ロシア歴史映画「ヤロスラフ賢公」

  1981年旧ソ連作、「ヨーロッパの義父」ヤロスラフ賢公(978-1054年)の伝記映画です(映画の紹介はこちら)。 本作も字幕無しなので、映像から判断できる概要となりま すが、こんな感じ。

  幼年時代、父親と離れて、聖職者(?)に厳しく教育される場面から開始。読書好きで内向的な少年との印象。青年になって、襲撃さ れている民家を救った時、 その民家の娘の美しさに思わず手篭めに。この程度の領主の横暴は、当時よくあることだったのでしょう。これがアンナだと思われ、 子供を出産し、最後川に 入って自殺してしまいます。。。。。(最低な話)。一方、正妃は、スウェーデン王の娘、インゲギルド。下記は、婚礼にやってきた インゲゲルドの乗るバイキ ング船。ヴァイキング時代の雰囲気が良く出ている場面。

  このように、時代の雰囲気が良く出ている映像となっていて、舞台のノヴゴロドは、「ユーリー・ドルゴルーキー」で描かれたスズダ リやモスクワ同様、11世 紀のノヴゴロドも木造建築(下左写真)。写真が多くなるので掲載しませんが、キエフの城壁も木造。右下は、ヴラジミールの宮廷。ドルゴ ルーキーの、居間を兼用した宮廷に比べれば、一応壁は漆喰で塗り固められ、2階に回廊のある、吹き抜けのホールに なっていて、柱とアーチも大理石のよう。一応大公の貫禄が出ていると言えそう。とはいえ、玉座は広間の隅に置かれた普通の椅子。


 ヴラジミール公が明確に映っている場面は少なく、下は数少ないショットの宴会場面。もう、老衰している感じ。

  上記宴会の場面とは別に、ヤロスラフとインゲギルドとの婚姻の宴会の場面では、豚の丸焼きを前にあんまり仲のよさそうではない夫 妻。豚の丸焼きを素手で取 り分けるヤロスラフ。当時のスウェーデンが、ロシアよりも文化的に進んでいたとは思えないのですが、マナーを知らない田舎に嫁い できたといわんばかりの后 妃の態度。宴会は途中から出席者同士で言い争いから乱闘がはじまり、遂には殺生に発展。当時のゲルマンやスラブの、死者まで出る 乱痴気騒ぎの宴会の様子が 良く出ている場面でした。
 下は、そのノヴゴロドでの、吹きガラス職人。吹きガラスはローマ時代に成立していたそうなので、当時のロシアで見られてもなん の不思議も無いのかも知れませんが、少し驚いた場面。


  さて、兄スヴャトポルクを破り、キエフ公になったヤロスラフは、各国の使者を迎えます。下左は、ヤロスラフの宮廷。ビザンツ大使 を前にしたヤロスラフ。玉 座は相変わらず部屋の端に置かれただたの椅子。下右は各国大使。前列手前の2人がビザンツ大使。その他、いかにもイスラム風装束 の使者などが見えていま す。


  続いて、当時の領主裁判が描かれた場面。成長したアンナの娘に懸想した男が、強引に襲い掛かり、助けに来た兄(アンナの娘は、引 き取られて兄がいることに なった模様)の友人を、広場で殺してしまい、何の騒ぎかと顔を出したヤロスラフが、民衆に裁定を要求される場面が描かれていまし た。その娘も、モザイク職 人と恋に落ち、宮殿のモザイク壁画を製作中に事故で死去。娘の持っていたペンダントを見て、それがアンナに贈ったものだと気づ き、娘の死を知るヤロスラ フ。ひたすら不幸な話でした。他にも、奴隷交易(イスラムに売られるスラブ人)の場面や、戦争後に、勝利した戦場で子の死体を探 す母たちの悲痛な姿が描か れるなど、単なる英雄の生涯ではなく、多くのネガティブな場面が描かれている作品となっています。
 下左は、ヤロスラフの部屋で夫婦が口論している場面(台詞わからないのですが、「本と私とどっちが大事なの」と言っているかの ような場面)。下右は、ヤロスラフの本箱。書籍を愛する文人の感覚が良く出ている場面でした。



 旧ソ連の文芸作品らしく、真面目に作ってあるので、当時の風景を知るには参考になるかと思います。娯楽性はイマイチ。

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