中国中世歴史映画『大唐玄奘』(2016年)

 玄奘三蔵(602-664年)のインドへの旅行とインド滞在を描いた映画。2016年中 国・インド製作。




 上の画像の通り、東京国立博物館所蔵の玄奘の図にほぼ忠実な装束です。映像は美 しく、風俗も結構リアルであるように思えます。しかし、IMDbの評点は良くはありません。あまりドラマティックで はなく、ドキュメンタリーのように淡々として進むところとか、ワイアーアクションもどきの場面が一部あるとか、突然 美女が登場するところとか、透明感がありすぎて汗くささが感じられない、など、まじめにつくっているのにどこかリア ルさが足りない感じが悪いのかも知れません。
 
 冒頭はインドのボンベイ図書館から開始。19世紀の英国人で、インド考古学局の創設者ア レクサンダー・カニンガム(1814-93年)が著したインドの地誌を学生が読むところから開始。そこ で映像は、1870年インド・デリーの考古学局で玄奘の『大唐西域記』を読むカニンガムの場面に変わり、更にそこか ら、インドのナーランダー寺院(かどこか)で、インドにきてから5年が過ぎた玄奘が、故国長安を出発するところから を回想する。という具合にして玄奘の西域旅行の映画が始まります。

 正直前半は退屈です。ナショナルジオグラフィックのような美しい西域の映像が延々と続くのですが、映像が美しすぎ て、どこか映画というより、ナショナルジオグラフィックのドキュメンタリーを見ている感じです。映画前半について は、ナショジオはじめ紀行映像で知ることができる映像が多いため、全略します。西域の町も、リアルに再現している (ような)のですが、涼州でワイアーアクションっぽいものが登場したりと、映画の路線がここだけアクション映像と なっています。映画の方向性を巡って蛇行していたのかも知れません。基本的にまじめなリアル史劇なのですが、こうい う違和感のある映像はもうひとつあって、瓜州と沙州あたりで、美女と出会うのですが、この女性は、実は過酷な砂漠旅 行で玄奘が幻視した幻影ではないのかと思えるほど浮いています(もしかしたら、本当に幻影を見たのかも知れません。 『大唐西域記』をいつか読んでみたいと思います)。

 というわけで美しいものの、ありがちなシルクロード紀行映像が続くので前半は退屈なのですが、後半は、いろいろと (映像的に)面白い見所があり、後半だけ画面ショットを取りました。

 まず、最初のこれは、高昌王国(トゥルファン)の映像です。この頃は、漢人の麴氏王朝が支配していましたが、文化 的には現地人は主にイラン系、文化的にも中央アジア文化圏にありました。そういうわけで、再現映像に登場する高昌の 城壁と城壁に連なる橋、中央寺院は以下のような中央アジアから西アジアに広まっている形式です。

 

 しかし!玄奘が高昌王国家臣の護衛で高昌に入城したところ、一瞬ですが、以下の ような市街が見えていました。これは漢人系の住居です。高昌の遺跡や遺物には詳しくはないのですが、これはありえた 話です。この地域は前漢時代から漢人の支配下にあり、移住した漢人や漢人商人の居住地区があったからため、こういう 景観もありえたのではないかと思います。このあたり、遺物や遺跡をそのうち調べてみようと思います。



  この頃の唐王朝は、まだ成立したばかりで、周辺地域の治安や外交関係も不安定 であったこともあり、王朝領域外へ勝手に出かけることは禁止されていました。政府の許可は下なかったにも関わらず勝 手に出国したため、玄奘は指名手配されることとなってしまう。当然極秘の出国なので護衛や伴がいるわけではなく単身 での旅路です。ゆく先々の町で役人の追及をかわしながら(玄奘を逮捕したあと、見逃す行政長官もいた)、唐王朝の勢 力圏を脱し、高昌国に達した玄奘は、今度は高昌国に留まるよう、説得されるのだった。

 以下が高昌国王麴文泰(在624−640年)。玄奘と食事をしなが ら、高昌にとどまるよう、説得しているところ。唐に強制送還すると脅されても意思を変えない玄奘。高昌国王は、大人 数の使節を伴につけてくれるのだった。



 亀茲(キジル)で演舞をみて、凌山大雪山で 雪崩に遭遇したりしつつ、砕葉、颯秣建国をへて天竺に入る(631年)。天竺に入った頃には数十人いた伴が数名 に減っていた。以下はナーランダー寺院。遺跡から想定される通りの出遺贈です。



 寺院で5年学んだ玄奘は、インド各地を巡る5年間の旅に出る。以下は立ち寄った 村。恐らくインドの村の建築様式も、地域によって多様なはずなので、この村がどの地域のものなのか、考証的にどうな のか、なんともいえませんが、日本の農家の屋根に似ている感じです。村も貧相な感じ。このへんがリアル。ここで商い をしている男女に托鉢をしたことがきっかけて案内を頼み、しばらく同行することになる。男(ジャラギ)は元奴隷で、 主人の娘(コマリ)が別の奴隷に凌辱されたことから、穢れを浄化するために死んでバラモンの陪葬にされそうになった ところを、ジャラギがコマリを連れて逃亡した、というもの。下右映像の中央に牛車が、右端に野菜を売る露天が見えて います。



