インド歴史映画「Mughal-e-azam(偉大なるムガル帝国)」 2004年カラー版 (アクバル時代)

  20世紀のインドの歴史映画は、歌と踊り娯楽作品で、歴史映画とは言いがたいものだとの偏見 がありました。2001年の「アショカ」、 2008年「ジョダーとアクバル」で ようやくインド歴史映画も近代化したか、などと勝手な感想を書いていました。そういう偏見があったので、1960年製作の本作 「偉大なるムガル帝国」を見 くびっておりました。こんなに凄い作品だったとは。もっとも、2004年の完全カラー版を視聴したので、1960年版の、カラー 15%、モノクロ85%版 ではもう少し違った感想となったかも知れません。

あらすじは、「これでインディア」様のサイトに詳述されています(2004年11月13日の記事にあらすじ、11月17日の記事に、カラー化に関して記載さ れています)。そこで、ここでは、印象に残った画面ショットなどを少しご紹介したいと思います。本作は、2008年に銀座で公開 されたとのことですが、日 本語版字幕のdvdが発売されていないようなのが残念です。というわけで、これは、日本語版が出てほしいなーという宣伝記事で す。英語字幕版dvdは販売されています。「これでインディア」様も強調されています が、これは劇場で見てみたい作品です。



  最初の画像は、若き日のアクバル。息子のセーリム(後のジャハンギール)少年時代。貫禄十分。セーリムが、子供のくせに、女官を はべらせ、飲酒にふける自 堕落な生活を送っているところを叱る場面。こののち、セーリムは、地方統治に出される(一般的にはサーリムなのらしいが、私の耳 にはセーリムと聞こえたの で、ここではセーリムの発音とします)。

 アクバルの宮廷。左下の、白い枠の中が玉座で、青い服がアクバル。

 こちらは玉座を正面から捉えた映像。青い服がアクバル。階段の下に立っている黒い人物が、地方で治績を挙げ、更正して成人した セーリム。帰任の挨拶。

 セーリムに思いを寄せる侍女バハールが鏡を見ているところ。凄い姿見。

 セーリムが、彫像の序幕式で、矢で幕の上部を射て、序幕する場面。左後方緑服がアクバル。右手がバハール。

 踊り子アナールカリー*1が宮廷で踊り、セーリムと出会う場面。まさにミニアチュールな世界の映像化。

*1 「アナール」と、ナとルの間を伸ばす場合はアとリにアクセントがあるような発音となり、ナとルの間を縮めて発音する場合 は、「アナルカリー」と一息に発音していた。微妙な発音の違いでイメージに影響を与えている感じがします。

 有名な宮廷でのアナールカリーとバハールの歌合戦場面。双方返歌方式で歌った後、相手に「さあ、あなたの番よ」と手を差し出 し、交互に歌い続ける。歌の内容の解説は、上述「これでインディア」様の記事に詳述されていますので、ここでは省略。


  宮廷の庭。日本・中国風灯篭のようなものがあるなど、どことなく日本・中国風な庭園。ここでアナールカリーはセーリムへの思いを 書いた花を庭園の川に流す (たぶん、七夕への願掛けのようなもの?かも)。しかし、その花をセーリムが拾ってしまうのだった。かくて恋が進展することにな るのだった。

 これがアナールカリー。

 アナールカリーとセーリムの恋の場面で、詩人が詩を奏でているところ。いかにもペルシア長編詩といった世界。

 恋を語りながら、庭で一夜を過ごした二人。黄色い花びらに埋もれて寝ているのがアナールカリー。その右手がセーリム。

 セーリムとの恋がアクバルの耳に届くところとなり、アナールカリーは牢獄に放り込まれる。その後、アクバルに呼び出される場 面。左手が鎮痛な表情のアクバル。中央奥に囚人姿のアナールカリーが映っている。

  アナールカリーが、宮廷を去る前に、アクバル、その妻でセーリムの母のジョダー、セーリムやバハール、宮廷人の前で一人最後の踊 りを披露する場面。この広 間は、現存するアンベール城(デリー南西260kmくらい)にあるシーシュ・マハル宮殿の鏡の間を再現したものらしいのですが、 どうみても、ディスコ。一 斉を風靡した、ディスコ「マハラジャ」って、こういうところから来ているのだと思った次第です。で、下記は鏡の間に入るジョ ダー。

