10月 31日
6時 12分頃起床。
昨夜は腹 痛が酷くてなかなか寝付けない。2時頃までトイレに篭っていたお陰でまたも寝不足。
6時43 分空港行きバスに乗る。5元。7時43分空港着。8時10分ゲート入り。11時20分杭州空港着。
着地後窓 に小雨がぱらつく。今回も傘を持って来ていない。やれやれ。本降りにならないことを祈る。
比較的 古びた施設。かなり以前に建設されたようだ。地図購入。5元。空港バス20元。
空港は杭 州市街の南東部にあり、銭塘江を横切って市内に入る時に見た杭州市街は、
近代的な 超高層ビルが多数林立する最近の中国都市とは若干異なり、あまり高層ビルの目立たない中規模都市という印象。
貴州省の 貴陽や江西省の南昌と共通する雰囲気がある。市街中心部大通りを何度か曲がりながら12時半市街中心部体育場路の民航チケット売り前到着。
最近でき た町であれば、しょぼい中都市という風情しかないが、歴史のある観光地という知識が古都という印象を与えている。
17年前 に来たときの印象は殆どない。
当時は友 人に案内されたこともあり、地図も地形もあまり把握できていなかったため、
当時歩い た路地が現在のどこにあたるのかがわからないのが残念。
記憶にあ る街路樹と自転車で溢れかえっていた路地は、現在目にしているそこらの通りとなっているのだろう。
当時の面 影を望むことは難しそう。
地図で 見ると、バス停近くから武林路が西湖脇まで伸びている。
繁華街を 観光しつつ、龍遊路を折れ西湖に出る。
早速湖に 面した周遊路で写真を撮っている観光客を目にする。観光地に来たという感じ。白堤を通って浙江省博物館へ向かう。
入り口 で水購入。土日でもないのに入場無料。12時50分頃から14時20分まで見学。本館の展示は期待はずれ。
1階は河姆渡遺跡からの出土物の展示。
当時の生 活風景の再現展示などはよくできていたと思うが、出土遺物の展示物は予想よりも少ない。
とはい え、土器へ掘り込まれた精緻な文様は予想以上(こちらで少 し紹介)。
2階は春 秋戦国期越国と中世呉越国の展示。あまり大した内容ではない。
荊州博物 館に展示されていた、楚国へ献呈された越王刀剣展示の方が数も多くて印象が強い。
展示ス ペースもあまり広くはなく、浙江省という歴史的要地の展示としては期待はずれな印象。しかも漢-唐にいたる展示もない。
3,4階 は近代以降。
帰ろう と博物館入り口の案内板を見ると、別館2階に古越人居とあった。古代越人の展示かも。
そんなは ずもないのだが、少し期待していってみる。
別館の1 階は、陶磁器の展示となっていて、漢代から元代にいたる磁気が展示されていた。
後漢や三 国・晋時代のもので、釉薬が塗られているものが展示されていた(紹介こちら)。
磁器の上 部に人物や築物をあしらった、古代雲南で目にするような磁器を目にする。珍しいのではないか。
展示員さ んに聞くと、撮影OKとのことだったので、こちらに掲示。2階は近世の富裕な庶民の住居の内装。
1階に古 代遺跡や遺物も含む芸術書の専門店が入っていた。
「丝 绸之路-新疆古代文化(絲 綢之路新彊古代文化) The ancient culture in xinjiang along the silk road」新彊人民出版社 祁小山 王博編
「丝绸之路·新疆佛教艺术:(絲綢之路 新 彊仏教芸術) 祁小山 香旭初」
という書 籍が出ていて、前者は遺跡中心の紹介。後者は遺物中心の書籍。
いづれも 一冊200元程度。中国語、英語、日本語、その他2ヶ国語の解説が併記されていて非常に有用な書籍という印象。
どうして も欲しいというほどではなく、ネットで買えば安く入手できるので、書名をメモするに留める。
ほかに、 縦が絵葉書サイズで屏風のように横に綴じ込みとなっている清 明上河図や閻立本の歴代 帝王図などの冊子があったが、
これも ネットで見れるかな、と思い。買わない。28元くらして高かった記憶もある。
書店の 出口は別館入り口とは別の箇所にあり、また別の別館の入り口が近くにあったので、ちょっと覗いてみたところ、ここが大当たり。
