湖北省博物館 商代の展示物

盘龍城の位置と平面図

紹介

宮殿復元図


  商代中期の城市遺跡 。湖北黄陂葉店にある。年代は前15世紀前後 。1974年発掘開始。商代の文化の分布と城市の性質の解明に貢献した。宫殿建築などが残っている。城は河の北岸の高地にあり、平面は正方形、南北約290m、東西約260m。城墙はつき固めた版築で、四面にそれぞれ出口があり、城門だと思われる。城外に壕溝がある。城内の東北上部の高地に宫殿建築跡がある。東西 60m、南北100m。基盤は版築で作られている。南北中軸線上に3つの大型建築がある。1号建築基址の面積は490平方m高さ20cm,上面に四間の横に並んだ居室があり、それぞれ南に入り口がある。四室と檐柱の間には一周の外廊がある。城外には住民集落と手工作坊の跡がある

 

 

 

 。城西、城北、城東には墓葬がある。その中の中城東李家嘴的2号墓は、雕花木椁を使用している。多の人が殉葬されている。青铜礼器25個が陪装されていた。その他銅の兵器や玉器が収められており、墓主の生前の社会地位がしのばれる。盘龍城遺跡は、商朝時代の南方の一つの方国(属国)だったのではないかと推測されている。

前16世纪,商湯王が夏の桀王を滅ぼした時、河南の中心に商王朝を建設した。その後,四方へ侵攻し、軍事的拡張を行った。勢力は長以南に伸び、3500多年前の盘龍城(在今武漢市黄陂区),は商人の南方の統治の為の建設された重要な方国の都邑と軍事要塞だったのかも知れない。

 前9世纪,鄂の西北の楚国が東へと拡張し、江漢大地を開拓した。現在の武漢地区も楚の領域に入ることとなりお、楚国の重要な軍事経済区域となった。

  盘龍城遺跡は武漢市市区以北約5千mの黄陂区滠口鎮にあり、盘龍湖環抱としての名がある。

  古城遺跡は小山の丘上にあり,三面を水に囲まれている。城垣は版築で層にわかれ、各層は8- 10cm。城墙の厚さは7-8m。城墙の外の堀は幅14m,深さ約4m,上に橋を架けて通行した。 下は出土遺物。左は、上から盘龍城、河南鄭州商城、陕西城固遺跡、河南殷墟、江西新干遺跡。横軸に青銅器の種類が並べてあり、どのような器物が重複しているかで、文化圏の近接度が良くわかる。商文化の広まりが実感できる非常に参考になる表だった。


旅行日記   BACK なお、基本的な展示物は湖北省博物館のこちらの盘龍城のページで全部見れる。すごいです。