7月29日

 機はアルバニアの上空を避けて、ギリシャ上空を横切っているらしい。疲れて眠ってしまった。
ふとおきると、海岸線を飛んでいる。 イタリア半島だ。 初めてのイタリアが見えている。 
半島を横切る。 時計を1時間もどす。 
 ローマ到着は17時。 アドリア海海岸線の浜辺が見えてくる。 海岸線の水は碧から青へ幾重ものひだとなって美しい。
空港で200ドル両替。 インフォメーションでホテルの紹介と予約をしてもらい、ついでに必要なセンテンスをならう。 地図ももらう。
丁寧にホテルの場所を教えてくれる。 
 「さようなら」 を 「アリヴェデールチェ」 などと言うとは聞いたことも無かった。 

 18時07分の空港からの直通トレイン。 車窓からアリタリア航空の看板が大きく見えている。 
40分ローマ着。 ローマ駅のインフォメーションは客の列。 並ぼうと思ったが 辞める。 駅構内の本屋を見る。 
 面白そうな本がいっぱいだよ。 ワールド歴史アトラスを見る。 でもイタリアのアトラスだからといって、 一般の西洋のやつと変わらなかった。
 別の本のキオスクでローマ市のガイドブックを買う。
インフォメでの案内通りにゆくとホテルは直ぐ見つかった。 ローマ駅から地下鉄で2つ目。 地図ではわからなかったが、
実際にきてみるとローマ市内の中心部。 これは、多少もう少し郊外でももちょっと安くてもいいかも、と思う一方、このロケーションで
66ドルは安いとも思う。 既にかなり暗くなってきていて、ネオンや照明の支配力が空の明るさに勝ち始めている。 

 20時ホテルチェックイン。 概観は古めかしいが、中はコンパクトにまとまった機能的な作り。 
部屋は狭いが装備は非常に整っていて、 東欧の高級ホテルよりいいと思う。 
 
 21時頃から散歩にでる。 
 適当に歩くと石柱にぶち当たる。 なんて運がいい。 トラヤヌス円柱に出くわせるとは (と このとき信じていたのだが翌日ここがマルクス・アウレリウス円柱であることが判明)。
更に適当に歩くと ライトアップされたハドリアヌス廟に出くわす。 そしてティブル川。 ティブル川を見れる時が来るなんて。。。ちょっと感激。 
ティブル川沿いの川岸でなんだかよくわからないがエキスポが行われていた。 取り敢えず入ってみる。
 インターネット紹介ブースがあったので、 早速mailcityでメールを出してみるがなかなか送信できない。ちぇ。 
両岸で50ほどのブースがあるのだが、 テーマがよくわからない。 展示に一貫性がなく、 何のブースだか一見よくわからないものも多い。
 晴海見本市みたいなのり。

 テラスのカフェでジュースを飲む。 
対岸のライトアップされたハドリアヌス廟がティブルの川面に映えている。 なーんてロマンチック。 一人じゃもったいない。
ふと気づいたのだが、 このロケーションはまさに 「ローマの休日」 でオードリーヘップバーンが ボディーガードと大立ち回りをやったボートが繋がれていた岸ではないのだろうか。

 片岸のエキスポ見てから橋を渡り、 ハドリアヌス廟へ。 
廟の周辺でも出店が出ていて、 ローマの兵隊衣装を着た連中もいる。 アトラクションをしているらしい。 
本屋も結構でている。 大判の古代ローマ市の模型写真、 王政時代の復元模型写真や写真集を見る。 
ぐるっと一周まわってから、 川岸に下りて、エキスポの反対側を見学。 ティブル川沿いのエキスポの両岸を渡す渡し船で東側の岸に戻る。

 ティブルに沿って北上すると 平和の祭壇と アウグストゥス廟が見えてくる。 入り口の扉には、 木曜金曜の21時から内部を見学できると書いてあった。
取り敢えず連絡先をメモる。 時間があるようだったら フロントに予約してもらおう。

 帰宅することにする。 途中の本屋で日本語版の大判の古代ローマの本が売られているのを見た。 24時頃ホテルへ戻る。

 ホテルに戻る途中ホテルの近くで 身なりのいいじいさんに声をかけられた。
「やあ。私は今日スイスからローマについたばかりなんだ。 この町は英語が話せる人がいなくて困るよ。
 日本人かい。 私は去年ジャパンカップに行ってきたよ。 どうだねそこでビールでも一杯」 
 しつっこいのを振り切ってホテルに戻り フロントに尋ねると、 そーゆー奴等は危ないとのこと。 法外な額を請求される店へ連れて行かれるとか。
 そーか。やっぱり。 でもさすがローマ。 やりかたがスマートだとちょっと感心もしてしまう。
 

