7月18日

6時10分頃起床。6時半出発。6時45分バス来る。

7時55分空港着。8時15分チェックイン。新彊で騒ぎが起きているわりには、今回はかなりゆるゆるな感じ。

8時半頃ゲート着。9時40分頃離陸。11時半鄭州着。12時空港バス発車。16元。

空港から洛陽、商丘、開封など、河南省各地への直行バスが出ていた。地図5元を買う。

バスは、民航大酒店終点。地図で見ると、意外に商代城壁遺跡の近く。

ナイススなロケーション。ここから紫刑山バス停まで2つ。とりあえずバスに乗る。2元。高い。

小銭が足りなかったので、他の乗客に5元札渡して、3元小銭をもらう。

バスは紫刑山が終点。紫刑山公園を横切ながら見学し、城壁遺跡へ。城隍廟は休館。

今日は土曜日なのに。長期閉館かも。営業している気配ゼロ。

隣に、商代遺跡文物管理所があり、ここが商代城墻発掘現場陳列かと思い込んでしまいSkipしてしまったのですが、ひょっとしたら違ったのかも。

でもまあいいか(鄭州商城遺跡はこちら)。

 続いて河南省博物院へ行くことにする。バスを2回乗り継ぎ着いたそこは、無料だったが、入場時の身分証チェックが厳しかった。

重要な文物だからテロを警戒しているのだろうか。

 

 

 河南博物院は、企画展しかやっておらず、本館全体の正面エントランスは閉鎖。

裏手に回ったところにある入り口から入って、わずかに2つの展示ホールだけ運営していた。

稼ぐ為に他省の展覧会に出稼ぎに出ているのだろうか。少々期待外れに終わった展示だった。

 ここの売店で、ネット販売でも売り切れとなっていた「2000年版中国考古学発現」(80元)を購入することができた点はラッキー。

河南省博物館の訪問記はこちら

 

 この時点でまだ15時過ぎ頃。

直ぐに洛陽に移動してしまってもよかったが、昨秋浙江省博物館で眼にした多数の焦作市出土明器によれば、

明器が多数出土している焦作市の博物館では目ぼしいものを見ることができるかも知れない。

と考え、焦作市に行くことにする。客運北站いきバスがなかなか来ないのでタクシーで移動。9元。16時18分発27元。

 

 郊外へ出ると、メイン街道であるにも関わらず、道路は突然狭く、悪路に。河南省は、やはり整備が遅れているという印象。

今回鄭州繁華街のあたりは行かなかったが、投資はあまり回っていない感じだった。

河南では、前回訪問時、少し危い目に会いそうになったこともあり、少々心配にはなったものの、

焦作市についてみれば、まぁまぁの規模で、比較的整備された都市。安心。

18時20分着。地図購入。4元。20番バスで市内繁華街に出で、繁華街を見学しつつ市博物館まで散歩。

19時45分頃博物館前の宿に入る。賓館80元。

宿の前こ団体バスが停車していて、団体客と間違えられたりしたが、なんとか部屋に入る。

近場の店で夕食。水煮肉片というのを注文してみたが、結構いけた。

というか、かなりいけた(3日後南陽でも水煮肉片を注文したが、この日のものと比べるといまいちだった)。

現地労山ビールも冷えてて美味しく、「探偵ガリレオ中国語版」読みながら寛いだひと時。幸せ。21元。22時50分就寝。

 

 

7月19日

 

 7時半起床。焦作市の地図の裏側に、焦作市全体の地図が掲載されていて、ここには、漢代山陽城と商代遺跡の位置が記載されていた。

どちらも焦作市街内となっていたが、ところが、どちらも地図表の焦作市街地図に記載が無い。

商代遺跡は少々遠いが、漢代山陽城遺跡付近であれば、宿の近くだったため、バスでとりあえず地図に遺跡の記載のある付近まで行って見る。

4つ目のバス停で下車。

 

