ってしまった。
溢れかえる雑誌、 売店の陳列品。
きれいな駅のトイレ! シャワー迄ある。
この2日後に再び訪れた時はなんか田舎じみて見えたのだが、 この時は非常にものがあふれ、まさに先進国、という鮮やかな印象があった。
早速ケンタッキーで朝食。 この時日本人と思われる連中がいたが、 挨拶もせず感じ悪かつた。
ケンタッキーは若干高い様に感じた。 というか、 セットメニュー4ドル(618フォリント)。 ブルガリアは3ドル程度。
あまり繁盛しているイメージはなかった。
この後直ちにアクィンクムの追跡へ。
早速地下鉄ホームで検察。
特別電車(日本の私鉄のような近郊電車をこう呼ぶらしい)でも検札された。
しかしこれ以降は一度しか検札されなかった。
アクィンクムの追跡は思った以上に整備され、 広かつたが、 思つた以上に低かつた。
殆ど土台だけの追跡。 しかしローマに関する歴史の本はこの後行く歴史博物館よりも揃っていた。
ここで逃したら機会が無いかも、と思い、 荷物になるけど色々買った。
アクィンクムの後は歴史博物館へ。
ここでも本を色々チェック。 ハンガリーの王名表を手に入れられたのはラッキーだった。
この後は本屋を回りつつ、 エリザベート橋の追跡を見て24時間サービスのインフォメーションヘ。
ここの応対はグラーツのインフォメーションと並んでこの旅行中最もよかった。
この時17時頃。
そのまま紹介してもらつたプライベートルームヘ。
18時頃着。
清潔でシンプル、というイメージ。 一階の建物全体の鍵と、
6階の家の鍵を渡されて、紹介された中華屋ヘ。
ここは英語が通じ、 店の外観や客のいりようから全然期待していなかったが、 予想以上にしつかりした料理がでてきて気分よかつた。
ウエイターの態度も○。
このあと円形劇場跡を見に行く。 予想以上の規模で、 でかい犬を(放し飼いで)散歩させている人が何人もいて恐かつたものの、この場所は気に入った。
21時頃戻る。 最初誰もいないのかと思ったが、 じき隣のヘやでテレビの画面がちらちらしているのに気付く。
気を遣って閉じこもっているらしい。
昨夜の疲れもあってはやく寝たかったが洗濯しなくてはならず、 色々時間をくって寝たのは22時過ぎだったか。
朝ミルクテイー。 英国式でしょ? とか言われて。
う一ん。 ここでは紅茶にミルクを入れる習慣は珍しいのかな。
お茶をご馳走になって観光にでる。
9時頃でて、 朝食は地下通りのパン屋。 結構おいしい。 なんとこの地下にはローマ追跡があつた。 何てラッキー。
この家を紹介されなければ気づくことはなかっただろう。 高速道路高架下には大規模な遺跡が。
ここで1時間くらい消費。
アルパード橋を渡る頃は10時頃だったと思う。
橋は歩幅にして1100歩程。 天気は上々だったが、 若干大気は霞んでいた。
橋の対岸の遺跡を探したのだがわからなかった。
対岸は有料の公園になっているらしく、 柵で囲まれ入る所がなく、 結局一周してしまった。
その後マンギット島を縦断。
マンギットが閉じ込められた修道院跡にでくわしたり、 日本でよくありそうな感覚の池や滝のある公園にでくわしたり。
広い野原に散水器が水を散布していて、 ちよつと休憩。
休憩後東岸、 西岸と見てまわり、 再び有料公園のそばを通過。
島の南端にある噴水の所でまた休憩。
この時近くの電話ボックスで国際電話にトライしたが、 国際通話のダイヤルが分からずうまくゆかなかった。 英文の説明がないんだもの。
そのあとグルババの墓へ行って(その前に缶ジュース90Ftを購入、本屋に立ち寄る)、 メイン通りをモスクワ広場へ。
若干手間取つたけどマクドナルドを探して昼食。 その後はメインとも言うべき王官の丘へ向かう。
首尾良くウィーン門を見つけ、 丘のストリートを南へ下る。
マーチヤーシュ教会、 漁夫の砦を見る。
砦の鐘楼では演奏が行なわれ、団体旅行客の姿もあちこちに見られ、 如何にも観光地、という感じである。
ここでも中国人の観光客が目立っていた。 日本人もいなかったわけではないと思うが、 眼につかなかった。
実際ここに来た初日から思つていたのだが、 東洋人の観光客は殆ど中国人である様におもえる。
でも一見中国人とは思えない連中もいる。 服装そのセンス、 ブランドなど、 従来ではほぼ日本人にしか見られなかった服装をしているのである。
明らかにそれとわかる顔つきをしている中国人でない限り、 日本人と見分けることは難しい様に思えた。