漢代の楼 閣模型が集中的に大量に展示されていた。よもやこんなところでこのような展示に出くわすとは思っていなかった。
楼閣模型 は2度程日本での展示会や中近東センターで目にしたことがあるが、
写真でも 見たことのない大型模型や、はじめて目にする造形の模型が大量に展示されていた。
興奮のあ まり何度も行ったりきたりうろうろ。立ったり座ったりしていたので、管理人には強い印象を与えたのではないかと思う。
カメラの バッテリーが切れ掛かっていたこともありあと何枚撮れるのかとひやひやしながら、
優先度を 決めて重要なものから順番に撮影。このため、何度もフロアを行き来することになった。
まぁ、 バッテリーが切れてしまったときは、ケーブルは持ってきてあるので、おそらく管理人に頼み込んででも、
充電して 撮影強行したとは思うのだけど(「芸術精品系列特展 - 中国出土歴代建築明器 <中国屋檐下>」)
博物館 を出るともう14時40分。次の目的地六和塔へのバス停を探していると、岳飛廟に出くわす。
岳飛や廟 自体には興味はなかったが、有名な秦檜夫妻の彫像にいまでも唾が吐きかけられているのかということには若干関心があったので、
入ろうと 思ったところ、大人数団体旅行客の集団が丁度入場をはじめてしまい大根雑。
修学旅行 なみに、200名近くいたのではないだろうか。
入り口で コンダクターがチケットをまとめ買いし、入り口で入場者をカウントしているので、団体客が入りきらないことには入れそうもない。
2,30 分は待たされそうだったので岳飛廟見学は取りやめ。
京都の観 光名所に修学旅行の団体が入場しているような雰囲気があった。
バス停 につくと、直行便は無い模様。
待ってい るおばさんに声をかけられ、六和塔というと、直通バスは無いとのこと。
乗り換え るのも面倒なので、直通バスのある次のバス停まで歩くことに。
西湖西岸 を少し南に下ったところにある杭州花園というバス停で驚くべきものを発見。
液晶広告 モニターのついているバス停というだけでも結構珍しいと思うのだが、
更に画面 には、あと何分でここに到着するか、路線毎に距離と時間が表示されていた。
東京で もこれに近いものを見たことがあるが、それは、ひとつ前のバス停にバスがきているかどうか、
という情 報が表示されているだけであり、気分的にあまり役に立つものではない印象がある。
しかもこ の手のものは誤差も多い印象がある。しかしここは違った。
2,3台 が通過したところで、かなり正確に来ることがわかった。そこでかなり信用し過ぎることとなり、1台逃した。
というの は、表示には、「Y5]と書かれているバスが目的のバスなのだが、まだ14分先なのに、フロントに「遊5」と表示されたバスが来たのだった。
「遊5」 が、Y5を意味しているかもとは思ったものの、「遊」と書かれているのは、観光専用の周遊バスの一種かと思い乗らずにやり過ごしたところ、
後部表示 に「Y5」との記載が。あらら。
Yシリー ズのバスは全て「遊」だったと判明。
というわ けで、15分程余分に待つことになったが、次のY5は、表示の時間通りに来た。表示が125m程度となったところで、バスが見えてくる。かな り正確。
バス代2 元とのことだが、小銭がなかったので、一緒に待ってたおっさんに崩してもらう。
バス停に はバス会社のURLも記載されていた。 http://www.hzbus.com.cn/default.jsp
(ちょっと使ってみたが、路線とバス停は検索できるが、地図までは表示できないようである。ここまでサービスの良い会社だから、地図表示もで きるかも、と思ったけど、残念)
15時 50分六和塔着。
後から 知ったのだが、六和塔の宋代建築部分は中心の石造の塔芯部分だけで、木造外装部分は最近の建築とのこと。少し残念。
木材が当 時そのままのものではなくても、原型を留めた修復が行われてきたものだと嬉しいのだけど。
確か入場 料20元。ロシア人観光客がいた。
塔上からの眺め。銭塘江
3層ま で52段、その後、37、34、33、 34、34、 で合計224段程。予想した程疲れずに上ることができた。眺めはまぁまぁ。
