ルーマニア歴史映画「ミルチャ」(15世紀初)

  1989年ルーマニア製作。ワラキア公ミルチャ(在1386-1418年)の晩年を描いた作 品。回想形式で、若き日に経験した戦争が語られる。下記がミルチャ公。イメージ通りの配役。

 あまり登場しなかったけど、ロヴィネとニコポリスの戦い、アンカラの戦いでスルタン・バヤジットが登場していましたが、これが 結構かっこいい方でした。

 なお、本作で、ミルチャの兄、前ワラキア公ダンを演じていたのは、恐らくIon Besoiu
さんだと思われる(映画の中では役者名のみクレジットされていたので配役が不明)のですが、彼は、「ミハイ勇敢公(後日 掲載予定)」で、バートリー・シグムントを演じており、卑怯な役ばかりやらされて少し気の毒。。。

  話は一見複雑に見えますが、基本は、ミルチアの長男ミハイルとその妻、及び司教がポーランド側、ミルチアの兄ダンが神聖ローマ、 ハンガリー側。ミルチアの 次男ヴラド(ヴラド・ツェペシュの父)がミルチアの後継者で、ミルチャ亡き後のワラキア大公の後継者の座を巡る陰謀争いと、争い に介入するオスマン朝、と いう構図。ヴラド・ツェペシュは、ミルチャ死後(1418年)の生まれ(1431年頃)なので、後にヴラド・ツェペシュと呼ばれ ることになる少年が登場す るのは完全なフィクションですが、うまくアレンジしているように思えます。

〜あらすじ〜


  夜兵を出すところから始まる。兵士が見守る中、甲冑姿のミルチャと騎士が一対一の騎士の対決を行い、ミルチャが勝利する。相手は 兄のダンだった。兄の喉元 に剣を突きつけ、「お前はこの国をトルコに売ったんだぞ。お前が王座を奪ったとのに、まだ兄のつもりか?と責めるミルチャ。「わ れわれは力の強い方につか なければやっていけない運命にある」という兄。

 うなされて起きる老年のミルチャ。ダンとの決闘の場面は、昔のことを思い出した夢だったのだ。兄を追放した日のことを忘れられ ないミルチャ。

  場面は変わって、騎士の自動対決人形で遊ぶ(現在の、酒場においてあるサッカーゲームのような構造)孫ヴラド(後のツェペ シュ)。彼は部屋を抜け出し て、”子供がつかう秘密の通路”を通って、ハンガリー王ジグムントの使者である司教と、伯父ミハイルの妻エリザベータの密談を聞 くヴラド(孫)。エリザ ベータは、息子の王子ダン(後のダン二世)を司教に紹介し(司教はこの女性の親という可能性がある。しかし、信者に「娘よ」と呼 びかけ、信者も「父よ」と 呼びかけることがあるから、本当の親子かどうかは不明である)、エリザベータと司教は、ハンガリー王ジギスムンドへ、ワラキア公 を臣従させること望んでい る。司教は旦那のミハイルをそそのかせ、とエリザベータに吹き込む。続いてヴラド(孫)は、”子供の通路”から、伯父ミハイルの 部屋を盗み聞く。そこで は、ミハイルの家臣Udovă公、lercău公が、ミハイルに、ポーランド王へ臣従することを説き、ミルチャ暗殺をそそのかす のであった。

  ある朝、早速ボウガンで、バルコニーにいたミルチャが射られるが、矢は外れる。その直後、ヴラド(孫)が、バルコニーを伝って やってきて矢じりを拾ってミ ルチャに渡す。誰の仕業か、ミルチャにはわかるのだった。下記は窓を伝ってミルチャのもとにゆくヴラド。宮殿の建築様式がわかる 数少ない画像。