 そこから、地図の印のある付近まで歩くと公園があった。

石碑か何かないかと探すが、見つからず。

仕方が無いので、市博物館前までバスで一度戻ることにするが、地図をよく見てみると、山陽路と建設路の交差点に、少し大きな公園があることに気づく。

しかも、公園の南側は川となっていて、町を建設するには絶好のロケーション。

博物館が開く9時までにはまだ余裕がある為、再度バスで公園まで引き返し、公園を散策。とはいえ残念ながら遺跡の場所を示す碑文は見つけることができなかった。

しかし、恐らく、この公園のあたりが、漢代山陽市だと考えて間違いは無いと思われる。

まあし博物館へ行けば、より詳細な情報が展示されているだろう。ということで市博物館へ。

9時5分頃博物館着。

 

 ところが。

 

 市博物館とは、単なる寂れた民芸品店と文化センターのごった煮。

昭和30年代の鄙びて寂れた観光地の売店の集合という感じ。

入り口にいた青年に聞いてみたが、ここが博物館とのこと。博物館が何か知らないとしか思えないのだが、

これが博物館ということであるのであれば、焦作市に博物館は無いということなのだろう。

 

 しかし不思議だ。この地図を見ても、私が行った焦作市博物館となっている。

 こちらの博物館の写真を見ても、間違いなく同じ場所である。

 

 しかし、写真の奥に位置する建屋は半分廃墟な感じで、そもそも入り口らしきとこもも見当たらなかったし、何の表示も無かった。

ひょっとして、休館日だったのだろうか???

 まあでもいいか。このHPに明細されている建築明器は、どれも、浙江省博物館で目にしたものばかり。あまりがっかり感はなし。

 

 博物館横から、1本でバスターミナルへいける23番バスがあり、9時40分バスターミナル着。洛陽まで35元。

ただし丁度よいバスが無く、10時40分発となってしまう。

地方の村々経由のローカルバスは、9時50分のものがあったようだが、直行バスは10時40分のものとなってしまうということらしい。

12時40分洛陽着。103番バスで市博物館へ(洛陽市博物館の訪問記録はこちら)。

期待外れに終わった河南博物院と比べ、こちらはほぼ期待通り(とはいえ、もっと凄いかとも思っていたのだけど、そこまでではなかった)。20元。

 

 13時40分見終わる。

「中国の歴史散歩」によると、洛陽市博物館の南、中洲路を挟んだ南側に周代遺跡がある、ということになっていたが、

どうにも遺跡がありそうな雰囲気がなかったし、捜し歩くのも面倒だと思っていたところで地図を確認すると、

王城公園というものが近くにあることがわかる。

博物館で見た、東周遺跡の中心部あたりに相当する為、遺跡が保存されているとしたら、ここ以外に考えられず、

ここに無ければ他には無いだろう、と考え、王城公園へ行ってみる。

この日は、入場無料。入り口付近の解説では、ここが遺跡のあった場所と書かれていた。が、特に遺跡は無さそうだった。

 

 

さ て、洛陽市市街地図によると、市博物館新館が、洛河の南にあると記載されていたので、とりあえず行ってみる。

王城公園近くのバス停から34番バス。このあたりは、地図によると隋唐洛陽城壁の西南角付近となっていて、

城壁の内側に相当する広大な地域が隋唐森林公園となっていた。遺跡かなにかあるのか、と思って歩いたが、まったくなし。

そのうち、巨大な博物館新館が見えてきた。どことなく、唐代宮殿をイメージさせる未来的なデザイン。いい感じ。が、まだ建設中だった。

 

 

 というわけで少しがっかりした反面、これ以上時間を取られると予定が押してしまうこともありそれほどがっかりしたわけでも無し。14時40分。

 街道まで戻り、68蕗バスで洛陽駅まで戻り、15時10分、駅前51蕗バスで洛陽古墓博物館へ。

今回の目当ては、漢代壁画に関する写真集など、前回購入仕切れなかった高めの書籍と、前回見落とした曹魏墓の壁画。

同じ市バスに乗っていて、古墓博物館前で下車した1人の4,50歳くらいの外国人がいたのには驚いた。

市バスは英語の案内が一応あるからなんとかなるのかも知れないし、中国語がわかる人なのかも知れない。

話かけてみようかとも思ったが、時間を食うのが嫌だったのでさっさと博物館へ。15時10分着。20元。

 

