中世フランス歴史映画『クリスティーヌ クリスティーナ』(2009年)

 
 西欧における(もしかしたら世界においても)最初に著述業で生活した女性とされている、ク リスティーヌ・ド・ピザン(1365年頃-1430年)の映画です。女性の権利を主張したことで現在でも議論の ある女性とのことです。題名のクリスティーヌはフランス語読み、クリスティーナはイタリア語読みです。

 ピザンはイタリアのヴェネツィアで生まれ、4歳頃、医者で占星術師だった父親がフランス王シャルル5世賢王(在 1368-80年)に招かれたためパリに移住し、終生フランスで暮らした人です。映画は、1390年、夫の死没後から始まります。本作品は、生涯の話と、 その間のフランスの政治情勢を数年間に短縮して描く構成となっているので、厳密には史実と違う部分がありますが、全体的には 14世紀末から15世紀初頭のフランスの様子が描けているのではないかと思います。合戦などの場面はなく、ひとことで言えば 平凡な作品ではあります。また、知識を求めたが女性ゆえに過酷な最期を遂げた17世紀メキシコのソル・フアナ・イネスの伝記 映画(こちら)のように、あまり背景知識がなくても わかりやすい内容とはなっていないので、ソル・フアナの映画ほどお奨めとはいいがたいところがありますが、悪い作品ではあり ませんでした。
 この作品はイタリア語版しか出回っていませんが、英語字幕があります。ヨーロッパ諸国のアマゾンの商品説明には英語字幕の 記載がないのですが、アマゾン管理番号B00423BGCWの商品には英語字幕があります。2009年イタリア製作。

〜あらすじ〜

 1390年、夫に死没されたクリスティーナは、裁判所で財産の相続や(家屋)賃貸料等の借金を申し出るが、ピザンの父親 (既に病没)もピザンもフランス市民ではないこと、更に王家の公証人であった夫は当時のフランス宮廷を仕切っていたブルゴー ニュ派に敵対的で、処罰を逃れて逃亡先での死去だったことから、財産相続や借金を却下される(史実は国王シャルル6世に同伴 中の病没)。下の人物紹介画像の左端がピザン。この頃25歳だが、映画では40歳くらいに見える。子供二人(長女マリア 13-14歳くらい、長男ジョバンニ5-8歳くらい)を抱えて路頭に迷う寸前である。
 下左が当時のパリ市街、右がほとんど廃墟のピザンの家。生活のために家財道具を売り払い、家の中には何もない。



 その日の食料にも窮してきたピザンは子供を連れて、パリ近郊にある、友人女性を頼ってその居館を訪問するが(下左)、ブル ゴーニュに敵対していると睨まれることを恐れる友人から支援を断られてしまう。続いてイタリアへの帰国を考え、港町(下右) に向かい貿易船と船上での労働を対価に乗船を交渉するも、乗船料金を支払えないことから、これも断られてしまう。


 
 町では傭兵が市場を襲撃したり(当時の傭兵だよりの軍隊とその傭兵の傍若無人な様子が描かれているところ)、市場 で荷物を盗まれたり、雨の中ぬれねずみになりながら宿を求めて街中徘徊したりと大変な思いをするが、宿に宿泊するお 金はもっていたようで、宿に宿泊する。この宿の一階の酒場で詩の弾き語りをしていたのが、詩人シャルロット・カバン ヌ(ピザンの右)、宿で洗濯女をしていたのがその妻テレサで、港で乗船を断られた後、たまたまテレサと再会し、テレ サの家(川にとめた老朽化した廃船)の船倉部に泊めてもらうことになる。



 当初夫に内緒で隠れて泊めてもらっていたが、結局ばれるが、ピザンが教養があ り、詩才もあることを知り、詩人に気に入られる。ピザンは洗濯女たちの仕事を手伝いながら、当面ここで生活すること になる。

 ある日、詩人の詩に興味をもった男性が船を訪ねてくる(上詩人の右)。彼はパリ大学の神学者ジャ ン・ジェルソン(1363-1429年)で、詩がピザンによるものだと知り、ピザンに興味を示し、文人 友達となる。下左は、ピザンが訪問したジェルソンの図書室。ジェルソンとピザンは度々会って文学論議をするようにな る。ジェルソンが口にした詩句を、(ピザンにとっては女性蔑視作品の代表作と考えられていた)『薔薇物語』からの引 用だとすかさず見抜くピザン(下右はピザンのトレードマークとされた鮮やかな独特の青色の服。ただし、この服の場面 は、中盤少ししか登場しませんでした)。



 ピザンは文盲の人の手紙を代わりに読んだり(恐らく代筆も)したりして生活費を稼ぐようになり(後々、インドから取り寄せ た滲まないインクを使っているエピソードが出てくるので、これも商売するようになったのかも知れません)、子供とテレサに手 伝ってもらい書籍も出版(当時は一冊一冊手作り)するようになる。書斎は小さな工房のようになる。やがて下右のような廃墟の 一軒家を借りて詩作や著作に没頭するようになるのだった(ピザンに関する著作を読むと、宮廷人や王侯貴族に依頼されて詩や著 述を行い、それで生活費を稼いでいたと記載されているのですが、本作品では上流社会との交流で著述したり稼いでいたような描 写は一切でて来ませんでした)。ピザンは、著作で「フランスでは女性は尊重されず、軽蔑の対象だ、と書くのだった(下左がピ ザンの書斎。「フランスでは」と強調しているため、「イタリアに比べて」という意味だと解されるところ)。



