5月2日

 

 5時30分起 床。6時17分バス停到着。ここで旅行用携帯時計が電池切れとなっていることに気づく。

今回携帯電話を 持ってきていたので、時計はOK。確認したところ、アラーム機能も付いているようなので問題なし。

7時40分空港 着。8時02分ゲート着。

8時45分発だ が、9時20分頃離陸。

11時50分青島 着。最初、青島到着時、「ずいぶん早く到着したなぁ。3時間くらいかかると思っていたのに」と思ったら、そこは瀋陽ではなく、青島だった。

Transit カードを持った人がロビー入り口にいて、行き先は瀋陽だというと、青いカードを渡そうとする。

どこか他の場所へ のtransitだと思っていたので、いらないと受け取らなかったのだが、ひょっとしてと、ここはどこだと尋ねたところ、

青島とのこと。知 らなかった。そういえば、機内アナウンスも、青島と言っていた気がしたが、よく聞いてなかったので、tansit先かなにかだと思ったに違い ない。

道理で、着陸前、 町の西側に海のような大河が見えていて、瀋陽にこのような大河があるのか、と驚いたのだが、大河ではなくやはり海だった。

今回、シンセンと 瀋陽の気温差(10度近くある)のが心配され、到着した時も、予想より寒くない、と思ったのだが、場所が青島であれば当然かも。

青島で40分待 ち、12時半出発。

 

 13時40分頃 瀋陽着、気温19度。それ程寒くは感じない。取り合えずよかった。

地図10元。珍し く、プラスティックコーティングしてある地図。敗れなくていいけど、折りたたんでリュックにしまえないので、仕方なく手にもつ。

で、大抵そのうち 無くすことになるのだが、今回も、後々バスの中に置き忘れることになった。

 空港 バスで市内へ。起伏があまりなく、遠くまで見えている。ポプラ並木が水平線を隠している。

 14 時52分着。結構風邪が強い。北の大地に来たという実感が出るような風である。

 最初 に歩いて「中国歴史の旅」記載の省博物館に向かうが、そこは地下鉄工事中で、博物館はなかった。

「地球の歩き方」 の瀋陽のページも破って持ってきていたので、参照すると、200m程離れたところに記載があるので、移転したのかも、

と行って見るが、 そこにもなし。

 で、 空港で購入した地図をよくよく見ると、バス停の名前が「省博物館前」となっているが、実際のバス停は、瀋陽市市府広場横に記載がある。移転し ているようである。

博物館前まで、バ スで1本でいけるようなので、省博物館へ行くことにする。

 15時45分く らいに着いたのだが、今日はもう閉まっているとのこと。

 明日はOKとの ことなので、明日再度来ることにして、新楽遺跡に行くことにする。

 しかし、博物館 前の瀋陽市市府広場先にあるバス停では直通バスが無いことがわかり、時間も無いのでタクシーで移動することにしたところ、

空きタクシーが全 然来ない。バスが不便なのか、タクシー料金が安いからなのか、タクシーは沢山通過してゆくのだが、空きタクシーが一切来ない。

10分程待って漸 く、丁度近くで客が下車するタクシーを捕まえる。13.5元。16時10分新楽遺跡着。

名称から、なんと なく新石器遺跡なんじゃないかと推測していたら、やはりその通りで、日本の弥生時代の登呂遺跡のようなところだった。

当時の住居が再現 されていた。あまり人気がありそうな場所ではないような感じだが、3組程家族ずれの客がいた。20元。

 

 チケットでは、 遺跡の向かい側にある博物館も見学できるので、続いて博物館に。

出土した遺物や全 体見取り図が掲載されていた。続いて歩いて昭陵へ。

近道をしようとし たら、行き止まりとなり、20分程余計にかかってしまったが、17時丁度に門到着。

閉館前20分ギリ ギリ。チケット56元。これは、北陵公園の入場料6元と、昭陵50元、更に、3つの展示会のチケットで合計20元で、総合計76元。

公園入り口から昭 陵まで約1.5kmの参道が一直線に伸びていて、参道沿いは、色々な出店がでていて非常に賑やか。

ゆっくり見ていた いが、半ば走って昭陵へ急ぐ。17時15分昭陵入り口着。

入り口の手前に、 当時の皇帝が利用したトイレと、皇后の為の寝所?があり、2つのチケットはこの為のチケットだった。

 