続いて 白塔。六和塔からバス停1個程の距離しかないため歩く。20分程歩き、16時50分頃白塔到着。こちらの宋代建築。
しかしこ こは観光地でもなんでもなく、敷地は閉鎖されていた。観光するには文物管理局の許可が必要のよう。
柵を乗り 越えてまで見たいものでもないので、遠めから見て終わる。六和塔の塔芯は、きっとこんな感じなのかも知れない。
岳飛廟 はそろそろ閉まるし、できれば今日中に金華へ移動したかったので、
とりあえ ず地図に長途汽車西站と書いてある場所までタクシー。28元。意外に距離がある。
25分程 かかり17時20分長途汽車西站着。
しかしこ こからは金華行きはでていないことが判明。
なんと、 先程の白塔近くの長途汽車南站からとのこと。
既に夕方 ということもあり、取合えず市内バスで市街を眺めつつ、長途汽車東站まで移動し、
そこで金 華行きがなければ長途汽車南站へ移動することにして、とりあえず長途汽車東站行き502路バスに乗る。
長途汽車 站は、市街東西南北それぞれにあり、非常にわかりやすい配置と名称となっている。
市街を東西に直線的に横切る路線だが、それでも10キロくらいあるようで、1時間くらいかかる。
18時 43分長途汽車東站着。
乗ってい るうちに、金華行きはやめて、先に紹興を見てから金華に移動し、その後寧波へ向かうルートに変更することを考える。
長途汽車 東站で紹興行きが多発していることを確認し、宿を探す。
ターミナ ル近くで勧誘していたおばさんの案内で、場末えた宿泊所街の一番奥にある宿。
一応賓館 とあったが、言い値100元は高い。70くらいに値切りたかったが、杭州の物価もわからないので、90元以上に値切る気になれず、90元で妥 結。
今考える ともっと探してもよかったかも知れない。
とりあ えず食事に出る。25元。20時宿に戻る。
11月1 日
6時半 頃起き、7時に汽車站に向かうと、汽車站前の道端に紹興柯橋行きと表示のある中型バスが停車していた。
66㎞も あるのに15元。この手のバスは満車にならないと出発しないので、乗って失敗したかと思ったが、程なく発車。7:09分。
引き続き 小雨がぱらついていた。
柯橋が どこだかよくわからなかったのだが、まさか方向の違う地点にここまで酷似した地名もなかろうと考えていたが、
明確に東 に向かい始めるまでは安心できなかった。高速を使わず、普通に国道を走る為、柯橋に着いたのは8時半近く。
ここで私 を含む数名の乗客は、大型バスに乗り換えさせられた。紹興行きとあり、8時52分紹興客運中心着。
ターミナ ルに市内バス乗り場があり、非常に便利。
地図を購 入し、バイタクのおじさんが声をかけてきたので、蘭亭というと、3路バスだと教えてくれ、そのまま乗車。
蘭亭に直 行してくれるバス。ラッキー。
紹興客運 中心は紹興市街の北のはずれにあり、蘭亭は紹興南西郊外13㎞地点にあるため、1時間程かかる。
9時に出 発し、9時50分に蘭亭着。3.5元。このバスには、車掌席が設けられていた。珍しい。
社内に 観光案内と政府発行の文明指南のチラシがあった。
普通の A4コピー用紙に白黒でPCからそのまま印刷したような簡易なチラシ。
こういう の割と好き。
いかにも 金をかけてます。というような立派なチラシよりも、
バス会社 の従業員が手元のOA機器を使って安価な方法でサービス向上を図っているような気がして好もしい。
観光案内 の表には、3路バスの路線図と、簡易な紹興市街図上に13箇所程の観光名所が記載されており、
裏面は禹 の紹介と紹興と禹の関係の由来、紹興にある禹ゆかりの場所が解説されている。
これによ ると、禹は前2062年に会稽に葬られ、前2059年から禹の子により祭祀を行ったとされています。。。。
文明指南 のチラシの方には、10の交通マナー標語が記載されていました。
蘭亭バ ス停前には、印山越王陵の案内版があり、東へ2.5キロとの表示。
バス停前にひなびた売店が1件あるきりで、朝食取れそうなところもなく、雨がぱらつく中そのまま歩く。
バスはな さそう。
