朝もう一度渡し船の発着場へ行く。
やはリコンピユータははいつていない。 それを確認して、 ブダペスト行きのフェリー乗り場へ行く。
またも時計が止まっていたので今が何時か分からない。
フェリーを待つ客に聞いてみる。 ラッキー。 今9時10分。 フェリー9持20分。
なんという丁度よさ。
フェリーでは神父の一家が乗っていて、 眼がねをかけた子供も頭に半円の帽子を被っていた。
親父がこの子供をやたら写真にとりまくっていた。
乗船時、 キャビンに下る時、 乗っている時。
微笑ましい光景ではあった。
フェリーは思つたより速く、 揺れない。 まるでレールの上を走っている様に滑る様な速さである。
計算してみても、 時速100キロ近い。
船は遅いもんだと思っていたので、 これには驚いた。
空は曇よりと垂れ込め、 いかにも中世という雰囲気。
ヴィシェグラードが近付いてきた。
山頂の要塞跡と山麓の塔は確認できたが、 王官を確認するに失敗してしまった。
というのも、山頂の要塞を王宮と思いこんでいたせいである。 やはりガイドブックは念入りに確認しておくべきである。
出発が若干遅れたので到着も若干遅れて10時40分頃国会議事堂の前に到着。
直ぐに東駅に移動して、 時間表を見るとなんとエゲル直通11時05分。
時計を見ると今11時5分。 なんというタイミング。 今日はタイミング良すぎ。 びったり過ぎだよお。
駅の案内は結構冷たく、 時間表見りや分かるじゃない、 みたいなことしかメモしてくれない。 きしょうめ。
いいやミシユコルツ行きに乗って、 エゲルヘの乗り換え駅で停車したら乗り換えればいいや、 等と考えミシユコルツ行き特急に乗ることにした。
12時05分発。 地下の売店で安いパンとジユース 確かあんずジュースを買つてしまいまずかつたのを覚えている。
最後に販売機でコーラ。
列車では一番端の席に座ったのだが、 この時気づいたことには、ルーマニアやブルガリアではトイレの近くの席では臭いけど、 ハンガリーはそうでもない、ということである。
途中雨が降り始めたので、 予定も遅れていることであるし、 結局エゲルはパスすることにする。
14時半頃ミシユコルツ到着。 駅で傘を購入しようと思つたが、この日は日曜日。
仕方が無い、商店街へ行くか。でも日曜だから開いていない可能性が高い。
市電を利用しようと思ったのだが、この時点では雨もそうは降っておらず、歩けるとふんだのだが大間違いであった。
中心は遠く、 雨は勢いを増しだし、 とうとう雨宿りをしながら(バス停、ガード下 (ここが一番長かつた)、 建物の入り口、 銀行の入り口)、
やっとバスターミナルのあるところ迄たどり着く。
やっとのとでマクドナルドに入って一息着けた。
ガソリンスタンド併設のコンビニエンスストアがオープンしていたので傘を探しにいったが無かつた。
マクドナルドで時間を潰していて、 雨が小雨になるのを待つ。
で、小雨になったので、 城を探しに行く。
さて。 ここは私にとつて首都以外の最初のハンガリーの大都市である。
メイン通り沿いに延びた繁華街は落ち着いた雰囲気で感じがよかつた。
ところが、 いくら歩いても城は一向に見えない。 再び途中何度か雨宿りをしつつついに郊外の団地群に到達したのだが、 やはりない。
ど―しよもないのでとうとう市電にのることにした。
ところが自動販売機に金を入れても券が出てこない。
通りがかりのおばさんに城の方向と歩いて行けるかどうか聞いたのだが(もう疲れていたしめんどくさかつたので、日本語で)、 市電がいいとのことになり、
さつき金をいれたんだけど、 といってたところで、 通りがかりのおねえさんが車内でも買えますよ、 と教えてくれた。
