紹興印山越王墓

 

 

上写真2枚とも、西から東へ向かって見たところ

 蘭亭のバス停

 印山

 紹介

 周囲の風景

中央の掲示板に越王墓迄2.5㎞との記載

 周囲から26mの高さの小山 (海抜41m)

 1996年、浙江省紹興市郊外の印山に、臥薪嘗胆、呉越抗争で有名な、越王勾践(在 前496-465年)の父、越王允常の墓と推定される墓が発見された。場所は、六朝時代の書聖・王羲之が名士を招いて詩会を開催した蘭亭の近く。

 前漢末に成立した呉越抗争を描く歴史小説「越绝書」には、「木客大塚は、句践の父允常の塚也」との記載があり、明代 万暦時代に著された「紹興府志」には、「越王允常墓は木客山に在り」と記載されている。その木客山は、府城の西南二十七 里にあったことから(明代の1里は559.8mとのこと(出 典はこちら))、27里は現15キロ114m

茶畑が一面に広がっている

博物館出口への参道

 となり、紹興市南西13㎞にある印山が丁度この辺りに有り、場所、規模、副葬品 などから、印山で発見された墓が木客大塚であり、允常陵と推定された。

 

 墓は、博物館として公開されていたが、あまりに人が来ないので閉鎖されたか、或 いは、公開期間が終わり、現在解体して研究中なのかは分からないが、現在は閉鎖されていて、博物館の設備は廃墟となって いる。左写真は、通りから出口へ向かう参道だが、写真左の、チケット売り場は廃墟となっていて、路面もひび割れている (左下写真)

出口付近の墓室を模した建物

博物館正面入り口

 

 

 

出口で向かう参道

全体地図

 左写真は設備の配置図。左端写真の参道は、地図上の最下段の道路から、上へ向か う直線の道路。写真上の墓室を模した建物は、その直線の道路の突き当たり左にある。この建物は利用されていたが、屋根は あちこち剥がれ、修理されている風情は無し。建物右脇の階段を上がってゆくと、印山山頂にあたる、地図中央の墓室を覆う 建物に出る。出口付近の建物脇の階段を右手に向かい、左に90度曲がりながら200m程進むと博物館の正面玄関に出る。 右上写真は玄関前から撮影した、玄関と山頂の建物。山頂の建物には「木客大塚」の文字が記載されている。

 

  印山は、東西350m、南北300m、周囲の地表からの高さ26m。ほぼ正方形をしていて、外形が印章に似ている ことから、印山と呼ばれるようになったとのこと。

墓に納められていた木棺らしき 物体

 周囲に洗濯物が干してあり、木棺中央上には、黒い靴下が置かれて干してあった。酷い扱い である。

西端

中央西寄りの部分(工事中)

中央東寄りの部分

東端

 周囲は環濠がめぐらされている。墓室は、東西46m、幅19m、深さ14m、東側に長さ54m、幅8mの墓道があったが、 墓道部分は博物館の建物の1階内部に残っているのか、取り壊されたのかは不明である。墓室部分は、木を三角形に組み合わせた もので、三室に別れ、,東西34.8m、幅6.7m、,高さ4.7m。墓の周囲は、版築工法で固められた封土があり、東西 72m、幅36m、高さ9.8m。広東省の遺跡にも同形式の墓が ある模様意で、本墓形態は、当時の越文化の特徴なのかも知れない。

 訪問当時は、解体中なのか、または解体後の再組み立ての最中のようであり、中国では、オープン前に廃墟のように風化 してしまう施設は多数あるので、ここもこれから公

墓室周囲の封土

雑多に並べられた出土物

開するのだと思っていたが、どうやら、一度は公 開した期間があり、その後閉鎖したように思われる。工事現場の人に、撮影禁止と言われたが、撮影済みの写真も消去までは 言われなかったので、一応掲載します。見学は自由とのこと。

 

 紹興市は杭州東60㎞にあり、紹興市蘭亭鎮里木 栅村の南にある。柵と客は紹興方言では同じ音とのことで、木栅=木客との説があるとのこと。紹興市市街北部にある、メイ ンバスターミナル「客運中心」から3路バスで1時間程。或いは列車駅前から303路で同じく約1時間。蘭亭バス停下車後 東へ2.5km。蘭亭はバス停から徒歩2分。

   広 州市博物館前に展示されている墓と同形式。会稽山はこちら

 解説は百度百科を 参考にしました。

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