キズカラ(メルブ)


紹介
・6世紀から7世紀、ササン朝末期の有力者の住居。
現在2棟残っており、左の写真は大キズカラと呼ばれ、
右の写真は小キズカラと呼ばれている。
  語源はトルコ語キズ・カレ(乙女の城)である。
 中央アジアから小アジアにかけてこの名を持つ城は沢山ある。
 セルジューク時代まで利用されたらしい。
 キズカラ遺跡はセルジューク時代の都城の外
南西部数百メートルのところに位置している。
紹介
旅行情報
・上の大キズカラ写真は南西方向からの概観。
小キズカラはだいキズカラの南200mに位置し、写真は
南側の概観。

・右の写真は大キズカラの通路のアーチ。
 大キズカラはもともと2階建てだが、フロアは完全に
陥没し埋もれてしまっている。

・遺跡の前には復元想像図の看板がある。

遺跡の2、3キロ南東に町というか村というか、一応
タクシーの集まっている場所があるが付近の大きい
町はマリー。マリーまで25kmくらい。
遺跡はマリーの東北25kmくらい。
マリーはアシュカバード東300km。車で6時間。
トルクメニスタン東部でもっとも大きい町である。
 アシュカバードはかなり西欧風に化粧直しされていた
がマリーは昔ながらの「旧共産圏」的街並み。
 遺跡の撮影は別途カメラ代が必要(5$)

マリーは結構大きな都会。マリーまでたどり着いたら
あとはタクシーしかないのではないだろうか。
遺跡は広大過ぎて貸し自転車でもあればいいが、まだ
そこまで観光地化はしていない様子だった。

イランへ抜けるにはマリーから車で3時間、
国境の町サラックスへ行く。サラックスに宿は無いので
マリーが拠点。しかしビザがしっかりしていないと
国境で追い返されることも(詳しくは旅行日記を参照)。
(1998年)

・左右と下の写真は大キズカラの内部。
・左の写真の西北遠方にはスルタン・サンジャル廟
見えている。
     

遺跡の前に掲示されていた復元想像図

旅行日記