16世紀までのポーランド歴史映画紹介が終了したので、次の16世紀までのルーマニア・ハ
ンガリー映画紹介までの間に2作、636年カーディシーヤの戦いを描いた作品をご紹介したいと思います。
1981年イラク製作。636年サーサーン朝とイスラーム勢力の決戦であるカディシーヤの戦いと、その後のサーサーン朝の都クテ
シフォン陥落までを描いた
大作。再現映像やイラストでもいいので、ありし日のクテシフォンの映像を見たかった私としては、涙が出る程嬉しい作品です。サー
サーン朝の王も宮殿も史書
や遺跡から垣間見れる通りの映像。1981年という製作年代からして、イラン・イラク戦争が製作の背景にあり、高度な撮影技術と
膨大な資金を費やしたと思
われる映像とセットには、米国の支援があったのだろうと推測されますが、サーサーン朝側は普通にまともに描かれています。タバ
リーの史書に登場するサー
サーン朝崩壊過程の完全映像化と言えそう。
本作の大筋は単純である。サーサーン朝崩壊の一大決戦となったカディシーヤの戦いに至る経過と、カディシーヤの戦い、そしてそ
の後の、サーサーン朝の都、クテシフォンの陥落までが描かれる。細かいエピソードはいくつかあるようだが、私にとって重要なの
は、
・ありし日のクテシフォンの映像
・サーサーン人の装束
・カディシーヤの戦い
・クテシフォン陥落
の四点なので、今回は、あらすじではなく、クテシフォンや装束という項目別にご紹介してゆきたいと思います。
最初はクテシフォン宮殿の遠景。
結構殺風景な広場。広場の隅には絞首刑用の木枠が立っていて、人がつるされたりしています。
広場を囲む白い城壁の向こうに、「キスローのイーワン」の名で現在もイラクのバグダッド郊外に宮殿遺跡として残る、薄茶色の宮殿
が見えています。
その城壁と城門はこんな感じ。玄関部分は、アケメネス朝のペルセポリス遺跡のアパダーナを参考にしたものと思われます。
そのアパダーナ建築に焦点をあてた画像がこちら。
アパダーナ横の階段から城門を見たところ。映画の中では、ヤズダギルドに砂を持たされて返されるイスラム使節のエピソードの、
使節が階段を上る場面。
城門を内側から見たところ。城門の手前にプールがある。
これも城門を内側から見たところ。これは、映画終幕近くの、イスラム軍の宮殿突入場面。
クテシフォン宮殿。現在でも、中央アーチと左側の部分が現存している。
これは、宮殿内部。宮殿正面の大アーチ(イーワーンと呼ばれる建築様式)の奥に、国王の広間がある。
下記は、国王ヤズダギルドと叔母のボーラーン(元国王(半年だけ)でもある)の背後から、広間入り口を見たところ。左がヤズダギ
ルド。右がボーラーン。
これは別の場面。衣装が違っている。手抜きを感じない映像。
これは広間の玉座へ向かうボーラーン。階段の左右に古代ペルシア遺跡ではよく出てくるライオン像がある。
玉座正面。左がボーラーン(在630-631年)、右がボーラーンの兄シャヒヤール(即位せず)の息子、ヤズダギルド。広間の
中では孔雀が歩き回ったりしている。
ブーラーンの衣装のひとつ。毎回異なった衣装で出てくるので、興味深い。これは映画の中では、ロスタム戦死の報告が入り、泣き
出す直前の場面。
庭でカディシーヤの戦いの総司令官として派遣されることになるロスタムと会話している場面。
この中庭は、ローマ式っぽい白い列柱に蔦が絡まっているもの。ボーラーンが孔雀を愛でている。
こればボーラーン。ロスタム将軍とは、妹のアーザルミードゥクト廃位のクーデターを支援してもらって以来の側近である。
ボーラーンがエジプト風の王冠をかぶっている場面。これは、ロスタム将軍の戦死の報告を受けて、ゾロアスター神殿の拝火壇の前
でヤズダギルド、アーザルミードゥクトや高官と会議をしている場面。火が顔に照り映えている。
これがサーサーン朝帝王ヤズダギルド様(在632-651年)。この当時20歳くらいの筈。王冠は、重いので、天井から吊るし
てある。後々、席を外す時に外した王冠がぶら下がっている場面が2度程出てくる。
