ペーチ


紹 
 古代ローマ植民市ソピナエが起源。1009年にイシュトバーンにより司教座が置かれそれ以来中世ハンガリー王国の主要 都市となり1543年にオスマン朝に征服された。
 右2枚の写真は中世の城壁。町の3方を囲んでいる。
 写真は西側の城壁と塔の部分。

 下の写真は旧市街の中心部。南端にあるマクドナルドの前から北に向かって撮影したところ。右のモスクはハンガリー最 大のガーズィ・カッシム・パシャモスク。今はキリスト教会。
 城壁の北城門を出たところに墓があり、ここからの眺望は市街が見渡せてとても良いが管理人らしき人に料金をとられた。 しかもおつりに旧共産時代の貨幣をくれた。

遺 
跡 
見 
取 
り 

旅 
行 
情 
 ペーチの旧市街は南に面した緩やかな坂の斜面にあり、三方を約1kmの中世の城壁に囲まれている。丘の上西側に大聖堂 があり、ここの地下クリプトは古代のものだったか中世のものだったかまたしても資料がどっかに行ってしまっている。
 1009年にイシュトバーンによって司教座が置かれ1367年にハンガリーで最初の大学が置かれたとのことでペーチは観光 地でありかつ大学都市である(京都みたいなものと言えるかも)。
 市の中心部はセーチェニ広場でありこのモスクはキリスト教会になっている。
 バスターミナルは旧市街の南にあり近くにユダヤ教会堂(シナゴーグ)がある。見学有料。
 

・ハンガリー史上有数の戦いである1526年のその後のハンガリーの命運を決めた戦いが行われたモハッチが近い。

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