 ゆっくり説明用 看板を読んでいたかったが、そんな時間も無く、昭陵へ。

写真で見ていたの で、昭陵内の建物はイメージ通りだったが、盛り土となっている陵自体は、少し予想外だった。

中国の陵墓は、あ まりバリエーションがあるとはいえないような気がする。

これまで、三国蜀 の伝劉備陵、西楚義帝陵、前漢馬王堆遺跡や宋包拯の墓などしか見たことが無いが、

サイズは異なれど いづれも円形の盛り土(福陵・昭陵訪問記はこちら)

始皇帝陵のような 異なった形式のものもあるとはいえ、半円の盛り土形式も、2000年間あまり変わらずに使われ続けているような印象がある。

 

 17時55分昭 陵見学終了。1.5kmの参道を戻る。

今度は出店を見学 しつつ、途中で買った朝鮮餅(5元)を食べつつ池のほとりで休憩などしていたので、公園出口に到着したのは18時23分頃。

丁度日没となる。 瀋陽はシンセンよりも東にある為、日没時間は若干早いようだ。

昭陵前のバス停 で、整列乗車を見かけて目を疑った。思わず写真を撮ってしまう。

 

 

265番バスで、 243番バスのある通りまで出て、清真寺へ。この頃には既にあたりは暗くなっていた。

 

 清真寺で下車し たのは、故宮が近いからということだったのだけど、このあたりには、あまり飲食店や宿がない模様。

少し探すのに苦労 したが、賓館で70元の部屋が見つかった。180元の部屋を勧められ、「日本人なのに何で」とまで言われたが、70元の部屋で十分快適。

窓は無く、独房の ようで狭いけど(よく考えれば賓館のわりには招待所の部屋だわ)。

そろそろ足に疲れ が出ていて、足をひきづりつつ飯屋を探すが、なかなか見つからない。

足のマッサージ足 浴店の前を通りかかり、28元とあったので、思い切り惹かれるが、この近辺は、高そうで量も多そうな店ばかり。

お一人様用の簡易 食堂が見つからない。仕方が無い。先程遠そうなので断念した、先程通りの遥か向こうに見えた餃子屋にする。

20時。夕食。東 北餃子も豆腐も自宅の近所の東北料理屋と変わらない。25元。

21時を回ってい た。寝不足なので今日は早く寝たいが、足の疲労も何とかしたい。

少し悩んだが、足 浴に行くことに。23時10分宿に戻る。24時就寝。

 

 

5月3日

 

 7時 35分起床。疲れていたのでいつもより少し寝坊。

日程に余裕がある から1時間くらい、と思っていたのだが、まさかこれが後々響いてくるとは思わなかった。

結局日程を予定通 りこなすにはいつものように詰め込んで行動しないと駄目ということかも。

はじめて使ったけ ど、携帯のアラームちゃんと動いた。まずは市外西北部の塔湾舎利塔を見に。宿の前のバス停から北站前へ出る。

ちょっとバスを間 違えてここでも20分のロス。ここでも整列乗車をしていた。209番バスで1時間。

地図で見たところ 7,8kmの距離。30分で着くかと思ったら、市内を迂回したこともあり、1時間もかかった。

またバスの速度が 遅く、まるで、スピードを上げるのを怖がるかのようにゆっくりゆっくり走る。

直ぐ先に車線変更 中のバスがいるというのに、速度を上げて突進し、急ブレーキを踏む、ガソリン無駄遣いのシンセンバスと大違いだ。

バス下車後更に歩 いて15分。塔湾舎利塔に。チケットは無く出入り自由(塔湾舎利塔については こちら)。

 