蘭亭は、書聖王羲之が宴を開いたとされる有名な場所に因んだところで(王羲之が実際に開催した場所とは少し離れているそうである)で、
いまは遊 覧公園となっていて、バス停から徒歩2分のところに蘭亭風景区入り口がある。
幸い雨 は本降りとはならず、10時20分、印山が見えてくる。
3月に 行った福建の閔越王宮殿遺跡ほどではないが、小高い山が連なる地帯。
この時 は、工事作業中を思わせる標識が掲げられていたので建築中だとばかり思っていたが、後で考えてみると、
博物館は 既に閉鎖されていて、廃墟となっているようだった。
まず管理 棟と思われる建物横にあった、大木をくりぬいた棺おけと思わしき展示品の上に洗濯物が吊るされ、展示品の上に靴下が干されていた。
管理棟に 向かう参道の路面はがたがた。元チケット売り場と思われる建物も廃屋となっていた。
しかし作 業中の雰囲気はあったので、まったく見捨てられた廃墟というわけではないらしい。
100段 あまりの階段を上って標高40メートル程度の印山の上に上ると、大きめの建屋があり、中に入ると、写真で目にしていた越王墓があった(遺跡紹介はこちら)。
王墓展示館
遺跡を 出てバス停に戻って10時50分。303路バスが来る。
客運中心 バスターミナルからだと、3路、鉄道駅からだと、この303路が蘭亭を通過するようだ。
どちらも 市街中心部を通過しているので、蘭亭へのアクセスは便利と言えそう。
11時 20分頃城市広場バス停着。大善塔と呼ばれる梁代に建設された塔の前。
なんて観 光し易い街なんだ。大善塔のある城市広場には、塔の横に文化会館のような施設があった。
どういう 建物でもないのだが、史跡と現代建築のコントラストに思わず撮影。
裏通りを散策しながら、宋代に建設されたという八字橋へ向かう。
途中の飲 食店街で昼食。地元風の店に入りたかったのだが、繁盛具合を見歩いているうちに、
自宅付近 にあるようなウイグル料理屋に入ってしまう。
あるよう な、というよりも、店内に掲示されているメニューの写真がまったく同じ。
場末た店 だと思っていたが、フランチャイズか、或いはウイグル人のネットワークがあるのではないかと思われる。昼飯8元。
紹興って江南に多く点在する運河の街だったことをはじめて知る。
八字橋の ある周辺は旧来の住居が保存されているようで情緒的な風景が続いている。
主婦が運河で洗濯をしている。
八字橋は 一度それとわからずに通過してしまい、反対側のバス通りに出たところで人に聞いてみたところ、先程渡った橋がそうだと知る。
それにし ても私が最初に質問した30くらいのおばさんとおの母親と思われる人は、正確な場所を知らなかった。
違う方向 を言われていると、後ろで話を聞いていたおっさんが、「あっちだ」と教えてくれた。
戻ってみ ると、橋の手前にちゃんと標識があった。13時20分八字橋のたもとで休憩。
八字橋 八字橋の前の船 八字橋の上から
大通り に戻り、22路バスで市街東南郊外4km程にある会稽山を見に行くことに。
地図では 天姥路口という場所が終点となっているが、その先3つくらいまで延長されているようで、その次の若耶方舟にて下車。
若耶方舟 という場所は、郊外の住宅区となっていて、団地ばかりの中国では珍しく1軒屋が立ち並んでいた。
サンフラ ンシスコ辺りの郊外の一軒家を思わせるような大型の西欧風の瀟洒な家が並んでいたが、
まだ造成 中のようで、その為か、完成後も同じなのか、家の前庭に相当する部分は鬱蒼とした藪となっていた。
ここか ら大禹廟入り口近くのバス停まで会稽山を眺めつつ歩く。
大禹廟と会稽山(山の上に巨大像) ジャイアントロボ・鉄人28号・大魔神を彷彿とさせる越王勾践と思われる像
足の疲 れが出てくる。バス停まで3キロ程ありそう。
大禹廟の 建物は見えていたのでショートカットできないものかと横道に入り裏口を探してみたが、
山麓にあ るわりには、ガッチリと高い塀で囲まれていて乗り越えれそうにない。
というわ けで引き返したりしていたら、ますます足に来た。
このあた りにも、古村と思わしき風情の村があったので思わず撮影してしまったが、