廃位されたアーザルミードゥクト(在631-632年)。盲目で、杖をついている。自由に宮廷を歩き回り、王やボーラーンに
色々発言している。
別の場面のアーザルミー。ケープ付の帽子が特徴的。
王城内の拝火寺院。結構高台に造られていることがわかる。拝火寺院は壁が分厚いので、中身は一部屋しかなく、狭い。直系1m程
の拝火壇の周りを人が数人で囲めばそれで部屋は一杯な感じ。
宮殿の周囲はどのような景観かというとよくわからない。映画の最後の方で、遠方にイスラム軍がクテシフォン宮殿を見て、「見よ、
あれがキスローのイーワー
ンだ」と言う場面が出てくるが(下の方で画面ショット掲載)、その時の宮殿は砂漠の真ん中にある。しかし、その後イスラーム軍が
進撃してゆくと、下記のよ
うなオアシス地帯を通過することになり、サーサーン軍の迎撃を受けるのである(下記に写っているのはサーサーン騎兵)。
続いて、戦場の陣営。
まずこちらは、サーサーン軍のロスタムの帷幕。つくりとしては、中央がイーワーン風となっていて、宮殿建築と似ている。
その帷幕の中央の寝椅子で寝そべりながら戦況を見るロスタム。たまに起き上がって座って見入る。
ロスタムに兵士が報告しているところ。
帷幕中央部分を斜めから見たところ。左右の側近の衣装もうれしい映像。
ロスタムの寝椅子の左側で戦況を見入る側近。この左側の人物は、バフマンといい、二日目の戦闘前のイスラム将校からの一騎打ち
の挑戦に、ロスタムに命じられ、出撃する人物(そして敗退して戦死する)
ロスタムの兜。かなり奇妙な形。イラン製の神話映画や「シャーナーメ」の映画では、こうした甲冑がスタンダードに登場するが、
その根拠はサーサーン朝に実在した甲冑にあったのかも。
帷幕の内部。中にも寝椅子があり、ロスタムは寝そべりながら重臣と会議している。寝椅子の奥の壁にくぼみがあり、そこに小型の
拝火壇が置かれているのが見える。
その拝火壇。これは、カディシーヤの戦い四日目の最後の日に、戦場全体が砂嵐に襲われ、帷幕も倒壊した時に、拝火壇の火が風で
消える直前の映像。サーサーン軍の敗北を象徴する場面。
これは、イスラム軍の将校の一人と帷幕の中で会談しているところ。左がロスタム。中央がイスラム将校。右がサーサーン軍重臣。
次は、イスラム軍側の陣営。イスラム軍は、もともとサーサーン朝の、放棄された砦を占拠(この場所がカディシーヤと呼ばれる場
所だった)したもの。下記は占拠前に、候補地を探していたイスラム軍がカディシーヤの砦に最初に向かう場面。
イスラーム軍が到着し、砦に腰を落ち着け、砦前で訓練したり、作戦を練っている場面。
女性達も多数同伴しており、直径60cmくらいの大型の深底鍋をいくつも並べて料理を作ったり、負傷兵の手当てをしたりしてい
る。
イスラーム軍総司令官である、サアド・イブン・アビー・ワッカースは、片方の足が不自由で戦場に出れず、松葉杖なしでは歩くこ
ともできないので、要塞の屋上で、銃眼の部分から戦況を見ながら指示を出しているのだった。
これは、カディシーヤに向けて進軍するサーサーン軍。先頭の乗馬姿がロスタム司令官。その後ろの大きな旗は、ペルシア帝国旗、
「鍛冶屋カーヴェの旗」であ
る。戦勝し、敵の旗を奪う度に、敵の旗を貼り付けてきたとされているので、巨大で、継ぎはぎである様子がよくわかる映像となって
いる。
進軍するサーサーン歩兵。装備の映像が貴重。本作では、カディシーヤの戦いの場面は1時間程続き、軍装は豊富に見れるものの、
動きが激しくて画面ショットを取るとブレてしまい、装備の良くわかる映像は少ないのでした。
カディシーヤの戦場は、バグダッドの南250km付近と考えられており、現在のカーディーヤ県(バグダッドの南約250km)の
あたりに町の遺構が残され
ているとのこと。この250kmの間に何人もの伝令が配置され(映画に登場しているのは4人程だったが、実際には500m毎くら
いで配置されたのではない
だろうか)、戦場で起こっていることを、大声で次の伝令に伝え(移動はしない)、ほぼリアルタイムに王宮に戦況が報告された。ロ
スタムの戦死も、この方式