再度同じ道を戻 り、今度は別のバスで故宮へ向かう。

路線番号を忘れて しまったが、この線は、塔と省博物館、故宮を通貨するので観光には非常に便利。

バスの社内には、 一面「麻生外語訓練学校」の広告。麻生さんとは日本人の麻生さんだろうか。

予定を変えて省博 物館近くで下車。10時20分博物館着。

どうやら入場制限 をしているようで、1日3000人、午前2000、午後1000人、午前入場時間は9-11時、午後は1時から3時とあった。

週末だからか無 料。入場するとき、荷物のセンサーチェックがあり、更に日本人かどうか聞かれた。

人数をカウントし ている模様。外国人入場者の統計でもとっているのだろう。

 

 瀋陽省博物館 は、3階が歴史展示。結構充実しているが、旧石器新石器、契丹関連が多く、各時代の中では漢代が一番少なかったように思う。

青銅器時代につい ては、下記の遺跡の記載があった。

 

□葫芦島市金塘青 銅短剣墓 

□建昌東大権子墓 地

□金牛山人 28 万年前

□牛河梁遺跡  BC3000年 玉器が出ている。

□朝阳市凌源県三 官甸子青銅短剣墓

□喀左県南洞青銅 短剣墓

□喀左県北洞村青 銅短剣墓

□喀左県小波汰沟 青銅短剣墓

□朝阳市喀左県  山湾子

□ 喀左銅器窖藏

□遼陽新城戦国墓

□朝阳市鞍山市海 城市析木镇姑嫂石村 海城市  析木郷姑嫂村東 姑嫂石

遼 省省級以上文物保護单位一覧表はこちら

□盖州市石棚山石 棚

遼寧境内的石棚

金県亮甲店石棚, 庄河白店子石棚,復県台子屯石棚,盖州九寨石棚和石棚山石棚,岫岩興隆石棚

 

漢晋時代の遺跡に ついては下記の記載があった。

 

□錦州市興県頭台 郷万佛堂村  万佛堂石窟

□遼陽市上王家晋 墓

□朝陽市北票市馮 素弗墓 -南北朝

□萌芦島市綏中秦 漢遺址位于中綏県万家鎮的止锚湾海滨,西距山海关15公里

石碑地、黑山头、瓦子地、大金丝 屯、红石砬子和周家南山。碣石宫遗址

朝陽市北票市 晋房身村 辽宁北票房身 村晋墓 写真の花樹状金歩揺(歩揺付飾金具)

□遼陽北園壁画墓  北园一号墓車骑壁画

□遼陽棒台子

遼 陽棒台子2号墓壁画

 

 

前300年、燕国  上谷、漁陽、石北平、遼西、遼東の5部を開く、とある。このあたりから、「中国」圏に入ったという認識のようである。

 

唐代以降として は、絵画が残っているのに驚いた。しかも鮮やかに残っている。

欧州が中世になっ て絵画が衰退したのとは逆に、この頃中国では発展したのだということがよくわかる。

虢国夫人游春図や 簪花仕女図)はまったく知らなかった。

 

虢国夫人游春図

周昉 《簪花仕女図)

 

その他展示物とし ては、晋代の冠が目立った。また、残念ながら漢代の壁画は全部複製だった。

馬甲の詳細がわ かってよかった(このあたりの展示物についてはこちらをご参照ください)。

 

契丹文字が、ベッ ドのような巨大な墓碑にかかれていたのも興味深かった。

 

満族崛起館には、 「満州族」との文字が、Googleでも13000件程なので、それ程使われているわけではないが、歴史用語としては、「満洲族」という言葉 は現地で使われていることがわかった。はある。

 

3階は、文明曙光 館 -石器時代

商周北土館 -戦 国まで

華夏統一館 秦か ら唐代まで

契丹王朝館 五代 から明

満族崛起館 -女 真族、清朝

 

唐代の百姓男女塑 像の髪型も興味深い展示だった。

 

 

2階は、古代貨幣 展で、漢代貨幣やその鋳型の展示。遼代陶瓷精品、明清工芸品展。

 

12時頃見終わ る。今回も足腰が疲れた。子供を抱いて見学している若夫婦がいたが、驚き。

博物館から故宮ま でバス。故宮見学。なんか皆後世乾隆帝時代の建築ばかり。45元+3元。

当初の建築が良 かった(瀋陽故宮訪問記はこちらを参照ください)