ここは大 禹文化村という、民俗村だと判明。民俗村だからニセモノとは限らないが、少しがっかり。
14時 43分大禹廟入り口前のバス停到着。
2路バ スで市内中心部まで戻り、23路に乗り換えて客運中心バスターミナルへ(各1元)。
15時 40分着。寧波行きチケット47元。16時発。17時32分寧波着。
寧波に着 いた頃には既に日は暮れていて夜の明かりの灯る街に到着。
雨脚が強 くなってきたので傘購入。10元。
ゆっくり 宿を探す時間はあったのだが、またも最初に入った宿になってしまった。
60いや 50で十分と言えそうな程度の宿だったが、80を提示してきたので、浙江省の大都市ということで70と言い張ったが、75と譲らない。
出ていこ うとしたら、70でOKに。いや、本当はやめたかったのだけど、最初に70と言ってしまったこともあり、泊まらざるを得なくなってしまったの だった。
険のある 表情のおかみであまり良い感じはしなかったが、異常に愛想が良いよりははるかに信用できそうでもあり、
ここで今 から60とか値切るのも流石に酷いように思えたので、70で宿泊。
市街中 心部の散策に出る。2,3キロありそうだったので、とりあえずバス乗車。丁度天封塔(1330年再建)付近に直行するバスがあったので近くで 下車。
繁華街 の中心部を抜けて姚江と奉化江が合流して甬江となる地点にある外灘まで歩く。
さぞ夜景 が綺麗なのだろうと期待していたのだけが、それほどでもなかった。
姚江の橋の上から撮影
しか し、外灘にある飲食店街は中国を忘れさせそうな場所で結構気に入る。
路面にゴ ミは落ちていないし、道路の舗装にもゆがみが無く日本並み。
NHKド ラマのセットのように見える街並み。とはいえ、
閉店して いる店も多く、違和感なく安らげたのはこの街区の中でも一角に過ぎなかったのだけど。
で、その 一角にあるインド料理屋で夕食。
2,30 元程度に抑えたかったのだけど、色々味見してみたくなり88元のバイキングセットを注文。
接客とい い店の雰囲気といい、殆どが外国人の客層といい、中国であることを忘れさせてくれそうな店だったが、
料理は まったく中華風だった。
カレー が日本に入って、カレーライスという日本風カレーを生んだように、
中国に 入ったカレーは、カレーも中国化してしまうということなのだろうか。
15種類 くらいあった具の全部を味見したわけではないが、インドっぽかったのはひとつだけ。
他はどれ をとっても、中華屋で出てくる「黒胡椒牛肉」とか「鱼香滑肉」とか「红烧排骨」とかほぼそのまんまの味。
スパイス がちょっとインド風味なだけで、食感は中華そのものと代わりはないのでした。
日本の町 の洋食屋が、日本風の欧米料理を出すようなものなのかも。
まぁ中華 だと思って食べれば不味いわけではないが。
デザート は普通においしかった。
帰りは 宿まで歩く。22時頃戻る。
11月2 日
起床6 時15分。45分出発。
昨夜着い た汽車南站へゆくと、義烏行きはここからは無いとのこと。
市客運中 心とのこと。汽車南站向かいに市内バス発着所があったが、
市客運中 心行きバスが見つからなかったので、面倒なのでタクシーにする。
7時10 分着。13元。
丁度折 りよくバスがあり、7時15分発義烏70元。
この時乗 車したバスは、非常に快適なバスだった。
座席は皮 シート。前の席との間も通常のバスと比べるとゆったりとしていて、カーテンにはほつれ、乱れが一切ない。
座席に頭 部のカバーにも乱れ、ほつれが一切なく、窓には汚れや水垢、ムラが無い。
つまり、 目隠しして乗せられたら日本のバスかと見まごうようなバス。しかもシートベルトも着いていた。
浙江快 客。少し気に入る。ついでに浙江快客が英語名Quickというのは、快客=Kuai keのもじりだと気づく。
2005年版の地図ではまだ建設中だった甬金高速に入り9時半あっさり義烏到着。
途中黄澤 というインターに「王羲之故居」の看板。
義烏は 賓王客運中心バスターミナルに到着。
賓王客運 中心で確認してみると、ここからは多省へ向かう長距離バスと、