で伝達された。下記がその、カディシーヤの戦場にいる最初の伝令。その横を、覆いをまとったペルシア騎兵風の騎士が通り過ぎてい
るが、どうやらこれはイス
ラーム軍側のペルシア人のようで、ロスタムとの会談に向かう場面。
さて、 ロスタムがカディシーヤに出撃する前に、イスラーム側の使節がクテシフォン宮殿を訪問する場面がある。これは有名な場面
で、ヤズダギルドが、使節
に対して、「みすぼらしい連中め。土でも持って帰れ」と土を渡すが、使節の方は、「これはサーサーン帝国の領土が獲得できる兆し
だ」とした一件である。
国王が使節に近づこうと、立ち上がる場面。天井から吊るされている王冠が、王の左手に見える。
国王が使節に近づき、「なんてみすぼらしい連中よのう」とか言っている(と思われる)場面。ヤズダギルドは化粧している。いか
にも末期のサーサーン的。
砂の入った桶を持って退場するイスラーム使節達。
使節が城門を出るのと入れ違いにロスタム将軍がやってきて、「今の桶をかかえた連中は何者か」と国王に聞く。国王に経緯を聞い
た将軍は、顔色を変えて忠告する。「なんてことをしたんですか。連中はそれを領土割譲の兆しと受け取りますよ!」
国王は顔色を変え、使節を追うように兵士に指示を出すが、追われることを予測していた使節は追及を振り切って足早に逃げ去るの
だった。
いよいよ決戦の日がやってくる。それは酷暑の時だったとされ、637年の夏のことだったと推定されている。こちらがカディシー
ヤ砦の前に展開するイスラーム軍。
対して、1km程置いて対峙するサーサーン軍。
まず戦闘の前に一騎打ちが二度行われ、二度ともイスラム側が勝利する。その後、全面的な戦闘が展開される。激戦となるが、イス
ラーム軍が押している。映画
では、約85分頃から戦闘が開始され、イスラーム軍に押され気味の自軍を見て、ロスタムが象部隊を投入するのが90分頃である。
これが砂塵の彼方から姿をあらわし、イスラーム軍を威圧した象部隊。
象部隊の投入により、サーサーン軍は大きく盛り返す。
この場面はすごかった。CGの無い時代に、象戦を完全映像化している。約100分地点まで象部隊との激戦が続く。当初は蹴散らさ
れていたイスラーム軍は、
かなり後退するが、体勢を立て直し、弓部隊が、象の足の歩兵に弓を雨あられとあびせ、象を守る歩兵の隙をついて象の足を攻撃す
る。パニックとなった象に踏
まれるサーサーン歩兵。どうやって撮影したのだろう。小道具か。調教か。調教に見えるが事故はなかったのか。とにかくすごい迫
力。こうして日が暮れて、双
方引き上げ、一日目の戦闘が終わるのだった。
象部隊の戦闘映像といえば、BBCが製作したハンニバルのイタリア半島遠征の再現ドラマ「ガーディアン ハンニバル戦記」や、
「アレキサンダー」のインド
遠征でのポロス王の軍象部隊、「ジョダーとアクバル」でのアクバル軍の戦象部隊などが、見事なできばえだったが、これらはCGも
利用した2000年代の作
品。本作は、恐らく調教と、リアルサイズの象の模型を駆使したもので、負傷した象の映像や、象に踏み潰される兵士たちの度重なる
映像、直接象と人間が戦う
映像が延々と続く点では、戦象映像としては、頂点を極めるものといえるかも知れない。
初日夜、箱庭を用いて翌日の作戦を検討するイスラム軍司令官サイド。
将軍達も入ってきて、箱庭を囲んで一緒に検討。カディシーヤの(映画上での)地形のわかる貴重な映像。
翌2日目も早朝、一騎打ちから開始。というか、やたら好戦的なイスラーム軍の将校が、一騎打ちを挑発するのである。これがその
将校。時のカリフ、ウマルの息子アーシムかも知れない。
一騎打ちの一人目は、ロスタムに「バフマン」お前行け、といわれた人。しかしあっさり討ち取られてしまう。
二騎目の人の名前はよく聞き取れなかったが(”ファイルバーン”のように聞こえた)、彼は、もう一人の同僚に「後から出撃して援
護するように」とずるをす
るのだった。素朴で剛健なイスラーム軍と権謀あふれる狡猾で弱いサーサーン軍の構図は、中世ビザンツと西欧十字軍との関係にも似
ているかも。しかし二人目