7月30日

 8時45分起床。 朝食付き。 朝食ボリュームたっぷり。 女将も愛想がいいし。
ローマ市散歩にでる。 パンテオン、 競技場跡、 ヴィア・サクラ、 トラヤヌス広場と見て回る。
本屋がやたら目に付き、 いちいちショーウィンドウが面白そうなのではいってしまう。
いかん。 これではぜんぜん先に進まない。 本屋巡りはまた来ることにして、 本屋は無視することにする。

 トラヤヌス広場のところで500ミリの小型ペットボトルの飲み物を買う。 凍っている。 ひゃーうれしい。
トラヤヌス円柱、 デパート跡と アウグスト神殿を見て、 フォロ・ロマーノへ。
 何故か円柱はあっさり。 あまり感動しない。 ブカレストの歴史博物館に展示してあった、実物大のレリーフを絵巻状に切り出した
展示があったが、 あっちの方が 「トラヤヌス円柱を見た」という気分になった。 へんなの。

 とにかく暑い。 フォロ・ロマーノではマクシミヌスのバシリカの巨大さに度肝を抜かれる。 とともにきっとクテシフォンのドームもこんなものかな、と少し期待。

 コロッセウムを見たところで昼食。 スタンドでサンドイッチとジュース買う。 凍っているスプライト。 天国。 
なぜだろう、コロッセウムもあまり感激がない。 どうやら私の中の感動できる尺度の範囲を越えてしまっているらしい。
あまりにも完全体で残り、しかも規模がでかすぎるので、 2000年前というかんじがしないのだ。
比較の対象が2000年前の他の遺跡では無く、 近代建築物となってしまっているらしい。 だから近代建築として見ると、
まあ普通。 ということに(自分の中では)なってしまう様だ。
 そう考えると 要するに どの遺跡よりもすごい と思っていることになるのだが、 感情的に来るものが無いのである。 不思議。
 コロッセオに比べれば全然小さいパンテオンの方は感動しまくったのに。

 コロセウムを一周してからネロの黄金宮を探しに行くが見つからない。 公開していないのだろうか。 その一部らしき遺構は
あるのだが。。。 疲れてきたのでちょっと芝生の上で休憩。

 コロセウム−> 凱旋門からパラティノの丘へ。 コンスタンティヌス凱旋門はちょっと感動。 
 高校生の時読んで感動した 弓削建 「永遠のローマ」 の口絵写真にこの門の写真があり、 その頃の自分を思い出すのだ。

 このへんで結構つかれてくる。 パラティノの丘ではしばらく寝転がって寝てしまう。 
1時間ほどうとうとしたであろうか。 今日はサンダルだったのだが、 足がまめになってくる。 しかも足が大分熱を持ってきていて痛い。
 
 アウグストゥス宮殿や 法廷の巨大さに圧倒される。 これは古代中国はかなわないかも。コロッセオでは思わなかったことを 宮殿遺構を見て思う。
ふらふらになりながら東側の出口から出る。 ここの売店で本をちょっと見る。

次いで競技場を縦断し、 マクシムス劇場へ。 逆光になりうまいショットがとれそうもない。
マクシムス劇場を一周したところでちょっと道に迷う。
 ホテルに荷物を置いてきてしまったのでフィルムを買わなくてはならなくなる。
途中で入ったカメラ屋は無愛想。 いやな感じ。 
 ここからティブル川にでて、 中州にわたり、 紀元前62年建築の橋を渡る。 
そのままティブル沿いに戦車競技場まで戻る。 
 ローマはスクーターの街だ。 信号待ちしている時に見ると、 赤信号になって車がとまると、 とたんにスクーターが前に群れてくる。

 競技場脇の道路沿いの松が絵になるので写真取る。 当然思い浮かぶのは レスピーギ 「ローマの松」。
競技場を反対端まであるいたところでスイカを食べる。 おいしー。

 足がもう暑さと摩擦熱でゆであがっている状態。 火照りまくり。 貴重な水だけど足にかけざるを得ない。 気持ちいい。

 カラカラ浴場へ歩く。
 このあたりも中央分離帯に松が植わっている。 ローマの松か・・・カラカラ浴場に着いたのはもう17時頃だったと思う。
いいかげん古代の巨大建築物には見慣れていたが、 それでも更に驚かされる規模だ。 
とりあえず右の奥へ城壁にそって一周する。 途中しばらくベンチに座って休憩。
 浴場建築物の 一番奥まったところには 演壇と観客席が設置してあった。 
とりどりのモザイクが そのまま遺跡はめ込まれていた。

 カラカラ浴場を出てアッピア街道をローマ市城壁まで。 
古代ローマ市の城門(アッピア門)についた時には城壁上の参観時間終了前であったが、 もう城門の上がってみる気力がなく、そのまま城壁沿いに沿って西へ、次の城門まで歩く。