でも小銭がなかったので近くのお店にいつてヨーグルト買って崩して乗る。
乗ってよかった。
なんとそれから5キ口以上はゆうにあった。
駅からは多分10キロ程あつたのではないか。 市電1番の終点が城の所在地で、 そこについても直ぐには分からず、 通り掛かりのおばさんに
「おばさん、 この城に行きたいんだけど」 と聞いてやつと到達した。
既に17時。
見学はできないかと思われたが、 写真をとつていたら係の人が出てきて入れることになった。
塔の上まで一気に登る。
雨模様のせいか、しつとりとしなだれた風情が一層追跡の印象を強めた。
追跡のアリーナ部分は、 野外劇場なのだろう、 椅子が並べられていた。
さっさとみてさあ戻らなくては。
もう17時30分の電車には間に合わない。
半分ミシュコルツ宿泊も考えつつバスターミナルヘ行く。
18時30分がある。 でもなにか但し書がしてある。
ガイドブック付録の辞書によると日曜日に関するものらしい。
日曜はあるのかないのか、 経由地がちがうのか。
セゲド行きは朝5時30分 (40分?)。 なんとかやっばり今日中にデブレツェンについておきたい。
見てみると、デブレツェン行きバス停には人がいる。
そのバス停に書いてある行き先を調べると、 今日はもう終っている。 すると今待っている人々はデブレツェン行きの人達である、等とやきもきしながら待つ。
そしてバスがきた。
ハンガリーのバスに乗るのは初めてであったが無事のれた。
段々薄暗くなってゆく。
辺りの景色はあまり見えなくなっている。
デブレツェンに到着したのは21時。 ほぼ真つ真っ暗であった。
さあどっちが中心だ。
ガイドブックにはバスターミナルは書かれていない。
でも駅に比べれば中心に近い筈である。
まあ広い通り、広い通り、 とあるいて行けば、 絶対に中心への標識があるはず、 ということで広い通りに沿って歩き出す。
まあなんとか地図にある場所迄辿り着く。
ホテルは割りとすぐ見つかり、 しかも激安1100Ft。 10ドル以下。
ここの受け付けに明日4時半モーニングコールとレストランを教えてもらってやっと一息。
でも教えてもらったレストラン分からず、 適当に歩いて探す。
そのレストランは地下にあつて結構広くDJとミラーボールのある、ダンスフロアを兼ねた変わった店であつた。 以前はディスコだつたのかも。
少年が給仕していて珍しくメニューを薦められた。
グーラッツシユであり、 後でガイドを読んだらグ一ラッツシユは東部の名物なのだそうだ。
まさにその通りというべきメインディッシユといってもおかしくないスープが登場した。
鍋の様な入れ物で、 なんというのか、器具の名前を知らないのだけれども、 炉にくべてそのまま煮炊きできるように鍋を吊す器具に吊されての御登場である。
これはボリュームがあったし、今回の旅行でもっとも印象に残りかつうまい料理の一つであつた。
メインのカツ盛り合せは量が半端でなく、食いきれなかった。
食後ちょっと散歩して宿に戻る。
このあたりから曜日の感覚があやふやになる。
エステルゴムが日曜であったことは確実なのでそこからミシュコルツ、 デブレツエン、 などと辿つてしばし曜日を計算することになる。
朝3時少し前に眼が覚める。 起きても仕方無いので、横になってからだを休めつつ時間が来るのを待つ。
結局4時には起き出して準備。 4時半丁度に扉を叩く音が。
5時頃バスターミナル到着。 ところが間際になって5000Ft札しかないことに気づく。
慌てて近くの店に両替をしてもらいに行った。 しかしバスターミナルには朝から人出が多い。 予想以上の活気である。 う一ん。 働き者なのか?
