11/Aug/2018

中世インド歴史伝説映画『パドマーヴァット』(2017年)

  2015年インド製作『バージーラーオ とマスターニ』の監督サンジャイ・バンサーリーと主演女優ディーピカー・パードゥコーンの組み合わせの歴史伝説 映画です。ラージプートの伝説 1988年インド初代首相ネルーの著書『インドの発見』の第26話(こちら)でもドラマ化されています。マ リク・ムハンマド・ジャアーヤシー (1477-1542年)が1540年頃に書いたとされる伝説物語『Padmaavat』 を下敷とした小説の映画化とのことです。一応主要登場人物は実在したと考えられている人物で、左がラジャスターン地方の小国メー ワール王国の国王、ラ タン・シング(在1302-3年)、右がその后パ ドミニー(パドマーヴァティとも呼ばれる)。



 もうひとりの主役は世界史の教科書にも登場するデリーサルタナット二つ目の王朝 ハルジー朝三代目のアー ラーウディーン・ハルジー(在1296-1316年)、左二枚。全インドの征服に燃えている野望の王 者。右から二枚目がハルジー朝初代ジャ ラルッディーン・ハルジー(在1290-1296年)。アフガニスタン総督で、モンゴル軍を破ったが、 その後クーデターを起こして即位した。右端はその息子イタット。



 左二枚は、ジャラルディーン・ハルジーの娘、メフルニーサ。当初はアーラーウッ ディーンと結婚するつもりだったが、結婚式の夜にアーラーウッディーンが幼馴染の大臣を刺殺するなど、暴虐な性格で あることを知り、破談するが、その後父親を暗殺したアーラーウッディーンの妻にされる。右二枚は、パドミニー。衣装 がステキ。



左はハルジー朝初代のジャラルディーン(既出)。中央は、ラタン・シン王の右腕ゴ ラ・シン。チッタール城陥落の激戦で戦死。右はアーラーウディーンの将軍ウルグ・ハン。



 左端は、歴史家・詩人・音楽家でアーラーウッディンに使えたア ミール・ホスロー(1253-1325年)。曲学阿世の徒。まあ理不尽な権力者に仕えていれば仕方が無 いが。その右はアラーウッディーンの解放奴隷で宦官マ リク・カーフール(-1316年)。右端はアーラーウッディーン、その左はラタン・シンの元導師のバラ モン、ラガフ・チェタン。何故かパドミニーとそりが合わず、アーラーウッディーンの元に亡命し、全インド征服を唆 す。



〜騒動〜
この作品に限らず、インドの歴史映画は宗教や社会問題がからむといろいろと面倒くさいのですが、今回ほど大きな騒動 になったのは珍しい方なのかも知れません。監督バンサーリーの前作『バージー・ラーオとマスターニ』の方が問題に なってもおかしくなかったような内容だと思うのですが、今回は、騒動の結果裁判所の命令で5箇所をカットしたらしい ので、その場面が問題だったようです。騒動では、結構大きな暴動と破壊行為が行われていて、バスが炎上したりしてい ます(こ ちらにニュース映像があります、”padmaavat riot”で検索すると英文記事、映像が多数でてきます)。この騒動で、当初2017年12月1日の公開予定が、1月25日に延期され、更にラジャスター ン州(この作品の主人公夫妻のメーワール王国のあるところ。つまり地元)など、一部の州では上演されていないそうで す。本作については、冒頭の「お断り」がかなり長文となっていて、それでも通常は、特定の習慣や言語、宗教、民族、 団体等を支持するものではない、という程度なのですが、本作については、「(撮影用の)動物を虐待していない」「サ ティーを支持するものでもない」と、三画面に渡って長文の「お断り」が掲示されています。
 最近バーフバリのヒットでインド映画に注目が集まっているため、歴史映画の公開も期待されるわけですが、この作品 の日本での公開はどうなのでしょうか。アラーウッディーン・ハルジーは一面改革者でもあったので評価が分かれるとこ ろはあるのですが、イスラーム王朝のヒンデゥー諸国征服構図の上で、暴虐な一面も伝えられている通り、本作でアラー ウッディーンの残酷な一面が描かれていて、この点がイスラム教徒の反発を招いているそうです(マレーシアでは上映禁 止)。