 前の広場にピラミッドのある城門(サン・パウロ門)まで来てから地下鉄にのり 市を南から北へ縦断し、 北の城門(ポポロ門)へ。
その駅でサンドイッチ買って郊外電車の待ち合い広場で食べる。
その城門の内側にはオベリスクがあった(ポポロ広場)。
城門沿いに歩き出したところで薄闇が指し始める。 街灯の照明が入り出す。 足を引き摺るようにして城壁沿いにローマ(テルミニ)駅まで歩く。 
疲れたー。 足いたいー。 21時駅到着。 
 駅構内のマックで夕飯にする。 ビール買って帰る。 ホテルで足を冷やす。夜中何度も起きては火照った足を水で冷やす。

 ホテルに戻る途中またしても声をかけられる。
 「私は今日ロンドンからついたところなのだ」
同じように老人だったので、昨日の奴と同一人物かと思ったが、よくみると違う。
「つかれてるの」 と振り切ってホテルに戻る。
 

7月31日

 7時20分起床。 8時〜半朝食。
 8時半から9時40分散歩。 スペイン広場とトレビの泉へ行く。
 両者ともホテルから歩いて数分の所にある。 昨日も一昨日も ホテル近くで 「トレビ」と矢印のある小さな番地表示みたいな
看板が 通りに張ってあったのだが、 あの「トレビ」だとは思わず 無視していたのだが、 まさにあれだった。

 中級ホテルとはいえこのロケーションでの値段からすると、 結構御得かも。 
トレビの泉は日本人ばかり。 
 地下鉄でヴァチカンも寄りの駅に降りて、 城壁沿いに散歩。 正門まで戻る途中行列にでくわす。
なんだろうとそのままついてゆくと、 日本人客がいたので尋ねる。 
ここはバティカン博物館なのだそうで、 最後の審判やアテネの学堂とかがあるのだそうだ。
広大な美術館で アテネの学堂は結局見つからず、 また今度にする。 ラオコーンがあったような。
エジプトやエトルリアのコーナー、 古代ローマのコーナーなどもあり皇帝像がたくさん並んでいた。
最後の審判は「あ、そう」という程度。 これも凄すぎてなんとも感激のレンジを越えているのかも。 むしろ
バチカンの 「普通の廊下」の天井画とかの方に 「すごい」と思ってしまうのだから。 ま、小市民だよね。

 博物館を出てバチカン正門へ。 門のところの柱廊は巨大。 パンテオンとどっちがおおきいだろう。
サン・ピエトロ寺院の入り口で身繕い。 服装チェックがあったし。
聖堂の上部展望台に上がってみたくて階段であがる。 エレベータもあり他の客はエレベータに列をつくっていたが、エレベータ使用と階段使用では料金が違ったのだ。
(ここから展望台まで全部で538段であったと思うのだがメモした紙がみつからない)。

 ドーム部分の内側の通路は結構恐かった。 そこから100m下の1階フロアまでまっさかさま。 
ドーム内側移動時はこわかったけど、屋上からの見晴らしはなかなか。 360度見えるのは気分いい。
 しかし兎に角疲れて10分か20分かわからぬが休憩。 飲み物を忘れたのは痛かった。
 展望台通路は非常に狭くて、大混雑。 ラッシュ時の電車の社内。 自分のスペースを確保するのがちょっと大変。
 そのまま階段を降りると聖堂内部にでた。どこの壁も美術品だらけという感じ。一周し
たところでピエタを発見。

 へとへと。 疲れた。 13時。 バチカンをでたところのサンドイッチスタンドで昼食買う。
凍っているジュース。 あまりの暑さと疲れに、 これを飲むために生きてきた、 と思うくらい感動。

 地下鉄の駅まで歩く途中、この暑さにもスーツでスクーターに乗っているビジネスマンを見る。

 昨日のピラミッドの駅まで地下鉄で行って、 そこから郊外行電車に乗りかえる。 ちょっと両駅は離れていてみつけるのに時間がかかった。
15時20分オスティァ着。 
電車に乗っている途中イタリア人のじいさんが 「どこいくんだ」 と親切に聞いてきた。
私がイタリアの地名を答えているのにも関わらず、 このじいさんは僕がなにをはなしているかを理解してくれなかった。 悲しい。 
親切な青年学生が通訳してくれたが、彼はドイツ人だった。 
思わず「我々3国同盟のメンバーじゃーん」と言ってしまった。