省北部へ のバスしか出ていない模様で、省内、特に南部行きバスは記載が無し。
地図(5 元)を購入後、朝食(5元)を取りながら国際展示場やバスターミナルの場所を確認する。
市街はあ まり広くはなく、2キロ四方に4つのバスターミナルがある。
賓王客運 中心の北1キロに秦塘客運中心、南3キロに遼東客運站、南西3キロに南方聯客運站がある。
とりあえ ず秦塘客運中心へ市街中心部の観光がてら歩き、そこから東にある見本市会場へゆくことにする。
雨はひと まず上がっている。
途中突然 便意を催し、手じかにあった中級ホテルのトイレに。
秦塘客運 中心は工事中で、省内どころか、市内近距離バスしかないしょぼい停留所。
近くのバ ス停から市内バスK122で見本市会場へ。
地図で見 ると、見本市会場は1キロ以上の長さ。2キロ近くあるかもしれない。3号館北側付近で下車。11時。
3号館
ここか ら4号館まで概観をみつつ歩く。もっと雑然と混雑して活気があるのかと思っていたら、いたって静か。
人もまば ら。これは4号館に入ったところ。3号館は、昔の晴海の見本市会場のような建物。
4号館は より現代的なアルミ色の強い構造体。しかし内部は人気は多くはなく、まばらな感じ。
建築様式 からすると、1、2,3号館が最初に作られ、その後4、5号館と番号順に拡張していったのかも知れない。
3 号と4号の間の渡り廊下。向こうが4号館 4号館ロビー吹き抜け
とりあえ ず2階に上がってみる。予想していたようなバザールみたいな雑然さは無く、整然と店が並んでいる。
広大な ロッカー室のようなイメージ。
4 号館内部。どこまでも続く広大な館内 4 号館では空き店舗も目だった
しかし並 んでいる商品は驚く程多様で見ていて面白かった。
輪ゴムだ けの店というものが何件もあったり、ホッチキスの店、洗面器、エモンカケ、扇子、櫛、カラーテープだけの店など、
雑貨って 意外に単品だけの製造会社が多いということに驚く。
様々な色 の櫛が大量に陳列され、紫色から赤まで虹のようなグラデーションを描いている様は圧巻。見ていて結構楽しい。
音響器 具、照明のデコレーションなど普通の店のようなものや、四川、韓国、香港店舗区画などもあった。
4号館か ら3,2,1と戻りながら、館を遡るにつれて建物が古くなり、古くなるにつれて雑然となり、通路にものが置かれ、
通路に椅 子を出して食事をしている店員が目立ち始める。
店舗ス ペースも手狭となり、ひとつの店舗区画を2件で共有するパターンも見られ始める。
1 号館は雑然とした雰囲気 真ん中を敷居で区切ってひとつの店舗を2店で共有
各店舗水 ペースには番号が振られていて、4号館では50000番台となっている。3号館で平面図に入っている店舗をざっと数えてみたら、1フロアあた り約1200、5階建てで約7000となり、5号館までで3万5千。4,5号館は広めなので、おそらく番号通りの店舗が入っているのではない かと思われる。
4号館から3,2,1号館方 面
欧米人 が目だたないのは日曜日だからか、インド・パキスタン系、イラン、アラブ系の外国人が目立つ。
僅かにい る欧米系はおそらくロシア系だと思われる。(こちらのサイトに平面図の写 真があります)
12時半 頃に1号館の入り口にもどる。
近くの バス停からY101路バスに乗る。
都合のよ いことに、遼東汽車站前と南方聯客運站前を通過する。取り合えず最初に南方聯客運站迄行く。
社内は非 常な混雑。13時半バスターミナル着。
13時 35分金華行き。16元。
14時 40分金華着。
客運站は ここではなく西站だとのことで、地図(5元)を購入し、市内バスで移動。11路バス2元。
15時半 に西站着。漸く昼食(10元)。
16時 10分発。温州行き85元(+保険2元)。
このバス もまぁまぁ。ただし同じモデルである割には、寧波からのバスと異なり座席は皮ではなく、布張り。窓も広く、座席の背についている荷物入れもキ レイ。
金華か ら寧波、紹興、温州へ出ているバスは下記の通り。