 で、予定通り曹魏墓へ行ったのだが、前回件の車馬出行図は、前回見落としたというよりは、見ていたが、それと気づかなかったのだとわかる。

つまり、写真集やパンフレットに掲載されている図では、色調が鮮やかで輪郭もはっきりしているのに対して、

実物は、色落ちし、ほとんど輪郭が薄く見えている程度。

とても同じ壁画とは思えない。これはやはり保存方法に問題があるのではないだろうか? 

壁画は、ガラスケースなどで隔離されているわけではなく、観光客にそのままさらされている。

一応柵があるので、触ったりすることはできないが、普通に空気にさらされているので、自然風化が急速に進行しているのではないのだろうか。

貴重な資料であるだけに、心配である。

 

 今回は奥の景陵は見ずに、さっさと売店に引き返し、物色を開始する。

店主、こいつは金になると踏んだのか、あれこれ次々と本を取り出してきて、私の前に積んでいく。各々ゆっくり吟味。

 前回の記憶にある、500元くらいの書籍は無かったが、内モンゴル自治区にある漢代ホリンゴル壁画と、

河北省の、漢代から遼代に至る壁画画集は掘り出しものだった。

これらはどうしても欲しかったので、合わせて460元のところを450元にしてもらうに留めたが、他の3冊は、合計214元のところ、100元にまけさせた。

特に最後の1冊160元は、漢代の珍しい壁画が掲載されてはいたものの、どう考えてもいいとこ50、30でも十分な内容。

50以上なら絶対買わないと決めていたら、恐らく本書はなかなかはけそうも無い書籍なのだろう、

親父、どうしてもこのチャンスを逃したくないらしく、130、100、80と下落し、遂には50に折れた。

総計674元のところ、550元。約18.4%の割引。うまくやれば、2冊の写真集も400元にできたのだろうが、私としてはまあまあか。

 

 17時10分、洛陽へ帰る中距離バスが丁度やってきたので乗せてもらい、洛陽駅へ戻る。

17時10分。時間が中途半端で、偃師市に移動するか考えていたが、とりあえず洛陽市街中心にあるランドマーク公園、王城広場に出る。

地図を見ると、ここには洛陽天子駕六博物館という博物館があるらしい。王城広場には、巨大な銅製の四頭馬の彫像が立っていた。

 

 博物館はまだ営業していた。30元。どうやら近年発見され、博物館は最近できたもののよう。

車馬坑遺跡と、東周王城遺跡から出土した遺物が少々展示されていた。展示内容は多くは無いが、お勧め。

他にも近所の学校で、より保存状況のよい車馬坑が発見されているとのこと(東周王城博物館の訪問記はこちら)。

 

 今回の洛陽訪問では、前回取りこぼした漢魏洛陽城の北と東城壁の見学と、

古墓博物館で買い損ねた書籍購入、及び夏代遺跡である二里頭遺跡と商代の偃師城遺跡だけであり、

周代はまったく念頭になかったこともあり、周代の遺跡や、遺跡跡地などを訪問し、

当時の城区画がだいたい把握できるなど、周代の知見が得られたのは嬉しい収穫でした。

考えてみると、周代の遺跡を訪問するのは初めてだったように思えます(前日の鄭州商代遺跡も、初めての商代遺跡訪問)。

 