 鏡の間に入るセーリム。右手の女官がドアを開けるところ。もう完全にディスコにしか見えませんが、真面目に見れるのが本作の凄 いところのひとつでしょうか。

 鏡の間に座るセーリム。

 自分の席に向かうアクバル(真ん中の金色の背中)。

 中央、柱の間で、バレエのようにくるくると回っているのがアナールカリー。もう、2005年製作の映画「タージ・ マハル」や「マユラ」のキンキラキンなど、たいしたことないように思えてしまうのでした。

その後、またしても地方に赴任させられたセーリムは反乱を起こし、アクバルの正規軍と戦争になります。これがその時登場した大 砲。この時代の映画に登場する大砲と違って、台座や車輪も鋼鉄製。戦車のような威圧感。

 アクバル陛下。黄金の布で覆われた像に乗ってます。

 一方のセーリムとその配下の騎士。いかにも中世風な感じで布に覆われた馬に乗っています。

 大軍が激突。凄い迫力でした。

  大砲がアクバルの像の近くで炸裂し、像から落ちたアクバルが馬に乗り換え、セーリムと一騎打ちする場面も凄かった。そしてセーリ ム軍は敗北。宮廷にてセー リムの裁判が行われることになる。こちら、玉座の中年となったアクバル。髪の毛に白いものが混じっている。背後で侍従が団扇であ おいでいる。

 これが裁判の場面。左手下にアクバルの玉座。二階のバルコニーからは、宮廷侍女達などが見学している。

 セリムはアナールカリーとの結婚の意志を取り消さず、アナールカリーも消息不明なまま(セリムの部下にかくまわれていた)ある ため、セーリムの処刑が決まる。セーリムの処刑は城の処刑塔の上に磔となったセーリムを大砲で撃つという、大雑把というか、凄い 処刑。
  ところが、処刑の瞬間、アナールカリーが現れ、執行官は、大砲の筒をそらしたため、弾丸はセーリムから外れる。そして今度はア ナールカリーが処刑されるこ とになるが、処刑の前に、セーリムがアナールカリーに約束した結婚を、少しの間でいいから実現させて欲しいとの望みにアクバルが 同意する。これは、婚姻装 束をまとったアナールカリーが宮殿に入ってくる場面。中央扉の間の下、白いのがアナールカリー。扉が開くまでは、スケール感がわ からなかったが、扉が開い てみて、こんなに巨大な扉と知り驚く。キンキラ度も凄い。

 で、最後は。。。。「これでインディア」様のあらすじをご参照ください。

  下記が最後の場面。偉大なるムガル帝国を世界は記憶し続けることだろう、というナレーションとともに下記映像が出て終わる。パキ スタンも含まれてしまって いるところが、パキスタン人はともかく、パキスタン政府はどうなんだろう、と思いました。実は、映画冒頭にもこれと同じ映像が登 場するが、唯一の違いは、 冒頭の映像では、パキスタンは含まれていないのだった。


  本記事を見返してみて、母ジョダーの映像が無いことに気がつきました。ジョダーはラージプート王族のヒンドゥー教徒であり、ア ナールカリーを匿った貴族も ヒンドゥー教徒。ジョダーは、アクバルとセーリムの内戦の時、当然、アクバルに止めて欲しいと嘆願するわけですが、夫か息子かと 詰め寄られ、最後はアクバ ルを支持して戦争に送り出すのですが、戦争から戻ったアクバルがジョダーに剣を見せ、「息子の血で剣を汚すことはしなかった」と 伝えたとき、ほっとした場 面と、息子の処刑が決まった時、地下牢のセーリムをたずね、「ラージプートの戦士は死さえも彼らの花嫁とする。大帝アクバルは愛 の勝利に負けた。お前を祝 福する」として、セーリムの額に、ヒンドゥーのビンディ(額の赤いしるし)をつける場面が印象に残っています。

 全体としては、ペルシア 恋愛叙事詩を映画化するとこういうものになるのではないか、という印象を受けました。そして本作は、ひとつのジャンルの頂点を極 め、インド歴史映画として も、これを凌ぐ歴史映画は、製作から51年たった現在に至っても、容易には登場しえないのではないかと思えました。

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