パ ルティアの駅程  下訳段階

 



    
 カラクスのイシドルスにおるパルティアの駅程の訳*1

 

紀元前1世紀のレバント地方とインドの間の陸上貿易路の旅程

 

-メソポタミアとバビロニアの間 171  Schoeni*1

-Apolloniatis    33、

-Chalonitis     21

-メディア      22

-Cambadena    31

-上メディア     38

メディア ラガイアナ 58

-Choarena     19

-Comisena     58

-ヒルカニア     60

-Astauena     60

-Parthyena     25

-Apauarticena   27

-マルギアナ    30

-アリア       30

-Anaua        55

-Zarangiana(ドランギアナ)    21

-サカスターナ   63

-アラコシア     36

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合計 858 Schoeni

 

 

 

メソポタミアとバビロニア 171Schoeni

 

1. ユーフラテス川に渡る人のために、Zeugmaの横にApamia市がある。次に、Daearaの村がある。それは、Apamiaとユーフラテス川からか ら3schoeniの距離にある。次にギリシア人によりCharax Sidaeと呼ばれる、Anthemusiasの市が5schoeniの距離にある:それを超えるとBatanaにCoraeaがあり、それは要塞化され た場所で、 3 schoeni。この場所の右には、Mannuorrha Auyreth、要塞化された場所、および井戸(住民は飲料水を手に入れる)がある。5schoeni。 次に、Commisimbela、要塞化された場所: Bilecha川がそばに流れている。schoeni4。次に、Alagma、要塞化された場所、王の駅、3schoeni。そこを超えてIchnaeが ある。マケドニア人によって設立され、Balicha河沿いにある。3 schoeni。 そして、ユーフラテス川のそばにNicephorium(ニケフォリウム)、ギシリア人都市で、アレクサンダー王によって建設された。5schoeni。 川のそばでより遠くにGalahathaがあり、そこはさびれた村で4schoeni。 次に、Chumbanaの村 1 schoenus。 Thillada Mirrhadaから離れたところに王の駅がある。4schoeni。その王の場所には、アルテミス神殿があり、ダリウスによって建設された。そこは小さ な町で、セミラミス運河の近くにあり、平原へとあふれだすことがないようにチェックするために、ユーフラテス川は岩でせき止めら れている。しかし、夏には船を難破させることがある。この場所まで、7schoeni。 次に、アラン、壁で囲まれた村、 4schoeni。 次に、Phaliga(ギリシア語では途中を意味する)、ユーフラテス川沿いの村に着く、6schoeni。アンティオキアからこの場所まで 120schoeni。 そこからからティグリスのセレウキアまで100schoeni。 Phaligaのそばに、壁で囲まれた村、Nabagathがあり、そのそばにAburas川が流れ、ユーフラテス川に注いでいる。 そこは、軍勢が川向こうのローマ領土にわたるところである。 次に、Asich、の村、4schoeni。 そこを越えると、マケドニア人によって設立されたDura Nicanoris市があり、ギリシア人にはEuropusと呼ばれている。6schoeni。 次に、Merrha、要塞化された場所、壁で囲まれた村 があり、5schoeni。 そして、Giddan市、5schoeni。次に、Belesi Biblada、7schoeni。 向こうに、ユーフラテス川内に島があり、6schoeni。 そこにはフラアテスの宝物があったとされ、彼は、ティリダテスが追放された時、妾ののどを切り、その土地を侵略した。次に、Anatho、ユーフラテス川 の島で、4schoeniで、そこに町があり、4schoeni。そこを越えるとThilabusで、これも、ユーフラテス川の 島で。そこにはフラアテスの宝物があり、2schoeni。次に、Izan、島の中の町、12schoeni。次に、 Aipolis、その町は瀝青質の湧き場所があり、16schoeni。 その向こうは、Besechanaで、そこには、Atargatis神殿があり、12schoeni。 そして、ユーフラテス川そばのネアポリス。22schoeni。その場所から、ユーフラテス川を出て、Narmalchanを通り抜け、チグリスのセレウ キアまで、9schoeni。ここまでが、(大)メソポタミアとバビロニアで、Zeugmaからセレウキアまで、 171schoeni(約911㎞)ある。

