2012年サウジ・アラビアのテレビ局MBCと
カタールのテレビ局カタールTVによる共同制作。正統カリフ時代の第二代カリフ、ウマル・イブン・ハッターブ(586-590年
頃−644年)の半生を描く。一話45分全30話。youtubeのMBCアカウントに英語字幕版全30話(こ
ちら)が登録されています。サウジアラビアが製作ということで、きれいごとばかり並べた作品なんだろうなあ、と思っ
て視聴したのですが、それなりに楽しめました。後半はサーサーン朝とローマ帝国の映像が目当てでみていた部分もありますが、サウ
ジアラビアの正統史観の材料としても参考になりました。 本ドラマは、ウマルが主役とはいいながら、完全な群像劇で、主要登場人物は全てムハンマド時 代の史書では著名な人物のようです。登場人物一覧表をきちんと作成ないと、筋だけ書いてもわかりにくい作品であるとは思うのです が(以下の第二話の冒頭部分に、前半の主要登場人物をまとめてあります)、一部本ドラマでのフィクションもあるようで、このあた りは、日本国民なら即座に理解してドラマでの改変ぶりも楽しめるNHKの大河ドラマを外国人が視聴するのと似たようなもので、敬 虔なイスラム教徒であれば、特に説明なしでわかるのかも知れません。ドラマ後半になって、役名がわかりにくい理由が漸くわかりま した。少年青年時代は、XXの息子という意味でイブン・XXと呼ばれることが普通で、結婚して子供が出来た後は、YYの父親、と いう意味でアブー・YYと呼ばれることが普通になる、中年で、父親が現役の場合は、その場の人間関係によって、イブン・XXと呼 ばれたり、アブー・YYと呼ばれたりする、ということが理解できました。考えてみれば当たり前なのですが。。。外国人にとって は、木下藤吉郎、羽柴秀吉、という具合に年齢によって名前が変わると混乱するので、一貫して「秀吉」呼ばれた方が恐らくわかりや すいと思うのですが、日本人にとっては異様に感じるのと似たようなことなのでしょうね、きっと。ドラマ中名前が不変だったのはウ マルとムハンマドだけだったような気がします。 第一話
冒頭、ヘジュラ紀元23年(西暦644年)のメッカ。カーバ神殿の廻りにイスラム教徒が集まり集団礼拝が行なわれている。その 中に老人のアミール・ムウミニーン(信徒の代表者=カリフと同義)と呼ばれている人物(ウマル)がいる。当時のカーバ神殿が再現 されている。この後の方で 600年初頭のメッカとカーバ神殿の映像も登場しているが、644年の映像とあまり変わらないので省略。 続いて預言者が啓示を受ける年(610年)の6年前(604年)に移る。クライシュ族に属する一部族アディー(Adiy)族に 属する ウマルは、メッカ郊外で芝刈りをしている(下左)。泉で他部族に水を譲り、公正な人柄が描かれる。右は608年以降、商人として 立派になったウマル。ターバンの生地が素敵。 叔母たちに薪を届け廻るウマル。町並みは、土台と一階部分は石積みで、日干し煉瓦ではない。上層の方は粘土のようである。基本的 にイエメンの摩天楼都市シバームに似ている建築様式。ただし高層建築はなく、2階程度。7世紀初頭の町を再現したセットというよ りは、ロケ地にモロッコが入っていることから、現代に残るモロッコの田舎の村をそのままロケに使ったのではないかと推測される 町。 このドラマに描かれている当時の社会は、相当厳格な年功序列社会のようで、野心を抱き能力を発揮したいウマルは、後見人の伯父 が、若いウマルに事業を任せてくれないことに不満を持っていた。当時のクライシュ族は、さらに幾つかの部族に分かれていて、有力 な部族はハーシム家一門、続いてアブド・シャムス(Abd Shams)家一門となっていて、Adiy族であり、さらに、若年のウマルにいは簡単にはチャンスはまわってこないのだった。