 ミルチャは、孫のヴラドに、私が憎まれる理由は三つある、という。

 恐ろしい兵士・嘘つき・裏切り者

 重臣会議が開かれている。(ヴラド(孫)も出入りしている)。その重臣会議の様子。

 現在次男Vlad(ヴラド(ツェペシュの父)がドナウ北岸に軍を率いて駐留し、南岸まで来ているオスマンのメフメット(一世) の軍と対峙している緊迫した情勢にある。

  最初はポーランドからの使者ヤロスラフが迎え入れられる。ポーランド王ヴラディスラフからの密通の手紙の内容を暴露するミル チャ。その内容は、ポーランド 王に臣従し、いつでも、望むときにポーランド王の指示下でワラキアは軍を出すという内容。もういい去れ、と、ヤロスラフを去らせ るミルチャ。

  続いてトルコの使者が入ってくる。izedin-bey(イゼディン・ベイ)。お前とはどのくらいの付き合いになるか、と聞くミ ルチャ。相当長く、と答え るベイ。スルタンの要望は、ワラキアは、スルタンが望むときはいつでも誰でも、兵士を出し、貢納する。軍の通過を許可し、神聖 ローマとは結ばない、子供の 一人はスルタンの宮廷で生活することができる、と告げる。ミルチャは、メフメットはバヤジット程野心的ではないな、と言い、二日 以内に回答を出す、と答え る。会議での様子から、ミハイルと共謀したのはUdovă公だとミルチャは見抜いているようである。また、会議を横からみていた 司教はエリザベータにダン (ミルチアの兄で、ハンガリーのジギスムントの元に亡命中)が戻ってくると伝える。ダンは、ジギスムンド王の覚えがめでたい、 よって、支援を得られる、と いう司教。Udovă公も今度はダンに期待し、仲間にそうささやく。


 馬で急いで出かける孫のヴラド(Vlăduț)。下記はヴラドが馬で飛び出したArgeș(アルジェシュ)城の外壁。内側の城 は木造だが、外城壁は石造で、円柱形の物見やぐらも立っている。

 母Irina(イリーナ・次男ヴラドの嫁)は、子供がいなくなったと大騒ぎ。夜、ヴラド(次男・下記)の、ドナウ河畔の陣営に 着いたヴラド(孫)。

  そこにトルコの使節izedin-beyがやってくる。またも隣の部屋で、使節との会話を聞いてしまうヴラド(孫)。使節は二股 をかけているのだ。少年の 父ヴラドと祖父ミルチャを。話を聞いた少年は部屋を抜け出し、ドナウ川に飛び込む。そうして、川を泳いで、助けて!と、トルコ陣 営も戻ろうとしていた、ト ルコ使節に助けを求めるのだった。

 翌日アルジェシュ城。ミハイルは重装備で馬に乗るが、振り落とされてしまう。そして怒りのあまり馬を 切ろうとするが、父にとめられる。その馬は、私からの贈り物だったよな。と告げ、息子が落ちた馬に問題なく乗るミルチャ。 izedin-beyが使者をよ こし、子供はメフメットにより保持される、と伝えてきた。ミルチャはそのまま部下二人とトルコ陣営へと走る。ドナウを渡るミル チャ。下記は出発前に見送り に来たヴラド(孫)の母。衣装がすごい。

 ミルチャがオスマン陣営につくと、イゼディンが、「なぜ自分で来たんだ。ばれたら知らんぞ。私はお前をミルチャだとは言わない が、スルタンに聞かれたらいうぞ」と言う。構わない、とミルチャ。そのスルタンの天幕。左に座るのが孫のヴラド。