 ピザンが詩作し、詩人が酒場で歌う日々を送っていたところ、『薔薇物語』詩人の フィリッペ・ド・ゴンティエール(上人物画像右端)が酒場に入ってきて詩の内容にケチをつけたため、ピザンは、それ は私の詩です!と名乗る。女ごときが、と罵られたため、「食べていくためです。貧乏人は馬鹿のように振舞うけれど、 金持ちは避けるべきよね。お馬鹿さんでない限り」などと火を注ぐようなことを口にしてしまうピザン。「イタリア女 め!」と罵られて、ゴンティエールの頭からワインをぶっかけるのだった(この「イタリア女」のニュアンスは、現代に おける「西洋かぶれ」「欧米かぶれ」に近いニュアンスです。本作はイタリア映画で、当時イタリアは既にルネサンス時 代、フランスより先進的でもあったので、意図的なオーバーラップだと思われます)。

 この一件でピザンに遺恨を抱いたゴンティエールは、詩人の詩句に問題があると、詩人シャルトロットを告発する。ピ ザン当人ではなく、代わりの者を標的にする卑劣な行為だと憤るピザン。詩人は詩は自分が書いたものだと言い張り牢獄 に送られる。悪いことに詩人は獄中で人気者となり、当局へ意見する代表者に祭り上げられたため、当局から危険人物と 見なされたこともあり、ピザン達の嘆願もむなしく処刑されてしまうのだった。

 一方、ジャン・ジェルソンも、政治暗殺を正当化するブルゴーニュ派の知識人ジャン・プティを批判していたため、あ る日ピザンと川べりを散歩中、ブルゴーニュ派の傭兵に突然刺され、重態に陥ってしまう。世界なんてクソくらえ!と激 高するピザン。そこにゴンティエールからの手紙がくる。ピザン本の内容に失望し、燃やして暖をとった、とあった。更 に家の書斎が何者かに放火され、書物を焼かれてしまうなど、ピザンに対する嫌がらせも続く。

 ある日、ピザンが参加申し込みをしていた(と思われる)パリ大学で開催される詩作コンテストへの招待が来る。しか し、当日大学にいくと、ピザンはコンテストの部屋には入れず、アカデミーの代官(詩人の判決と行なったサルトリウス という人物。画面ショットは取りませんでしたが、故ドラキュラ俳優で有名なピーター・カッシングのような容貌。特に とがった耳が吸血鬼のよう)の部屋に通されるのだった。サルトリウスは『薔薇物語』とピザンの詩句を比較し、薔薇物 語は美しく、ピザンの詩は醜いと断じる。彼は指摘する。前者は当時の文学作法に則った、詩作法に調和したものである のに対して、ピザンの詩は型破りで、感情を刺激する内容である、風紀に抵触するのである、と。このような観点から、 参加しても無意味だ、と告げるのだった(しかし最後に彼は、あなたの魂とあなたが表現しようとした言葉は好きだ(と いうこと以外あなたに言うことはできなかった)、と付け加えるのだった)。ピザンはコンテスト会場を横目に大学を去 るのだった。

 以下はコンテスト会場でピザンに嫌味を言うゴンティエール。青い帽子と紫地の服がすてき。



 最後に、クリスティーヌ・ド・ピザンは詩人としてのペンネームであり、1420 年に娘のいるポワシー修道院に俗人のまま入る、と字幕が出て終わる。

〜Fine〜

 本作でのジャン・ジェルソンの女性に対する立ち位置はなかなか明瞭にならないのですが、以下の台詞に表現されてい ると思います。

「世界は男のために作られたのではない、といいたい誘惑に駆られるとき、信仰が私を妨げる」

 このジャンの部屋は大理石の暖炉やフレスコっぽい壁画が古代ローマ風で、イタリア・ルネサンスを取り入れたものな のか、古代ローマ時代の残滓がそのまま残っているものなのか興味のあるところです。

 本文で書きませんでしたが、映画では、成長した息子は北方で対イングランド国境防衛隊に就き、娘は修道院に入り、 ジャン・ジェルソンは、ラストでピザンにピサに赴任する、と告げていました。当時フランスとイギリスは百年戦争中 で、ブルゴーニュ派はイングランド派、アルマニャック派はフランス王統派という構図があり、息子はアルマニャック派 として対イングランド軍に参加していた、ということだと思われます。同様に、映画では、娘が修道院に入った理由は、 結婚に振り回されるのを避けるためでしたが、これは、ピザンの旧友のマルガレーテが、家と財産のためだけに年の離れ た男性と結婚していて少しも幸せそうではない、という事例などを見たためでは無いかと推測されます。
 最後に出てくる、クリスティーヌ・ド・ピザンは詩人としてのペンネーム、との字幕のピザンは、イタリアの、父親の 出身地であるボローニャのピッツァーノ村が由来とのことです。
 なお、史実では子供は3人で、母親とも一緒に暮らしていたそうです(映画の中のテレサは母親がモデルという感じも します)。

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