 

14時35分から 15時15分頃昼食。鴨。

 

福陵には余裕で着 くだろうと、15時43分 6台まって218番バス乗車。しかし、16時半になっても着かない。

いつの間にか渋滞 に巻き込まれていた。決断が遅れたのが最終的に致命的となったが、

16時55分、つ いにバスを降りて歩くことに。一体どういう渋滞かと思っていたのだが、渋滞の原因は、

300mくらい先 のT字路のところで、両車線とも鉢合わせしていることだと判明。

つまり、T字路か ら西側は、両車線とも東向きの車で占められ、T字路から東側も、両車線とも、

西向きの車で占め られている。両車線とも、双方から鉢合わせするような形となり、車はT字路の横道方向にしか抜けることができず、

そこも、片側車線 だけしか通れない(もう片方の車線は、T字路に向かう方向である為)状況となってしまっていた。

しかもバス通りは 6車線。T字路の横道は2車線。これでは詰まる一方で、渋滞は酷くなる一方である。

どうしてこんなこ とになってしまったのか。恐らく事故があり、片側車線に寄せた時に、何か問題が起こって両方の車線に車がはみ出すことになってしまったかも知 れない。

この地点は既に郊 外なので、入れる横道が殆どなく、詰まる一方である。こりゃ明日まで渋滞するかも。

ここで東陵に行っ たとしても、帰れなくなるかも、と少し思うも、そうなったらなったでなんとでも

なるだろうと、取 りあえず歩き続ける。

 

数分歩いて、あと 2.6kmの表示が。すると、全部で約3km。

普通に歩いて45 分。

早足で歩くが、荷 物を持ちながらなのできつい

。東陵公園(福 陵)に着いたのは17時35分。

あと20分前に到 着していれば間に合ったかも知れない。

 というわけで、 結局朝の1時間の遅れが無ければ、無事福陵も見れた筈。

やはり余裕を持っ た行動だけではうまく行かないものと実感。

しかし、瀋陽は予 想以上に見所があり、それらは市内の東西北部に広がっていて、バスの速度が遅く、渋滞も多いため、移動に時間がかかり、

1日では見終わら ない。今回1日と1/3程で6箇所回ったが、恐らくタクシーを駆使しても、1日で全部見て回ることは難しのではないだろうか。手ごろな距離に 見所が散らばっていて、休憩しながら見れる見所が多いためか、瀋陽また来てもいい気分。風が強いものの爽や

かで、ものすごく 過ごし易く感じられるのも良い印象の理由の一つかも。この季節の瀋陽はお奨めなのではないだろうか。

 

外門と、2km程 先の小高い丘(山に近い)の上に見えている屋根だけ見て終わる。

東陵公園前のバス 停は、バス待ち客でごった返していた。渋滞状況を知ってかしらずか、お行儀よく整列乗車をしている人もいる。短くても3時間くらいかかるん じゃないのと

、戻り歩きかけた ところ、バスがやってきたので、木陰に座って待つことに、すると、数分おいて、次々とバスが。おお、渋滞解消したのかも。福陵を終点とするバ スは2本あ

り、これらが次々 とやってきては、折り返していくので、数分待った程度でバスに乗れた。18時13分。

写真を撮りそこ なったが、市街へ戻る途中、バスの窓から地平線に沈む夕日が見えた。東北地方の広さを感じた一場面。

 

北站に着いたのは 19時29分。遼陽行きもバスはなく、既にチケット売り場も終わっていた。

そこで瀋陽站に行 くことにする。30分程かかって20時頃着。バスターミナルが少し見つけづらかった。

ターミナルではな く、遼陽と鞍山行きだけの停留所だった。停留所近くにはあまり宿はなく、2つばかり見つけた賓館へ行く。

1件目は、138 元と高く、割高だったので、2件目にする。

120元。120 元も高い、100元で十分と思ったが、改装したばかり、と思える感じで室内の調度品、テレビ、ベッド、ドア、コートかけなど、あらゆるものが 新品なので、言い値にする。