 遺跡駅は御殿場線の駅の規模。 遺跡は駅から700mくらい北へ歩く。 ちょっとわかりずらい。
 遺跡に入る前に遺跡前のレストランの野外テーブルでビール。 最高。 トイレに行くときレストラン内に入ったら古代ローマ兵士の衣装が置かれていた。
アトラクションがあったりするのだろう。

  オスティア遺跡は結構広大。 18時15分まで、 とちゅう昼寝したりしつつ見る。 
 町全体、1階部分が残っている、一部は2階部分も残っており、 住宅街の土台以上の遺構を見ることが出来うれしい。
 
 その後オスティァ海岸に。 ドイツ人青年にいわれた通り7番のバスに乗って適当なところで下りる。
海岸入り口のロッジに日本の旗がひらめいていた。 

 バス通りからもう一つ海岸側の道路沿いのスタンドでピザ食べる。

  日没迄海岸に。 もう夕方なので、あまり泳いでいる人はいなかったし、 夕暮れにつれてどんどん海岸から人は引き上げていたが、ちらほらのこってはいた。
日没もトップレスのイタリアねえちゃんもみれてめでたしめでたし。 
 しかし太陽はアドリア海の彼方に豪快に沈むものだと思っていたら、 かなり陸地沿いのところに沈んだ。 
ここいらの海岸線はほとんど西北西に向いていて、 太陽の沈む方向と 海岸線がかなり近づいていたので、 どちらかというと砂浜の先に沈んでいったという感じだった。

  21時10分まで砂浜にいて引き返す。 終バスが心配だっがちゃんと来た。
市内に戻り、一度ホテルに戻ってから夕食にでる。 
今日は最後なので ちょっと奮発するか、 とちょっとみためよさそうな店に入る。(というか店の前の歩道上のガラスハウスのテラス席で)
スパゲティーだけをたのむ筈だったのだが、 どうもスパゲティーはコースの一つみたい。 周りの客もちゃんとしたディナーをとってるし。
ということでスパゲティー以外のものも色々注文してしまった結果70ドルもかかってしまった。
ま、それなりの内容だったけど(どうもスパゲティー単体で頼んでも大丈夫だったようだが)。

 隣のテーブルにクウェート人のエンジニア一家がいた。興味を押さえ切れずにちょっと色々質問してしまう。
40くらいの夫婦と20と11才の姉妹。 下の妹が赤ん坊の頃だか産まれる前だったか東京に住んでいたことがあるのだそうだ。
妹はキャップをかぶっていて、 他の女性はチャドルをしていた。 ちょっとクウェートの言葉も教わる。
全員の名前を聞いたのだが、妹の名前だけ覚えている、ムーニエ。 意味はないのだそうだ。 おっさんはムハメッドだったかムスタファだったか。
 24時宿に戻る。
 ところで、今日もホテルの近くでじいさんに声をかけられた。 これで初日から3日連続である。
 「私は今日○○(もうどうでもいいので、よく聞いておらず、覚えていない)からついたばかりなんだ」
みなまで聞く前に吹き出してしまった。 
ふんふんと話を聞いているうちにホテルの前に着いたので 「ここにとまってるの。じゃーね」
と言ったらあっさり 「おやすみ」 で終わった。
 この人が3人の中ではもっとも紳士だった。
しかしいったいこの通りはなんなんだ? ホテルに戻ってフロントに 「この通りって危ない通りなの?」 と聞くと、「ローマは全体が危ないのだ」 と言われてしまった。
 

8月1日

 7時10分起床。 7時半〜8時15分朝飯。 8時50分出発。 ローマ(テルミニ)駅から南向けて城壁巡りの続きを行う。
40分ほど城壁沿いに歩く。 水道などがある。(恐らくサン・ジョバンニ門まで地下鉄で行って、そこからテルミニまで歩いた様に思われるが、はっきりした記憶も記録も残っていない)。

 9時45分ローマ(テルミニ)駅着。 10時20分発の専用トレインで空港へ。 10時50分空港着。
チケットがチュニス航空のものかどうかよくわからなかったので、 一応チュニス航空のカウンターへ行って確認する。
チュニス航空のチェックインカウンター前はすでに大荷物を抱えたチュニジア人でいっぱい。
新築で整然と秩序だったすずしげな空港ロビーの中、なんだかこのあたりだけちょっと無秩序で暑苦しい。

 一応色々見れてローマ観光は満足しているし、どう考えてもこれ以上はスケジュール的に難しかったと思われるが、
テルミニ駅前にディオクレチアヌスの浴場があるらしいということを帰国後、知った。 ローマで買ったガイドブックは、カタログ式のもの
ではなかったので、ディオクレチアヌス浴場は載ってなかったのだ。 空港でもらった地図には載ってなかったか、 そうとはわかりにくい記載だったか、
私が単に見逃しただけなのかも知れないが。。。 くっそー。