ある夜伯父と口論した後、頭 を冷やしに異母兄弟ザイドと郊外で夜を過ごした折、ザイドにぼやいていると、そのザイドは、とっておきの資金をだしてくれ、ウマ ル はコライシュ族の隊商に参加してシリア貿易に携わることになるのだった。 ※アブド・シャムスとハーシムは兄弟の関係で、ハーシムの曾孫が預言者ムハンマド。クライシュは、ハーシム兄弟のさらに数代前の 先祖。兄弟の親がアブド・マナーフ。アブド・シャムスの息子がウマイヤで、ウマイヤの曾孫がウマイヤ朝の開祖ムアーウィア。これ らの名前それぞれが、家門の名前であり、対立する相手によって、アブド・マナーフ家門であることが強調されたり、シャムス家であ ることが強調されたりする。単純な門閥間の対立ではないところが、ストーリーの基本的な背景となっている。 608年ダマスカス−預言者の年の2年前 商人として成長したウマルは隊商を率いてダマスクスに到着する。当時のダマスクスを再現した映像は見応えがある。 古代ローマ式の石造による大神殿建築物と、古代末期・キリスト教時代に入ってから見
られるようになるレンガつくりの教会が混在している再現映像となっている。
古代シリアのローマ時代の建築物というと、パルミュラやバールベックの神殿など、石造建築物の印象が強いが、6世紀以降は、初 期ビザンティン建築であるラヴェンナのガッラ・プラキディア廟やサンタポリナーレ ・イン・クラッセ聖堂にみられるような、レンガを用いた小規模建築が主流となるので、シリアの都市(に限らずコンスタンティ ノープルなど)もこんな感じだったのかも知れない。説得力のある再現映像に思えます。以下左は大バシリカ。キリスト教の十字架の 旗が入り口の左右に飾られている。もしかしたら後のウマイヤ・モスクに改築されるのはこのバシリカかも知れない。右下は、ビザン ティン建築の主流形式である丸いドームを備えた赤レンガ建築。 左下はダマスクスの広場のひとつ。中央に水道施設のような屋根付きの建築物があり、周囲に露天が広まっている。右下は、ダマス クスにおける、ウマルのビジネス・パートナー。ビザンツ商人(両側)をビジネス・パートナーとしている。 当時のダマスクスはガッサーン王国の支配下にあり、ガッサーン王国はビザンツのの支配下にある、という二重支配の状況にあっ た。上右画像中央の人物は(名前不明)は、ウマルに密かな独占取引を提案するが、ウマルは拒否する。ワシがビザンツと通じている からか?と詰るこの人物に、ウマルは、「宗教は関係ない、公正さ、倫理ということを言っているのだ」と応じ、更に「君の宗教は金 なのか?」と問い返すのだった。 609年−預言者の啓示1年前−メッカ 町中で、ユダヤ商人が、上澄みだけよい品質の良いナツメヤシと大麦を入れて高額で売却したことに対するトラ ブルが発生していた。町の有力者が調停に入る。 ウマルは、街中で行なわれているレスリングに参加し、何人か勝ち抜いていた男に勝つ。有能であり、公正であるだけでなく、武勇 もありそうなところが描かれる(顔が見えている方がウマル)。 第一話は、ウマルの人となりと、ダマスクスの再現映像が主に描かれているといえそう。 そうして、610年、ムハンマド啓示の夜を迎える。ムハンマドは声だけで登場。アブー・ターリブの息子アリー(後の第四代カリ フ)も登場する。 第二話
ムハンマドに啓示が降りた後、程なく友人のアブーバクル(後の初代カリフ:下左)や甥のアリー・イブン・ターリブ(後の第四代 カリフ:右下)などがムハンマドの教えに従うようになる(即ちイスラム教徒になる)。アブー・バクルはドラマ「クライシュの鷹」でウマイヤ朝末期の梟雄スマイルを演じた俳優さん(「ヘ ブン・オブ・キングダム」でサラディンを演じている)。下中央は、ムハンマドの叔父で、ムハンマドの後見人であるアブー・ターリ ブ。アブー・ターリブはイスラム教徒にはならない が、ムハンマドを庇護し続ける。右端の少年がアリー。 数年後、アブー・ターリブは下右端のように白髪となる。
