イラン・ケルマーン地方2000年の歴史を物語形式で綴った幻想譚映画「緑の火」

   2008年イラン製作。原題「تش سبز (緑の火)」。なんというか、イラン・オリエンタリズム100%な感じの作品。セルゲイ・パラジャーノフとかドン・アスカリアンなどのアルメニア映画にも 通じる、ユーロ・スペースでもシネ・ヴィヴァンでも少し違う、アテネ・フランセでの上映こそ似合いそうな作品です。前半は、ペル シア語がわからなくても、 映像を見ているだけでわかる内容なのですが、後半は、台詞が無いとわからない内容。あくまで個人的印象ですが、後半も、前半のよ うな造りであれば、日本語 版dvdを販売しても、なんとか元は取れかも知れないと思いました。

 イラン南東部・ケルマーン州の伝説というか、作家の作ったケルマー ンの歴史物語がテーマです。ケルマーン州にある古い都市遺跡を、とある家族が訪れ、娘が廃墟となった遺跡に迷い込み、宮殿の奥の 部屋で古代の王のような装 束の男の遺体を発見します。娘はその男の寝台の上に置かれていた書籍を読み始め、物語の中に引き込まれてゆくというもの。下記が その古代遺跡。

 こちらがその内部。右側の二人は娘を探す両親。

 最初は2003年の大地震で日本でも大きく報道されたバム遺跡かと思ったのですが、バムの遺跡は日干し煉瓦と粘土でできており、上記画 像のような石造ではありません。城壁は、タフテ・スレイマーンに似ていますが、映画の城壁はタフテ・スレイマーンより遥か に高さがあり、違うようです。どこの遺跡か、そのうち調べてみたいと思っています。

  娘が読み始めた書籍は印刷本で、古くても20世紀のものだと思われる書籍なので、書籍自体は幻想的な存在ではなく、近年の作家の 手になるケルマーンの昔話 をまとめたものか、或いは作家が伝説をヒントに描いた幻想譚なのかも知れません。書物を読み進める娘と昔話の映像が交互に展開し ながら、昔話がだんだん現 在に近づいてきて、遂に現在に追いつき、そして遺体だった男が甦り、娘と暮らし始める。。。。。こうして、幻想と現実の見分けが つかなくなる。。。。。。 というような感じで途中まで展開するのですが、どうも後半はちょっと違う感じとなってしまうのが残念です。登場する物語は以下の 内容です。

1.パルティア朝(前248-後226年)時代末期、サーサーン朝(226-651年)のアルダシールの攻撃に陥落するケルマー ン地方王朝の話

2.ケルマーン・カラ・ヒタイ朝(1223-1303年頃、モンゴル地方の契丹王朝の末裔がケルマーン地方に築いた地方政権)女 王パディシャー・ハトゥン(在1272‐?:実在の人物)の話

3.14世紀から18世紀のいつか。イスラーム化したケルマーンでなお残るゾロアスター教徒のリュート楽師の話

4.1793年のガージャール朝のアーガー・ムハンマド・ハーン(在1796‐97年)のケルマーン攻撃の話

5.現在に残るゾロアスター教徒の話

  これら昔話の中で、何度も破壊されては復興し、また灰燼に帰すケルマーンの苦難の歴史が語られてゆきます(サーサーン朝によるパ ルティア系地方政権の滅 亡、モンゴルの攻撃によるカラ・ヒタイ朝の滅亡、アーガー・ムハンマドによる破壊)。この作品を見た当初は題名の「緑の火」の意 味がわからなかったのです が、その後どこかでゾロアスター教の色は緑だと読み、ひょっとしてこの作品はゾロアスター教をテーマにした作品なのではないかと 思っています。そのうち本 作についてもっと情報を探してみたいと思っています。作品全体の印象は、一言で言えば、イラン版「カオス・シチリア物語」です。

  私としては、滅茶苦茶うれしいのが、あくまで昔話で、史実度は低そうとはいえパルティアの映像が見れた点です。日本語情報が殆ど 無いカラ・ヒタイ朝女王の 映像も見れたのも感激。いまいち展開がわからなくなってしまった後半も、台詞がわかれば感動するかも。できれば英中日のどれかで いいので、字幕版が出て欲 しいと思う次第です。字幕版が出れば必ず買います(1万円以内なら)。



