温州

東塔

紹介

東塔

 浙江省の温州、台州、麗水付近は、秦代は闽中郡、前漢代南部都尉の管轄となり、秦の回浦郷を回浦県とした。この地域は、古 代東瓯(東越)国のあった場所で、台州か、温州に都城があった可能性があるとされている。温州に都城があったとすると、台州 は東瓯国の北側境界であった可能性がある。西漢初めは東海王の封地とされた。《晋太康三年地記》によると、後漢87年に回浦 県が章安県となり、順帝永和三年(138年)に章安県を分割し東瓯郷に永寧県*1を置いたとされる。唐・李吉甫の《元和郡县 志•卷27•江南道•台州》によると、吴孫権時に、章安、永寧、臨海郡が置かれた。東晋明帝太寧元年(323年)、永嘉郡が 置かれた。隋は永嘉郡を廃して処州を置き、永寧県を永嘉県とした。622年東嘉州を置き、永嘉を分けて永寧県を置いたが、 627年東嘉州を廃し、永嘉に永寧を統合し、括州(現麗水に治所)の所属となった。唐高宗上元二年(675年)、初めて温州 が置かれ、永嘉県の属するところとなった。

西塔

西塔

 

やらたと絵になる造りとなって いる。

唐代以降の中国のイメージ通り の風景という感じ。

 東塔 開宝2年(969年)建 設、1141年再建。明万暦年間改修。高さ28m、6面7層。

 西塔の建設は、唐咸通十年 (869年)説、開宝2年(969年)説がある。洪武、万暦、乾隆年間に改修される。6面7層。直径7m、高さ32m、 宋代、壁龕に仏像が設置されていた。現在は15像が残る。

 1894年英国政府の要求によ り、回廊、檐を撤去。塔からの狙撃を防ぐ為と思われる。

  江心寺の中にある龍翔禅院は、866(869?)年に普寂禅院として建設され、建炎五年(1131)に龍翔禅院と改称。

 江西寺

 

 文信国公祠

 969年、隣に西山建净信講院 ができた。当初2つの島だったが、中間が繋がり、そこに中川寺ができた。

 寺は、瓯江の中洲にあることか ら、江心寺と言われるようになった。台風で破壊され、1789年再建された。龍翔禅院は、1956年、革命烈士記念館と される。宋代の鐘が2基あるとのこと。文天祥が1276年4月8日から1ヶ月間、中川寺に滞在。5月、広東、江西、福建 を転戦し、この時少保信国公に封じられた。これを記念した文信国公祠が1482年建設された。これも1789年の再建と 思われる。

 

アクセス情報

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 温州の代表的な観光地。温州市街の北岸、現永寧県の南岸の中州にあるの で、フェリーで渡る。フェリーは20分間隔で往復していて、5分で渡れる。20元(2008年11月)。温州西郊外の双 嶋バスターミナルから105番バスで1本でいける(1時間)。市街中心部に近いのでたいていのバス停から20分程度でつ くと思われる。

 

 *1 永寧県の場所については、温州か台州かで議論があるようで ある。詳 しくはこちらの議論を参照。瓯江北岸現永嘉県瓯北鎮。323年永嘉郡ができたときに、治所は瓯江南岸,現温 州市鹿城区。更に温州にあっても、東瓯国の都城が瓯江南岸か北岸かで議論があるようである。現北岸の楠渓が、永寧江、永 嘉江などと呼ばれ、永寧山も北岸にあったことなどが、北岸説の根拠とされる。

 

*2 江心寺 百度中国語解説は こちら。