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ササン朝の時代、東グルジアをイベリア、西グルジアをコルキス、ラジカ(現リオニ川、当時のパシス川の南) といった。 アルサケス家の王が統治し、現代でもアルサケス風の名前が使われているとのこと。コスロー朝というのはアルサケス家の一門ミフラン家のこと。
ヤズダギルド2世のゾロアスター教への改宗政策はアルメニアだけでなく、グルジアを含んだものだったの
で、451年のヴァルダン・マニコニアンの叛乱にはグルジアも参加した。22万人のペルシァ軍に遭遇し、叛乱軍は壊滅した。この日はアルメニアでは
「Shorve ThursDay」として現在でも記念日とされている。 一方グルジアでは ヴァクタン・ゴルガスラン(ヴァフタング・ゴルガサリ
/446-510年)(狼ライオンと
いう渾名)のもと、ムツヘタから、トリビシへと首都が移されて、抵抗運動が続けられた。彼の死後ペルシャの州とされた。
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PHARNABAZUS (P'ARNAVAZ) 1世, 前299-234年
SAUROMACES (SAURMAG) 1世 (前234-159年) PHARNABAZUS の子
ファルスマン2世(Parsman II) 前150-130年
-第二王朝
MERIBANES (MIRVAN) 1世(前159-109年)
P'ARNAJOM , 前109-90年。MERIBANESの子
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アルタクシアス(アルサケス/アルシャック) 前90-78年。P'ARNAJOMの義理の兄弟。
ARTOCES(ARTOG) 前78-63年(アルタクシアスの子)
PHARNABAZUS2世(BARTOM) 前63-30年。ARTOGの子
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MERIBANES(MIRVAN)二世 前30-20年。P'ARNAJOMの子。
アルタクシアス(アルサケス/アルシャック)二世 前20-後1年(MERIBANESの子)
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ファラマネス 1-58年
ミトラダテス世 58-106年
アマザスプ1世 106-116年 (ミトラダテスの子)
ファラスマネス2世 116-132年(アマザスプの子)
RADAMISTUS(ADAM) 132-135年 ファラスマネスの子
ファラスマネス3世 135-185年
アマザスペス(ハマザスプ2世) 185-189年(ファラスマネス3世の子)
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REV1世 189-216年 アルメニアのヴォロゲセスの子
VACHE 216-234年 Rev1世の子
BACURIUS(BAKUR)1世 234-249年 VACHEの子
ミトラダテス二世(249-265年)
アマザスペス3世 (260-265年) 対立王
ASPACURES(ASP’AGUR)2世 265-284年。ミトラダテス二世の子
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MERIBANES (ミリアン) III, 284-361, イラン王の子。 最初のキリスト教王
REV 二世, 345-361,ミフラン3世の子。共治。
SAUROMACES II, 361-363年, 370-378年
ASPACURES II (VARAZ-BAKUR I), 363-365年, ミリアン3世の子
ミトラダテス3世, 365-380年, 370-378年, ASPACURES の子
ASPACURES III (VARAZ-BAKUR II), 380-394年,ミトラダテスの子
ティリダテス (T'RDAT), 394-406年, Rev二世の子
ファラスマネス4世 (P'ARSMAN) , 406-409年,ASPACURES3世の子
ミトラダテス4世 (MIHRDAT), 409-411年,ASPACURES3世の子
ARCH'IL, 411-435年, ミトラダテス4世の子
ミトラダテス5世 (MIHRDAT), 435-447年, ARCH'ILの子
ヴァフタング・ゴルガサリ(447-522年)(VAKHTANG I GORGASAL (GURGENES)), ミトラダテス5世の子
DACH'I, 522-534年,ヴァフタングの子
BACURIUS (BAKUR) II, 534-547年, DACH'I,の子
ファラスマネス5世 (P'ARSMAN) , 547-561年, BACURIUSの子
ファラスマネス6世 (P'ARSMAN) , 561-? ファラスマネス5世の兄弟の子
BACURIUS (BAKUR) III ?-580, ファラスマネス6世の子
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パコルス(141年頃‐)
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イベリアの諸侯代表 |
GUARAM I the Guaramid(グアラミー家), CUROPALATE, 588-c. 590 (ビザンツ帝国に属す)
STEPHEN I the Guaramid(グアラミー家) c. 590-627(サーサーン朝に属す)
ADARNASE I the Chosroid(コスロー家), PATRICIAN、 627-637/42(ビザンツ帝国に属す)
STEPHEN II the Chosroid,(コスロー家) PATRICIAN , 637/42-645 カリフ国に属す 645-c. 650?
