ビザンツ映画「ティランテ・エル・ブランコ」

  今までビザンツを扱った映画を探してきましたが、ムハンマドの生涯を扱った「ザ・メッセージ」にちらりとホスロー2世が登場していたり、ブルガリア建国時を 扱った「カーン・アスパルフ」など のブルガリア映画で 敵対国の映像として登場していたり、ハンガ リー映画「SACRA CORONA」に 皇帝の使者が少し登場していたりと、ちらりちらりと映像を垣間見ることはできはしたのですが、なかなか正面からビザンツそのもの を扱った映像を見ることが できずに月日が経ってしまいました。しかし、今回(※最初にこの記事を書いたのは2009年春)遂にその映像を見ることができました。その映画とは、 2006年のスペイン映画「TIRANTE EL BLANCO」。スペインというところに若干ひっかかる ものを感じたのですが、その冒頭はビザンツのイメージを掻き立てるすばらしい出だし。

 


 どんよりとした空模様の下、ハギア・ソフィアをバックにマルマラ海を金角湾に向かって進む船の舳先にたたずむ主人公。。。。  なんてすばらしい!!涙が出る程の感激!

 続く教会での儀式に参列する皇后は、まるでモザイク画のイメージそのもの。

  


 参列する皇族達は、ジオットやチマブーエなど前期ルネッサンス絵画を彷彿とさせる形式美。

 

 
  しかも冒頭で示される舞台は、1401年3月29日のコンスタンティノープルからはじまるということで、この年代設定は、きっと チムールと関係してくるに 違いない。おおお。素晴らしい!素晴らしい!!と勝手に盛り上がっていたので(ちょっとオーバ過ぎか)、主人公のハンサムなスペ イン騎士(再度見直して確 認はしていませんが、劇中宮中の人に「ムーア人」と呼ばれていたような・・・)に一目ぼれした皇女カメシーナがいきなり「あっ」 と鼻血を出してよろめき、 侍女が鼻血を拭ったハンカチを「鼻血は健康の印です」などと言って騎士に渡し、更には騎士がそれを嗅いだりした場面での違和感も 気にせずに先を見続けたの ですが、侍女がいきなり騎士とその友人の騎士を深夜の皇女の部屋に呼び入れて、侍女と友人がはじめてしまったり、皇女もその気で 裸になったり、騎士の別の 付き人が皇后と姦通して3日も部屋から出ないのを心配した皇帝が后の部屋の扉をこじあけて侵入すると、慌てた后が間男をベッドの 下に隠すとゆう展開ぶりに かなり心配になってきてしまいました(この皇女はその後も、「あ」と発して何度か失神したりしていた)。

 豪華でまじめな衣装やセットを 使った大真面目な喜劇なのかと訝ったりしたものの、トルコ軍との戦争に出向くまともそうな展開となり、「やはりまともな作品なの か!?」とイメージが持ち 直したものの、出陣前夜に侍女の計らいでまたも深夜皇女の部屋に侵入した主人公が、見回りに来た父帝から逃れて2階の回廊から落 ちて骨折し、担架に乗せら れたまま出陣するに至っては、最初は、「末期ビザンツの閉塞感がよく出てるなぁ」と感動したコンスタンティノープルの状況も、よ くよく考えると宮殿と城門 くらいしか登場していないことに気づくに至り、「単に予算が無くてセットが小さいだけなのかも」としか思えなくなって来てしまい ました。

  遂には、トルコ使節の、「皇女とトルコ皇帝が結婚すれば、これまで征服した町を返還しよう」との提案を耳にした皇女が戦場に赴 き、陣営の中で、10名くら いの騎士や侍女に手伝ってもらって、骨折して足が不自由な騎士と添い遂げる場面に至っては、中級貴族か大商人の家での、冒険を夢 見る野心溢れる青年と、 エッチな冒険に興味津々な年頃の娘と侍女たちが繰り広げる恋の騒動、という喜劇なのだ、と漸く確信するに至りました。それにして も、一人では歩くこともで きない騎士の手足を数名がかりで担ぎ上げ、ベッドの上の皇女の上で、巨大ノコギリをひくようにアレのお手伝いをする場面は、道徳 とか崇高な騎士道とかと関 係のない下ネタの多発するデカメロンや中世民間小噺そのものという感じ。

 それにしても史実に照らせば、1401年当時の皇帝マヌエル は、ビザンツ屈指の英主だったはずなのに、段々とお馬鹿なイタリア貴族か大商人にしか見えなくなってしまったのは残念。ラスト は、宮廷に戻った皇女が「彼 の子を宿しました!もうトルコ皇帝には嫁げません!」と宣言した為、やむなく開戦。負傷している主人公が、何故かトルコ皇帝と一 騎打ちとなり、トルコ皇帝 を斬って勝利したと同時に死亡。トルコの脅威は去ったものの、皇女も2ヶ月後、騎士の後を追うように死去、しばらくして皇帝も死 去し、最終的には、皇后の 間男だった騎士の側近の青年が皇帝に即位しビザンツによる統一が回復するという、史実性ゼロのパラレルワールドとなって幕。

