カザンラックのトラキア人墓地


 
紹介
 
 トラキア王国がセウテス3世の繁栄期にあった時代(BC4世紀末-BC3世紀始め)のトラキア人貴族の墓。セウテス3 世はセウトポリスという都を造成したが、それは今のカザンラックの西南10キロ程のところにあり、遺構も発見されているが、 今は湖に沈んでしまっている。セウトポリスは前320-310頃建造されたらしい。
 このトラキア人の墓は現在のカザンラック市街の北2キロ程の地点にあり、観光用に公開されているのは実物の隣に建造された レプリカ。
 古墳は円錐形と長方形の部屋からなる横穴式。入り口から入ると奥行き2.6m、幅1.84mの部屋があり、その奥に円錐形 の直径2.65m、高さ3.25mの部屋がある。天井には写真のごとく鮮やかな、当時の生活をしのばせるフレスコ壁画が描か れている。トラキアではこの形式の墓地はBC5世紀末からBC3世紀初に流行したとのこと。
 近隣の歴史的名所 遺跡見取り図 旅行情報
・上の写真の平原はバルカン山脈のシプカ峠から南方面を見下ろした、スターラ・プラニナ山脈とスレドナ・ゴラ山脈の 中間の「バラの谷」である。写真では良く分からないが、 カザンラック市が写真中央に広がっている。この南西数キロ 地点にセウトポリスがあった。

シプカ峠は1877年ロシア‐トルコ戦争の行方を決定ずけた悲 惨な戦いの行われた戦場。
 


 カザンラックはブルガリア中部、バルカン山脈(スターラ ・プラニナ)とスレドナ・ゴラ山脈の間に挟まれた横に長い谷(通称「バラの谷」)の中心都市。谷といっても狭くはなく、平原 といってもいいくらい広い。
ソフィアからカザンラックまで急行で3時間。
毎年6月にはバラ祭りが開催され、非常ににぎわう。
バラ祭りの期間中はカザンラックのホテル確保は難しい。
ブ ルガリアの地図はここを参照してください。
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