サッケ・デ・イスケンデール(ゴルガーン長城)
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ホスロー1世(531-579)が命じて建造されたとされる「イスカンダールの防壁」(サッケ・デ・イスケンデール)と
現在では呼ばれるイラン版「万里の頂上」の遺構である。イランの北、エルブルズエ山脈を越えた地点、農耕民と遊牧民の世界の
境目に作られた。当時はカスピ海から始まって、東へ160kmもの伸びていたらしい。
写真の地点はカスピ海から東50kmほど、ゴルガンがら北へ30kmくらい、トルクメニスタン国境までもう20km もない、起伏の激しい西部イランの地形を見なれた目には地平線までぴしりと一直線に平原が展開している様に見える。 遺跡自体は殆ど何も残っていない。左写真の様に畑の真中になんとなく盛り上がった土手があり、そこに規格が一定し、
番号の様な記号が掘り込まれた石が散らばっている。しかも色も若干緑っぽいものもあり、あきらかにこのあたりの石とは異
質である。 |
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長城はとっくに崩壊していてこれくらいしか残っていないらしい。 長城を構成していた石は地元の村の建築物に利用されていて、写真右はその1例。近所の村の共同倉庫の様な建物だが、 良く見ると畑の遺構に転がっていた石と同様規格サイズで記号らしき楔形がある。 構成されていた石から推測すると結構立派な城壁であったことがわかる。しかし全体像はイメージできない。しかたがな いのでダ ルベンドの写真で想像している。 |
左は長城の地図。アラル海とカスピ海の間にあった
ことがわかります。著作権の帰属が不明なので、帰属者をご存知の方はお教えください。許可申請をしようと思います。 なお、ゴルガーン長城の研究書「Persia's
Imperial Power in Late Antiquity: The Great Wall of
Gorgan and the Frontier Landscapes of Sasanian Iran
(British Institite of Persian Studies Archaeological
Monograph Series(2013年)」が出ています。 |
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写真右は長城跡から南のエルブルズ 山脈を見たところ。地平線1cmくらい 上にエルブルズ山脈の稜線が見えていたのだが、写真だと まったくわからなくなってしまっている。 写真の人物はタクシーの運転手 さんとダムの職員。 |
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どうやら付近にあるダムも「サッケ・デ・イスカンダール」と呼ばれている らしい。ダムも「防波堤」だからか。
まぎわらしく、最初ダムへつれて行か れた。 元長城があった土地の大半が 堰止湖に沈んでしまったらしい。
もっとよく遺構が残っている場所をご存知の方教えてください。
テヘランからゴルガンまで6時間。ゴルガンからタクシーで1時間。 |
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