恐らく日本人だと 見て120とふってきただけで、恐らく相場は100元なのだろうと思うが、

(記帳時に他の客 の記録を見たら100元という数字がいくつか見えたし)調度の新しさにまぁいいか。

20時半から21 時10分、近所の安定職屋で夕飯。戻り21時半。ビール買って戻る。

 

 

5月4日

 

6時15分起床。 45分出発。7時発。遼陽まで20元。

バスの時計が合っ ているのに驚く。そしてバスは7時丁度に出発。重ねて驚く。

気温20度。結構 あったかい。セーター1枚で十分。

8時20分頃遼陽 着。大連という拠点都市の幹線上にある町なので、立派なバスターミナルのある町を予想していたので、

まさかチケット売 り場も待合室も無い、瓦礫のような駐車場しかないところとは。。。

 

 

午後、大連行きバ スが少し郊外の、チケット売り場と待合室のあるターミナルに寄った。

恐らく駅前のター ミナルは、改装中なのだろう。2年後くらいには立派なターミナルが出来ているに違いない。

というわけで、あ まり元気のでそうな町ではないが、取りあえず地図を購入し、観光にでることにする。

が、地図には漢代 遺跡の言及一切無し。しまった。

メジャーなところ だと思って油断していた。

インターネットで 検索した三道壕遺跡のページも持ってくるのを忘れてしまい、いきなり行き詰まる。

地図には三道壕の 名称はなし。上王家もなし。

辛うじて下王家と いう村が記載さてている程度。今日は月曜日なので、博物館もしまっている可能性が高い。

手がかりは少な い。遺跡の場所は分からないのではないだろうか、と不安に襲われる。

取りあえず駅から 10分程度でいける白塔を見に行くことにする。ちょっとがっかりしてしまい、

白塔の解説もじっ くり読む気がしない。白塔横に、圓通禅院があり、その敷地の外に漢代の広祐寺寺の遺構の布石が残っていた。

この寺は、漢代か ら現在まで連綿と続いているらしい(白塔訪問記はこちら)

 

トイレにいきたく なったので、圓通禅院に入ろうとすると、有料とのこと。チケット売り場へ行くとなんと50元とのこと。

耳を疑ってしまっ た。遼陽は、歴史の古い町なので、観光史跡資源がもっとあるかと思っていたのだが、以外に無さそうで、とても観光で儲かっている町には見えな い。

数少ない収入源と いうことで、圓通禅院はこんなに高額なのだろう。

というけでトイレ は諦め、一縷の望みを賭けて遼陽博物館へ向かう。バスを使うかどうか迷ったものの、2、3キロ程度なので歩くことに。9時半頃到着。

が、やっぱり閉 まっていた。しかも門のところにいた管理人は冷たい。質問すら受け付けない。嫌な感じだ。

近くにも、観光情 報が集まりそうな店は見つからず、仕方が無いので、駅前でみかけた新華書店へ行くことに。

途中公衆トイレで 用を足して新華書店に着くともう10時。

 

 3階建てくらい の、まぁ少しは大きな書店だったし、観光コーナーも、本棚1区画半分分くらいはあったが、遼寧観光書籍は無かった。

唯一遼陽地図帳 に、遼陽観光資源が、1行記載されていて、それによると、漢代壁画墓群、東京陵、東京城、白塔、となっていた。

更に、今朝購入し た遼陽地図とは別の地図を見てみると、下王家村の近くに、漢代壁画墓のマークが。

太子河の西という 三道壕遺跡の場所とも一致するので、取りあえずここにゆくことにする。

6番バスが下王家 村までいっているようなので、6番バスを探すがなかなか来ない。仕方が無いのでタクシーにする。

が、運転手は地図 を見ても知らないとのこと。

結局下王家まで行 くということで載せてもらったが、途中携帯で会社だか知人だかに連絡を取り、漢代壁画墓の場所は突き止めてくれた。

お陰で墓の前まで タクシーで行ってくれた。親切。9元だったけど、1元お礼と言って10元渡す。

ここにあるのは、 小青堆子。戻ってから調べたところによると、墓は10個あるとのこと。

 北园一号墓、棒 台子墓、南台子墓、東台子墓、三道壕一号墓、三道壕二号墓、三道壕令之令墓、三道壕車騎墓、小青堆子墓

 

