平海古城

東門の甕城(入り口内部が右写真)

甕城内部の東門

紹介

甕城内部の東門


 
 平海は広東省惠東県東南部の稔平半島南端にあり、東は红海湾に臨み、西は倚大亜湾に望む。惠東県から52㎞、19個の島が 半島周辺にあり、海岸は54.7㎞。島の突端部は、数キロに及ぶ長い砂州があり、惠東港口海亀自然保護区となっていて、ビー チもあり、一種のリゾート公園となっている。その砂州の付根のあたりに、海防の溜め、明代1385年に築城された平海古城が ある。

 元末明初,倭寇や海賊、盗賊が猖蹶を極め、個の為明太祖は花都司を平海に派遣し城を建設した。“城周五百二十丈,高 一丈八尺,雉蝶八百七十一,城門四座。"とされ、1732年改修されている。古くは鐘城、または燕尾鐘城と言われた。東 西南北4門の城門が残り(城壁は殆ど残っていない)、ほぼ正方形をしている。

東門

 東門を内側からみたところ

内部の通り。少し古風な感じが残っている こちらのような現在風が殆ど

南門の東側に若干残る城壁

南門の内側

南門の外側

 

 正方形の内部を、東西南北に十字路が走っていて、これを十字街と呼ぶ(右上の路地写真が十字街)。一応古い民家や、 古寺廟などが残っているものの、古民家も普通に使われているし、そのうちだんだん取り壊されていくように思われ、わざわ ざ時間をかけて見学に来る程風情がある風でも無い。城門以外にあまりみるべきものは無いが、その城門も、完全に化粧直し され過ぎていて、これも古風な感じがしない。映画のセットとまではいかないが、少しきれいすぎなのが興ざめ。

西門の外側

西門の内側

北門の外側

北門の内側

 深圳の南頭古城、大鵬古城と同様、明代洪武帝期の建設とな る、連なった海防施設で、大鵬古城の東50㎞程の地点となる。少し時代は下るが、浙江省温州市にある永昌堡付近にある1387年築城の寧村所城も同様の施設で あり、数十キロ毎に延々と海岸沿いに要塞が連なっていたこと、それらの多くが未だに残っていることが良くわかる。

訪問したのは2009年6月27日。参考情報として、当日の経過を記載する。13 時に深圳の蛇口バスターミナルから恵州行きに乗車。50元。渋滞に巻き込まれ15時25分に恵州着。

バスの中で映画「ク ローサー」をやってた。15時45分恵州発車、18元。16時35分恵東着。港口行に乗車。14元。8分に 一本出ていた。平海半島へは「農村客運」バスという会社一社しか運行していない模様。17時22分 稔山通過。17時 56分 平海到着。一本道の両側に商店街があるだけの小さな村で、バス下車後、西側(右側)の斜面を下ってゆくと、自動 的に平海古城の中に入ることになる。しかし、城壁が残っていないので、城門の場所がわかりにくい。そこで、バスを降りた ら、「鴻冒大酒店」を探すと良い(多分簡単に潰れそうも無いから)。鴻冒大酒店の向かいの通りにある厳管路を50mばか り入ると、「北城門」という看板が見える。バス停はわかりにくい。永安隆酒店の北端あたりで停車するようなので、帰宅時 は永安隆酒店を目安にバスを待つと良い(あくまで2009年6月の状況)。なお、恵東県の地図は売っているが、平海の街 路は載っていない。滅多に観光客が来ないからなのか、当初古城が見つからず、尋ねた売店や、文具店で平海の掲載されてい る地図を探す時、ホテルでおっさんが、ガスの使い方の説明などを熱心に対応してくれたことが記憶に残っている。ただし安 宿はあまり多くは無く、宿泊したのは70元の宿。深圳近郊にしては安いかも。

 なお、私は深圳西部の蛇口から一度東北方面に北上し、恵州から南下する、とい う、半円を描くようなルートを使ったので、片道5時間半かかった。蛇口から恵東行き直行バスが無かったからである。もう 少し市内中心部の福田バスターミナルからなら恵東行きバスが出ている筈なので、こちらを使う方が時間短縮ができる筈であ る。

 また、平海から深圳僑社站行き直行バスが 8時、9時、10時、12時半、13 時、15時、17時 と数本出ていて、これを使うと3時間程度で深圳市内に到達できるが、僑社站から経済特区に移動する のに(場所にもよるが)1時間程かかる。

 更に、短距離バスを乗り継いで、地形的に直線的に移動することもできそうであ る。この場合は、大鵬へ出て、大鵬から恵陽行きに乗る(1日2本出ていた)。恵陽から恵東ー平海というルートとなる。ほ ぼ直線的に移動できるが、時間はかかりそう。という具合に、平海古城は、よほどの物好きでない限り、わざわざこれ単独で 見に行く場所でも無いので、大目に写真を掲載した次第(港口での海水浴のついでに行くくらいがいいかも)。

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