 なんじゃこりゃ。というようなストーリーなのですが、衣装やセットはそこそこ味が出ていて歴史ものとして楽しめなくもありませ ん。こちらの批評でも、毀誉褒貶とした、賞賛と困惑と罵倒の入り混じった意見となって います。どなたかが書いてますが、ロマンチック・コメディ、というところがこの作品の丁度よい置き所のようです。

  というわけで、人生で十番目くらいの夢だったビザンツの映像を見る、という喜びは(1番から9番の中にあるのは、クテシフォンの 映像を見るとか、ハザール アフサーナを読むとか後漢の洛陽の街並みを見るとかヴァシレイオスとサムイルの死闘一代記の映画を見るとかそんなことです、きっ と)どう処理して良いもの やら、とりあえずこの紹介記事を書いて保留にしてしまおう、という気になっています。

 それにしても、何故スペインでビザンツ映画のスタ イルを纏った作品なのでしょうか。原作は、カタルーニャ語で書かれた800ページもの大作ということらしいのですが、内容からす ると、別にビザンツではな く、異教徒との戦いに直面する場所ならどこでもよかった筈で、中世スペインにいくらでも舞台を求められる内容なのではないかと思 えます。ひょっとして、原 作もこんな感じの道徳的に物議をかもしそうな内容なので、自国の歴史として描くのははばかられた、ということなのかも知れませ ん。

なんだか作品の印象を低くするような内容となってしまいました。筋はともかく映像は悪くはありません。段々と中世イタリアに見え てきてしまう衣装や建物、 室内装飾・小物といったものも、実はビザンツからイタリアに伝わった文化だった、という史実を反映しているということなのかも知 れません(追記:実は、こ の頃は、既にビザンツ貴族がイタリアからの輸入品の衣料品を身につけるようになっていたとのこと。既にイタリアの方が経済的にも ビザンツを凌駕していたと のこと。パラエオロゴス朝にイタリア文化が浸透していた、ということが史実とのことです)。そう考えると歴史映画として見直せる 気もします。というところ で口直しに一枚。冒頭、騎士を熱く見つめる皇女(ちなみに皇女のヌード写真は 「tirante el blanco」でgoogleを検索すると直ぐ出てくるのでここでは掲載したりはいたしません)。

 


最後にひとつ思ったのですが、この作品を別の角度から楽しむ方法を思いつきました。実はこれら、ビザンツ帝国とってのハッピーエ ンドは(主人公達にとって は悲劇だけど英雄になるということと、ラブロマンスが成就した点では主人公達の願望が実現したハッピーエンドと言える)、骨折が 悪化し、全身壊疽となり、 薄暗い病室で死を迎えつつある騎士の見た最後の夢だった、という夢落ちだとすると、かなりリアルで厚みのある作品となりうるので はないでしょうか。或い は、当時トルコの脅威に怯えるビザンツ国民の、かつて大国だった盛時を思い、トルコ撃退という虚しい夢を投影した、国民の間で読 まれていた騎士ロマンス小 説だと考えると、ありえない白昼夢にすがるビザンツ国民の追い詰められた当時の胸中が察せられ、ぞくぞくするような味わいを得る ことができるような気がす るのです。

※2013年3月 邦訳版「ティ ラン・ロ・ブラン」の解説を読みました。本文が1000頁もある大長編です。辞書のような厚さ。イベリア半島のレコ ンキスタ中期に活躍した傭兵集団ア ルモガバルスがモデルとのこと。シチリア島を巡ってアラゴン王国、教皇、フランスの間で続いていた争奪が1302年 の和約で解決した為、アルモガバルスは失職し、新たなスポンサーとなったのがビザンツ帝国だったとのことで、アルモガバルスは小 アジアとバルカン半島を転戦し、最後にはアテネ公国を支配した(1311-1388年)。以下はアルモガバルスの進軍ルートとア ラゴン王国の領域地図。ネットの掲示板にころがっていたものを拝借しました。



 当時のアラゴン王国がポエニ戦争後の古代ローマの領土を彷彿とさせる地中海の一大勢 力だったことがわかります。カタルーニャ語文学の嚆矢「ティラン・ロ・ブラン」が15世紀に描かれた背景には、アルモガ バルスなどを通じて、ビザンツ帝国とカタルーニャに交流があったからなのですね。納得しました。

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