 

 

2. その場所からApolloniatisに入り、33schoeni以上ある。そこには村があり、そこには駅あり、ギリシアの都市、Artemitaがあ る。その真ん中を通るSilla川を通ってそこからセレウキアまで15schoeni。 しかし、現在、その市はChalasarと呼ばれている。。

 

3. その場所、Chalonitisから21schoeni。そこには 5つの村があり、駅がいくつかあり、ギリシアの都市、Chalaがある。Apolloniatisから15schoeni。 そして5schoeni先にChalonitisとMedes(メディア)の間の境界を形成するZagrus(ザグロス)と呼ばれる山がある。

 

4. その場所から、下メディアとなり、22schoeni以上ある。 Carina地区のはじめに5つの村があり、そこのはいくつかの駅があり、町は無い。

 

5. その場所から、Cambadene、31schoeniを越えていて、そこには5つの村があり、幾つかの駅があり、Bagistanaという山の中にある 町がある。そこにはセミラミスの像と柱がある。

 

6. その場所から上メディアに入り、38schoeniある。そして、その始まりの地点から3schoeniの場所にConcobar市がある。そこにはアル テミス神殿があり、3schoeniある。 そして、Bazigrabanで、税関があり、3schoeni。 そこからAdrapana、エクバタナで統治する王家の居城がある。アルメニア人のティグラネスが破壊した。そこまで4schoeni。次に、エクバタ ナ、メディアの大都会であり、宝物庫でありAnaitisにささげられた寺院がある。彼らはそこでいつも犠牲式を執り行ってい る。12 schoeni。 そして、その場所を超えて、3つの村がり、幾つかの駅がある。

 

7. その場所(Rhagiana)からメディアまで58schoeni。 そこに、10の村があり5つの都市がある。 7schoeni先に、Rhaga(ラガ。現在のレイ)とCharax(カラックス)がある。Rhagaはメディアで最も大きな都市である。Charax は、最初のPhraates王がMardiに移住したところである それは山の下の方にあり、Caspiusと呼ばれている。そこを越えると、カスピ海への門がある。

 

 

8. その場所を超えて、カスピの門(峠)を通り抜けるところは狭い谷となっていて、Choarena地区(まで)19schoeniある。そこにApamia 市があり、4 schoeni先に4つの村があり、そこにもいくつかの駅がある。 そして、駅がある4つの村がある。

 

 

9. その向こうに、Comisenaがあり、58schoeni、そこには8つの村があり、そこにも幾つかの駅があるが、都市は無い。

 

10.その向こうに、ヒルカニアがあり、60schoeni。そこには11の村が あり、いくつかも駅がある。

 

11. その向こうに、Astauena、60schoeniある。そこには12の村があり、いくつかの駅がある。そして Asaac市があり、そこではArsacesが最初に、王を宣言したところである。そして、永遠の炎はそこで守られている。

 

12.その 向こうは、Parthyena、25schoeni。 その中に谷があり、その先6 schoeniのところにParthaunisa(ニサ) 市がある。そこに王家の墓がある。 しかし、ギリシア人は、そこをNisaeaと呼ぶ。 そしてその先、6schoeniにGathar市がある。 そしてその先、5schoeniにSiroc市があり、 村では、Saphriと呼ばるもの以外何も持っていない。

 

 

13. その向こうに、Apauarcticenaがあり、27schoeni。そこにはApauarctica市があり、Ragauの市と2つの村がある。

 

14. その向こうに、マルギアナがあり、30schoeni。 よい水と呼ばれるアンティオキアがある。 村は全く無い。

 

15. その向こうに、Ariaがあり、30schoeni。 Candac市とArtacauan市とAriiのアレキサンドリアがある。 そして4つの村がある。

 