寧波- 金華 253㎞、1日13本、金華-温州 250㎞、10本、金華-紹興 176km 8本程度金華-臨海 8本程度。
地図を 見ていて気づいたのだが、義烏市街南20㎞程のところにある赤岸鎮近郊に、
戚継光の 軍(戚家軍)の記念館と、浙江省の中心である浙江軸心点があることを見つけた。
義烏は漢 代からの都市であるが、地図を見ている限りは特に遺跡らしきものは見つからないが一応市内には博物館がある。
将来再訪 することがあれば、博物館を訪れたいと思う。
温州へ の高速道路沿いでは、ゴーストタウンと思われる廃墟をいくつも見かける。
建築途中 で廃棄されたと思われるビルも多数。
予算が不
足して計画が放棄されたのか、経済発展に伴い都市部に移住したのか不明だが、これほど多数の廃墟を見るのははじめて。異様な光景。
(こちらのサイトにも情報
があります)
18時 半頃青田というサービスエリアで一度休憩。
19時頃 温州西郊外にある、双嶋客運中心到着。
巨大で立 派なターミナルだが、既に閉まっていて活気がない。
近くの路 面が工事中で宿も店も少なく、なんだこりゃ。と思う。
取り合え ず隣にあるあからさまに高そうな賓館は避けて地図を購入してから宿を探す。
今日はで きれば時間をかけてでも納得のゆく宿を探したいと考えていたので、最初に入った賓館はパス。
表示の出 ている88元の部屋はなく、120元の部屋を見せてもらったが、エレベータの中もフロアもゴミが散らかっていた。100元でも高い。
裏路地を 探すもなかなか見つからない。道は未舗装で雨水がたまって泥だらけ。
酷い町へ 来たもんだ、との印象。
再度表通 りにでて2件目の賓館へ。138元の部屋を見せてもらう。まぁまぁ。
120に 値切ったらOKとのことなのでここにする。
夕食に 出るが店がみつからない。
結局ウイ グル料理の”いつもの”チェーン店と思わしきいつもの店に入る。
最後の日 なのでもっと豪勢にいきたかったが仕方が無い。
コンビ ニで地図が2種類売っていた。
ビジネス 用の地図には史跡の紹介は無かった。
遊覧用地 図には、永昌堡という、対倭寇の防塁が紹介されていたが、あまりにも手垢にまみれてしわくちゃのものが1つしかなかったので、
キレイな ビジネス用地図にも場所だけは記載があることから、ビジネス用を購入する。宿に戻って明日の観光場所を検討。
11月3 日
7時40 分出発。バス停は、バス路線図が地図とともに記載されている為、非常にわかりやすい。
105 路のバスだと、江心波止場近くのバス停に行くようなので、若干回り道になるが、
市街観光 をかねて105番バスで1時間ほどかけて移動。8時45分江心波止場近くで下車。
今日も小 雨がぱらつく天候。中州である江心島行きの船は20分に一本。
江心寺施 設への入場券込みで20元。乗船時間5分程度。
江心島から見た温州市街
チケッ トの裏面を見ると、東オウ文化村という記載があるので、まずは、島の東方向へいき、東塔を見ながら東オウ文化村を探す。
が、その ような施設があるどころか、過去に存在した残骸さえない。
計画途中 で廃棄された施設がそのままチケット裏の地図に記載されているような気配。
島は東西 2.5㎞、南北3,400m程度で、史跡のある部分は東側半キロ程度に収まっているので比較的する回れる。
島の北側 に出て、西塔へ向かう。
西塔近く には、池や回廊、橋や柳並木が配置され、絵になる眺望が多く、計算された人造庭園となっていることがわかる。
江心寺 は複数の建物から構成されており、そのひとつの龍翔禅院という建物は現在革命烈士記念館とされており、その隣に文天祥廟がある。
創建は 1482年とのことだが、1789年の再建なので、それほど興味をそそられたわけではないが、しかし文天祥ゆかりの史跡は多い(江心寺の紹介はこちら)
10時頃 江心島を後にし、波止場近くの定食屋で朝食。10元の快餐。
1キロ程 東に地図上では繁華街とされている東門歩行街との場所があったので、そこまで歩くが、露天の続くただのバザール街だった。
温州はバイタクが多い。沿海大都市には珍しいかも
続いて 温州博物館へ。33路バスで1本。12時頃博物館着。