そのあと、王宮門の手前でケーブルカーの終点駅を見て、 王官の中庭や正面をうろうろ。
王官には美術館や博物館がはいつているようで、 その入り口にも行つてみたが中には入らなかった。
王宮南の中世の城郭の一部を見て、 既に14時頃であつたように思う。 王宮の丘に入つたのが既に13時であつた。
さてビールがとても飲みたくなったので、 300Ftという高額のビールを飲んで、
(飲みたい時に飲む、特にこの様な千上がっている時に飲むビールは最高である)、
エリザベートの像を見た後、 ゲレットの丘を目指す。
結構急な階段でつらかつたけど思つたより距離は無く、 一気に上がる。
丘の上の要塞跡に、折角ここまで登ったのだからと上がる。
眺めはなるほど最高である。
しかし夜は危ない様な気がした。
下まで一気に下りて自由橋を渡り、 中央市場を見学。
う一む。なんて大きさ。 信じられない(わけではないが)。 パプリカで一面覆った店が強く印象に残っている。
2階には昔の市場の写真が並べられていた。
地下は単なるスーパーの様であった。
市場を出て繁華街に連なる通りを北上。
ヴァーツィ通りを見て歩く。 ここでは青と白の服の人形の店と人形と同じ服装をした店員が最も印象に残つている。
写真を取りたかつたが妙な差恥心がでて取れなかった。
雑誌の専門店では半端ではない量の雑誌が並び、朝日新聞が売られていた。
通りの露天書店では日本語の観光ガイドが英語版やスペイン語版等に並び、 当然の様に売られていた。
ヴァーツィ通りの北の広場に出た時には16時を回っていた様に思う。
この後バスターミナルヘ行ったのだつたか。確かそうだと思う。 そしてイシユトバーンのバシリカヘいつたのでした。 時間は17時45分頃。
でも旅行者は入れない時間帯であったので、 明日また来る事にして、 アンドラーシ通りを行くことにする。
この通りは落ち着いていて広かった。 パリ(行ったこと無いけど)や日比谷の皇居前の通りを思い出させるような通り。
旧い香もしたが、 なにか印象に残る通りであつた。
途中入った店で夕食。 こうした店が沢山あると楽。
結構料理もうまかつた。 店頭で外で食べている人の料理を見て思わず入つてしまい、 あの料理が欲しい、 といつて注文したんだけど。
英雄広場に着いた時は薄暗くなり始めていた。
中央の台座の辺りには旅行者を思わしき東洋人や少年達がたむろしていて、 少々警戒する。
建国1000年記念祭の時に立てられた建物に橋を渡って入ると中庭にはコンサート用と思われる座席が配置されていた。
城の反対側にでると池の岸辺へと道は続いており、 丁度夕日が池の向こうに沈みかけていた。
市民公園東南側へでると、 広大な駐革場。
ここいらあたりから足が疲れ痛み出した。
東駅へ続く通りにでる所に中華屋が2件程かたまっていた。
歩いて見ると、東駅沿いの大通りが一番物騒そうであった。 というか、 ヴァーツィ通リ等は観光通り、 日本で言えば銀座というところ。 東駅沿いの大通りは新宿というべきか。
ちよっと日本で適切な印象を与える通りを今直ぐには思い浮かべることは出来ないが。
この通りで地球の歩き方を持つている日本人と擦れ違った。 スーパーでミリンダを買った(これは変な味がした)。
本当は1リットルのリプトン紅茶が飲みたかつたんだけど。
ヘとヘとになってエリザベート橋の手前の駅迄歩く。
ここで地下鉄に乗る。 ブダペストの地下鉄で驚いた事の一つはエスカレータが非常に長いこと。
出来れば王宮から夜景を見たかったのだがもう力つきた。
この日も21時頃戻る。 老夫婦は今日も閉じ篭つていた。
朝老夫婦に昨日の観光経路を話す。 今日は黒パンー切れがでて一応朝食になる。
でも昨日と同じ店でパン買って食べたけど。
まず朝―で国会議事堂の対岸の駅でおりて対岸から国会議事堂を眺め(このあたりで9時40分)、
ほぼ10時に議事堂にゆくも、 券は12時30分のものになってしまった。
この時おばさんが金をとったきりなかなか券をくれないので困った。
時間ができたので、 イシユトバーンのバシリカを見に行く。
これには圧倒された。
そのあとちょっと覚えてない、 12時10分頃には議事堂前の芝生で座っていた気がする。
待っていると、 アメリカ軍人達がやつてきた。20名程。
彼らはその服装以上にさわがしさで目立っていた。 がやがやとうるさく、中年の上官と思しきおつさんも若い連中も同じような冗談を言って笑いころげている。
どうしてアメリカ人は他の国の人々に混じっていると、 こうも子供じみて見えるのだろう?