 一方、既にカットされたとのことなので詳細は不明ですが、史実の主人公はヒンドゥー史上の英雄とされているため、 当初、史実のヒロインの個人名がタイトル(『Padmavati』)とされていたものが、伝説物語の 『Padmaavat』に変更することにされたのも、「歴史映画」ではなく、「物語の映画化」という体裁をとる必要 を迫られたため、とのことです。私の印象では、イスラーム教徒とヒンドュー教徒の融和を、台詞が上滑りしているまで に高らかに謳いあげていた前作『バージー・ラーオとマスターニ』と比べると、かなり一方的なヒンドゥー視点の映画と いう気がします。公開版を見る限りでは、気になるのは、主人公達を裏切って、アラーウディーンに全インド征服を唆し たバラモン、という設定くらいです。

 しかしながら、私には、宗教・民族的な点よりも、玉砕や殉死を美化しているように見えてしまう部分の方が問題に感 じられました。

〜あらすじ〜
冒頭は、13世紀のアフガニスタン。後のハルジー朝(北インドの統一王朝)君主ジャラルディーン・ハルジーがインド の奴隷王朝のアフガニスタン方面司令官だった頃から開始。ジャラルディーンの娘メフルニーサは、従兄のアラーウッ ディーンを憎からず思っていたが、結婚式で彼の残虐さを知り破談とする。その頃、スリランカのシンガリ王国の王女パ ドミニーは、密林での狩猟の最中、妻が無くした真珠のネックレスの代わりを採集に来たメーワール王国の国王ラタン・ シンを誤って討ってします(密林がいかにもセットで、虫ひとつ飛んでいないような人造的な印象を受ける感じなのが残 念です。転んで地面に顔から突っ込んだヒロインの顔に汚れひとつなし。この部分、『ジュラシック・パーク』などの人 工密林でも見ているような気がしました)。仏教洞窟で看病したシン王と恋に落ち、はるばるラージャスターンのメー ワール王国に嫁ぐ(妻がいるのに、更にパドミニーを娶るのですが、なんの問題もなく話が進んでいきます。正妻との葛 藤を描いた監督の前作とは大きな違いです)。下左がシンガリ王国の仏教寺院。右手に仏像の巨大なレリーフが見えま す。右は、メーワール王国の王城チットガール城(遺跡が現存しています(こ ちら))。岩山の上に城砦があるのですが、その尾根に長城が築かれていて、婚姻の行列が長城を長蛇の列 を成して上がっていく映像は見ごたえがありました。



 そのチッタール城の内部。宮殿内のデコレーションは美しくできています。しかし あまりに綺麗すぎて、床などピカピカ。高級ホテルに見えます。左下はパドミニーの私室。右下は、部屋の中でブランコ に乗るシン王(右)。&パドミニ(左)。


 パドミニーは利発な女性で、シン王の導師のバラモン、ラガフ・チェタンのテスト を受けるのですが(これに合格しないと結婚を認められないらしい)、バラモンの想定を上回る機知に飛んだ回答をした ため、バラモンの機嫌をそこねたらしい。王と王妃の私室を覗いていたことがバレ(なんで除いていたのかは不明)、王 妃の慈悲で国外追放となる。これも彼が王妃に恨みを持つ一因となった模様。亡命したデリー王国で、ラガフ・チェタン は、 全インドを統一するには、パドミニーを妻に迎えることが必要だ、スルタンはイスカンダル二世となる、と予言する。こ れでアラーウッディーンは南インド征服に乗り出し、パドミニーに固執することとなった(アラーウッディーンがあっさ りバラモンの話を信じたのは、過去の秘密を言い当てられたため)。

 左は、シャンデリアを吊り上げるパドミニー。凄い力。右は、アラーウッディーンに征服された南インドのヤーダヴァ 朝の王妃。鎖をつけられ池の中に立たされている。右後ろはアラーウッディーン。



 下左はチットガール城に攻め込んできたデリー軍(イスラーム軍)を城砦側から見たところ。もうこの手のCG映像 (軍隊が雲霞のように見渡す平原に広まっている)は見飽きました。またこれかという感じ。右はデリー軍の軍営から チットガール城を見たところ。これだけ巨大な軍隊でありながら、輜重隊のようなものが無い。



 しかし難攻不落の要塞はデリー軍を寄せ付けず、包囲は半年に及ぶ。スルタン・ア ラーウッディーンが、(確かチェスで勝負をつけよう、といったような気がする)遣した使者に、シン王は、デリーへの 帰還と、王が非武装で単身で交渉に来ること、を条件とする。承諾したスルタンは、以下のような馬車でチットガール城 に乗り込んでくる。