ADARNASE II the Chosroid(コスロー家) カリフ国に属す, c. 650? PATRICIAN, ビザンツ帝国に属すc. 662-684/5
GUARAM II the Guaramid(グアラミー家)、ウマイヤ朝に属す 684/5-689、CUROPALATEとしてビザンツ帝国に属す。 689-before 693
GUARAM III the Guaramid(グアラミー家) CUROPALATEとして693年までビザンツ帝国に属す。 693-c. 748年はウマイヤ朝に属す。
ADARNASE III Nersiani(ナルシアニ家), CUROPALATE として、c. 748-760年ビザンツ帝国に属す。
NERSE Nersiani(ナルシアニ家) ビザンツ帝国にc. 760-772年の間属し、775-779/80の間、アッバース朝に属す。
STEPHEN III the Guaramid(グアラミー家) 779/780-786年アッバース朝に属す。
アショト1世 Bagrationi (Bagratuni) (バグラトゥニ家)CUROPALATEとして、ビザンツ帝国とアッバース朝に両属する。 813-830年。
バグラット1世(バグラトゥニ家), CUROPALATEとして、ビザンツ帝国とアッバース朝に両属する。 842/3-876年。
ダヴィド1世(バグラトゥニ家)CUROPALATEとして、ビザンツ帝国とアッバース朝に両属する。 876-881年。
GURGEN I (バグラトゥニ家) CUROPALATE ビザンツ帝国に属す。 881-891年。
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イベリアのCuropalatesと王 |
ADARNASE IV, 王としての統治期間(888-923)、CUROPALATEとしての統治期間(891-923)
[Abasgia/Abkhaziaの王としてイベリアを統治した期間912-975]
ダヴィド2世 (ADARNASE IVの子), 名目的な王, 923-937
アショト2世I (ダヴィド2世の兄弟)、実質の地位はCUROPALATE, 923-954
スンバット1世I (ダヴィド2世の兄弟)、実質の地位はCUROPALATE, 954-958, 名目的な王として 937-958
バグラット2世単純王 (スンバット1世の子), 名目王として, 958-994
ADARNASE (III) (バグラットの子、スンバットの兄弟)、CUROPALATE, 958-961
ダヴィド2世 大王 (ADARNASEの子), CUROPALATE, 990-1000
GURGEN I (バグラット2世の子), 共治王, 975 諸王の王, 994-1008
バグラット 3世 (GURGEN1世の子, CUROPALATE, 1000 諸王の王, 1008
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アブハジア(Abasgia/Abkhazia)の王 |
レオ2世 767/68-811/2
テオドシウス2世(レオ2世の子) 811/812-837/8
デメトリウス2世(テオドシウス2世の兄弟) 837/38-72/3)
ゲオルギ1世 AGHTS'EPELI (デメトリウス2世の兄弟) 872/3-878/9
JOHN SHAVLIANI (外部からの王), 878/79-c. 880
ADARNASE SHAVLIANI (ジョンの息子), c. 880-887/88
バグラット一世 (デメトリウス2世の息子) 887/88-898/99
コンスタンティン3世 (バグラット1世の息子), 898/99-916/17
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イベリア・アブハジア(Abasgia)の王 |
BAGRAT 3世, 1008-1014年, CUROPALATE
ゲオルギ1世 1014-1027年、BAGRATの子
BAGRAT 4世 1027-1072年、ゲオルギの子、
CUROPALATE,(1031-1032)、
NOBILISSIMUS,(1052年頃)、SEBASTUS,(1060年頃)