  トルコの天幕の中ではベリーダンスが披露されていて、ヴラド少年がスルタンの横でベリーダンスを見ている。どうしてここに来たと 聞くスルタンに、「皆を愛 しているから」と答えるヴラド少年。そこに、Emergi of Karavlachiaの使者が来た、とスルタンに告げるイゼディン(Emergi=エメルジ とは、トルコ側の、ワラキア公の称号のようである。 Karavlachia(カラパチア)は、ワラキア地方を指すようである。つまり、Emergi of Karavlachiaの使者とは、ワラキア公ミルチャの使者、という意味になる)。ヴラド少年は機転を利かせ、ミルチャをキャプテン・ニコアラと呼ぶ。 ミルチャに口上を述べさせるスルタン メフメト一世。キャプテン・ニコアラを装うミルチャは、スルタンの望む時と場所で和平会談 を持つことを提案する。同 席しているイタリア人使節は、彼の首は飛んだな、と囁く。メフメトは、Rovine(ロヴィネ)の戦いでバヤジットに敗れたこと を、Emergi-bey は学んでない、というと、ヴラド少年は訂正して、ミルチャが勝った、とメフメトに言うのだった。そのころ生まれていたのか?と少 年に返すスルタン。私はそ の戦場にいた。そして兄弟のMusaとMustafaをミルチャが支援したのだ(バヤジット一世がアンカラの戦いで破れ、オスマ ン朝の支配者をめぐる争い が10年以上も続いたときに、ミルチャが、メフメトの兄弟、MustafaとMusaを支援したことを指している)。ミルチャの 周りを一周し、ムサの話を するメフメト。この時点でメフメトは使節が本当はミルチャではないかと疑っていたようである。

  捕虜の奴隷を連れてきて、使節に変装したミルチャを見させて、首実検させるメフメト。しかし、捕虜は、ミルチャを一瞥すると、ス ルタンに襲い掛かって終わ る。スルタンは、使節ニコラに、戦争はわれわれも望んでいない。彼(ミルチャ)は世界の中でのわれわれの地位を認め、われわれも 彼の立場を認める、これが 条件だ、という。スルタンはIzedin-beyを引き寄せて、ダンはどうか?と聞く。イゼディンは、「戦えばダンに勝てる」。 メフメト「友はどちら だ?」 イゼディン「ミルチャ」。メフメト「敵としては?」 イゼディン「同じです」。
 スルタンは、ヴラド少年を返す。のだった。

  再びドナウ北岸。祖父ミルチャとともに戻ってきたヴラド少年に、何故俺が裏切ると思った、と聞く父ヴラド。少年は、叔父ミハイル やその他、更に、 Udovăとlercăuと、伯母エリザベータの会話を聞いたから、と告げる。二人が小屋を出ると祖父はじめ軍の面々が揃ってい る。褒章は何がいい、と聞 く祖父。ヴラド少年はこの馬と答える。トルコを破った暁は与える、と約束するミルチャ。


 アルジェシュ城へと戻る道すがら、ミルチャ一向はロヴェネ古戦場の跡地で祈りを捧げる。そして野営地で、ミルチャはヴラド少年 に歴史を語るのだった。以下、ミルシャの回想。

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Posada(ポサダ)にて、Basarab(在1317-1352年。初代ワラキア大公。それまでは侯爵)がアンジュー家のロ ベルト・カーロイ(在 1308-1342年)を破ったが、カーロイは十分学んだのだ、人のものに手を出してはいけないと。その後アジア人(オスマン) の侵略が始まった。ブルガ リアとセルビア人は破られた。そうして、1394年、ワラキアとオスマンは戦うことになった。その戦場にオスマンからの使者が来 る。ミルチャは、隷属は望 まない、と和平交渉を蹴る。lercău公はミルチャに言う、あなたの兄ダンによれば、あなたは国を破滅させる、と。 lercăuとダンは親友だった。そ してバヤジットの陣営には当時の王ダンがいた。バヤジットは単身崖の上に現れたミルチャに、彼もまた単身会いに行く。左がミル チャ。右がバヤジット。

 なぜ直接西へいかないでワラキアを通るのだ。西を征服しようと夢見たものは、みなここを通る。そして敗れて戻るときもここを通 る。われわれはここの最初から住んでいるのだ。森からでも山の中からでも、廃墟からでもわれわれは戦い続ける、と決意を告げるミ ルチャ。

