セルディカ


紹介
紹介
NO1
  ソフィアはローマ時代はセルディカと呼ばれた。コンスタンティヌス1世が遷都先に一時へ検討したとの話もあるとのこと。実際ローマ人が好きそうなロケー ションである。今は大都会となってしまい、高層住宅が立てこんでしまっているのでわかりにくいが、ソフィア中心部は4つか5 つ程の丘からなっていて、中心部には温泉が湧き出しているのである。実際現在はオスマン時代の温泉浴場が市の中心部、ツム百 貨店の直ぐ左にあり(現在は閉鎖中)その更に北側に浴場遺跡がある(写真1)。
 またツム百貨店とシェラトンホテルの間には(日本で言えば銀座4丁目の公差点)14世紀の小さな教会聖ぺトカ教会が残って いる(写真2)。入り口が狭く窓が無いが、これはオスマン時代に目立たぬよう、ひっとりと信仰を続ける為の措置であったらし い。写真中教会後方はシェラトンホテル。
 シェラトンホテルの中庭には起源が4世紀頃に遡る聖ゲオルギ教会がある(写真3)。教会時代は増築・改築・修復を重ねて建 築当時の部分はほとんど無くなってしまっているので、写真3を見てもどこがローマ時代の部分かにわかには判別しがたい。内部 に入ると、内壁もほとんど修復されているが、一部13世紀の元の部分が残してある。内部の見学は有料。
 このゲオルギ教会の前には古代ローマ時代の道が残されており、下水道施設を見ることが出来る。
 上述の浴場、ぺトラ教会、ゲオルギ教会のあたりがセルディカの東城壁のちょうど内側のあたりにあたるらしい。シェラトンと ツム百貨店の間を大統領官邸に向かって50M程言ったところの地下歩道に東門の遺構が残されている(写真9)。はっきり言っ て小便くさくってゆっくり見学などしていられないのだが、一応歩道の両側に遺跡の説明や復元図のパネルが幾つか掲示されてい る。ただし、この歩道自体もはや「地下歩道の廃墟」となっており、荒廃している(と思っていたら1999年4月26日放映の NHKのソフィア紹介番組で、ブティックの入ったきれいな地下道になり遺跡も整備されていて驚いた)。

 この遺構は地下鉄工事中に発見されたとのこと。ソフィアの西地区から中心部、ツムとシェラトンの間に駅を作ろうとし たところ、遺跡が出てきてしまい、工事の妨げになってしまったとのこと。この東門からぺトラ教会を挟んでちょうど西側の 地下鉄工事現場でも遺跡が発見され、写真5にある様に掘り出されて工事現場際に野ざらしに置かれている。この「遺跡置き 場」の直ぐ南に隣接した土地は写真4、写真6のような状態。写真4などを見るとよくわかるが、まったくのごみ捨て場であ る。

NO2
NO3
写真7:東門を出て東へ半キロ程の地点にあるネクロポリス。ソフィア大学裏の公園の一角に置かれている。
 写真8はソフィア大学近くのアレクサンドル=ネフスキー教会横の聖ソフィア教会。ソフィアの語源となったこの教会の起源は 4世紀に遡るがこの教会も増築、改修を繰り返しており、古代の部分は内壁と、十字形式の基本構造の部分らしい。

セルディカは 809年にクルム汗により 破壊され、836年ブルガリアに併合された。

その他の遺跡 

ボヤナ教会と壁 第2王国時代の壁と世界文化遺産ボヤナ教会。
 

NO9
NO4
旅行情報
ブ ルガリアの地図はここを参照してください。
近隣の史跡・遺跡

ソフィア郊外の要塞跡 第2王国シシュマン時代の対オ スマン戦線の要塞


NO5

NO6 NO7 NO8