 経典と仏像をもってガンジス川を渡る船に象や他の客たちとともに乗り込んだ玄 奘。特撮だと思いますが、象がこの規模の船に乗船できるのが驚きです。しかもこの後嵐に遭遇し、船は転覆して象は川 中に放り出されるのですが、象って泳げたんですね。本作で初めて知りました。下右は、639年、旅からナーランダー 寺院に戻った玄奘が、釈義を競う烏茶国の大会に出場する場面の大会要領を僧たちに告げる場面。貝葉文書ではなく、布 に文字が書かれた様式でした(このドラマの再現映像を見ている限り、根拠のある映像が多いので、これも実際にインド にもあった可能性がありそうですが、これもそのうち調べてみたいと思います)。



 642年には、当時北インドを統一していたヴァルダナ王国の都カナウジ(曲女 城)で無遮大会(Kumbha Mela Festival)が開催されることになり、玄奘たちも出場する。ここからの映像が見ものです。

 まず、左はナーランダー寺院の城門と城壁。ナーランダー寺院自体が煉瓦作りだったので、これはありえる範囲かと思 いますが、興味深い映像です。右は確か、現在ではこのような立派な遺跡は残っていないカナウジの城門。しかしカナウ ニの全体的な映像はありません。



 都の城壁の上で玄奘とともに大会会場を眺めるハルシャ・ヴァルダナ王(在 606−647年)。景観からして、城外を眺めているのかと思っていたのですが、もしかしたら、これが城内なのかも 知れません。下左画像の玄奘の頭で見えない部分が大会会場。



 下右画像が大会会場。会場は、四方の壁から、経文の書かれた絹の布が半円に渡し てある。上右が会場内の様子。会場につめているのは、参加者の僧侶たちだけではなく、王侯貴族も多数集まっている。 下左が開会を宣言する国王ハルシャ・ヴァルダナ。



 このヴァルダナ王の王冠が、かなりファンタジーが強いように思えるのですが、こ こまでリアルな感じの映像でやってきているので、これも根拠があるのかも知れませんが、突然”現代インドの歴史映 画”(=限りなくファンタジーに近い映像)になってしまった感じがしなくもありません。下左は王妃。王・王妃ともヘ ンな表情となってしましましたが、面倒くさいので画面ショットは取り直していません。



  下左がハルシャ王、その右が王妃、右画像は王侯貴族たち。位の高そうな人はみ な、キンキラキンの王冠をつけています。



 左は高位の女性たち。右は高位の男性たち。女性陣はともかく、男性の装束はかな りファンタジーに見えますが、実際はどうだったのでしょうか。



 ちなみに、1988年インド製作のドキュメンタリー大河ドラマ『インドの発見』第二十話「ハルシャヴァルダ ナ」の回のヴァルダナ王・玄奘・ヴァルダナ王の母后(と思われる人物)。本作とはずいぶん違います。



 18日間開催された大会で勝利した玄奘は帰国を決意する。帰路は、ヴァルダナ王 に随行員をつけてもらい、さして苦労もなく長安に到着する。以下が長安の遠望。中国のドラマや映画でも、最近はなか なかリアル映像といえそうなものは減ってきているような気がしますが、特に唐代のリアルさの出ている映像は希少で す。



 長安市街の映像は、夕暮れ(ほとんど夜)のこの映像くらいしかありませんが、こ れも実際にありえた感じの仕上がりで嬉しい映像(撮影は横店電影城ら しいが)。



 下左は、帰国後玄奘が持ち帰ったサンスクリット語の経典を翻訳する大部屋の中央 にある、経典を格納する本棚。経典の大きさがばらばらで、乱雑に置かれているところがリアルな感じです。他の作品に 登場するこの手の書棚は、整然としすぎていて不自然さを感じていましたが、これはリアルな感じでした。下右は皇帝李 世民の執務室(中央に利李世民がいる)。これも質素な感じでリアルです。



〜終劇〜

 私の見逃しかも知れませんが、本作では「終劇」と出ませんでした。英語作品でも、ながらくThe endは出なくなっていますが、中国映画も同様の傾向があるのかも知れません。

 ところで、本作は、興行的には失敗に終わったようで、海外では上映されていないようです。製作に関わったインドで さえ上映されていないようです。百 度百科の論評欄に、問題点を書いているものがあります。ドキュメンタリーみたいな映像は美しいが、主役 の玄奘(黄 暁明)の体格や顔つきが欧米人みたいだ、帰国時はまだ43歳なのに、なぜ白髪混じりなのか、など細かい ところも突いていますが、メインの問題は仏教哲学と玄奘の思想の変遷にあり、このあたりは私は詳しくはないので流し 見していましたが(辞書を引かないとわからなかった、というのもありますが)、確かに、史上稀に見る偉大な業績を上 げた人物にしては、平凡な見解しかない感じはしていました。そうして、いわれてみると、玄奘が旅の途上で遭遇した 様々な社会矛盾や悲惨さは、こんなものではなかっただろう、それに対する玄奘の反応・どのように乗り越えたのか(乗 り越えなければ他のあまたの西域に旅した僧侶と同様途中で挫折していた可能性が高い)、があまり伝わってくる内容で は確かにない気もしました。この点でも、『大唐西域記』や玄奘の他の著作などをそのうち読んでみたいと思いました。



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