 そしてRovine(ロヴィネ)の戦い。歩兵戦。ミルチャも重装歩兵で進軍している。

  戦いは夜まで続き、その頃は、ミルチャは馬に乗って戦っている。このとき、Izedin-beyを捕らえ、「処刑もやむなし」と 降伏姿勢のベイを逃してあ げたのだった。Rovineの勝利後、ミルチャ軍はFăgăraș城(ファラガシュ)へと引き上げたが、オスマン軍はダンを王位 につけた(在位 1394-96年)。

 続く1396年、西欧各国の軍勢を集結した対オスマン十字軍が結成され、ブルガリア北部のドナウ河畔、ニコポリスの要塞での戦 いとなる(ニコポリスの画像はこちらニコポリスの戦いの布陣図はこちら)。

 下記は、集まった各国諸侯をミルチャに紹介するローマ王(当時はドイツ王を意味した)兼ハンガリー王ジグムンド。

 しかし、ニコポリス十字軍の中でみそっかすのように扱われているミルチャ。会議のテーブルにも入れてもらえない。これが会議の 天幕。このあたりのドナウ川南岸は、すぐ崖となっていて、崖をあがった高台に司令部の天幕が置かれている。

 司令部天幕の中の会議卓。ミルチャはこの中にはいない。

  先陣をミルチャに、というジギスムントに対して、最高司令官であるブルゴーニュ公ジャン(当時25歳くらい)が、ここまで遠来か ら膨大な資金をかけてまで 来たのに、先陣を任せられないとは、しかも、司令官は私である。勝手に決めないで欲しい、と怒る。ジギスムントは、ミルチャに、 あなたの誇りを傷つけて悪 かったという、が、ミルチャは、ジギスムントに、誇りは関係ない。この戦いはもう始まる前から負けている、と返すのだった。
 下記は、ドナウ南岸から、台地の上を、南方のオスマン軍に向けて進軍する十字軍。

 そしてミルチャの予想通り、十字軍は敗北するのだった。

 続いてミルチャは、アンカラの戦いについてヴラド少年に語る。
 アンカラの戦いにはミルチャは参戦していない為、ここでの映像は、ミルチャの想像映像ということになるが、それでもティムール の珍しい映像を見ることができる。
 アンカラの戦いそのものの映像は無いが、終わった後の戦場が映る。中央奥がティムールの天幕。

 これがティムール。


 籠に入れられたバヤズィット。

 この時、ティムールに言われるままに、籠の中のバヤズィットに唾を吐きかけたのが、メフメト(後のスルタン・メフメト二世) で、ムサ(メフメットの兄弟。ともにバヤジットの息子)は手首に口付けをし、ティムールに向かって「彼は父親だ」と告げるたとい う。

 こうして、ミルチャの歴史の話は終わる。夜も更けたので、野営地で寝ることになる。

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 ところが、野営地にまたも暗殺の矢が。今度は寝ている誰かの背中にあたってしまう。一方ダンは、アルジェシェ城に入り、自派の 面々と宮廷で宴会を催している。そこにミルチャを暗殺した暗殺者が入って来て
、 「私の腕にミスは無い」と告げる。驚き、そして喜ぶダンと家臣達。しかし実際に死んだのは老家臣のMezeaだった。急ぎ王宮に 戻るミルチャと家臣達。突 然宮廷に入ってきたミルチャ達に驚くダンと家臣達。ダンは剣を抜き、抵抗しかけるが、そのまま心臓発作で死んでしまう。
ミルチャは、2人の家臣以外は許すとして、二人は裁判にかけることに決する。ミルチャは、王座にブラド少年を座らせ、少年に裁判 を任せる。ブラドは縄を解け、という。そして名前を聞く。End UdovăとIon Lercău。

 ヴラド少年 「お二人の財産と地位は誰が与えたのかな?」
 二人 「ミルチャ」
 ヴラド少年 「もっと大きな声で!」
 二人 「ミルチャ」 
 ヴラド少年 「裏切物と一緒に飲み食いしたのは?」