バスも結構乗る人がいて、 バスでは最初の内はうとうとすることが多かった。
セゲドヘは10時45分に到着。 5時間以上かかつたことになる。
ハンガリーでのバスはここで乗つたバスが最も高級だった。 しかもまるで下ろし立ての様な(未だ一週間くらいしか使用していないような)新しさを感じた。
ここでもバスターミナルがガイドブックの地図に書いてなかったので(ターミナルの市街地図では記号で示されていてよくわからなかった)、また適当にあるいて看板を探す。
まずはベーラ4世構築の要塞へ行って、 博物館は月曜休館。 でもまあいいじゃん。
ティサ川を渡る橋にいつて川を見て、 サマーコンサートが行なわれる教会に行つて、 そこから市電にのって駅へ。 駅ではコンピュータをチェック。 どうやら専用端末で
あったので、統合されているシステムの様である。
駅のシステムを確認して、また市電で戻つてスーパー見学。
フィルムと歴史地図、 ハンガリー歴史紀行日本語版を買う。
そのへんのセルフサービスの大衆食堂で食った。 ブルガリアでもたまにあるような、 パスタをご飯かわりにしたビーフシチューのようなもの。 結構安くてうまかった。
量も安い分すくなかったが、返って適量。
予定ではこの日はセゲド泊。 エゲルをスキップしたことで返って半日進んでいる。
しかし、バラトン湖あたりに不安が残るので、 予定は極力前倒しにしたほうがよい、 モハッチも地形さえ把握できればいいし、
ペーチ行きがモハッチを通過する(時刻表からすると)ことは間違い無いので、 バスから景色が見れればいいや、 ということで、 モハッチでの下車は取り止めにする。
ガイドブックによると、 モハッチのバスターミナルから戦場の丘迄は結構距離があり、 タクシー使用がベスト、とあることでもあったし。
ということでモハッチでは下車せずペーチ迄いくことにした。
今回の旅行では何度ドナウを越えたか数えてみた。
ルーマニアで1回。 ブダペストで10回(初日3回、
2日目アルパッド橋2、自由橋1、地下鉄1、 3日目3)。
今回1で計12回。 地図に印を付けているのを笑っていた女学生がいたのもこのバスでのこと。
14時セゲド発。 18時15分ペーチ着。
西部に行くにつれて段々と天気が良くなってきた。
バスターミナルの自動販売機で75Ft買ったところおつりが60Ftでてきたラッキーと思いきや使用停止の旧貨幣であることが判明した。
早速宿をさがす。バスターミナルに本当に近く。 この日は夕方の観光は止めにしてゆっくり休むことにする。
しかし宿の1階にあるレストランの食事は失敗だった。
ビールは便所臭いし、 まるで残りもののビールを入れといたバケツから汲んできたような変な臭いがしたし、食事は味はそう悪くはなかったものの、
私のきらいは肉のかたまり、 しかもそれが、 細い大便にしかみえないやつ(ブルガリアでもたまにあるけど)。
でも部屋はまあまあ。
中庭をはさんで向かいの部屋には女性が泊まっているようで窓辺に靴が千してあつた。リプトンの1リットルパツクを買ってきて飲んだ。
今日買った歴史地図帳を見ながら寝る。
翌朝は早速駅へ行つてちょつと見学。
城壁を一周するバスが良くわからなかったので、 歩いて一周することにする。
大してかからないとふんだ通り中心地帯はそう大きくはなかった。
最初にミレットのあるモスクの前を通過、 城壁に沿って、 北東の砦あとをみる。
銀行で両替。 どうもハンガリーは銀行がもっともレートがいいようである。
ここの銀行のお姉さんも結構親切であった。 というか当然の応対である。
ついでに曜日と日にちも確認。
城壁はなかなかである。 北側の城壁に沿って登ってゆくと街を見下ろせそうな家に連なる階段があったのでそこを登ってゆくと、おじさんがやってきて、
鍵を開けて、 はいっていいよ、 とやられてしまう。 どうも教会の記念碑というかキリストの一生を描いた墓碑のようなレリーフの建ち並ぶこの丘は 観光名所でもあるらしい。
一番奥、 一番高いところにある建物のなかには、 生々しいキリスト像があり、 思わずポドロフスキーの映画(「ホーリーマウンテン」)を思い出してしまった。
入場料をやっばりとられたが、 (でもたったの30Ftだったけど)市街が一望できてまあよしとしよう。
このあと東側に城壁沿いに下っていって、城壁の内側に入る。
博物館通りを行って、大聖堂に。