が出撃すると、イスラーム側も、もう一人の騎士が出てきて、結局サーサーン側は二人とも負けてしまうのだった。
一騎打ち終了後、前面戦闘となり、川にかかった木造の、10m程の長さの橋のところで戦闘となる。約115分地点で日没となり
終了。二日目の戦闘場面は映画の上映時間では10分程で終わった。
下記は、バフマンの死が宮廷に音声伝令の連鎖で伝えられ、プールの横で侍女達にマッサージしてもらっていた王がバフマンの死を
知ったところ。
3日目、ムスリム側に援軍が来たようである。戦闘では、サーサーン軍側は象軍を含めた総攻撃を行うが、象部隊は壊滅してしま
う。下記は斃れている戦死者と象たち。
鼻を切られた象。実際に戦闘でイスラーム兵が鼻を切る場面が登場していた。恐らくこれは、機械式のロボットだと思うが、かなりリ
アルな感じ。他にも、眼に
矢を何本も打ち込まれ、いき絶え絶えで横たわる象の映像などが多数登場していた。本当に、よくここまで用意したと思える程、奥行
きのある映像でした。
三日目の戦闘は映画では20分程。約134分地点で夜となる。
四日目は、砂嵐が戦場を覆いつくす悪天候。カディシーヤ要塞の屋上から戦況を見守るサアドも、戦場がよく見えない。ここで上空
からの空撮映像が入る。CGが一般化する前の歴史映画では珍しい映像である。
ロスタムの帷幕も嵐で倒れ、拝火壇の火が消える。ロスタムは単身打って出る。イスラーム軍の将校クラスと戦うロスタム。いつも寝
椅子なんかで寝そべってい
るので、戦場逃亡を図るような卑怯な人物かと思っていたが、全然違った。寝椅子は単なる習慣ということなのだろう。二人とも川の
中に落ち込み水びたしとな
り、消耗し尽くしてなお戦い続ける。ロスタム将軍、なかなか粘るが、結局は仕留められてしまう。
ロスタム将軍の死が伝令を通じて王宮に伝わる。悲嘆にくれるボーラーン。こうして四日間に渡って続いた激戦は終了した。
その夜(かどうかわからないが)、首都クテシフォンの拝火寺院で、国王ヤズダギルド、ボーラーン、アーザルミードゥクト、及び
高官達が、拝火壇を囲んで会議。拝火壇奥右側がボーラーン、左がアーザルミー。
やがてイスラーム軍はクテシフォンを遠望できるところまで到達する。下記は、「あれがキスローのイーワーンだ」と言っている場
面。かなりイメージ通りの映像。
これは、イスラーム軍がティグリス側に到達した場面。地平線にイスラム軍が見えている。
ティグリスを渡河するイスラーム軍。
オアシス地帯でサーサーン朝騎兵に迎撃されるが、打ち破り進撃を続ける。王宮では、動揺したヤズダギルドが、王冠や財宝を持っ
て逃亡する準備を始める。それをボーラーンは止めようとするが、王は聞かない。この時ノボーラーンは、初めて王冠をしていまし
た。
アーザルミードゥクトも激しく国王を諌めるが、まったく効果なし。
終に都の城門前広場に到達したイスラーム軍。手前の木枠は処刑台。右側に吊るし首になっている遺体が写っている。
裏側の窓からロープで吊るされて脱出するヤズダギルド。
ヤズダギルドが降りた後、財宝がおろされる。
更に宝物箱も。なんとも言えない見苦しさ。
一方玉座に留まったボーラーンは毒薬をあおる。これは飲み下した直後。
拝火寺院へ向かって階段を駆け上がるイスラーム軍。
拝火寺院に突入したイスラーム兵は、聖なる火を消すのだった。
一方、別部隊は宮殿に突入する。
宮殿に突入したイスラーム兵は、忽ち残った金目のものの略奪を始める。ひとりの将校が、玉座のボーラーンの遺体を見つける。こ
の場面もイメージ通り。
やがて、サアドが到着する。巨大な宮殿を前に圧倒されるサアド達。
サアドは宮殿を前に静かに眼を閉じ、大帝国を打ち破った余韻に浸るのだった。
拝火寺院の上にさっそくイスラーム兵が立ち、アザーンを行う。左右の黒影はそれを見上げるイスラーム兵達。
宮殿前の広場に座って祈りをささげるイスラーム兵。
最後は、城門と宮殿の間のプールの前で祈祷をささげるイスラーム兵達が写る。この映像にエンドロールが入る。このようにして、
サーサーン朝ペルシア帝国の都はイスラームの手に落ちたのだった。
|