 そして、串刺しにせよ。と判決を下すヴラド。
 で、王城の中庭で衆人が見守る中、股間に杭を打たれる二人。左側の執行人が木槌を振り上げている。

  悲鳴が王宮中に轟く。ミルチャは、悲鳴に耳をふさぐヴラド少年に、「悲鳴に耳をふさぐようでは、他人の命を裁くことなどできな い」、と抱えて窓から処刑を 見させるミルチャ。その背後にまたも暗殺者が。暗殺者の気配に気づくミルチャ。しかし振り向いたところ肩を射抜かれてしまう。暗 殺者は倒したものの、ミル チャも重傷である。ヴラド少年に誰にも知らせるな、といい、自ら矢を抜き取るミルチャ。そして少年に焼き鉄を持ってこさせ、自分 で治療してしまうのだっ た。

 翌日、街道でヴラド(息子)の軍とはちあわせるミルチャ。なぜドナウの持ち場を離れた、と問うミルチャに、次男ヴラドは背後の 陰謀は見逃せない。ヴラド少年は黙っていたが、他の者がミハイルの陰謀を告げたのだ。そしてブラン城のダンが、英国とドイツ軍と ともにいると。

  一方のアルジェシュ城。司教が、陰謀がばれた。とミハイル夫妻に告げる。ところが、司教は更なる陰謀を持ち出すのだった。食事に 毒をもるのは罪だが、椅子 に毒針を置いて刺すのは罪ではないという。その理屈は、誰でも飲食するからで、椅子に座るのは誰の強制でもなく、彼自身の自由意 志なのだから。とのこと。 そこにヴラド(次男)軍が入ってきて、降参しろ、と剣を突きつける。司教は、私はシギスムントの使節だと主張するが、ミルチャ は、「構わずねずみ穴にぶち 込め」と指示する。そしてミハイル夫妻は翌朝裁く、という。

 場面は変わってメフメトの宮廷。ロヴィネの戦いのミルチャの戦う姿を思い出してうなされるメフメト。ミルチャの回答から何日 たった?とイゼッデインに問う。「6日です」。

 翌朝。ミルシャは司教をジギスムンドの元に戻す。針の陰謀も知っていた。長男を許し、家族ごと、ドナウの前線にいくよう指示 し、次男には別のところで活躍してもらうと告げる。そこにイゼディンが来る。スルタンはミルチャの望む時と場所で会うと。

  ドナウの中洲でミルチャ・メフメトが一対一の会談を行う。そして、メフメトのもとに、人質を送ることで妥結。その意図は、 Vlad少年の才覚を見抜いたメ フメトが、ミルチャ死後、後継者争いが起こった場合、ヴラド少年をトルコ軍が支援することにあった。才能のある人物にトルコ側に ついて統治してもらおう、 ということのようである。ミルチャは回答を保留して会談は終わった。

 
 ドナウ河畔。怪我で寝ているミルチャ。川岸で作戦を兄弟に授け、その後ヴラド少年の歌声に聞き入りながら寝入りそうになる。必 死で起こそうとするヴラド少年。そうしてミルチャ死去の報がメフメットの陣営に伝わる。戦闘準備に入るオスマン軍。

  しかし、翌日崖の上に姿を表すミルチャ。うなるメフメト。「やつは化け物か。使者を出せ。昨日中州で会話したときの条件をいつで も彼の要求を呑む」、と。 ミルチャは、使者に「一年以内に、家族の息子を彼の元に送ると」と返答する。こうしてオスマンとミルチャの最後の戦いは回避され たのだった。

〜終わり〜


 よく考えてみると、本作は、4日間だけの話なんですよね。過去の回想場面が入るのでずいぶん長く感じましたが。。。。


  ところで、「陛下」の字幕はMiladyで、”マリアタ”と発音していました。マリアタはMy Loadのことらしいのです。英語ではMilady は My ladyで貴婦人のことですが、アラビア語の歴史ドラマでも目上の女性への呼びかけは「ムラディ」という発音で、似ている感じ。あと、映画では「父」を タットコ(ロシア語)と発音しており、これは当時のルーマニアがソ連共産圏だったのでロシア語が入っていたということなのかも知 れません。

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