 この後、18時頃、二里頭村に向う為、洛陽市と偃師市の境にある潘寨行き86蕗バスに乗ったのだが、場内は満員。

社内案内板を見ると、潘寨発洛陽行きバスは19時発で終了とある。となると、潘寨から、偃師市市街に向かうバスも、19時頃で最終となってしまう可能性がある。

さすがに村に宿泊施設は無いだろうし、やはり郊外は危険かも知れない。

ということで、18時40分頃、19時までに潘寨到着が微妙になってきた時点で下車し、明日朝再度来ることにして、洛陽市街に引き換えすことに。

19時20分、王城広場の手前で下車。当初は、唐代の明堂遺跡と、唐代遺跡博物館の近くに宿を取ろうと思っていたのだが、いつの間にか王城広場まで行ってしまった。

2つの宿に、賓館なのにも関わらず、外国人だということで断られ、120元の賓館に。まあ、悪くは無かった。

少なくとも、前回訪問時に宿泊し、最初140元とふっかけられた駅前の賓館より余程まし。

 

 食事に出る。餃子と豆腐とビール。健康の為ビールは控えようと思うのだが、やはり飲んでしまう。19時50分から20時20分。夕食。18元。21時半寝る。

 

 

7月20日

 

 6時15分起床。86路の始発バスは、7時5分となっていたが、6時50分頃やってくる。

7時40分頃、86路の終点である潘寨東到着。ここは村というより、本当に境界にできた宿場村という感じ。

東西南北とも150m程、道路沿いに商店があるだけで、西端に、洛陽行き86路バス、東端に、偃師市行き7番バスの停車場があった。

南北に走る道路上には、白馬寺まで5㎞との表示がある。10分程して、東端に7番バスが来たので、とりあえずそれに乗る。

うまくいけば、二里頭村を通過するだろう。とりあえず終点の偃高まで4元。

この境界村の東側は、佃庄鎮で、バスは佃庄鎮->西大郊->東大郊->朱坑(手偏にヨ)->関庄->北許->二里頭 の順番で通過。

通過した一覧の村の中では、二里頭村がひときわ大きく、舗装や建物も立派で、恐らく近年の発掘が、村のインフラの整備や収入に影響しているものと推測される。

二里頭村の東口のあたりに、二里頭遺跡の碑文が建っているのを確認できた。

8時25分くらい。二里頭村は、洛陽市街から、大体1時間半かかった。二里頭遺跡は、村の南に広がっているとのこと。

バスの次の停車場所である圪挡頭村は、二里頭村の東南にあり、遺跡の東側にある。

二里頭遺跡の宮殿跡に行くには、二里頭村よりも、圪挡(擋)頭から西へ向かった方が近いかも知れない。

 

 この後は、圪挡(擋)頭->喂南->西谷堆頭->喂北路口と通過し、塔庄の手前で偃師市市街(G310号国道)へ出た。

更に10分程走って終点到着。丁度9時頃。つまり、二里頭遺跡は、偃師市中心からだいたい30分程の距離にあることになる。

 偃師市は、商代偃師城や二里頭遺跡など観光資源がある(といっても、それらが観光資源だと考えるのは非常に少数なのかも知れないが)のでもっと発展しているかと思っていたが、全然だった。汽車站は、小売店のような規模の単なる窓口。

その裏にバスの停留場があるという程度。立派な駅舎があるかと期待していたが、全然外れ。

しかも、地図さえ出版されていないよう。仕方がないのでバイタクで偃師商城博物館へ運んでもらう。3元。近かった。

偃師商城博物館訪問記はこちら

 

 遺跡の場所を聞くと、宮城までタクシーで行った方がいい、と進められる。5元程とのこと。

時間も無いので、遺跡訪問は諦める。まあ、大体の場所がわかっただけでも十分。

戻りは市バスで戻る。2路と3路が、「汽車站」バス停へ行っていて、「博物館」バス停まで4、5個。

この通りは、恐らく迎賓路で、汽車站のことろで、愧新路と交差している。汽車站まで戻って朝食。8元。

10時20分、汽車站前で洛陽行きバスを捕まえる。11時15分、白馬寺到着。途中、漢魏洛陽城東壁と、永寧寺塔遺跡の看板を見かける。

できれば西城壁のあたりで下車したいので、白馬寺の斉雲塔が見えてきたところで下車しようと思っていたところが、

斉雲塔は工事中で、囲いに覆われていて見つからず、結局白馬寺まで行ってしまう。

 