 これがパルティア・ケルマーン政権の女王。宮殿の中庭で、住民から貢納品を受け取っているところ。

  右手を上げている仕草と服装が、イラクやシリアの遺跡から人物像の遺物が多数発見されているパルティア王や貴族の仕草に似ていま すが、なんとなく、仏像的 な風にも見えます。監督が、意図してオリエンタリズムな要素として仏像的仕草を加えたのか、或いは、パルティア時代、仏教僧と なった王子が中国に移住した りしていて(南朝梁の僧人慧皎(497年〜554年)が撰した「高僧伝」第一巻に登場する安世高)、 パルティア東部に仏教が普及していたと考えられているので、その史実を踏まえた演出なのかも知れません。下記左から二番目の娘 が、物語を読み進めている 娘。このように、物語の中に、読み手の娘が登場する。娘は家の子羊を黙って持ち出して、女王に献呈するのだった。娘の右手の黒い ケープの男が羊を女王に差 し出している(しかもこの男性が、「現在」の娘の前に横たわる遺体の男なのだった)。娘の左手の、頭を下げて手を差し出している 役人の男性の姿が舞台劇的 で、幻想的な風味を強めているように思えます。この、王に貢物を納める儀式は、古代から現在のイランに至るまで行なわれてきた新年の祭、ノウルーズなのか も知れません。


 この後、城壁の上の物見兵達がホルンを鳴り響かせ、アルダシールの襲撃を告げる。先が曲がっている独特なホルン。

 女王が倒れている場面が映り、王宮の中庭に面した作業場で作業をしていた鍛冶屋が、王宮になだれ込んできたサーサーン朝軍との 戦闘を見ている場面になる。戦闘は剣の音と兵士達の歓声だけで、目を見開いてみている鍛冶がアップとなって終わる。

  続く場面で王城は廃墟になっている。廃墟は子供たちの遊び場となっていて。老人がさまよっている。子供たちに老人は石を投げられ ている。この老人は、娘の 子羊を女王に捧げた男だった。娘は本を閉じ、現在に戻る。もう朝になっている。娘は遺体の胸から矢を抜くが、次の場面はそれを見 ている娘がベッドの隅にい る。そしてベッドの隅に臥せって眠ってしまう。次に気づくと夜も更けていて、娘は蝋燭の光で再び書物の続きを読み始める。今度は パーディシャー・ハトゥン (パーディシャー・タルハン、パードシャー・ハトゥンとも。本作中ではパーディシャー・ハトゥンと発音されていた(詳しくはこちら))の時代。今回娘は、パーデイシャー・ハトゥンとなっている。モ ンゴル・イル汗国バイハトゥ(ガイハトゥ(在1291-95年))からの使者の書簡を読むパーディシャー・ハトゥン。下記左が使 者、右が書簡を受け取るハトゥン。

 恐らく、モンゴルへの服従を促す書簡だと思われるが、ハトゥンは強気である。

 女王はテキパキと、次々と裁判を行い、判決文を起草している。

 宮廷に次の罪人が出頭する度に、ガンと鐘が鳴り、登場人物が入室してくる。このあたり、非常に舞台劇的な演出であり、しかも東 洋的である(1981年のイラン映画「ヤズダギルドの死」もこんな感じの演出だった)。
  そしてよく見ると、女王は、パルティア女王と同じような仕草をして手を上げるが、手のひらにはアラビア文字で念仏のようなものが 書いてある。女王の背後に 大きな鏡があり(上記画像)、その鏡の映る手の甲にも文字が記載されていて、更によく見ると、女王の衣服全体にアラビア文字が記 されているのだった。これ は、耳無し芳一を彷彿とさせるものがある。

  もっとも、カラ・キタイは、もともと、中国の北部にあった仏教国・遼の末裔なのだから、女王が仏教徒であったとしてもおかしくは ない。男勝りに政務を執る 女王だが、結局モンゴルに攻められ、王城はまたしても廃墟となってしまう。そして、落剥した女王が、子供たちに廃墟の跡で石もて 追われている場面となって このエピソードは終わるのだった。