当時のメッカはクライシュ族の支配する町で、クライシュ族の中でも、アブド・マナーフの家系が最も繁栄していた。そのアブド・ マナーフの家系は、アブド・マナーフの息子の代にハーシムとアブド・シャムスの二つに分かれ、ムハンマドが属するのは第一の名門 ハーシム家だった。このハーシム家のムハンマドが、先祖代々の伝統的な多神教を否定し、唯一神の新しい宗教を開始したことが波紋 を広げるのだが、整理してみると、番組で描かれている限りでは、騒いでいるのはアブド・マナーフの息子であるアブド・シャムスの 家系の人びとだということがわかる。 アブド・シャムスの息子がウマイヤで、ウマイヤの孫が、反ムハンマド最強硬派のひとり、アブー・スフヤーン(上左:ウマイヤ朝 の開祖ムアーウィアの父親。初代シリア総督である長男ヤズィードの父親でもあるので、アブー・ヤズィードとも呼ばれている)。右 から二番目がUtbah ibn Rabeeahの娘でスフヤーンの妻ヒンド。彼女も強硬派。この時点では、ウマイ ヤ家という用語は登場し ておらず、アブー・スフヤーンはシャムス一族の有力者として描かれている。 上画像左から二番目が、最強硬派のひとりアブー・アル・ハカム。彼はMakhzoom氏族 とされている。ア ブー・スフヤーンとは従兄弟の関係にあると思われるが、ハカムの父親はヒシャームというセリフが登場しているた め、歴史書の系図に出て来るウマイヤの孫のアル・ハカムとは別人かも知れない。アル・ハカムの妻はUmm Jameel。 ウマルは、アディー族だが、更に大きなくくりでは、Makhzoom氏族に入るらしく、アブー・シャムス家に近い立場にいて、 アブー・アル・ハカムを叔父さんと呼んでいる(ただし、叔父・伯父という言葉は、後見人に使われる場合や、母方やその他親族を介 した血縁の年長者に使われている言葉なので、アル・ハカムとウマルの関係は正確にはわからない。英語字幕では”material uncle”となっているので後見人かも知れない)。 その他シャムス家門の長老のひとり、イブン・シャムス(左下)。彼は比較的穏健派。第四話では、シャムスをアル・ハカムが父と 呼ぶ場面も出てくる(しかし上述のようにヒハカムの父はヒシャームという場面もある。ハカムは架空の人物かもしれない)。シャム スの息子にAl-Waleed(ワリード)と異母兄弟ハーリドがいる(ハーリドは、ハーリド・イブン・アル・ワリードではないか と思われる。彼はアブー・スレイマーンと呼ばれていることが多い)。 ハーリド(左)とワリード(右) もう一人の強硬派、ウマイヤ・イブン・ハラフ(Umayyah Ibn
Khalaf、番組中ではアブー・アリーとも呼ばれている。下右画像右側。二段上右画像は、左か
ら、アル・ハカム、イブン・シャムス、Utbah ibn Rabeeahと、反ムハンマド陣営の中心人物が揃って登場
している(Utbah ibn
Rabeeahは、アブー・アル・ワリードとウマルに呼び掛けられる場面(第七話)もある)。
左下はAmir Ibn Luayyの一門でSuhail Ibm Amrの息子アブドッラーとAbu
Jandaの兄弟。第三話以降登場し、早い段階でイスラム教徒となり、ウマルを説得するようになる。
アブドッラーとアブー・ジャンダル兄弟の姉が、シャムス家門の棟梁であるUtbah ibn Rabeeah の息子Abu Hudhaifahの妻サラーハ(Sahlah)という関係から、アブー・フンダイファも早い段階でムスリムとなる(フンダイ ファの義理の兄がアブー・ス フヤーンという台詞も出てくる。このあたりの関係はいまひとつわからない。さらにフンダイファの異父兄がアブー・ハカムという台 詞も出てくる)。フンダイファの弟がサマーハ。下右がアブー・フンダイファ。左がアブドッラー兄弟 の父親で強硬派の一人Suhail Ibm Amr。彼はアブー・ヤズィードとも呼ばれている。 まとめると、反ムハンマド派の中では、アブー・ハカム、アブー・スフヤーンが最強硬