入場料をとっているので大聖堂にはいるかどうかはしばし迷ったが、 入ってみるとそれだけのことはあつた。
しかしカトリック教会としては異色の内装であったように思う。
地下のクリプトが一番最古の部分であるということで、 一応みてはみたが、あんまり印象ない。
大聖堂の前が広場で、そこに教会跡らしきものがあつた。
地下が追跡になっていて見学できた。
ガイドペーパーによると3、4世紀、キリスト教の梨明期につくられたもので 内部にはアダムとイブの絵等が描かれていた。
石棺も2つおいてある。 そこの展示によるとけつこうローマ追跡あとはこの大聖堂近辺にあつたらしい。
ちょつと探してみたが、この蓬築物の遺構跡から推測した建築モデルが展示されていた。
次ぎに歴史博物館へ行く。 ここにはローマ到来の時代のものであった。
博物館の前はモスクである。 モスクを改造してカトリック教会にしたものなので これも祭壇が中央という変則的な様式であつたが 2階に並べられたパイプオルガンは見事。
モスクをでて前の広場を更に下って行くと 見事な歌壇とヤノニュ・フニヤディの像があった。
あまりにもモスクのグリーンブルーと青い空、赤や黄色の花壇の色の調和が見事であったので何枚も写真を撮ってしまった。
写真を撮っている時はいなかったのでうつってはいないが、 この広場を鳥達が集団で行つたり来たりと横切り 意識してとんでいるのではないかとおもえるくらいにモスク、
空、花壇、像と調和がとれていた。
この広場の角にマクドナルドがあり、確かに観光地ということもあるのだろうが ここの店員が最も良かった。
ビックバーガーと安売りの500mリットルペプシで広場のベンチで昼食。
そのあと広場から東へ延びている繁華街を散歩。
途中できれば写真にとりたかつたホテルを見かけたのもこの通り。
この通りではハンガリーに来て初めて物乞いにあつた。
多分ジプシーであろう、 つい70Ft (20Ftくらいならと思いつつ)もうっかり渡してしまった。
そろそろバスの時間が近付いてきた。
13時10分。 このあとは早足にユダヤ教会見学して(帽子を被らされた)バスターミナル横の市場を少し覗いてバスに。
ペーチでは見学場所には各国語のペーパーがありこれを持たされて見学する。
これなら表示プレートをいちいち変えなくても済むし、
結構安上がりで良いシステムであると思った。
ペーチからケストヘイの間は丘陵地帯となっており 途中に通過したカポスバールは
工場町という感じでジプシーの家並らしき一角もあり、 もっともブルガリアに似ている印象を受けた町であった。
16時15分にケストヘイ着。
一応17時20分にゾンバトヘイ行の表示があるがなにか注釈がしてある。
まああまり気にせずに湖を見に行く。
遊覧船の波止場の突端迄行ってみて引き返す。
釣をする人、 寝そべる人色々である。
私の格好が一番浮いていたであろう。
バスターミナルが駅の横であったので駅もみた。
結局17時20分発ゾンバトヘイ行きは無いことがわかり、 バスの運転手の人に17時55分発ザラなんとか町行きを教えられ、
とにかく観光地ははなれなあかん、と思いその町へ行く。
19時頃到着(ザラエゲレス)。
ここは観光町ではまったく無いようで、 ホテル等を探しあるいたが結局バスターミナル近くのホテルになった。
約27ドル。
しかし部屋は値段の割りには衛星放送も入り、 今回の旅行ではもっともコストパフォーマンスの良いホテルであるように思えた。
しかしこれはあくまで印象であるが、 ここいら西部は東部よりジプシーが多少目につくし、 なんか東洋人に対する印象が悪いのではないかとおもってしまう。
パンジョンで部屋は無いと断られた時もそうだけど。 まあ高級宿だったのかもしれないが。
またここはもうドイツ圏なんだと感じさせられた。
レストランも多少探してしまった。
昨日のこともあるし今日はまともなものが食べたかったのだが、 メニューはドイツ語。
ここいらの外国語はドイツ語なのだ。 適当に頼んだのだが、まあまあであった。
ショプロンとジェールは予定していなかったのだが、なんとか行けそうである。
朝9時のバスでゾンバトヘイヘ。
10時着。 アメリカ人の母娘達がいたが英語は殆ど聞き取れない。
ターミナルの売店でハンガリー人のにいちやんが食ってた揚げパンみたいなやつ(ラゴスというらしい、教えてもらつた)を食べて朝食。
その後ローマ遺跡を見に行く。
ここで最も感動したのは道である。
