24/Feb/2012 created

オスマン朝歴史ドラマ「壮麗なる世紀」第25,26話に登場するモハーチの戦いとハンガリー軍

  トルコで2011年1月から放映中のオスマン朝歴史ドラマ「壮麗なる世紀」(原題 Muhteşem Yüzyıl/英語題名Magnificent Century、主役のスレイマンの異名が壮麗者(英語では the Magnificent)であることから、題名は「壮麗なる世紀」となる)の第二十六話は、ハンガリーとの雌雄を決した、1526年8月29日のモハーチ 平原での戦いが扱われています。中世から近世ハンガリーの歴史映画はどうもあまり多くはないようで、19世紀の独立闘争を扱った 作品くらいから数が増えて いるようです。

 そんな状況のようなので、ハンガリー映画では、どうも、有名なモハーチの戦いを描いた作品は無さそうな気配なのですが、トルコ のドラマに登場していましたので、今回ご紹介することにしました。


第二十五話

  冒頭は、ヒュッレムに思いを寄せるヒュッレムの幼馴染の恋人画家レオンを、毒菓子を使って、ヒュッレムが毒殺する場面から開始。 これについての経緯は24 話までで色々あるのでとりあえず省略。面倒なことになると思ったヒュッレムが保身の為に殺したのですが、ヒュッレムも泣き崩れる のでした。一方レオンに思 いを寄せる侍女ヴィクトーリアがスレイマーンの首にナイフをつきつけている。彼女はハンガリー王ラヨシュ二世がオスマン宮廷に送 り込んだ間諜で、即位前の スレイマンが出征した戦闘で恋人を頃された復讐を誓い、オスマン宮廷に送り込まれたのだった。スレイマン暗殺は失敗し、その後の ハンガリー遠征の為の作戦 会議では、ハンガリー王ラヨシュが侍女を差し向けたことが暴かれて、ハンガリー遠征が決定される。

 侍女ヴィクトーリアは、イブラーヒム ら家臣らに人気があったらしく、イブラーヒムは、悲痛な様子で牢獄でヴィクトリアを殴りつけ、家臣の一人は、ヴィクトリアを処刑 する時、二人で小船で海に 出て、ヴィクトリアを袋に詰めて海に捨てるのだが、この場面も悲痛そうだった。ヴィクトリアは従容として死を受け入れるのだっ た。

 このあたりで、既に侍女達の間でもマジャール(ハンガリー)のラヨシュという名前が出る。御前会議ではハプスブルク、マルティ ン・ルーテル、カトリック、フランソワ、ヴァティカンなどの言葉が出ている。下記は御前会議の様子。

 続いてブダ王宮が出てくる。中世ブダの登場するハンガリー歴史映画が見つからないので貴重な映像。

 こちらはブダの王宮。オスマンの動向を伝える使者が到着し、ラヨシュがヴァティカンとかスレイマンとかいっている。

 これがラヨシュ二世様。

 久々にスレイマーンが正妃・側室とその子供達と食事する場面となる。出征前の最後の一緒の晩餐ということなのだろう。

  ところがヒュッレムの前に並べられた皿の上には、画家レオンを毒殺したものと同じ菓子が。真っ青になったヒュッレムは、皿を下げ させ、そのまま陣痛とな り、子供が生まれる。男子を産んだことから、スレイマーンも、他の妃達もヒュッレムの部屋を訪れ喜ぶのだった。一方、ライヴァル のスルターナ・マヒデヴラ ンは悔しそう。

 ヴァティカン登場。概観は他の映画と代わり映えしないので画面ショットは省略。下記は教皇の部屋。真ん中の赤い装束が教皇クレ メンス七世だと思われる。

 当初イブラヒムが先発し、ハンガリー領土に攻め入る。これは、陣営の横で、兵士全軍でアラーへの祈りを行っているところ。

 そのころスレイマンは后妃達を連れてエディルネに到着。后妃達をエディルネに残し、スレイマーンは出征。

 ところが、スレイマーンと一緒に来ていた長男ムスタファは、軍から脱走してしまう。
  脱走したスルターナ・マヒデヴランの長男ムスタファは、森の中で、背中に黒い翼をつけている異様なゲリラに遭遇し、スレイマーン の陣地に連れ戻されてしま う。下記、真ん中の二頭の馬の左がムスタファ。ムスタファも背中に羽をつけられてしまっている。この姿でスレイマーンと面会した ムスタファは、そのまま后 妃達のいるエディルネの宮殿に戻るように言われてしまうのだった。后妃達が集まっているところに現れたムスタファ。狼狽する母、 マヒデヴランと、ポイント 稼ぎにほくそ笑むヒュッレム。