 11時15分白馬寺着。11時25分、西城壁到着。前回来た時にはまったく気づかなかったが、道路脇に碑文が立っていた。

 

 

 西城壁上の村道を歩くこと20分、翟泉村に到達。そのまま村を通過して数分、畑の畦道をなおもまっすぐ北上すると、北城壁と思われる場所に到着。

恐らく金墉城の城壁かと思われる。城壁に沿って東に向かう。畑の中を歩き回っていると、用水路に出くわす。

渡れそうも無いので、用水路に沿って南下、半キロ程で金村に着く。昨日古墓博物館で購入した書籍が肩に食い込み痛い。

しかも空は晴れて熱い。日射病にならなきゃいいが。。。金村にある唯一の商店でスプライト買う。

美味しいー。店の親父が、店の前の店を南だと言われるが、東城壁にいきたかったので、そのまま東へ向かう。

やがて北と東城壁の角が見えてくる。かなり巨大な遺構が残っていた。

 

 

 洛陽市漢魏故城保護条例によると、下記の遺跡が漢魏洛陽城周辺に残っているとのことである。

 

漢魏故城保護範囲は,東は偃師市首陽山鎮白村と、その後ろの張村間の外郭城城墙の外50m南北一線、西は洛龍区白馬寺鎮斉郭村と分金溝村の間の長分溝西沿いの南北一線、北は孟津県平楽鎮上屯村の外郭城の残垣、北は50m東西一線、南は偃師市佃庄鎮王圪 村の南東西一線界隈以内の区域。

 

  (一)内城城垣。翟泉、金村、保驾庄、韓旗屯、寺里碑、龍虎灘渚村の間,現存北、东、西三面,長さ12000m,幅30m;

 

  (二)宫城。金村南にあり,面積1400m×660m;

 

  (三)東周墓地。金村東にあり,内城東北城垣内,面積1200m×1000m;

 

  (四)北魏永寧寺。龍虎灘村西北にあり、面積301m×212m;

 

  (五)金墉城。翟泉村東北,面積1048m×255m;

 

  (六)太学、辟雍、明堂、霊台。大郊寨に位置し、朱圪 、太学村三村の間,面積1250m×800m;

 

  (七)北魏洛陽大市、白馬寺遺跡。北は内城西垣閶闔門外の東西退水渠,南は隴海鉄路南側,東は斉雲塔院東墙,西は白馬寺鎮の平楽村の公路,面積1700m×1700m;

 

  (八)租場、牛馬市遺跡。南は寺里碑村,北は保驾庄,西は内城東垣に臨み,東は寺里碑村の保驾庄の車道,面積800m×900m;

 

  (九)東漢刑徒墓地。西は大郊村西南,面積250m×200m;

 

  (十)東漢墓园。内城西の垣雍門外2500mのところにあり、陳屯新村の東,面積190m×135m;

 

  (十一)外郭城城垣墙基遺跡。

 

 

 

 東北城壁は、5mくら高いところで段になっていて、その段の上更に5m程の高さがある。

その段にのぼり、城壁前に生えている木の陰となっているところで休憩。風がさわやかで気持ちいい。14時頃。

 

 ついで南に向かい、保驾庄(と思われる)村に出る。そのまま南下すると、いつの間にか城壁が東側に見えるようになる。

東城壁は、途中から更に東側を走るようになっている。水道橋のようなものがあった。

 

 

 国道に出て西に向かう。大分足に来ている。暑い。肩も痛い。

ふらふらになりながら、永寧寺跡に着く。もう14時40分。

見たところ、周囲は壁に囲まれていて、見学できるようにも見えなかったこともあり、国道が線路をまたぐ橋上から撮影して終わりにする。

場所がわかったので、次回来ることがあれば、ゆっくり見学できるだろう。

橋の反対側、洛陽城中心部にも、遺跡のようなものが見えていた。

恐らく近年発掘が進む宫城遺構ではないのかと思われる。

 

