紹興・寧波

 大善寺塔

紹介

大善寺塔 

 紹興市は、前2000年、夏王朝始祖禹が治水を行い、没した土地とされる。大禹廟という禹を祭る廟があり、地元では禹は前2062年に会稽に葬られ、前2059年から禹の子により祭祀を行ったとされているようである。春秋時代末期、越王勾践が紹興に都を置き、漢代都稽州が置かれ、隋代に呉州と改称、唐代に越州と改称され、南宋時紹興府と改称されて今に至っている。浙江省の省都杭州よりも歴史の古い町である。扉写真は、市街南東4㎞地点にある、禹が葬られ、越王勾践が呉王夫差に敗れ、越兵5千とともに逃げ込んだ会稽山。

  左右写真は、市街中心部の城市広場に立つ高さ40.5m、六角7層の磚塔(煉瓦造りの塔)。創建は南朝梁の天監3年(504年)とされるが、その後、南宋の紹定元年(1228年)、明代永楽元年(1403年)、清代康熙八年(1669年)前後に大改修が行われた。磚木結构楼閣式塔で、底層の直径3.8mある。

 大禹陵夏禹文化遊覧区

 会稽山山頂に立つ越王勾践像

 

 

 

  下写真は八字橋。南宋嘉泰年间(1201-1204年には既にできていたが、1256年に再建、1783年に大改修された八字橋(。上から見ると、八の字に似ているということで八字橋という名称がついたとのことであるが、八というよりも、「上」の字に近い。紹興市街の運河沿いにあり、情緒ある景観の中にある。

 禹廟は南朝梁の初年に建設されたが、現在の大殿は1934年、その他の施設も清代の建設とのこと。左写真にあるように、文化遊覧公園となっている。

 寧波市天封塔

 

 八字橋

 

  左は寧波市街にある天封塔。高さ51m、六角7層の塔。唐代天冊万歳(695年)から、万歳登封年間(695-696年)に建設。よって天封塔と呼ばれる。元の塔は18mで六角形。南宋建炎三年(1129)金軍により破壊され、紹興14年(1144年)再建された。嘉定十三年(1220)再び破壊された。1326-30年修復。1412、1557、1660、1759年大改修。1798年木造部焼失。「中国の歴史散歩第3巻」のp161に掲載されている写真は、塔心がむき出しで、木造の部分は写っていないことから、木造部分は1989年の再建だと思われる。近くに唐代869年建設の天寧寺塔がある。こちらに紹介がある

 浙江省の塔については、こちらの浙江省文物局のhomepageに一覧がある。

 

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