杭州
六和塔 |
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紹介 |
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浙江省省都杭州市を横切る銭塘江に面した月輪山に立つ宋代の塔。扉写真は最上階から見た 塔からの景色。銭塘江を西北から東南方面を見たところ。北宋開宝三年(970年)に建設され、宣和五年(1123年)破 壊され、南宋の紹興24’1154)年に再建され、光緒帝25年(1899年)大改修された。現在の外側の木造建築部分 はこの時に建設された。最初の塔は木造で、紹興の再建時に、塔心が煉瓦作りとなった。というわけで、塔は南宋代の建設、 概観は清末の建設ということになる。外側の木造部分は8面13層、中身は7層。高さ59.89m。内装は、宋代様式を留 めているとのこと。 銭塘江のに入る高潮を鎮める目的で建設されたとのこと。特に旧暦8月18日頃には、海水が銭塘江を 逆流する現象があり、風物詩として親しまれている。 左写真は、銭塘江沿いのバス通りから塔と月輪山を見たところ。中写真は入場料(20元) を払って境内に入ったところ。 3層まで52段、その後、37、34、33、 34、34、 で合計224段程。あまり 高くは無く階段もそれ程急ではない。 下写真は、塔の中心付近。唐代建築を思わせるような鮮やかな色彩。 |
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杭州の起源は、隋 代開皇九年(589年)、銭唐郡が廃され、杭州が置かれた時にはじまる。より以前の秦代から、付近には銭唐県が置かれて いたが、その時は現在の市街も西湖も海中にあり、現在の霊隠山の麓が県の治所の置かれていた場所だったらしい。唐代の杭 州はまだ発展しておらず、五代の呉越国の都が置かれてから発展したと考えられているとのこと。南宋建炎三年(1129 年)、宋高宗が臨安行在所(臨安府)を置いた。紹興八年 (1138年)南宋正式臨安を都とした。 |
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回廊部分 |
階段部分 |
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杭州の史跡としては、下記白塔 や、南宋の武将、岳飛の廟、創建は北宋時代に遡る塔・保俶塔(1933年再建)、唐代創建で元代再建の寺・鳳凰寺、東晋 代創建(現施設は19世紀初頭再建)の霊隠寺などがある。 |
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白塔 |
白塔 |
アクセス情報 |
六和塔は、杭州市外の外れ。西湖の西南3,4㎞ 程の地点にある。西湖の西から遊5(Y5)バスなどで10分程度。 六和塔前のバス通りを東へ1㎞程、銭塘江沿いに行くと、白塔 がある。五代の建築で白い石材を用いて津kられたので、白塔と呼ばれた。八面九層。2008年11月現在敷地は非公開の 模様。近くまで行けるが敷地に入れなかった。白塔については、こ ちらにより明確な写真があります。 |
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