しかし月 曜日は休館日だった。そこで空港近くの永昌ホにゆくこに。
71路バ スが空港まで行っていることがわかったので、71路バス路線まで行って乗り換える。
途中バス がオーバーヒートして、次のバスを待って乗車する羽目に陥ったので若干時間がかかったが、13時に空港到着。6元。
空港で便 を確かめてから永昌堡まで地元の村を観光がてた歩く。
丁度1時 間、14時に永昌堡着。
北門か ら入り、永昌博物館を見学し(5元)、保存対象となっている民家や橋などを見ながら、東門から出る。
この保塁 は、城壁だけが残っているというものではなく、内部にある住居や施設などの施設も含め、
比較的多 くの遺構が残っているようである(訪問記はこちら)。
東門横 に、城壁をぶち抜いて道路ができていたが、工事中で取りやめたのか、
未舗装 で、わだちに雨水がたまり泥だらけのの道路となっていた。
その脇 に、色が褪せた巨大な看板があり、それを見ると、保塁内部を広大な巨大マンション群を建設する都市計画があった様子。
ひょっと したら、思うように観光客が来ず、予算不足で建設が放棄されたか、延期となっているような風情がある。
泥だらけの東門横の道路
少し 待っていると、地図に掲載されていない、更にローカルな路線バスが来たのでそれに乗る(14時45分)。
空港へは 行かないので、空港近くで降ろして欲しいと言ったら、幸いなことに、
空港のか なり近くまで行くバスだったようで、空港まで1㎞程の交差点で降ろしてくれた(1.5元)。
最後の1 キロを歩いている最中に、お昼に空港へ向かう時に乗ったバスと同じバスがエンストしているのに遭遇した。
見覚えの ある愛想の悪い車掌の女性とそのへんのおっさんという風情の運転主。思わず笑い出してしまう。
エンスト中のバス
15時 25分空港着。離陸は17時55分頃なので、若干早く着いたが良い進行具合である。16時25分チェックイン。
今回の 旅行は、トラブルは無く、雨に祟られたとはいえ非常に順調だった。
職場の同 僚への土産も、空港ロビーで待っている時に思い出して購入した。もう完璧。
たいてい 何かしら幸運と問題が起こり、その積み重ねとなるのが普通で、順調過ぎると不安になるものだが、
今回は順 調過ぎる、ということが無かったので、あまり不安にもならないままここまで来てしまったのだが、
最後まで 小事さえ起こらなかったことで、いやな予感がしていたのだが当たってしまった。
まず、 天候不順の為、シンセン行きの出発時間が延期となり、17時55分の予定が20時40分となった。
おそら く、近距離路線程遅い時間に回されたようで、北京行きなどは30分程の遅れで出発していた。
夕食は機 内食を当てにしていた為、5時間もの待ち時間の間、手持ちの現金が足りず水さえ飲めない状況となってしまった。
最後はお 腹がすきすぎて、遂に土産に手を出してしまった。
1kg程 の乾し棗なので、同僚に分ける分には問題がない。20個くらいつまんでエネルギー補充。
資金不足 で土産に手をつけたのは、初めて本格的な個人旅行をやった、大学時代の北海道旅行以来のこと。
あの時 は、霧で翌日に延期となり、空港ロビーに宿泊することになったのだが、夕食代わりに土産を食べることになってしまった。
とはいえ 土産に手をだしたのは私だけではなく、近くの乗客と、それぞれの土産を交換して食べたのだった。
このま ま飛ばず、明日の遅刻か休暇連絡を入れなくてはならなくなるかも、
などと 思っていたところ、これ以上の延期はなく、無事21時に離陸した。シンセン空港へは22時半に到着した。
が、空港 から市内に向かう市バスは22時で終わっていた。
リムジン バスが最後の客を集めているところだったが、料金は20元。手持ちの現金は15元。
というわ けで、今回は最後になって玉突きのように面倒が発生した。
結局タク シーで戻り、自宅そばの24時間ATMの前で停まってもらい、支払う。
家へ着い たのは23時50分頃だった。
走 行距離、680㎞、航空券 深圳-杭州 -1160元、温州-深圳 760元。現地滞在費約831元