ゲオルギ二世I 1072-1112年 BAGRAT 4世の子、CUROPALATE(1060年頃)CAESAR(1081年頃)
ダヴィド3世 建設王 (AGHMASHENEBELI) ゲオルギ二世の子。1089-1125年 PANHYPERSEBASTUS,, 1089-1112間ゲオルギ二世と共治。1125年デメトリウス1世と共治。
デメトリウス1世 1125-1155, 1155-1156年。ダヴィドの子。
ダヴィド4世, 1155年。デメトリウスの子。
ゲオルギ3世 1156-1184。ダヴィド4世の兄弟。1179年 タマラと共治。
タマラ大王 1184-1212年。ゲオルギ3世の子。1193-1207 DAVID SOSLAN (従兄弟で夫)と共治。 1205年 ゲオルギ4世と共治。
ゲオルギ4世 光輝王(the Resplendent ) 1212-1223年。タマラの子。
RUSUDAN 1223-1245年。ゲオルギ4世の姉妹。1234年ダヴィド5世と 共治
空位 1245-1250年
ダヴィド5世, 1250-1258年。RUSUDANの子。 Abasgia/Abkhazia(アブハジア) またはImeretia(イレメティア)が分離した。
ダヴィド6世 (ゲオルギ4世の子), 1250-1269
空位時代, 1269-1273
デメトリウス2世 忠誠王(the Devoted) (ダヴィド6世の子), 1273-1289
ヴァフタング2世 (イメレティア王) (ダヴィド5世の子), 1289-1292、共治王 ダヴィド7世, 1291
ダヴィド7世 (6世) (デメトリウス2世の子), 1292-1301、共治王: ゲオルギ6世, 1299
ヴァフタング3世 (ゲオルギ6世の兄弟), 1301-1307、共治王: ダヴィド7世と ゲオルギ6世
ゲオルギ5世, the Little (ダヴィド7世の子), 1307-1314、共治王: ダヴィド7世.(1310年死去), とゲオルギ6世(摂政)
ゲオルギ6世 華麗王(the Illustrious ) (デメトリオス2世の子), 1314-1346 [イメレティアの回復者]
ダヴィド8世(7世) (ゲオルギ6世の子), 1346-1360. 共治王 バグラット (5世), c. 1355
バグラット5世 大王 (ダヴィド8世の子), 1360-1395. 共治王: ゲオルギ7世, 1369 [イレメティアを失う]
ゲオルギ7世 (バグラット5世の子), 1395-1405
コンスタンティン1世 (ゲオルギ7世の兄弟), 1405-1412. 共治王: アレクサンダー1世, バグラット, ゲオルギ (彼らはコンスタンティン1世の子), c. 1408
アレクサンダー1世 大王(コンスタンティン1世の子), 1412-1442 (1446死去). 共治王: ヴァフタング (4世), デメトリウス (3世), ゲオルギ(8世) カヘティ王 a, ZAAL (死去.1438年、共治1438年) (彼らはアレキサンダー1世の子. [イメレティアを回復]
ヴァフタング4世 (アレキサンダーの子), 1442-1446. 共治王: デメトリウス (3世) とゲオルギ (8世)
デメトリウス3世 (ヴァフタング4世の兄弟), 1446-1453 de jure.
ゲオルギ8世 (デメトリウスの兄弟)), 1446-1465 de facto. 共治王: アレクサンダー (ゲオルギ8世の子), c. 1460 (カヘティアでゲオルギ1世として独立、 1466-1476]
バグラット6世 (ゲオルギ8世の子、アレクサンダー1世の兄弟), 1465-1478. 共治王: コンスタンティン(2世), c. 1465
コンスタンティン2世 (デメトリウス3世の子), 1478-1505
グルジア一部の支配者: アレキサンダー, ゲオルギ8世の子, カヘティア( Kakhetia)の王(1490) 及びアレキサンダー(バグラット6世の子)、イメレティアの王(1491)
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参考資料
Robert Bedrosian's Homepage のグルジア支配者表 ビザンツ世界へのBACK イラン世界の歴史データへのBACK グルジア王国の歴史へのBACK