派。ウマイヤ・イブン・ハラフとUtbah ibn RabeeahとSuhail Ibm Amrが強硬派。イブン・
シャムスが穏健派。SuhailとUtbanの息子達、シャムスの息子ワリード、ハカムの奴隷とウマイヤ・イブン・ハラ
フの奴隷が第七話までにムスリムに改宗する。
さて、第二話冒頭でアリー・ターリブ少年は、父の家に戻り、ムハンマドの啓示を告げる。この段階でイスラム、コーランという言 葉が出ている。 クライシュ族最名門であるハーシム家のムハンマドが伝統的な神を否定する宗教を始めたので、ウマルは親戚の家に集まって、ハー シム家をリーダーとするようなムハンマドの啓示についての議論に加わる。 啓示第三年(613年) 丘で礼拝をしているアブー・バクルはじめ7人くらいのイスラム教徒に向かって、町の富裕商人一行がけちをつける。その中心人物 はアブー・ スフヤーンで、スフヤーン一行とアブー・バクル一行は石を投げあい喧嘩となるのだった。ドラマ途中から温厚になるが、この段階ではア ブー・バクルも血気盛んな感じ。この時点で、アブー・バクル、ウスマーン・マズーン(マズーン族はウマルの部族でもある)、ウス マーン・イブン・アファン(後の第三代カリフウスマーン)、サアド・イブン・アビー・ワッカース(後のササン朝の征服者)、アブ ド・アル・ラフ マーン・イブン・オウフがムハンマドの教えに加わっている、という台詞が出てくる。 続いて番組前半で重要な役割を演ずる奴隷達が登場する。右側がアビシニア人奴隷で剣闘士でもあるワシー。坊主頭でガタイのでか い黒人奴隷というよくあるパターン(映画「スパルタクス」の黒人剣闘士ド ラバとか「グラディエーター」の黒人剣闘士ジュバなどの系譜を意識したのかも知れない)。左端が、試合でワ シー (Wahshi)を見て一目惚れし、ワシーのところに出入りするようになる奴隷女Raihanah(ライハーナ)。中央はアビシ ニア系奴隷Hamamahの息子ビラル(Bilal)。ワシーはアブー・ハカムの奴隷で、ビラルはウマイヤ・イブン・ハラフの奴 隷であり、鍛 冶職人をしている(右下に高炉が見えている)。 ビラルは、人を肌の色で差別しない、というムハンマドの教えに共感し、ムスリムとなるが、ワシーは、酷く複雑な考えを持ってい る。ワシーは、同じアビシニア人としてビラルへの同胞感を抱いているものの、同時に自分の肌の色を嫌悪し、ムハンマドの教えのよ うな方法で解放されることは望んでおらず、既存の手続きの中で、主人への長年の貢献が認められて解放されることを望んでいる。第 三話の話となるが、ビラルは、「主人が殺せといったら自由の為に殺すのか?」とワシーに問い、ワシーはそれを肯定し、更にビラル に「それじゃ肌の色で差別する連中の考え方と同じだ」と指摘されるのだった。ワシーは、自分が生きてきた価値観を簡単には変えら れない苦悩する人物として描かれているのだった。 ライハーナの髪が出ている。サウジ・アラビアのドラマで髪が出ているということは、この役者さんは、イスラム教徒ではないのか も知れない。 この回は、ウマルの異母兄弟が、ウマルにコライシュ族のムハマンドをどうするか検討する会合に参加するように説得する場面で終わ る。 第三話