 ハンガリー領土に入ったところでスレイマーンと合流したイブラヒムは、それまでに陥落させた都市の鍵をスレイマーンに献上する のだった。こういう鍵があるとは聞いていましたが、映像で見たのは初めて。

 二十五話は、スレイマーンとイブラヒムら一行が森の中を進軍し、暗殺者が狙うところで終わる。


  第二十六話冒頭は、ハンガリー側暗殺者が、森でスレイマーンを狙撃するところから始まる。甲冑のおかげで助かったスレイマーンだ が、狙撃者一味はオスマン 側についていたセルビア人と思われる騎士のようで、オスマン側の高官は、裏切り行為に半ば悲しみながら処刑するのだった。

 現ハンガリー南部に位置するTolna(トルン)という城(下記)で朗報を待ち受けていたハンガリー王ラヨシュ2世は、暗殺が 失敗したとの報告に大きく失望する。このCGでは手前の階段のあたりに人が配置されていて動いています。結構リアルに作ってあり ます。

 スレイマーン軍の作戦会議では、側近のイブラヒム・パシャが、地図の上の駒を用いて作戦を提案している。
ハンガリー側の駒は白い人形で、赤い十文字が描かれていて、人形型のチェスの駒みたいである。
 イブラヒムの提案は、オスマン軍の左手奥にある池にハンガリー軍を追い込むというものだった。

 モハーチ平原に着いたオスマン軍。左奥の赤い装束の兵士はイェニチェリ。

 真ん中がスレイマーン。

 こちらはハンガリー軍。


 ヤギェウォ家のハンガリー王、ラヨシュ2世。この時20歳くらいの筈だが、32歳くらいのスレイマーンよりも老けて見える。

  最初に激突した後、途中でオスマン軍中央が退却を始める。それを見たラヨシュは、勝利を確信してしまい、追撃を命令する。ところ が、退却したオスマン軍を 追うと、そこには大砲と銃がずらりと並んで陣を敷いていたのだった。銃隊は、いわゆる火縄銃で、少年が配置されている。歩兵や騎 兵のように、格闘や乗馬、 剣術に熟練していなくても役に立つということで、ここに配属されたのだろう。それでも体がまだできていないので、跪いて、体を安 定させて射撃を行うのであ るが、銃の反動で大きく後ろにそれたりしているのだった。

  そして右手からはオスマン左翼軍がハンガリー軍を包囲するようにラヨシュ軍に向かって来るのだった。右翼も正面も塞がれたハンガ リー軍は左手に逃走する。 戦闘場面では何度かCGによる空撮が使われているが、こうした作戦上の両陣営の動きがわかりやすくCGを利用して表現されてい た。

 大砲と銃に防がれ前には進めないハンガリー軍は、そのまま右手に逃走を開始するが、その先には池があり、追い詰められたハンガ リー軍は次々と池に飛び込み壊滅するのだった。

  当事の銃は、まだ移動しながら撃つというわけに行かず、一度発射したら、銃口から火薬と弾丸を込めるなど手間がかかり、とても移 動しながら射撃をすること は難しい状況だった。固定して用いるしかない大砲と銃部隊に、うまく誘導したオスマン軍の作戦勝ちであった。ハンガリーの 「TŐRTÉNELMI VILÁGATLASZ」(歴史アトラス)KALTOGRÁFIAI VÁLLALAT(ワールドビジネス地図出版社 1991年、ブダペスト)」p116掲載のモハーチの戦いの配置と展開図。右手にドナウ川とその周囲の湿地帯があり、ハンガリー軍が追い込まれた地形がよ くわかります。


 取りあえず、モハーチの戦いの映像と、老けすぎとはいえ、ラヨシュ一世の映像を見れて満足です。

次回は、同ドラマ37-40話で扱われる、1529年のオスマン軍による第一次ウィーンの回をご紹介したいと思います。まあ、ハ ンガリーが登場する場面は極僅かなのですが、サポヤイ・ヤーノシュが登場する映像として貴重です。

※現在のモハーチ市の中心から5km程郊外の戦場跡に現在モハーチの戦いの記念博物館が開設されているとのこと(出典トルコの新 聞)。

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