 再び現在に戻り、朝になっている。外から楽隊の音が聞こえ、娘は本を閉じて外に出る。城壁の上から顔 を出すと楽団に声をかけられる。楽団というより旅芸人かもしれない。そしてどういうわけか、娘を旅芸人一座の連れていた娘を買う のだった。城壁の上から網 袋を下ろして旅芸人の娘を城壁の上に引き上げ、一緒に暮らし始める。夜、再び娘は本の続きを読み始める。。。。

 次の話は、14−18世紀の間のいつかのケルマーン。娘はゾロアスター教徒の男(彼は遺体の男である)にリュートを習い始め る。何年か経ち、娘は男に恋をしたようである。下記がゾロアスター神殿の前にいる男。神殿の中の拝火壇で火が燃えているのがわか る。

 しかしながら、男はイスラーム教徒達に石を投げられ、殺されてしまうのだった。

 現在の娘に戻る。朝になっている。泣きながら遺体に話しかける娘。そこに購入した旅芸人の娘がやってくる。

次 の話には、旅芸人の娘も登場する。二人は、ジプシー風(インド風)のカスタネットとタンバリンを演奏している。ミニアチュールの 女性の踊り子そのものの映 像。やがて戦争となり、娘の夫が剣を持って出てゆく。夜、王城が陥落する戦闘が行われる(イメージカットの積み重ねだが、一応戦 闘場面)。そして王城はみ たび廃墟となり、男が眼球を刳り貫かれているカットが一瞬入り、続いて両目の眼球をくりぬかれた男達とその妻達が廃墟を流離って いる場面となる。この内容 から、このエピソードは1793年カージャール族のアーカー・ムハンマド・ハーンがケルマーンを陥落させた時の事件だとわかる。

 現在に戻る。娘はついに遺体の男の手をとって嘆く。

  第五話。今後は車が登場する。車はエンジン不調でとまる。ボンネットをあけエンジンを点検する運転手。調査に来た学者とカメラマ ンのようだ。カメラマンは 車を離れ、野生の馬の群れを追ってシャッターを切ると、アラビア風の純白の装束の娘が走り去る。男は娘を追ってゾロアスター神殿 にたどり着き、神殿の前に いる、老人の王と王妃姿の人物にむけてシャッターを切るのだった。ここでも老女王は右手を上げている。

 この話は会話が無いので、仕草や表情から内容を推測することすらできないのだが、ひょっとしたら、ゾロアスター教徒が観光材料 となっている現在の状況を表しているのかも知れない。

  そしてまた本を読む娘に戻る。買われた旅芸人の娘は、娘が熱心に読む本に興味を持ち、娘を足洗い場に生かせて、ひそかに本を読も うとするが、その本は全部 白紙だった。そして旅芸人の娘の横で、寝台の男は息を吹き返す。翌日娘が部屋に入ってくると、男は完全に復活してベッドの上にお きている。そして井戸から の水のくみ上げを手伝うまでに回復するのだった。。。。。。

 と、このあたり(全体の2/3くらい)までは、なんとか筋が追えたのです が、この後の展開がわからないのでした。娘と両親が、いつの間にか博物館にいて、そこの館長と思わしき人に何かを訴えるような場 面となったり、下記のよう に、娘が王城の中の宮殿を何かから逃げ回る幻想的な場面が登場したり。しかも甦った男は登場しなくなってしまい、途中までは、虚 構と現実が混ざりはじめ る、という流れだったと思うのですが、その後はよくわからない映像が続いて終わってしまいました。

  もしかしたら、遺跡で起こった幻視的な出来事を、娘と両親が学者に打ち明けに行ったという展開なのかも知れませんが、途中までい い感じで幻想映画となって いたのに、突き抜けるところが無く、腰砕けで終わってしまったような感じで残念でした。いよいよとなったら、イラン人の英語掲示 板に質問してみるとか、行 き着けのイラン料理屋のご主人にも映像を見て解説してもらうとか、方法は考えられるのですが、とりあえず、映画に登場する「物 語」の中とはいえ、パルティ アの映像が見れて満足です。

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