アブド・マナーフ家門とアブド・シャムス家門の総会議。以下のような意見が出る。 ・クライシュに反対する人々がムハンマドに迎合するだろう。それはクライシュの富と力をねたんでいる人々だ。 ・ムハンマドは特定の家門や宗教をこえる教義を唱えながら、実際には彼に従うものたちの党派を作っている。 ・ムハンマドの、全ての家門を同等に扱うという主張は、弱小家門を刺激し、家門間の利権争いを誘発してしまった。これに乗ずるも のが出てくるだろう。 アブー・アル・ハカムが強硬な意見を出すが、ウマルは、皆から尊敬されているアブー・ターリブにムハンマドの説得を頼もう、と いう。冷静で公正な調停者ウマルの特徴が表現された場面だが、総会で若年のウマルが発言することは、年長者に対する僭越なことの ようである。 会議が終わった後、家路を辿りながら、ウマルは異母兄弟たちに状況を分析して語る。 ・マナフ家は妬まれている。マナフ家の一部の人びとはハーシム家を妬んでいる。ハーシムの一部の人々はAbd Al Muttalib家(ハーシムの息子でムハンマドの祖父)を妬んでいる、更に彼らの一部はムハンマドを妬んでいる。これが原因だ(Abd Al Muttalibがハーシム家の棟梁だと語られるが、彼は番組には登場していない)。 ムハンマドが新しい宗教を主張したものの、その理論は既存の宗教に対して問題であるとはいえ、大して改宗者もいない段階で、ど うして大騒ぎになっているのかよくわからなかったのですが、このウマルの解説を聞いてかなり整理できました。 ところが、翌日、アブー・ターリブがシャムス家やアル・ハカムたちに、ムハンマドを説得するよう強く要請されて困り 果てているのを見ていたウマルは、「あれではアブー・ターリブが人びとの尊敬を失うことになるだけだ。彼はムハンマドを説得でき まい」と言う。自分で提案しておいて無責任な感じもするが、それを聞いていたアブドッラー兄弟も、ウマルの思考に矛盾を感じたと 指摘する。 「君はムハンマドに敵対しているが、ムハンマドを越えてハーシム家を人びとが非難すると、その人びとを非難する。君は何を求めて るんだ?混乱する」 この指摘に対して、ウマルは 「私は統一とモラルを求めているのだ。ムハマンドが我々の宗教を非難し、年長者を非難するから、私 はムハンマドに敵対しているのだ、彼が我々の統一を損なわせているから敵対するのだ」 と返答するのだった。 このあたりから、ウマルが後にイスラムに改宗する伏線というか、必然が示されているように思えます。 アブー・ターリブがムハンマドを訪問する。ムハマンドを、説得するというよりも、寧ろ激励するのだった。 場面は変わって、シャムス家棟梁Utbah ibn Rabeeahの息子アブー・フンダイファの家。父親が息子の家を訪問したとき、息子が奴隷のサリムと一緒に朝食を取っているのを見て父親は激怒する。フ ンダイファは、サリムは我が子と同じです。と主張すると、父は、「お前、その考えはムハマンドのそれだぞ!」と激高するのだった (この段階でフンダイファが改宗していたのかは定かでは無いが、このような考えを持っていれば、改宗に至るのは必然でとなる)。 またもマナーフ一族総会が開かれる。ウマルは紛糾する会議で、「ハーシム一門を攻撃しては駄目で、ムハマンドの宗教のみ相手に すべきだ」と提案し、受け入れられる。 直接彼と話すべきだ、フンダイファの父Utbanが提案したところで終了。 第四話
ムハンマドと交渉するのは、穏健派のイブン・シャムスとなる。集会所の前で、奴隷サリムをアブー・フンダイファが、サリムを奴 隷から解放する、と広場で宣言し、町中に衝撃が走る。奴隷ビラルは、ワシーに向かい、「奴隷が解放されると、奴隷は嬉しいもん だ。ムハンマドの宗教はアラブ、非アラブ、黒も白も、全人類同じだといっている」、というが、ワシーは反発する。 広場で強硬派アル・ハカムがibn Abi Quhafahに声をかける。ムハマンドの賛同者らしい。アル・ハカムに思い切り罵られる。この時Quhafah一緒にいたのがIbm Massoud(コーランの記憶者らしい)。 ムハンマドを巡る果てしない論争に、若者達の中にはウンザリする者も出始めていた。フンダイファの義兄弟アブドッラーは、「そ もそもムハンマドがあんたたちに何かしたのか?」