ガイドは半分もわからなかった。 一番印象に残っているのは途中据え付けてあつた椅子にことわりもなくいきなりどかどか座りだしたのはやつばりこの連中だつたということである。見学は20分程でおしまい。 東駅地下で昼食(サンドイッチとチキン)をとり、 空港へ向かつた。
空港の規模、 内容はダブリン空港程度であるように見受けられた。
車は借りる事はできなかった。 考えてみれば当然なのだが、 今は夏休みまっさかり。 しかもコンタクトの取りやすい空港だ。
予約が必要であたりまえ。 AVISは冷たかったがハーツとハンガリーの会社は一応親切だった。
市内の、 外から予約しにくいレンタカーオフィスを探そうとも思ったが徒労に終る可能性も高いと思い、レンタカーは諦めた。
エステルゴムヘ向かう為、 西駅に着いた時には既に16時近かった。
西駅ではトイレが見つからず困ったものの酷くオンボロでゆつくり走る(ひょっとしてこれが噂の狭軌鉄道というやつか)鉄道で半分うとうとしつつ16時35分の出発で18時15分に着いた。 駅から街の中心迄多少距離はあつたものの さして気にならず、 宿もすぐ決りのんびりできた。
宿の人は英語がだめだったようだが、 たまたまいた鈴木自動車のディーラーをしている人(ハンガリー人)にいろいろお世話になった。
「なにか食いたい」というマジャール語を教えてもらえたのはラッキーだった。
宿で一服したあと丘の上の王宮へ向かう。
王官の問を入ったところで何故かハンガリーと日本の旗がひらめいている。
鈴木があることとなにか関係があるのだろうか。
丁度夕暮れ時。 ドナウを見下ろす城壁からみた西に沈まんとする太陽は この旅行でも忘れられない1場面となった。
しかも良く考えると川の向こう岸はスロバキアである。 少し感動してしまった。
しばらくこのパノラマを堪能したあと、 川岸に下りた。
王宮の西の壁から北側には円形の塔がそびえ立っている。
塔の根元辺り うろうろして、大聖堂正面の坂を揺る揺る下って(ここにイシユトバーンの像があった気がする)途中で買ったピーチヨーグルトは結構おいしかった。
川岸を散歩している時、 日没となった。 しばしベンチに座って沈み行く太陽をぼ一っとみていた。
川岸の遊歩道を歩きながら城を見上げると 発掘しているのか城の城壁の根元でシャベルや鶴嘴で土砂を取り除いている人々がいた。
スロバキアとの渡し船の発着所へ行ってみた。
川岸に下りて既に沈み切った残照のほのかな明るさの中で、石を拾つた。
すると突然対岸(スロバキア)のカフェの様な場所から聞きなれた曲が流れ始めた。
それまでも何か曲は流れていたのだが、ムードにあうのであえて意識に上らない様な曲であったと思う。
聞こえてきた曲は 「別れても好きな人」 であつた。
音楽だけのカラオケバージヨンであつたのだけど。
思わずぼ一ぜんと立ちすくんでしまった。
その後中心街に戻る途中、 がやがやうるさい一角があったので近付いてみるとビアガーデンみたいな所でロックバンドが生演奏していた。
数曲聞いてから立ち去る。
街の中心を散歩しながらレストランヘ向かったのだが、 このとき通りのナトリウム灯にライトアツプされた通りが絵はがきにあるようなしゃれた光景に見えて
思わず写真を数枚とつてしまった。
またイスラム建築かユダヤ建築の様な建物があった。
紹介されたレストランはなるほど、 薦めるだけあって満員状態、 空いているテーブルも予約の札がのっていた。
でもなんとかいれてもらい、 ビールとなんかの料理。
量は多かった。 牛タンだ。
どうもアイスクリームやパフェ等もメインにしているらしく、 結構注文がでている様子。
外へ出るともう真っ暗。 大聖堂がライトアツプされていた。
一度はこのまま宿に帰ろうか思ったが、 まあ時間もあることだしと、 もう一度王宮の丘に登る。
丘にのぼると遥か頭上に浮き上がっているドームは、 孤空に浮かぶ神殿のようで単なるライトアップされたドーム以上のものに思えた。
宇宙に浮かぶ神殿。
昔早川文庫にあつたSFの表紙画を思い出す。
更にその内気づいたのだが、 なんとライトアツプされたドームの影が上空を通過する雲に映つているのだった。
考えてみればこれはあたりまえの現象に過ぎず、今まで思い当たらなかった方が奇妙なのかもしれないが、 これは私にとつては初めての体験であり、
ある種なにかの啓示であるかの様に思われたのだった。
今夜ここに泊まることになってよかった。
更によくみていると、 ライトは全部で四方からドームとその上に建つ十字を照らしており、
ドームの東西にそれぞれ2つづつのドームと十字の影が雲に浮き出ているのだつた。
雲は早足に流れ、 時折消えては現れるその影を随分長いこと見ていたような気がする。
やがて小雨が降り出した。 それでもしばらく立ち去りがたく、 何度も立ち去ろうとしては、 また戻つて見ることを繰り返す。
宿へ戻る途中も何度も振り返っては見入っていた。
宿はできたばかりのような新しい香を発散していて客はあんまりいない様であつた。
へやも広く、2500Ftはまあ充分であろう。