瀋陽・昭陵・福陵

右側から、方城西側城郭、隆恩門、隆恩殿、北側城郭、明楼、月牙城(墳墓を囲んでいるところ)、宝城(墳墓のそのもの)。方城の西北から北から南へむけて270度のパノラマ撮影。

昭陵

 瀋陽は旧称盛 京といい、昭陵は市街北十キロのところにあり、北陵ともいう。ここは清代皇家の陵墓とl現代の公園のある遊覧施設となっている。園内は右下写真のような松林(2000あり、樹齢300年を越えるものもある)と草木、池などがある。

  昭陵は清朝第二代君主太宗皇太极(ホンタイジ)と孝端文皇后博楽済吉特氏の陵墓である,清初の所謂“関外三陵”のうちの最大規模のもの。ホンタイジと后以外も関睢宫宸妃、麟趾宫貴妃、洐慶宫淑妃などの后妃が埋葬されている。関外三陵とは長城の関、山海関の外という意味で、他の二つは福陵、永陵を指す。2004年に福陵、永陵とともに世界遺産となった。

 左写真は、北陵公園の入り口。昭陵は公園の最奥部、1.5キロ先にある。昭陵の建設は崇德八年(1643年)から順治八年(1651年)にだいたい完成し、その後増築改修を経て現在の規模となった。  昭陵全体は18万平方メートルあり、石獅(写真左下の石柱など)、石牌坊(中の碑は"昭陵神功聖德碑"という)、更衣厅、宰牲厅などが前部にある。他にも獅子、亀像など獣の像が中央通りの左右に並んでいて壮観である。中央部には方城,包括華表、石象生、碑楼と祭祀用房などがある。下中央の遺構は、后妃の寝殿。同段の左は更衣厅で、皇帝のトイレがある。トイレは、今はガラスで覆われている(2段下の中央がトイレの穴。観光客の影が映っていてわかりにくいが)。

 


  

  

 


皇帝のトイレ

 皇帝のトイレ



 2段下中央の広場は「方城」と言われている部分で、正面に正門の隆恩門(2段下右)の、楼閣がある門がある。2段下写真の中央が方城の中庭部分。中庭の四方は、城壁で取り囲まれており、よって方城と呼ばれている。扉写真の右側の通路(西城壁)と、左側の、墳墓の手前の石造りの回廊が北城壁である。四角の角にもそれぞれ楼閣がある。方城内に隆恩殿(下段中央写真、及び2段下の中央手前の建物)があり、東西に殿を配置している。隆恩殿の手前には石造の張り出し舞台があり、その角には花崗岩でできた竜頭の彫刻がある(下中央写真)。方城の後ろには月牙城と宝城がある。宝城は墳墓のあるところで、中心の上は宝頂,下に地宮がある。下左写真は、方城の広場の舗装。

 

 

  碑亭を出ると隆恩門にいたる。隆恩門は方城の正南門にあたる。碑亭とは相对している。方城の奥に隆恩殿がある。隆恩殿じゃ方城の中心となる。

  参观罢隆恩殿を出ると明楼がありこれを抜けると宝城に至る。宝城は方城の北端にあり、月牙の形をしえちる。宝城は宝頂ともいい、その下に地宫がある。墓主夫ホンタイジと夫人の棺椁と陪葬品が収められている。

 なお、全体の図面を撮影し忘れてしまったが、熱帯魚さんの旅行ブログ「瀋陽④曇り空と世界遺産~清昭陵(清の太宗ホンタイジのお墓)」に図面が掲載されているので、そちらを参照されたい。

 

中部の碑亭

方城(手前が隆恩殿)

隆恩門(南側から見たところ)

 

 

宝城(奥に大きな樹がある)

 

隆恩門(北側から見たところ)

 

 下記3枚の写真は、ホンタイジの父、ヌルハチと母の孝慈高皇后陵墓、福陵である東陵ともいい、東陵公園となっている。昭陵、永陵とともに関外三陵のひとつで、世界遺産。訪問当日は、国道の信号が壊れ、大渋滞のため閉館時間までに到着することができず、遠方から建物を拝み(左下写真)、東陵公園の入り口を撮影(下中央)、他に入り口が無いか探して周囲の城壁を撮影(下右写真)するにとどまった。内部構造や建築物はは、昭陵とほぼ同じとのこと。東陵については他にも紹介サイトが沢山あるので、そちらをご参照ください。

 

福陵

 

 

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