16. その向こうに、Anauonがあり、Ariaの領域となる。55schoeni。そこには非常に大きな都市PhraとBis市、Gari市とニサ市があ る。村は全く無い。

 

17. その向こうに、Zarangiana(ドランギアナ)があり、21schoeni。 Parin市とCoroc市がある。

 

18. その向こうに、スキタイのサカ族のSacastana(サカスターナ)がある。Paraetacenaも、サカ族の町で63schoeni。 そこにはBarda市と、Min市、Palacenti市、およびSigal市がある。 その場所に、サカ族の王家の住居がある。 そして近くに、アレキサンドリア(近くに、Alexandropolis市がある)があり、6つの村がある。

 

19. その向こうに、Arachosia(アラコシア)があり、36schoeni(の距離がある)。 そして、パルティア人は、白インドと呼んでいる。 そこにはBiyt市、Pharsana市、Chorochoad市、およびデメトリアス市がある。 次に、Alexandropolis(現在のカンダハール)があり、そこはアラコシラのメトロポリス(大都会)である。 そこは、ギリシアであり、そこにはArachotus川が流れている。この土地はパルティア人の支配下の中で、この場所と同じくらい遠いところである。

 

 

 

カラックスのイシドロスのパルティアの駅程

 

パルティア周辺の旅

 

 

20. (断片 Athenæs(アテナイオス)III章、p46からの引用) パルチアの記述におけるCharaxのIsidoreは、多くの真珠が見つけられるペルシャ湾の中に、ある島があると言ってい る。そして、島の周囲には、アシで作られたいかだがあり、男が海中に、深さ20fathomsの深さにまで飛び込んで、二重殻を したカキを取って来る。 彼らは、頻繁な雷雨と大雨があるとき、カキが最もよく育ち、それらは非常に良く、最高で、最も大きい真珠を提供する(と言っている)。そして、冬に、シェ ルは、下部の穴に沈む習慣があるが、夏には、殻を開いたまま一晩中泳ぎ回り、昼には殻をじる。 そして、彼らは石と岩の上部の脊椎にあたる部分に吸着し、固着し、真珠を作り出す。 これらは、それらの肉を固く守る何かによって、生み出されて、給養される。 それは、カキの口で成長して、鉤爪を持って、食物を取り込む。 それは、小さいカニに似て、「カキの保護者」と呼ばれている。 肉は根のように殻のの中央を貫く。 真珠は、その近くで生み出され、殻のしっかりした部分を通って成長し、殻を固くくっついてい続けている限り、成長し続ける。 しかし、肉が突出物の下につき、前方で切る時、シェルから真珠をだんだんと分離する。真珠が肉によって囲まれるときになると、もうそのような方法でさらに 成長するくらいには給養されなくなり、それは、より滑らかで、より透明でより純粋になる。 そして、カキが下部で生息するとき、最も明確で最も大きい真珠を作り出す。 しかし、太陽光線で影響を受けるので、表面に浮かぶものは、より貧しい色の、より小さい真珠を作り出す。真珠貝を採取する潜水夫は、彼らがまっすぐ開いて いるカキに手を押し入れる。殻が閉じるので、いつで彼らの指がしばしば切り落とされるかも知れない危険に出くわしながら。そし て、時々、直ぐに死ぬことがある。しかし、シェルの下に彼らの手を突き刺すことによってそれらを取る人は、より簡単に岩kから シェルを引き出すことができる。

 

 

 

イシドロスの「世界の記述」断片

 

 

21. (プリニウス博物誌、II、112。) 「つまり、私たちの大地の一部は、それを囲む海洋の中に浮いて、私が説明するよう提案する、インドから(現スペインの)ガデスでヘラクレスに奉げられた柱 (ヘラクレスの柱)まで東から西に、最大級の範囲まで広がっている。Artemidorusがいうにはた8568マイルの距離で あり、またはイシドロスに従えば9818マイルある。

 

