遼陽
駅前 |
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白塔 |
遼寧省の省都瀋陽の南100キロあまり、漢代の壁画墓郡で一部の人に有名な遼陽。漢代は襄平と呼ばれた。歴史的には漢代以来明代まで、この地方の中心都市であったためか、もっと観光に整備されているかと思っていたら、そうでもなかった。駅前は左写真のように、一部を整備中だが、基本的には1980年代の中国がそのまま残っている感じの町である。市街もあまり広くはない。正直観光バスで主要地点をまわる以外の個人旅行にはあまりおすすめではない。しかし、ここには大きな遼陽博物館があり、これを見るためだけに訪問する価値はあるかも知れないが、私が訪問した日は残念ながら休館日で、見ることはかなわなかった。市街のしょぼさと比べると立派な博物館だったので、さぞや豊富な展示物があると想定され、残念である。 |
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元広祐寺の金代、明代などの遺構 |
元広祐寺の漢代の遺構 |
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博物館を除けば、瀋陽の主な観光資源は、白塔と圓通禅院ということになるだろう(漢代墓や漢代遺構を見たいものずきは別として)。白塔は、金の大定年間(1161-1189)の創建で、垂慶寺の俗称。高さ71m八角13層で塔身の八面に象嵌があり、塑造が置かれている。塔は、明代に栄えた広祐寺の敷地内にありで、広祐寺の遺構が今に残っている。その礎石からすると、漢代から寺か何かの建築物があったようである(漢代にはまだ仏教は流行していなかったから、佛寺である可能性は低い)。
白塔の隣は、南西には広大な圓通禅院があり入場料は60元と高い。あまりの高さに入館はしなかったが、扉の写真が、南側の中華公園からみた白塔と圓通禅院。巨大な伽藍が見えている。もともとは広佑寺の附属殿で建築面積は1290平方メートル、大殿は五開間歇山单檐式という古建築方式。高さ17メートル。“圓通”とは観世音菩薩の別称。よってこの殿は観世音菩薩の供養専用のものである。大殿中に手千眼観音菩薩坐像があり,高さ6.2メートル。 遼陽近郊の村には多くの漢代墓群があるが(北园一号墓、棒台子墓、南台子墓、東台子墓、三道壕一号墓、三道壕二号墓、三道壕令之令墓、三道壕車騎墓、小青堆子墓など)、地元では全然有名ではなく、漸くタクシーの運転手が小青堆子墓を見つけてくれた。それが右写真。一応碑文がたっている。「中国の歴史散歩」第一巻(山川出版社)の遼陽の項目には、三道壕村落遺跡というものがあり、住居跡、窯跡、井戸、石段を2段に敷き詰めた幅7mの街道などがある、とのことだったが私が言ったときは、行政区画の変更で、三道壕村自体がなくなっていた。しかも市街の拡張で、ここは概ね市街に巻き込まれつつある場所となっていた。博物館に行けば、三道壕遺跡の情報が集まるかも知れない。漢代の道路を見たことの無い私としては、これを見るためにこの旅行自体を企画したこともあり、限りなく残念だった。 なお、遼陽三道壕遺跡に言及しているサイトは結構たくさんある。以下の一応URLを記載しておく。 辽阳市北郊太子河两岸的棒台子、北园、三道壕、小青堆子、東台子、南台子等 北园一号墓、棒台子墓、南台子墓、東台子墓、三道壕一号墓、三道壕二号墓、三道壕令之令墓、三道壕車騎墓、小青堆子墓,它们均位于辽阳城北郊。 北郊太子河区韓□河村三道壕(来る、の下棒が無い)韓□河村位于遼阳市北郊,東嶺風光秀麗的太子河,南嶺是貫穿東西的遼溪線鉄路,西端和北端是哈大線鉄路。 本村現有四个自然屯,分別是袁家堡子、前韓□河、后韓□河、三道壕、亦叫西張家,六个村民小組,其中袁家堡子為1組,前韓□2、3組,后韓□河為4、5組,三道壕為6組,国 務院确立的全国重点文物保護単位“遼阳三道壕漢代壁画墓”就座落在我村6組三道壕境内。 三道壕車騎壁画墓 在太子河区韓□河村三道壕西半里冶建化工厂区(原窑業四場) 汉、魏壁画墓群,分布在辽阳市郊的望水台、三道壕、 上王家、道西庄、(我鳥)鵞房、峨嵋、迎水寺等地。 辽阳北园汉墓壁画-概述 辽阳汉墓壁画在辽宁辽阳市北郊的太子河两岸 "三道壕西漢村落遺址" 韓□河村 で検索すると3件出てくる 西漢村落遺址 舗卵石車道2段 |
漢代の墓(小青堆子墓) |
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