 

 漸く終了。バスを待つ。街道沿いなので、バスがびゅんびゅん走っている。

数分にしてバスが来る。15時15分、メインである洛陽汽車站の東隣にある二運客運総站到着。

二運客運総站では、南陽行きは朝7時一本だけとなっていたが、洛陽汽車站は、16時の南陽行きがあった。

チケット確保。85元。ほっとする。

汗でどろどろになっている。待合室で着替える。

16時20分発。19時20分南陽着。途中の景色は、秩父あたりを走っている感じに山が続く。

このあたりが華北平原の西の端であることがよくわかる。

 

 南陽は、河南省の地方の拠点都市にしてはおもったよりしょぼい町。

というか、本来こんな感じだと思っていたのだが、焦作市を見ていたので、少しは現代化しているかも、と少し思っていたのだが、まあやはり当初のイメージ通りでした。

バスを降りたところで、宿集客のおばちゃんに引っかかる。

汽車站前の賓館がよさげだったのでそちらにしようと思っていたのだが、汽車站の敷地内にある賓館を進められる。

まあ、建物を改装し、現代化しようとしている営業努力が買えたので、ここにする。が、120元。

100元にしてよ、といったら、即効で100になった。ということは、交渉すれば80くらいになったかも。

部屋のクオリティも80で十分な程度。とはいえ、ベープマットがあったり、ドアや壁を塗り替えたり、営業努力が見られたので、まあ100元で良しとしよう。

 

(右奥のピンクの宿に宿泊)

 

汽車站入り口脇で食事。水煮肉片を注文するが、焦作市で食べたものと比べるといまいち。18元。

水を地図を購入し、21時頃宿に戻る。

 

洛陽はこれで2度目だが、唐代遺跡は結局見れなかった。今回は夏、商代、周代遺跡にいけたことで一歩前進。

次回来ることがあれば、唐代遺跡をメインに回りたいと思う。

 

 

7月21日

 

6時半起床。7時、13時の武漢へのチケット購入。135元。

武漢へ日食見学に行く人が多いかも、と心配して早めに午後のチケットを確保したのだが、その心配はなかったかも。

とりあえず地図で知った南陽府衛へ行く。26番バスで4つ目くらい。丁度府衛前で停車。

府衛付近は、観光資源として、再開発している模様で、街並み全部を、清朝時代の建屋風にしている。

「可愛の洋服」という店があった。「鮭のXX」という清涼飲料水もある。この日本語の「の」は、日本語としての文法の使い方としては間違っているが

、日本語の中で英語単語を利用するのと同様、「中国語の中での日本語」として定着してきているのではないかと思う。

 

 

 8時開場のようなので、20分入り口で程待つが、15分程早く入れてくれる。

入場20元。入り口のおばさんが荷物を預かってくれる。清朝時代の役所跡としては、ほぼ完全に残っているものだとのこと。

なかなか見ごたえがある。漢代から清代にいたる知事の一覧や、著名な知事の略歴が展示されているコーナーがあり、地方史情報が充実していることがよくわかる。

南陽市の簡単な紹介もあって、世界ビキニコンテストの参加者全員が訪問したり、スキー場があったりど、南陽市は観光で売っています、という宣伝パネルが多い。

確かに観光資源は多そう。それにしては、いまいち観光インフラが整っていない感じである。

 

9時、26番バスで武侯祠へ。60元と高い。ここは、若き日の諸葛孔明が隠棲していたところとのこと。

ここのこととはまったく知らんかった。この中に東漢博物館があり、展示物は写真だけだったが、有益な情報が幾つか得ることができた。そ

れによると、東漢代の水利施設の遺構や、城門の遺構(塞門)が残っている模様。水利施設は、召父渠、六門墙遺跡、

瓦房庄汉代冶铁遗址 (南阳)は地図にも記載があり、ほど遠くはなかったが、時間も限られているので、見合わせる。他に楚方城遺跡、馬武墓、などもある。

更に、ネットで調べたところ、近郊には、結構な遺跡数がある様子(南陽東漢博物館の訪問記はこちら)。

 