 ここらには複数 の漢墓がある筈だが、人通も少なく、見渡したところ、近くに直ぐ見えるものでもなさそう。

まぁ、発掘済漢墓 はこれと同じだと思われるので、漢墓はこれでよしとして、あまり期待せずに三道壕遺跡の手がかりは無いかと近くの村の中心部へと向かう。

工人村のバス停で つかまえたタクシーの人に聞いてみたところ、彼も電話でタクシー会社の人に聞いてくれたが、知らないとのこと。

三道壕という地名 さえ知らないとなると、その辺の人に聞いてもわかるかどうか。

そこでインター ネットで調べることにして、ネカフェを探しに市街中心部へと戻ることにする。19番バス。

 

 最初に駅前に戻 るが、ネットカフェは見つからない。

そこで、市の商業 中心地と思われる京都商城へと7番バスで出る。

しかし、ネカフェ はおろか、PC売り場さえ、見つからない。ゲーセン、電気用品売り場と回るが全然駄目。

ということで諦め ることに。

まぁ、でも自宅に 戻ってからネットで検索したところ、三道壕は「三道壕村」という名称になっていて、今では別の村になっていることが判明。

これを書きながら ネットで調べたところ、今では太子河区韓□河村三道壕とい地名らしい。

 

12時頃昼飯。カ リフォルニアラーメンとかいうチェーン店。なぜか入ってみたくなる。

(駅前には他に適 当な店が無かったからだが)。13元。

携帯電話のバッテ リーが切れてしまう。

が、起動して、 「バッテリー切れ」のメッセージが出ている間は、時計が表示されることが判明。取りあえず時間を確認する時に毎回

電源を入れること で凌ぐことにする。

13時37分発。 営口行き。35元。

 

 

15時40分営口 着。16時50分営口発車。

 

窓から塩田が見え る。海天塩業有限公司 とある。

18時42分日 没。

 

     

 

19時半 大連 着。バスを下車したところで案内のおばちゃんに捕まる。100元と言うと、即座に紹介。

2つのホテルで1 つの建物を兼用しているようである。ビジネス向けと一般向けの違いみたい。

100元で28 階。こりゃすごい。ま、あまりきれいではないけど。マンション改造部屋。エレベータを降りたところに郵便ポストがある。

部屋は、キッチン とかある。が、眺めは非常によい。

20時半。散歩に 出る。吉野家で夕食。日本人向けのカラオケバーとかが結構ある。

「バイアグラ」と か看板のかかっている店がある。ドリアン10元、ビール5元買って21時40分部屋に戻る。

 

5月4日

 

朝、窓からの眺 め。流石に28階は眺めがよい。

 

 

 

確か、左側の高層 ビルが宿泊したホテル。

 

 

古い路面電車を観 光用に1路線運用しているらしい。社内には、路線電車の歴史写真が展示されていて、満州鉄道時代の写真も多数あった。

 

 

人民公園。左端が 中級人民法院。真ん中の、白い横長の建物が大連人事局、西崗区財政局、右の茶色ビルが大連公安局。いづれも旧日本支配時代の建物である。

 

 

午前中大連市街を 観光し、昼には旅順へ行こうと思ってバスに乗るが、これが、1時間くらい乗って、空港そばを通過したところで

半島を北周りする バスだと気づく。このペースでは旅順に着くのは夕方となってしまう。半島を南周りで

直進すれば、1時 間程度の距離の筈なのだが。。。。きっと窓口のおばさんは、直行バスターミナルがあるよ、

と言っていたに違 いない。失敗した。仕方がないので市街に戻り、適当に市街を観光し、再度空港へ。

旅順は歴史博物館 もあるとのことだし、日本人として、行っておく場所だと思うのだが、まあ仕方がない。

 

このようにして、 今回の旅行は終わったのだった。

 

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