と父親に問い、父親(Suhail Ibm Amr)が激怒する場面が出てく る。年長者への態度・口のききかたがしつこいくらいでてくるので、こうした若者に抑圧的な習慣も、若者達の中にムハンマドへの共 感を呼び起こす背景となっているようである。フンダイファの家で礼拝が始まる。サリムはコーランの内容をよく暗記しているそう だ。結局フンダイファがムスリムになってしまい、その妻がアブドッラー兄弟の姉であることから、アブドッラー兄弟もムスリムに なってしまうのだった。こうして、奴隷と若者という、社会的権益の少ない層から、ムハンマドの教えが広まってゆくことになるの だった。 さて、イブン・シャムスがムハンマドを説得した後の会合で、イブン・シャムスが会見次第を報告するが、彼はムハンマドを魔法使 いだと感想を述べる。 ここにきて、町中で反ムハンマド演説をするマナーフ家及びシャムス家一門。 第五話
とうとうアブドッラー兄弟がアル・ハカムにより監禁される(アブドッラーはアル・ハカムの甥でもあるらしい)。ウマルが監禁さ れている二人のところにやってきて会話するが、逆に兄弟は、「イスラムを知れば、君は今と同じようにイスラムを導くようになる。 これ まででも最善なことは、イスラムにおいても最善だ(から、何も変わらない)」と逆にウマルを説得しようとする。遂にウマルも怒り 出し、広場に出て、Adiy族の人びとに 「遂に力を行使する時が来た、最早寛容であることは出来ない。厳しい罰を与えるべきだ。ムハンマドは貧乏人も富裕者も奴隷も主人 も等しい、兄弟従兄弟に違いがなく、同輩は平等だとと説く。ならば我々も我々の宗教を破壊するものを同じように扱おうではない か、彼らに等しく罰を与えようではないか。これは彼ら自身が招いた自業自得というものなのだ」 と説き、これがきっかけで遂にムスリム奴隷への公然とした弾圧が開始されるのだった。人びとは、イスラム教徒を襲撃し、広場に縛 り上げる。アル・ハカムは、縛り上げられたイスラム教徒達を罵りまくる。というものの、広場で鞭打たれ晒し者にされたのは奴隷身 分のものだけだった。ウマルも奴隷に鞭打ち、鎖に繋いで閉じ込めさせる。アブドッラー兄弟は、「私が知っているウマルじゃない、 救いを求めているもの弱きものを助けるウマルじゃない」というが、ウマルは 「ウマルは、人びとを愛し、一門の統合を乱す人びと を憎む人物だということを忘れたか。他を排斥するような人びとは、おしまいになるまでお互いに戦うだろう」 と返すのだった。 ビラルは、祈っているところをUmayyah Ibn Khalafに見つかり、町中を引き回されることになる。奴隷は主人の 許可なく信教の自由が認められていないため、ビラルは広場で、主人であるウマイヤによって、棄教するまで鞭打たれる(しかし、毎 晩家に戻ってきて、夜ワシーがビラルの背中の傷の手当てをするのだった。そうして翌日になると、また広場に連れて行かれて縛られ て鞭打たれ、棄教を迫られるのだった)。 拷問は連日続く。アブー・バクルたちは奴隷の所有者ではないため、何もできず、拷問が終わったら、毎日奴隷に水や食料を差し入 れているのだった。 ところで、伝統的な神とはどのような神かというと、以下のような偶像の神々である。アフリカン・アートな感じの彫像。これは シャムス一門の集会所で、手前に座っているのはウマル。 町の広場には以下のような数メートルの巨大な立像が多数立ち並んでいる。 名前が登場している神はAl-LatとAl-Uzzaで、ムハンマド以前にアッラーの娘達と呼ばれた、アル・ラート、アル・ ウッザ、マナー三神の中の二人だと思われる。この二神 は、クライシュ族 の神のようである(ただし、この二神の像はドラマに登場していない)。 IMDb のドラマ紹介はこちら Wikipedia のドラマ紹介はこちら イスラム歴史映画一覧表はこちら |