 チットガール城で初めて対面するシン王(手前)とアラーウッディーン(左)。右 は王城で会食すシン王とスルタン。宮殿の内装は豪華。



 その後、二人はチェスをする。



 しかしシン王は負けてしまい、約束通り(このへんがラージプート王族の美徳らし い。アラーウッディーンを暗殺してしまえば良かったのに)、シン王は、アラーウッディーンに人質にされ、デリーの宮 殿の地下牢に監禁される。下は確か、デリーに向かうシン王にパドミニーが衣装を着せているところ。右は、チッタル ガール城砦(こ ちらに俯瞰図がありますが、比較的忠実に再現している感じはします)。



 デリー城。右は宮殿の門。パドミニーは、アラーウッディーンの召集に応じる条件 を四つだす。後宮の女性たちを連れてゆくこと、男禁の後宮に滞在すること、スルタンに面会する前に夫と面会し、夫を 釈放させること、パドミニーがチットガールを出発する前にラガフ・チェタンの首を贈ること。スルタンは条件全部を快 諾し、ラガフ・チェタンの首がパドミニーの元に贈られる。パドミーはデリーに向かう。



 デリーに到着すると、アラーウッディーンに強制的に妻にされていた(こちらにも 別に正妻がいる)メフルニーサの手引きで、地下通路からシン王とパドミニーは脱出する。激怒したスルタンは再び大軍 でチットガール城に侵攻する。下左は、象に引かせた巨大投石器。右は油で燃える弾丸を投石器で打ち込まれるチット ガール城。



 その後(理由は忘れましたが)、スルタンとシン王の一騎打ちとなる(投石器の攻 撃で不利を悟ったシン王が単騎で出てきたので、スルタンも単騎で応じた、という事だったかな)。この一騎打ちの場面 は、ブラッド・ピットの映画『トロイ』でのヘクトールとアキレウスの一騎打ちに似ている感じです。この場面は良かっ た。



 しかし、どんなに卑怯であろうと勝てば問題ない、と考えるスルタンに勝負では 勝ったものの、部下たちに射られてシン王死す。王城に攻め込んだデリー軍に、ゴア・シンも討ち死に。覚悟を決めたパ ドミニーと侍女たちは、全員中庭に炊いた炎の中で殉死を遂げるのだった。
 



〜所感〜

この監督は何がやりたいのでしょうか。前作『バージー・ラーオとマスターニ』では、台詞が上滑りだのとメッセージ性 の強さを辛口批評しましたが、それは「台詞が上滑りしている点」であり、「台詞が浮かないように、もっと自然に見え るように上手な演出をして欲しい」という意味です。今回は、メッセージ性を抑制しようとしたのか、ドラマの目指すと ころが何なのか、よくわかりませんでした。芸術至上主義、という感じもしなくはありませんが、2作だけしか見ていな いため、判断し難いものがあります。『バージー・ラーオとマスターニ』では、ヒロインの剣舞場面や、衣装や内装、鏡 の間でのダンス場面な ど、この作品ならではの記憶に残る見所は幾つかあったのですが、今回「本作ならでは」といえるような場面はありませ んでした。本作に比べると凸凹が多いものの、『バージー・ラーオとマスターニ』の方が余程ましな感じです(個人的に は)。ドラヴィダ映画では、場面ごとに、テルグ語で撮影した後、タミル語で撮りなおす、というような形でドラヴィダ 語圏の複数言語対応作品を撮影しているそうなのですが、本作は、どこかに、本来のクオリティを持った違う言語版が存 在し、本作の方は、駄目バージョンの方を見せられている、というような、微妙なイマイチ感がついて廻りました。

 今回の作品の騒動は、人口13億を数えるインドですから、一部の人々だけが行うだけでも結構な規模となってしまう のだと思いたいですし、逆にこの程度で済んだのはインドの民度がだいぶ高くなっている、ということなのかも知れませ ん。本作は、本日時点で、イ ンド映画歴代売上ランキング第9位(約8千7百万ドル)となっていますが、これは、題材が良く知られて いた知名度にも寄るのではないかと思います。まあ、宗教の融和を説いた『バージー・ラーオとマスターニ』よりは、ヒ ンドゥー教徒に受けが良い内容ということもあるのでしょうけれど、、、

IMDb の映画紹介はこちら

中世近世インド歴史映画一 覧へ戻る