今まで見たなかではもっとも保存状態がよくまた規模の大きいローマの道であった。
しかも十字路である。 特に黒い円盤をはめ込んだ道など、最近作られたものかと思える程である。
とはいえ追跡は1時間程度で見終り、 11時ちょい過ぎに戻ると11時半ショプロン行きがあるとのこと。
ラッキー。
ところで追跡をでたところで物乞いにあつた。
とてもそうは見えないちょっと汚れた服をきているだけのおっさんに 「ハム、ハム、ハム」 とかおなかを叩きながらやられて、 さっさと逃げたけど。
この町もブルガリア同様川崎のイメージの残る町だった。 さつさと退散、と特にどこも出歩かずに去つた。
12時半頃ショプロンに着いた。
如何にも観光都市という感じ、 まずバスの窓からマクドナルドが見え、 ターミナルで調べるとジェール行きバスは本数も多い。
16時半頃の奴で充分である。 観光はゆっくりできた。
まずマクドナルドでお昼。
例によって500mリットルペプシとビックマツクで ローマ時代の壁の所でお昼。
その後城壁沿いにぐるりと町中心部を一周。 民家に入つたら大に吠えられたりしたが、城壁はほぼ見ることができた。
但しローマ時代のものは追跡のハンドブックに記載されていた所だけのようであった。
その後火の見の塔に上がり、 (眼下に城壁が見えた)地下博物館とバロック時代の家を見学(本当は地下のローマ追跡だけでよかつたんだけど、
チケット売場のおばさんにバロック時代の家の方に案内されてしまった。
まあこっちを見るのが普通の観光客なのだろうから、 当然だとは思うが)。
案内のおばさんが親切でドイツ語はできるとのことだったのだが、 この時は言葉が通じれば面白いのになあ、 と非常に残念であった。
やたらと、 ほほほほ。 う一ん。 ほ―。 などどいう応酬が続いたのだった。
16時半のバスでジェールヘ。
19時にジェール着。
この時どうも風邪をひいたようだと認識。
だるさ、 疲れが酷く多分ほっとして緊張が緩んでしまったのだろう。
もう長距離移動のめんどくささから解放されると言うことと、 残りは滞在型のオーストリアだけ、 ハンガリーが終ったということで。
しかし金はこれ以上両替したくない。
一応駅で料金をきいたのだが、 またしてもきき忘れたがきっとこの料金には特急料金は合まれてはいまい。
残しとかなくちゃ―。
宿は駅前にあった。 駅前だから高いとは限らない事がやっとわかってきたので、 一応値段をきいてみる。
すると2350Ft。 余分金は約4000Ft。
よしうまく行けばもう両替しなくて済む。
部屋は風呂トイレ共同だが、 ルセのホテルに比べれば共同でもハンガリーの宿はしつかりしていることは分かっていたので、
その予想通り部屋はまあまあであった(但し夜中にドアが開かなくで困つてしまったけど。でも酔っ払いか寝惚けていると思われたのかドアの外にいた人達はなんにも助けてくれなかったけど。 でもその後何事もなかったように開いたので、 やつばり誰もこなくてよかつたと思つた)。
カウンターのにいちやんが 「地球の歩き方」93から94年版を持つていて 最初は持ってるよ、 ほら、といったのだがまあ持ってけ、
と言う感じで、良く考えたら新しい情報もあるかも、と借りて見てみたところ、 ジェールの所でこのホテルが紹介されていた。
96から97年度版には地図に載っているだけで紹介はされていなかった。
街の中心に歩いてレストランを見付けて入った。 なんとか広場の端。
いけないと思いつつビールを飲んでしまった(おかげで結局夜汗がでて苦しみ、 翌日酷く低調であつた)。
料理はまあまあ。 さらに驚いたことに料金が計算より安く、 違う料理を持って来られたのかよく分からないが820Ftですんだ(1100はとられると思つていたのに)。
食事の後トルコ時代の要塞に散歩に行く。
要塞は川岸に一部が残つているだけとはいえなかなかのものであつた。
岸辺のベンチにはディープなカップルも数組みいたが、 一人で本を読んでいる女の人もいた。
ほぼ夕暮れ。 帰ってすぐ寝る。 特急は10時26分。 朝もゆっくりしていられる。
ところでいまだこの時点でもマジヤール語の男性、 女性が分かっていなかったのでどうもこの宿では女性用トイレを利用していたらしい。
夜中トイレにいったら奥のシャワー室で女の人が髪を拭いていたので驚いたのだった。
夜は薬を飲んで寝て、 良く汗がでた。
リプトン1リットルテイーを飲んでいた気がするが記憶は定かではない。