 

10時20分頃武侯祠を出て漢代画像館へ。入場無料だったけど、中はそれなり。

なんかトイレの近くは臭うし、確かに色々な絵画があったり、3種類の墓地の模型があったり、テーマ毎に画像石を分類した展示はよかたけど、期待以上ではなかったかな。

数は多いけど、平凡という印象。しかも、従業員が全然おらず、入り口の売店で販売されている南陽旅行ガイドを欲しかったのだが、誰も来ない。

30分待っても誰も来ないのでショーケースを割れる一歩手前くらいの勢いで叩くも来ない。たぶんガラスケースを破壊しても誰も来なかったのかも知れない。

うーむ。いいのだろうか。諦めて画像館を後にする。

 

   

画像館前の立派な道路。車は殆ど走ってない。

道の真ん中を歩いても大丈夫。緊急用の滑走路だろうか。

なんにしても廃墟に近い画像館には不釣合いな立派な参道である。

 

300m歩いて11時15分頃、バス停前で昼食。熱いお茶とビールが上手い。特に着色料でも使ったかのような黄色のお茶は、少し甘くて上手かった。昼食21元。

 12時、16番バスで站へ移動。13時発。

 

 道路沿いには典型的な水郷地帯の風景が展開する。なんとものどかで、アイルランドみたいな風景。

 

 

18時半武漢市街に入り、渋滞に巻き込まれ、武昌の付家坡汽車站に着たのは19時半。夕焼けが出ていた。

明日は天気になるかも。預金を下ろし、永和ラーメン店でラーメン。28元。宿65元。21時半宿に戻る。23時半寝る。

 

 

7月22日

 

 

6時25分起床。7時10分出発。長江を見てから博物館に行こうと考えて、7時半にバスに乗ったものの、大渋滞。

1時間で2Kmしか走らない。ところが長江の手前で下車しようと考えていたところ、バス停を間違えてしまい、長江を越えてしまう。

しかも1㎞以上走ってやっと停車。当初予定では、博物館の雨の広場で日食観察しようと考えていたのだが、長江の方が眺めが良いと思い直す。

既に橋に人が出ていた。バスを降りて、パン屋に入って朝食を買う。2個8.5元。

日本式パン屋。町行く人が黒いガラスをかざして太陽を見ていた。

売店で買えないかと見てみたが置いていないようだった。新聞を買うと、武漢の日食時間は9時半とのこと。

私が予想していたより30分早い。となると、長江で見学することにして丁度よかったかも。

橋が丁度川面に差し掛かるところで見学することに。9時15分。ピザパンとフレンチトースト、どちらも上手い。味も日本風。

 

 雲の切れ目からみえる太陽は、既に7割り方欠けていた。

 

 

     

 

見ると、長江大橋の街灯が灯っている。少し薄暗くなっているようにも思える。9時28分頃、夜明けのように暗くなる。

 

     

 

9時40分、太陽が2割程顔を出す。

 

 撮影している人。

 

9時45分まで見学し、歩いて橋を渡る。10時15分頃橋を渡り終え、博物館へはタクシーを利用しようと思うが、なかなか空車が来ない。たまたま目の前で下車した車に乗り込んで理由判明。初乗り運賃が3元。バスとあまり代わらない安さ。これじゃあつかまらないわけだ。10時半タクシーに乗り、11時頃湖北博物館着。19元。12時10分頃まで見学。

 

湖北省博物館の盘龍城遺跡訪問記はこちら

湖北省博物館の曾侯乙墓遺跡訪問記はこちら。

湖北省博物館の楚国遺物の展示はこちら

 

12時16分博物館前でタクシー広い空港へ。58元。12時58分空港着。

 

 

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