22. (前掲書、II、112。) 「南から北までの地球の幅が一般的に想定されているのが、その長さのおよそ半分だけであるということである、つまりと、4490マイル」、。 (これらの南の究極の境からTanaisの口までの測定値である) 「Tanaisを超えてた部分は、最も勤勉な作者は達もどんな正確な寸法も得ることができなかった。」 Artemidorusは、向こうすべてが未知であると推測している。Tanaisに関する彼の告白は、Sarmataeの部族(北極に向かって広がって いる)が住んでいる、としている。イシドロスは1250マイルを Thuleに加えている。 しかし、これは単なる憶測である。

 

23. (前掲書、V、9。) 「ArtemidorusとIsidoreによると、エジプトを含むTanaisへの(アジアの)距離全体が6375マイルある。」

 

24. (前掲書、IV、37。) 「ArtemidorusとIsidoreは8214マイルとしてTanaisからガデスまでの長さを、それ(ヨーロッパ)の長さとした。」

 

25. (前掲書、V、6。) Isidoreは3599マイルであるとしてTingiからカノープスまで距離について伝えている。ArtemidorusはIsidoreよりこの最後 の距離を40マイル少なくしている。

 

26. (前掲書V、43。) 「IsidoreはChalcedon(カルケドン)からSigeumまで、距離を322と1/2マイルとしている」

 

27. (前掲書、V、35。) 「Timosthenesはこのキプロス島の円周が427マイルであると述べている。Isidoreは375(マイルとしている)」

 

28. (前掲書、V、36。) それらのうちの最も公正なところは、ロードスの自由な島で、125(マイルで)、もし私たちがイシドロスを信じるなら、その周囲は103マイ ル.......イシドロスによれば、それはエジプトのアレキサンドリアから583マイル離れている。 しかし、エラトステネスによると489マイル。 Mucianusは、キプロスからの距離が166(マイル)だと言っている。

 

29. (前掲書、V、37。) 「イオニアの海岸は、サモス、自由な島を持ち、周囲87マイルあり、Isidoreに従えば100マイルある。

 

30. (前掲書、V、38。) 「キオスの……自由な島は古代の著作家によると円周の125マイル、 しかしながら、Isidoreはそれを更に9マイルを追加している。

 

31. (前掲書、V、39。) 「Isidoreによると、レスボスの全体の島の円周が168マイルある」。 「しかし、より年長の作家達は195と言う。」

 

32. (前掲書、IV、5。) 「ペロポンネソス… 2つの海の間に位置するのは(エーゲ人とイオニア人)…プラタナスの葉のように形をしていて、、岸で作られた角張っている刻み目の形をしている。」 Isidoreによると、それ周は563マイルで、それは、湾の岸の海岸線をも考慮しての話である。

 

33. (前掲書、IV、30。) 「この島(ブリテン島)はGesoriacumから遠く離れている。Moriniの国の海岸では、直径が最も短い場所で、50マイル。Pytheas とイシドロスは、円周が4875マイルであると言っている。

 

 

 

CHARAXのISIDOREによる未知 の仕事から

 

34. (断片はMacrob. ch Lucianus15章からの引用。) 「アルタクセルクセス、ペルシア人の別の王、歴史家のCharaxのIsidoreは、彼の両親の時代に統治したので93年の生 の後

に、彼の兄弟Gosithrasの陰謀によって不忠に殺害された、と言ってい る」。

 

35. (前掲書. 18章:) 「Goaesusは、そうカラクスのイシドロスに言った。彼の生きているとき、香料の島にいるオマーンの王がいた。彼は115年間生きた後に、病気で死ん だ

 

*1 な んと、邦訳が、松田男博士古希記念出版の研究者達の論文集である「東 西文化交流史」に、山本弘道氏の翻訳「イシドロスのパルティア道里記」訳注が掲載されています。まともな翻訳は、そちら をご覧ください。なお、同訳注によると、Schoeniは「スコイーノイ」と訳し、1スコイーノイ=5328mで、30スタディオン としています。

 

引用元

  www.parthia.com掲載の「Parthian Stationsby Isidore of Charax」

 

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